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2017年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年09月

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茨木のり子  「うたの心に生きた人々」(ちくま文庫)

茨木が4人の詩人、与謝野晶子、高村光太郎、山之口獏、金子光晴をとりあげ個性的詩人たちの詩人像を描く。

 まだ前夫人との離縁が決まっていないのに、与謝野鉄幹と夫人がいるところに押しかけて嫁の位置におさまった与謝野晶子。

 「明星」を主宰して、多くの著名な詩人を引き寄せた与謝野鉄幹。晶子を何とか世にデビューさせようと幾つかの詞を集めて出版したのが晶子処女詩集「みだれ髪」。

 晶子は、自分の髪がこわくて、油をつけるとさらに固くなる。これがいやで油をほとんどつけず結いあげていた。それでいつも髪がほつれたり、乱れていた。それで本のタイトルができた。

 与謝野晶子は鉄幹を恋する、恋心の詩や短歌も素晴らしいが、やはり弟が日露戦争に出兵したときの晶子の弟を思いやる「君死にたもうことなかれ」が圧倒的に迫ってきて胸にズシンこたえる。

 「ああおとうとよ、君を泣く
  君死にたもうことなかれ
  末に生まれし君なれば
  親のなさけはまさりしも、
  親は刃をにぎらせて
  人を殺せと教えしや
  人を殺して死ねよとて
  二十四までをそだてしや」

 この詩が当時の日本人の共鳴をよんでいれば、日本も悲惨な道へ歩むことはなかっただろうけど、残念なのはこの詩は戦争が終了した後に、知れ渡り共感をよんだことだった。

 沖縄をとびでて、東京にやってきたものの、不況で仕事はなく、ルンペンで土管の中に暮らした山之口獏。それでも、徹底的に明るく、悲観することなく生き抜いた山之口獏にも戦争末期の昭和19年に発表した印象的作品がある。「ねずみ」である。

 「生死の生をほっぽりだして
  ねずみが一匹浮彫みたいに
  往来のまんなかにもりあがっていた
  まもなくねずみはひらたくなった
  いろんな
  車輪が
  すべってきては
  あいろんみたいにねずみをのした
  ねずみはだんだんひらたくなった
  ひらたくなるにしたがって
  ねずみは
  ねずみ一匹の
  ねずみでもなければ一匹でもなくなって
  その死の影すら消えはてた
  ある日往来にでてみると
  ひらたい物が一枚
  陽にたたかれて反っていた」

 この詩は、戦争で虫けらのように扱われ屍累々となっていく庶民、兵隊の姿を痛烈に皮肉っている。

 昭和19年、検閲は厳しかったが、単なるねずみの詩として検閲を逃れ出版された。山之口は検閲官のことを、おかしそうに笑ったとのこと。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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いしいしんじ   「アルプスと猫」(新潮文庫)

ご飯日記シリーズの3作目。

「フランダースの犬」は明治41年に初めて日高善一によって翻訳され出版された。その本では、主人公ネロの名前は「清(きよし)」。パトラッシュは「斑(ブチ)」。お爺さんは「徳爺」だった。こんな面白い話が載っている。

 いしいの作品は、大きなドラマがあるのでなく、いしい独特の言い回し、妄想、独特の世界に親しみを感じ自ら飛び込まないと、読むのが辛く、途中で投げ出したくなる作品が多い。

 あずさに乗って松本に帰る車内。こどものようにコンピューターについてサラリーマンがペチャクチャと煩い会話。それにあずさの空調音や振動音が重なっていらいらする。

 その時のいしいの気持ちの表現。
「途中から、あずさにのしかかれているみたいに気分がわるくなった。そんななか晩ごはんはお寿司。といっても助六に太巻き。まぼろしの助六が刀を抜いてあずさに斬りかかっていくところを想像した。あずさは白い輪切りになり、つぎつぎと海苔を巻かれて太巻きになった。」

 肩から背中にかけ凝って痛いので温泉にゆく。
「(肩から背中が)朝から晩までニシュニシュ言っている。鍼の効果が薄れてきたのか、効いてきたのかわからないけれど、左の首から背中にかけてニシュニシュ痛い。」

 このニシュニシュにシンパシーを感じるか、なにこれと思うかが、いしいの良き読者になるかならないかの分かれ目。

 ここでいしいが行っているのが、松本美ヶ原温泉の「ことぶき旅館」。私も社会人のころよくこの温泉旅館に行った。しかし、建物は汚れて古臭くどことなく壊れかかっている。

 いしいもこの作品で言っているが、何とこの温泉旅館に天皇陛下が訪れている。何ですき好んで天皇がこんな煤けた旅館に来たのか。私もこの旅館に泊まった全く同じ疑問を持った。


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| 古本読書日記 | 20:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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秘技 またばさみ

本家はこちら

3か月前
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今日
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余裕です。

今日は映画(ジョジョの奇妙な冒険)を観てきました。
9時半~12時半の3時間くらいを留守にしたんですが、これといっていたずらはなく、ソファーカバーへのおもらしもなく、トイレシートもきれいなまま。
さくらにご飯をあげたあと、14時過ぎまで自室にこもり、観てきた映画のサイトを眺めたり、原作マンガやアニメ版を検索したり。
で、そろそろ遅い昼ご飯でも~とリビングに。

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うーん。。。
留守にしているときより、家にいるけど構ってくれないときの方が、犬としては面白くないのではないかと推測してみる。

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実際はわからんけど。

| 日記 | 17:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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さくら、5か月

前回のひづめLOVEの記事から1月以上。
さくらは元気です。心配無用です。

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おっぴろげ

私(ねえや)が大学生で独り暮らしをしていたころ、ゆめこやはなこが子犬だったので、成長の早さを実感する機会はあまりなかったわけです。
いやぁ、早いですね。

こんなにコロコロで、ぽてぽてだったというのに。
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ぬいぐるみだったというのに。
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身体の長さは、先月すでにゆめこを追い抜きました。
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明日は花火大会。はなこはブルブルでしたが・・・

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大丈夫でしょうね。たぶん。

| 日記 | 21:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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伊藤比呂美  「日本ノ霊異ナ話」(朝日文庫)

高校時代から古典を読むことに熱中していた伊藤さん。教科書に載っているような「今昔物語」や「宇治拾遺物語」は毒にも薬にもならない。伊藤さんが本質と考えるエロ、グロには程遠い。

 もっと早く出会っていればと自分の人生もっとすっきりしていたかもしれないと思った「日本霊異記」を下地に物語を創った。作者は薬師寺の僧、景戒で1200年前に完成した書物。

 西暦700年代から800年代。人々は動物にも、植物にも親和性を抱き、殆ど同じ生き物として考えていたように感じる。それから、死は当たり前にあるものとして認識、それが恐いものとしての認識は薄かった。避妊などという考えは無く、やたらに子どもが作られる。自然に死ぬことも多かっただろうし、いらないものとして親が殺すということも当たり前にあった。病気やアクシデント、争いで死ぬ人も多く、日常の周辺に死体や骸骨が転がっていた。だから、生と死は一直線でつながっていたし、骸骨が食べ物を食べたり、死んだ人が浄土から帰ってくることなど普通のことのような時代だった。

 確かに植物も動物も同等に近い存在だったようには思うが、蛇との性交を歓喜の事柄のように扱う伊藤さんの妄想にはかなり引いてしまった。

 蛇が女性器から入り込み、それが快感の極みを生み、その結果、蛇との子をたくさん産み落とす。入り込むところまでは受け入れても、それ以降は胃などの器官に留まり、気分がすぐれない、病気がちな状態になるだろう。蛇の子を産み落とすなど妄想が過ぎると私は思う。

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| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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獅子文六    「悦ちゃん」(ちくま文庫)

1930年の新聞連載小説。昭和10年代の状況が実によく描かれている。
私の幼いころ、村には建具屋があった。少し前、自治会長をやり、自治会のリサイクルごみを箱詰めするときに使う器具が壊れ、この器具を作れる建具屋を探したのだが、なかなか見つからず苦戦した。

 私の村の建具屋も自然消滅のように無くなった。

 この作品にでてくる指物師である江戸時代から続く、指久が、機械化に押され仕事が無くなり、貧乏の極みに追いやられるところは、切なかった。昭和10年代でも職人が追いつめられているのだ。

 悦ちゃんのお父さんである売れない作詞家碌さんが、結婚の約束をしていたカオルを作曲家夢月に獲られ、信じられない気持ちで娘の悦ちゃんを残して京都までカオル、夢月を追いかけ、すべてのお金を失い、指久の貧乏長屋に身を預ける。

 昭和の初めの江戸の香りがする、江戸っ子気質が生き生きと描写される。

「同じ居候をしても、碌さんは幸福な方だろう。指久夫婦は、江戸っ子で、貧乏人である。江戸っ子は、貧乏になると、いよいよ同情心と義侠心を発揮する。不思議な人種である。自分たちはお魚を食べなくても、碌さんには食べさせようとする。碌さんが、居候根性をだして、三杯目にはそっと出しでもしようものなら、妻のお藤さんは、富士山のように、ご飯を盛り上げずにおかない。」

 こんな江戸っ子気概が根底に流れていて実に楽しく、面白い。そして、裏表なく、思ったこと、やりたいことはためらわず実行してゆく悦ちゃんは実に魅力的だ。

 市井の視点で、登場人物が実に生き生きとして活動する。最後の感動場面に向けて、読者をはらはらさせる筆運びは見事というほかはない。

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| 古本読書日記 | 22:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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乾くるみ   「匣の中」(講談社文庫)

 探偵小説愛好家グループの中心人物伍黄零無が、密室のなかから謎の言葉を残し失踪する。
その後、立て続けに4人の仲間が密室で遺体となって発見される。

 失踪事件を含め、密室殺人事件を探偵小説愛好家達が真相を解き明かそうとする。

 この過程が陰陽哲学から掘り下げられたり、難しい数理学や物理学から迫ったり、内容が難しく、その素養の無い私にはとてもついていけない中味だった。
 それで、最後はすべての真相が解明されると思いきや、結局何も解明されず、読者がよく物語を読み込み真相を解明するように仕向けられている。

 乾は徹底的に理知的に納得感をもたせるようトリックを解明し、そこまで説明しなくてもいいのではと読者に思わせる作家だ。
 しかし、この作品の最後は、いつもの乾から飛び出した。

 まったくわからないが、ハイゼルベルグという物理学者に不確定性原理というものがあるそうだ。強大なエネルギーを持った極微な場においては、時空の揺らぎが発生する。時間軸方向に関する揺らぎとは、時間の遡行を可能性として示しており、そして実際にも、素粒子が時間軸を逆行するのが、実験で観測されたりしている。

 つまり、ある状態を引き起こせば、時間が逆回転することができるという理論である。
伍黄の失踪は、伍黄がその状態を作ることで発生したのが要因。

 全世界は時間が前に進んでいるのに、伍黄はどんどん後退してゆくのである。密室に入る前の状態に戻ってゆくわけだから、愛好者の人たちの前から密室にもかかわらず、消失してしまうのである。一般の風景でも、街ゆく人は前に向かって歩くのに、伍黄はズンズン後ろ向きで歩く。

 完全に推理小説の域を超越して、怪奇的小説に昇華してしまっている。

 推理小説として読んできた読者は、何だかはぐらかされた気持ちでいっぱいになる

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| 古本読書日記 | 05:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー   「西郷隆盛 英雄と逆賊」(PHP文芸文庫)

来年のNHKの大河ドラマは「西郷隆盛」だそうだ。池波正太郎や海音寺潮五郎など、名うての時代劇作家が、西郷の周囲にいた人物の視点で、謎に包まれた西郷の実像に迫った5編が収録されている。

 薩長同盟や、勝海舟とともに実現させた江戸城無血開城に至るまでの西郷の活躍は傑出しており、大人物だと感じさせる。
 弟従道が政府軍側で、隆盛が反乱側で、兄弟で争った西南の役は切なさがこみあげる。

当然、西郷の型にはまらない偉大さを、それぞれの作家が畏敬の念で西郷像をよみがえらせる西郷賛歌になっている小説ばかりになっている。

 西郷の失敗は、そのころの武士の不平、不満を吸収するために、征韓論をとなえ、維新政府にたてをつき、政府軍と相まみえたことにある。

 しかし、西郷信望者が小説を書くと、これさえも肯定的にとらえる。植松三十里の「可愛岳越え」はやりすぎのように感じた。

 西郷の弟の従道が、西南の役で西郷隆盛が負けを覚悟して自害する寸前に、その実態について、西南の役を隆盛とともに戦った西郷の妾の子、菊次郎に植松は言わせる。

 「そうだな隆盛は最初から死ぬ気だった。私学校の過激な生徒たちを道連れにして。」・・・・
 「前にも、お前に話しただろう。薩摩の者たちは思いあがっていると。彼らはもう一度明治維新をやりかねない。それを防ぐために、兄上は彼らを死地に導いたのだ。」
 「では父上は、私学校の生徒たちを抹殺するために、挙兵したとでも?」
 「その通りだ。ここで不平士族が一掃されれば、新政府は盤石となり、日本は安定した国になれる。」

 征韓論と西南の役は、明治維新政府を盤石にするために、西郷隆盛が故意に引き起こしたというのは、西郷崇拝の念がいかにも強すぎる。

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| 古本読書日記 | 20:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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茨木のり子    「ハングルへの旅」(朝日文庫)

日韓関係は横においてみて、一般人同士でみてみたとき、日韓の互いをみる眼はどうなのだろうか。尖った極一部の人々の行動や言動、政治家の関係悪化をあおる発言を更にデフォルメして扇情的に報道し、それが全体の考えだと論じている傾向に無いだろうか。

 茨木さんの詩人としての原点になっているかどうかはわからないが、その人生の歩みに影響を与えたのは少女時代に繰り返し読み暗誦した韓国の詩人金素雲の韓国民謡選「ネギをうえた人」。

 それから30歳を過ぎて日本の有名な仏像、百済観音、救世観音、弥勒菩薩など多くが朝鮮系と知り、韓国に興味を抱き、韓国を知りたくて、昭和49年、まだハングル語など習う人が殆どいなかったとき、新宿に開設されたハングル講座に毎日通い、しゃべる、読むことをものにした。茨木さん50歳の時である。

 そんな茨木さんの韓国旅行記も面白く読んだが、最初のところのハングル語解説が面白かった。

 例えばハングル文字にはサシスセソの濁音を表記する文字が無い。
だから銀座はギンジャになり、軽井沢はカルイジャワになる。

 また、巻頭語に濁音がくることもない。ゴルフはコルプ、ビールはピール、バナナはパナナである。

 ハングル語が海峡を渡り、日本海沿いに北上してそれが根付いて東北弁になったのではと思われるくらい、東北弁とハングル語は似ている。

 例えば、カ行、タ行が真ん中にくるとき必ず濁音になる。雪がユギ、秋田がアギタ、私がワダス。~ニカ 意味(~ですか)東北(~ネカ?) イッタガ 意味(居たが、あったが)東北(いったが) ニャ 意味(~だろ?)東北弁(~にゃ?)

 無理に仲良くする必要はないが、日韓もう少し理解しあったほうが、楽しそうと思えるエッセイ集だった。

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| 古本読書日記 | 05:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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伊集院静    「愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」(集英社文庫)

 この作品を読むと、風貌からは想像できないが、伊集院はとっつきにくく、偏屈な性格に思える。あまり、暖かみや包容力がなく、悩み事を相談されても、寄りかかってきても、冷たく突き放すし、世話になった人の葬式やお願い事も、かってな自分だけの理屈をつけて、出席しないようにする。かなり周囲の人が困惑している。

 それでも、スポーツ新聞で、競輪記者エイジ、弟分である芸能プロ社長の三村。フリーの編集者木暮。いずれも変人で個性的な3人は、伊集院に恐れは感じながらも、人間的にほれ込み、崇拝している。ここが、伊集院の不思議な魅力があるところ。

 この3人と伊集院の魅力とは何だろうか。それを伊集院がこの物語で書く。

 「まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠からはずされる人々がいる。なぜかわからないが、私は幼いころからそういうひとたちにおそれを抱きながらも目を離すことができなかった。その人たちに執着する自分に気付いたと時、私は彼らが好きだとわかった。いや好きという表現では足らない。いとおしい、とずっとこころの底で思っているのだ。
 社会から疎外された時に彼らが一瞬見せる、社会が世間が何なのだと一人で受けて立つような強靭さと、その後にやってくる沈黙に似た哀切に、私は全うな人間の姿を見てしまう。」

 伊集院の生きざま、小説に貫かれている人間への見方である。

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| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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伊藤比呂美    「犬心」(文春文庫)

 愛犬、どれだけ元気であっても、いつか死にぶつかる。私も今まで4匹の犬との別れに遭遇した。その都度思うのだが、殆どの犬、猫は自然に死んでゆくものだということ。この本によると、アメリカでは、老いてとても直視できないほど弱ると、何で安楽死させないかと責められるそうだ。

 どの犬もそうだが、大好きな散歩をいやがるようになり、それからトイレの始末ができなくなり、動けなくなり、じーっとしているばかりになる。そして、あまり苦しむことは無く、気が付くと死んでしまっているというのが多い。自然の形だ。

 人間が、体のあちこちを管でつながれ、痛みと闘いながら、もう死んでもいいのに、無理やり生かされている状態で、死んでゆく姿とは大違いだ。

 ジャーマンシェパードの伊藤さんの愛犬タケも衰えきった後、すーっとあっけなく亡くなった。
 そのタケの姿も印象深いが、伊藤さん一家が熊本からアメリカに移住。故郷にはおじいさんが愛犬ルイとともに残される。おじいさんが亡くなるまでの12年間ルイとおじいさん一匹の生活ぶりが印象に残る。

 8年前に体を崩し、ほぼ寝たきりに近い状態なったおじいさん。そのおじいさんの寝ているそばで片時も離れることなく、寄り添って一緒に生活したルイ。伊藤さんがアメリカから電話をするとおじいさんは「ルイと一緒だから大丈夫」といつも答える。

 おじいさんが亡くなる。ルイをカリフォルニアの自宅につれてくる。

 そのルイが寄りかかってくる。一緒に飼っているニコとは全く違う。全身をぶつけるように寄りかかってくる。散歩につれてゆくと、しょっちゅう顔を見上げながら後をついてくる。

 おじいさんを介護することがルイの任務だった。もう終わったんだよと伊藤さんはルイに言う。しかしルイはやめない。それを伊藤さんは言う。

 今は忘れていても、おじいさんがひょっこり帰ってきたら、たちまち思い出すためだ。その任務を、このたび犬心というものに命じられ、ルイは必死に遂行しているのだ。

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宮下奈都     「神さまたちの遊ぶ庭」(光文社文庫)

夫の発案で、1年間期限限定ということで、福井から北海道トムラウシに移り住んだ宮下さん一家。このトムラウシがすごいところで、書店までは60km,最寄りのスーパーまでは37km。テレビ難視聴地域ということで特別の機器をNHKから取り寄せないとテレビも見られない。取り寄せても映るのはNHKだけでそれも東京版。

 新聞は一日遅れで郵便でやってくる。その切手代も購読者負担。

 宮下さんの一家は旦那さんと3人の子供たち。学校は小中一緒の合同学級で生徒は15人。この生徒たちも素晴らしいし先生たちも校長先生をはじめ個性的。一切宿題はなし。そしてそんな子供たちや新しくやってきた宮下一家を集落のひとたちが皆で支えてくれる。

 最初に宮下さんがやってきてすこしたった5月。気温は氷点下は当たり前。大雪が降る。
宮下さんが錯覚する「そろそろクリスマスか。」と。
 こんな自然がいっぱいのところでは、個性を十二分に発揮した子供たちが育つ。

9歳のきなこの発想が都会で窮屈な生活をしている子供たちでは浮かばないほどにユニーク。

 夏至とはどんな日と問われて宮下さんが丁寧に説明してあげ、そこで質問。それじゃあ日が一番短い日はなんていうかなと。
 きなこちゃんの答え。
「夏至の反対だからげせぬ。」
そう答えたきなこちゃん、顔を真っ赤にして逆立ちをしている。
「こうしてると、身体中の脳みそが頭に集まってよく考えられるの。」
いいなあ。脳みそは身体中にあるのだ。

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茨木のり子     「倚りかからず」(ちくま文庫)

作家というより女流詩人として名作を世におくりだした茨木のり子さん。1926年生まれで、終戦の日は東邦薬科大学の学生で19歳だった。茨木さんの傑作は何といっても「私が一番きれいだったとき」だ。この作品に茨木さんの生きざま想いの原点がある。

 一番きれいだったとき、化粧も着飾ることもできなかった。恋すべき男の人は誰もが挙手でしか答えてくれなかった。街はがらがらと崩れ、青空がとんでもないところからも見えたし、たくさんの人が死んでいった。

 この作品集である「倚りかからず」は茨木さん73歳のときの詩集。詩集としては異例の15万冊を売上を記録した。
 どれも、感受性が豊かで素晴らしい作品ばかりなのだが、以下の2作品が強い印象を残した。

「鄙ぶりの唄」
それぞれの土から
陽炎のように
ふっと匂い立った旋律がある
愛されてひとびとに
永くうたいつがれてきた民謡がある
なぜ国家など
ものものしくうたう必要がありましょう
おおかたは侵略の血でよごれ
腹黒の過去を隠しもちながら
口を拭って起立して
直立不動でうたわなければならないか
聞かなければならないか

「倚りかからず」
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも寄りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
何不都合なことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

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| 古本読書日記 | 21:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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朝倉かすみ    「遊佐家の四週間」(祥伝社文庫)

家をリフォームする間、友達のみえ子が遊佐家に居候をすることになる。遊佐家の母親である羽衣子は、美人でしとやか、典型的に家庭を守り、家族に尽くすタイプ。一方、みえ子は、デブで不細工、とてもみていられないほどの醜女。

 遊佐家の父親賢右は一番クズなのだが、家では自分の思い通りにしていないと機嫌が悪く、それに唯々諾々と従う母親に、娘のいずみや孝史は面白くなく、家族は一見幸せそうにはみえるが、会話は無く、内実はかなり冷え切っている。

 ここに異物であるみえ子がはいってきて、おおらかな振る舞いと言動で、賢右や孝史、いずみをからめとってゆく。

 みえ子の家庭は裕福。それに対して羽衣子の育った家庭は貧乏。みえ子の家が、お金をだしてあげて、羽衣子は高校をでるし、生計のお金も得る。みえ子は、すべてのお金について閻魔帳を趣味と言って作り、羽衣子はちゃんと返すといいながら、とても不可能でずっとほったらかしにしてある関係。

 これで、友達というのだから何とも不可思議。

2人の関係については、折に触れ思い出として頻繁に物語では語られるのだが、不思議なのは羽衣子とみえ子が、みえ子がやってきてから殆ど会話が無いこと。

 最後の日に、みえ子が炙り油揚げをつくり、それを賢右が「おいしい」と称賛するところで、遊佐家が揺れ動く。羽衣子は手のこんだ料理をつくり家族に提供。それが彼女の家庭でのステータスを保ち、誇りでもあったからだ。

 幸せそうで、ゆるぎないと思われている家庭も、むすめのいずみは、アルバイトに行っているそば屋の2代目と30歳以上の年の差があるのに恋愛をして結婚までしようとしている。息子の孝史は、不良グループにはいり今はやめているが麻薬にまで手をだしていた。

 みえ子がはいることで、そんな遊佐家の姿があぶりだされてくる。
幸せと思われた家庭は、今後はどうなるのか。みえ子と羽衣子の関係は変わらず維持されるのだろうか。不安いっぱいのなか物語は閉じる。

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| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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伊藤比呂美    「女の絶望」(光文社文庫)

「あたしにも身に覚えがあった。セックスしてんだか、げろ吐いてるんだかわからないセックス、手首を切ったりヤケ酒あおったりするかわりに、ま、ペニスを中にいれとこうかっていうセックス。快感なんかあるようでなくって、ないかと思うとあるんですよね。だからまたやめられなくなっちゃう。
 切ないねえ、こういう『ココでこんなことをしてるのはアタシに相違ありません』ってハンコ捺すかわりにおまんこ開いている若い女の子。五十になれば、そんなハンコ捺さなくたってセックスできるんです。」

 こんな内容が延々と続く。

伊藤の略歴をみると、現在はカリフォルニアに在住しているようだ。自分の経験もあるだろうが、アメリカでこんなことを妄想しながら、本を出版する。

 よくこんなことを書きながら、飯が食べていけるものだと思っていたら、この本を解説している翻訳家の金原瑞人が、この作品に感動して4回読み直したと書いている。

 自分の感覚がおかしいのかと少しショックを受けた。

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| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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西成彦 伊藤比呂美   「パパはごきげんななめ」(集英社文庫)

男女平等社会といわれ、子供の世話や育児も共同で行うべきと巷間言われるが、なかなか男が育児をするというのは、一般社会からみると奇異にみられる。

 伊藤比呂美の旦那である西成彦は熊本で大学の講師をしている。講義をする時間は少ないから、一日中家にいることが多く、伊藤に代わり積極的に育児に携わる。

 おしめの洗濯も、おおまかな伊藤と異なり、しっかり洗い皺がでないようきちんと畳んでしまう。
 母親は、公園仲間などができたり、保育園の母親仲間同士で、育児の悩みや愚痴を言い合えるのだが、西には当然そんな仲間はできず、一人悶々と育児をこなす。

 電車のなかで、子供を抱っこして乗っていると、あの人は失職中なのか可哀想にみんなから哀れみの視線をあびる。

 伊藤が出張で家をあけると、子供はときに愚図る。それをやっと慣れさせ、俺も育児名人になったと思っているところに出張から伊藤が帰ると、待っていたかのように子どもは伊藤のところに走ってゆき、伊藤に縋りつく。

 何だか、西の孤独さだけが際立つ。
西はそんなとき童謡を思い浮かべる。

 「ふたあつ」という童謡がある。
「まあるいあれは、かあさんの おっぱいほらね ふたつでしょ。」

 それから「ぞうさん」
「ぞうさん ぞうさん だーれがすきなあの あーのね かあさんが すーきなのよ」

 それから「おうまのおやこ」
「おうまのかあさん やさしいかあさん こうまをみながら ぽっくりぽっくりあーるく」

どこにもとうさんは存在しないのである。子育て、育児はかあさんがやることが似合う。

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| 古本読書日記 | 07:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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乾くるみ    「嫉妬事件」(文春文庫)

嫉妬事件としているが、本題はSHIT事件。スカトロジー事件である。

城林大学のミステリー研究会で、毎年恒例の犯人当てイベントが開催された。そこに部員である赤江静流が、他の大学の長身で格好いい天童を連れてくる。その天童は、静流に「疑惑の影」という本を貸し出してくれるように頼んでいた。

 「疑惑の影」は手が届かず、椅子か何かを使って、その上に乗ってとらないといけない、本棚の上部に置かれていた。そして、その「疑惑の影」の上には、うんこの塊が置かれていた。

 「疑惑の影」をとりだすと、まともにうんこを浴びてしまうということになる。
誰がどうしてこんなことをしたのか天童を含め10人の推理と捜査が行われる。

 うんこ、うんこだけで、200ページ以上にもなるミステリーで、顔をそむけ、途中で投げ出す読者もたくさんいたのではと想像する。

 途中で静流の小学校時代の辛い思い出が語られる。いじめを受けていた静流が授業中にトイレに行きたくなったが我慢して、もうだめというところで手をあげ、先生にトイレに行く了解を得る。しかし、教室をでる手前で、こらえきれなくなってオシッコをもらす。先生が怒って、パンツを脱いでお尻をみんなにみせるように強要する。

 何でこんなエピソードを挿入したのかと思っていたら、これが静流のトラウマとなっていて、自分がウンコを被るために、塊を「疑惑の影」の上に置いた結末と結びつくようになっていた。

 謎解きはそれなりの出来だとは思ったが、やはり「うんこ」が主役で、いたるところ「うんこ」がまきちらしてあって、読んでいて少し不快であった。

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町田康 いしいしんじ   「人生を救え!」(角川文庫)

町田康の人生相談と、東京を散歩しながらの町田といしいの対談が収録されている。
町田の「やりたいことがないのです。」と「妻が全然痩せないのです。」という相談についての回答がすばらしい。

 まず「やりたいことがないのです。」

「やりたいことの、ことの部分の問題なのですが、広い意味で、こと、ととれば、あなたとてやりたいことはあるのではないでしょうか。
 散財旅行にでかけて、プールサイドで飲み物を注文する、珍しい美味い物を貪り食らう。
贔屓の音楽家のコンサートに出かけてゆく。気に入った服や靴を百万がとこ買う。暴れる。わめく。といった。

 しかし、あなたの場合、この、ままではいかんという焦燥もあるようで、つまり、この場合の、やりたいということは、上記で言ったようなことではなく、長期的に生計を維持する、平たく言えば食っていくための職業。・・・・・およそ、世の中にやりたいことをやって飯を食っている人などはいません。やりたいことは金を使ってやるからこそ面白いのであって、やりたいことをやって金が儲かってしまえば、それは最早仕事なのであり、その瞬間に、そのことはやりたくないことに変ずるものです。
 つまりやりたいことをやるためには、やりたくないことをやらねばならないのです。」

 次は「やせない妻」への回答

 「あなたは家庭内の炊飯器、洗濯機、掃除機などを密かに破壊してしまいなさい。そして故障したと嘯いて知らぬ顔をし、決して買い替えには同意しなければよいのです。さすれば奥方様は、盥と洗濯板。ほうきにちりとり。へっついに火吹き竹。家事労働に多大なエネルギーを消費、たちどころに痩せてしまわれるでしょう。」

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| 古本読書日記 | 05:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高橋和巳     「日本の悪霊」(河出文庫)

うーん。物語の前提をなす条件がありえない。事件を起こして8年後、逮捕された村瀬の容疑が、工場に忍び込み、社長を脅してお金を奪う。それが3000円。昭和30年代の3000円だから、今は20000円くらいにはなっているだろうが、その容疑で逃げた期間が8年間。

 もちろん、村瀬を追う特攻の生き残り、落合刑事は、村瀬はこんな微罪ではなく、8年前に革命を起こすためにしでかした火炎瓶闘争や、大地主の家に侵入し主人を殺害し、女中らを刺傷し、400万円を強奪したグループの主犯格だと確信している。

 しかし、これらの革命集団が起こした事件は、確かに全員逮捕はできていないが、グループの多くは逮捕され、刑に服していて、警察としては済んだ事件。再捜査は毛頭する意志はない。

 このことは逮捕された村瀬もよく知っている。それで、3000円のためだけに8年も逃走するというのが納得できない。裁判をしても、初犯だし、しかも逮捕時3000円を警察に預けている状況。殆ど起訴すら値しない。執行猶予で懲役刑にはならない。

 更に、大地主殺害グループの構成員の素性が、誰もが革命に命をかけているということとは程遠く、ちょっとした浮浪者やチンピラくずれ。こんな人たちが10人近く集まって、とても殺人までおかして革命の意志を貫くことにまとまって行動するとは考えられない。

 ISもそうだと思うが、過激派集団というのは、マルクスやスターリン、毛沢東を信望し、彼らが描いた世界を実現するため、敵を殲滅するということを厭わないところまで、心が高揚しているか、戦争中の特攻隊のように、組織として死んで散ることから逃れられないように追いつめられた集団であることが前提。

 この物語のように、緩く甘い(そうではないかもしれないがーではそこを書き込まないと)集団では一致結束して人殺しを行うことは非現実的。

 いろいろ重く応える言葉がちりばめられてはいるが、それらが物語から浮いてしまっている。

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