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2017年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年06月

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夏石鈴子 平間至   「きっと大丈夫」(角川文庫)

エロであることを隠そうとしない夏石の痛快エッセイ集。

自分は正しいという強い信念が表出しすぎていて、鼻につく部分はあるが、その真っすぐさが小気味よく楽しい作品になっている。

 待機児童が問題になっている。双子の子供がいる。兄は認可保育園に通っているが、弟は同じ保育園にいない。どうしてそんなことのなるのか。2人も同時に保育園に入れるとなると、不公平になるから一人しか入れない。両親の介護を抱えているため、保育室に子供を預けている。これが限度は2か月間と決められている。どうして、もう少し家庭の状況を考慮して長い期間預けることができないのか。

 「困っている人は、あなただけでなく吐いて捨てるほどたくさんいる。あなただけを優遇はできない。」と公務員である職員はつれなく答える。

 ここに夏石さんは怒りをぶつける。こういうところが一途であり、自分が正しいと思い込んでいる性格がでている。少し冷静にみれば、職員の言い分もあながち間違っているようには思えない。

 母親だけを集めた一歳六か月の歯科検診時、保健センターの歯科衛生士がみんなに向かって言う。

 「こうやってよくブラッシングしてください。特に前歯のすき間は、虫歯さんができやすいのです。今、虫歯さんができたら、この年齢では削ったりする治療ができません。」

 相手は子供ではなく、れっきとした大人の母親たちである。少し相手を馬鹿にしていないか。何なのだ「虫歯さん」とは。ちゃんと「虫歯」と言え。虫歯にさんなどつけるな。

 これは確かにその通りだ。最近はこの種の話が多く、ふっと違和感を覚えることが頻繁にある。

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三羽省吾    「路地裏ビルヂング」(文春文庫)

雑居ビルには、世の中の吹き溜まりのような会社や事務所が集まっている。この作品は雑居ビルのそれぞれの階で働く人の姿を連作にした作品である。

 一作目の加藤は、元フリーター。失業保険受給とフリーターを繰り返していたが、このビルに健康器具、健康食品を販売する会社に正社員として採用される。だいたいは親族や知り合いに販売が終わると販売が落ち、それで会社を辞める人ばかり。それで、会社も顧客情報は手にはいるし、給料も安いまま辞めてもらえるし、ありがたいことだと考えている会社。

 二作目は無認可保育園に勤める50代の保育士免許のないおばさんの話。

 三作目は成績もよく大学まででたが、司法書士になりたくてずっと試験を受けているが失敗ばかり。それで、仕方なく塾の講師をしている先生の話。

 四作目は不動産会社の小さな分室での話

 五作目は、デザイン事務所と言っても、新聞の折り込みをデザインしている場末のデザイン会社の話。

 どれも落ちこぼれた人々の話なのだが、どの作品の主人公も、時には不遇に嘆くこともあるが、結構いじけず、強く頑張りぬいている。

 二作目の「空回り」で作者三羽は今の人たちの実情と思いを綴っている

「夢や希望を持つことは素晴らしいことだが、職業をニコイチのように言われ過ぎている。ゴミの収集車に乗っている人が、職業上の夢を叶えているか。たぶん叶えていない。しかし、社会にとっては金メダリストより必要とされる存在だし、私生活ではいくつもの夢を叶えているかもしれない。何で飯を食うかということについて夢や希望を持つことも大切だが、大半のものは叶えられないという現実の方を教えられていない。だから、叶えられない人生なんてつまらない、と短絡的になる。つまり、甘いものばかり与えられて育っているのだ。その反動で、大抵の子はやりたいことではなくできそうなことを選ぶ。選んでいるようで、本当は面倒な努力や人付き合いを避けているだけだ。」

 本当に三羽の言う通りだと思う。

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佐野洋子   「神も仏もありませぬ」(ちくま文庫)

佐野さんの叔父さんは、電車に乗ると、人をかきわけ、かきわけして、美女が座っている席の前に必ず行く。叔父さんは助平だから、そうなるのかと思っていたのだが、よく電車で男の人を観察すると、誰もが美女のところを目指し、叔父さんだけが特別では無いことを知る。

 友達のサトウ君など、女性のことを話すから、「それはどんな人」と聞くと「それが美人なんだよ。」か「美人じゃないけどね。」どちらかの返事。どんな女性を表現しても美人か美人じゃないかの2つの答えしか持っていない。

 奥さんのマリちゃんが、夜眠れなくてテレビを深夜みている。その番組で「美人」という言葉がでる。するとぐっすり眠っていたサトウ君が、がばっと起き上がり「どこに」と声をあげる。

 佐野さんの小説やエッセイに生きているか、死んでいるか、正体がわからない古道具屋ニコニコ堂の主人がしばしば登場する。何しろ、脈はなく、血圧も普段から無いという人だから。

 モデルはいると思っているが、「ニコニコ堂」も架空で、佐野さんの想像の店であり想像の人物だと思っていた。だって、あまりにも酷く描写するから。

 この本でもニコニコ堂主人が登場する。そのニコニコ堂の主人がこの本では息子を連れてくる。佐野さんに「息子のユウ」と紹介する。

 そのユウ君。小説を書いていて文学界新人賞を「サイドカーに犬」で受賞する。そして「猛スピードで母は」で芥川賞を受賞。なんと息子はかの長嶋有じゃないか。ということはニコニコ堂も実在するのだ。

 いやあ、驚いた。いつもケチョン、ケチョンに馬鹿にして大丈夫か心配になる。

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小泉武夫   「うわばみの記」(集英社文庫)

酒というのは、飲んで酔って、ストレスを発散したり、愚痴を言ったりして、最後は酔いつぶれるまで飲むことにその楽しさがあるものだと思う。

 この作品集には、希代の大酒飲み、いわゆるうわばみが登場する。しかし、どのうわばみもどれだけ飲んでも酔いつぶれるということは無い。酒で身を滅ぼすなどというのは、最も卑しい酒の飲み方。酒は飲んでもいいが、絶対酒に飲まれてはいけない。それは、酒を愚弄するもの。酒に対し真正面から誠実に対応して、懸命に飲まねばならない。この短編集ではうわばみであっても、酒飲みの王道をゆく人間が描かれる。

 武士も飲み屋のような気楽の酒場での酒飲みでは気を緩くして飲んでも構わないが、自分の主人が主催する酒宴では気楽な飲み方はできない。

 そんな酒席は「饗設(あるじあらため)」と言う。

この宴は、酒を飲んで酔いを楽しむことが趣意ではなく、酒を介して精神を修養して、併せて、一同に会した者達がその酒を通じて礼儀、信義、忠誠、団結、尚武心などの鍛錬をはかる場である。つまり、武士道の作法を身に着ける場なのである。いやはや、武士の酒は大変なものである。

 この酒宴でもっとも大切な役を演じるのが「おあえ」。おあえは主人に成り代わり、参加者一人一人に対し、口上を述べながら、献杯、返杯を行うのである。こういった酒宴には100人ほどの参加者があるのが普通。それでおあえは献杯、返杯を繰り返し、だいたい一人で6升から7升の酒を飲む。

 それでもきりりとして酔うことなく儀式を勤め上げねばならない。
主人は自分の配下におあえ役を務めることができる者を探さねばならない。全く武士階級とは大変である。

 酒道を極めるといって、こんな宴会に出席するのはご免こうむりたいものである。

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野地秩嘉   「ビートルズを呼んだ男」(小学館文庫)

最初の数ページで度肝を抜かれた。コンサートの企画・制作を請け負うプロモーター業界大手のキョードー東京の創立者だった永島達司が過去に日本に呼んだアーチストの一覧が掲載されている。ビートルズはもちろん他のアーチストもすごい。

 アンディ・ウィリアムス、イブ・モンタン、ナタリー・コール、ホイットニー・ヒューストン、ビリー・ボーン、ヘンリー・マッシーニ、ポール・モーリア、バート・バカラック、ニニ・ロッソ、キングストントリオ、ピーター・ポール&マリー、ジョーン・バエズ、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、ベンチャーズ、ビーチ・ボーイズ、ビー・ジーズ、ウォーカー・ブラザーズ、イーグルス、カーペンターズ、マドンナ、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、レッド・ツェッペリン、グランド・ファンク・レイルロード、エルトン・ジョン、シカゴ
 とんでもない人が日本にはいたものだ。ビートルズを呼ぶことに成功したことにも、すごいドラマがあったのだろうと想像して読み始めた。

 ところが、全然そんな場面は無かった。ビートルズ公演では、その殆どが、緊張した警備計画とその実録。コンサートの切符を入手する狂騒曲。そしてコンサートでの失禁、失神少女の大量発生の場面だけが描かれ、永島のプロモーターとしての苦労の場面は殆ど無し。

 タイトルと中味がかなり乖離している。全編通じてあまり永島は登場していない。
なにしろ、永島自身ビートルズに殆ど興味がなかった。もちろんビートルズを呼ぼうとしている他のプロモーターはたくさんあった。

 ところが、ビートルズ日本公演は、ビートルズの公演を一手に引き受けているイギリスのプロモーターから永島に「ビートルズが日本に行きたがっている。ドイツ公演が終わった後マニラでコンサートをやるのだが、その間5日間空いている。それで、その間で、日本でコンサートをしたいが受けてくれないか。」とイギリスからのオファーで実現したのだから。

 まあ、そんな電話を受ける永島の偉大さは感服するが。ちょっと拍子抜け。

 それにしても、永島の話ではないのだが、プロモーターというのは超有名なアーチスト招聘に成功しても殆ど儲からないか時には赤字。それでもっとも儲かったというのが、南米から呼んだリンボーダンス舞踊団と人類炎のオリーバー君だったそうだ。安価な契約料でいかにブームを起こすかが大儲けのポイントなのだ。

 ビートルズのコンサートの目録をみていると、最後のコンサートの前座がドリフターズになっている。そのドリフターズ、冠にいかりや長介と、ではなく櫻井輝夫と、になっている。ドリフターズの当時のバンマスは櫻井輝夫でいかりや長介はメンバーの一人だった。

 櫻井さんは浜松出身で、ドリフターズをやめてから浜松に帰り、スナックをやっていた。そのスナックへしばしば行き、櫻井さんとおしゃべりをしたことを思い出した。

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夏石鈴子   「逆襲、にっぽんの明るい奥さま」(小学館文庫)

子供は言うことをきかない、夫は理解するどころかいつもうるさいと邪険にする、姑はうるさく口出しをしてくるし、職場の上司には「真剣に働け」と叱られ、ママ友との関係には気後れする。それを吐き出すところがどこにもなく、ひたすら、今日も忍の一字で、暮らしている日本の最大のサイレントマジョリティ?である奥様の8つの物語集。

 PTAの総会で今村さんという主婦が強い声をあげる。

「今、会長さんが、働いているお母さんも、働いていないお母さんも同じですとおっしゃいましたが、私ははっきり言って根本的に違うと思います。働いていない方は税金を納めているんですか。年金は払っていらっしゃるんですか。国民の義務ってご存知ですか。納税、教育、勤労なんですよ。言わせていただければ、専業主婦の方々って国民の義務を果たしていないのじゃないですか。・・・それでも、何の係もしなくていいということなのでしょうか。
働いてきちんと納税もして、年金を払っている母親はPTAの係を免除してもらえませんか。そういう係は、働いていないで時間のある、あまり忙しくないお母さん方に負担していただけませんか。」

 今は殆どのお母さんが働きにでているから、こんな意見は出されることはあまりないのだろう。ということは、事態はもっと深刻ということだ。最近PTAは必要かとか、活動が大変すぎると新聞などで取りざたされることが多くなってきた。

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川上未映子   「きみは赤ちゃん」(文春文庫)

川上未映子35歳での妊娠、出産から1歳までの育児経験を書いた作品。

産後クライシスの場面が強く印象に残った。

子供が誕生する。私は、その子供の育児に、母親の体も多少合わせるように変化するのではと思っていた。

 しかし、体内時計を含め、完成した生活スタイルに全く変化はない。赤ちゃんを育てるためには、赤ちゃんの生活スタイルに母親は合わせねばならない。赤ちゃんがかわいいとかかわいくないとかいう次元ではない別次元で「眠れない」ということが襲ってくる。「眠れない」ということは心底、精神と肉体を蝕む。

 赤ちゃんはほぼ2時間おきに、母乳を要求する。全く眠ることができないまま、赤ちゃんのリズムにあわせて母乳をあげなければならない。

 終わりのある仕事で、徹夜して、4日後に睡眠をとる。これも大変だが、終わりがあるということが最初からわかっていると人間は耐えることができる。
 しかし、赤ちゃんへの授乳は、いつ終わりがくるかわからない。そんな中で、殆ど睡眠がとれない日が続く。これは、現実拷問である。

 「いまがいつ何時なのか、記録もつけているし時計もみているから文字や数字としてはわかってはいるんだけれど、でも、体にその感覚がまったくないんだよね。眠らないし、回復がないから、一日に終わりというものがないのだ。ただ、おなじことがえんえんとくりかえされ切れ目のない世界。まるで長い一日の最初にいつもいるようなそんな感覚。」

 恐ろしい産後クライシス寸前。それでも自分の子をじっと見る。そして頑張ろうと思いなおす。

 「目の前の、まだ記憶も言葉ももたない、目さえ見えない生まれたばかりの息子。誰がしんどいって、この子がいちばんしんどいのだ。お腹のなかから全く違う環境に連れてこられて、頼るもの、欲しいものは、わたしのおっぱいしかないのだ。」
 今のかけがえのなさを、川上さんはそのときひしひしと子供を抱きながら感じていた。

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佐野洋子   「恋愛論序説」(中公文庫)

私たちは幼いころから、意識しているしていないに拘わらず、将来本当の恋をするための経験、レッスンをしている。6歳から21歳までそんなレッスンをユーモアをちりばめて描く。

 油絵科の順子さんは、すべての男性を引き付ける女王であった。男の子は、順子さんが食べ残したパンの耳を競って食べたがった。

 幸田君の部屋に行くと年表が壁にはってあった。その年の年表だ。
4月5日 幸田宏、順子と恋におちる。まだ3月なのに。
6月25日幸田宏、眠っていた才能が頭をもたげはじめる。
7月1日 百号完成。新しい芸術の到来!順子感動す。初めての接吻を許す。
10月  新制作新人賞受賞。ついに我の時代来る!順子と婚約!
 年表は1Mもあり、幸田君の前途洋洋の未来が描かれていた。

 年表を見た順子さんは笑い、「貸して」といって幸田君の持っていた筆をひったくった。
そして年表の最初の余白に書いた。
3月25日幸田宏、順子と失恋す。
そして、今日がその3月25日だった。

なつかしさを覚える、青春の一コマである。

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角田光代    「降り積もる光の粒」(文春文庫)

少し前までは、家というのは住んで生活し、両親を含め家族が一緒にいる場所、家は即家族と結びついていた。会社もそうだった。自分がその会社に属していると定義され、自らを会社に存在し、そこと一体であるということだった。

 今はその居る、属しているという定義が揺らぎ変化しつつある。携帯電話が普及したからだ。

 以前は、会社に電話してもいない、家に電話してもいないということは、行方がわからないということだった。しかし、今は携帯により、どこにいても繋がり、居場所は特定でき。いつでも相手を捕まえることができる世界になった。

 こうなると、家族、家、会社というのが急に存在が薄くなる。特に家族となると、その関係が希薄になり、むしろ家族以外の人々と家族より強い関係を築くことが生ずる。

 携帯は、個人に会社、家庭より、今の社会に存在することを認められているかを迫ってくる。会社にいても、家族といても、社会に存在していないと、そこで生まれ出てくる孤独感、焦燥感は半端ではなくなる。

 そんな恐怖といつも隣り合わせにいることをこのエッセイは教えてくれる。


 このエッセイで描かれている、アフリカ マリ、インド、パキスタンの女性器切除の村、スラムの実体には驚愕だ。

女性に快楽を覚えさせないように、赤子のときに性器或いはクリトリスを切除するのである。その村に行って、それは良くないことと言っても、何故良くないことかを説明できないのである。ずっと村ではそのことが当然として行われてきて、当然の掟になっている。良くないという疑問が全くないのである。

 女性蔑視、侮辱、人の道に外れているなどと声高に言ってみても、「それがなに?」という状況になるのである。

 当たり前と信じていることを、当たり前ではないと気付いてもらうのには、気の長い時間と村人の目線で活動が必要であることがこのエッセイを読むと実感する。

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佐野洋子   「右の心臓」(小学館文庫)

佐野さんは、本当にすごい。子供時代のことを実によく覚えていて、しかも、そのころの子供になり切って小説を書いている。なり切った気持ちになって書かれている小説はたくさんあるが、どうしても、作家の今の環境や、登場人物への想いがはいりこんでしまって、嘘っぽいところがでてしまう。佐野さんのこの小説は全くそれが無い。

 お兄さんのヒサシが心臓が弱く死んでしまう。そのとき、夜中、街の医者を主人公の洋子が医者の手を握って、道なき道を近道と言って、崖をおりたり、あぜ道を走ってゆく姿に強烈な必死さを感じる。

 それでもヒサシは死んでしまう。まだ戦争直後、火葬場が無い。雨の中、河原に遺体を運びそこで遺体を村人が焼く。しかし、物資不足で十分な石油が無い。雨も降るからなかなか焼けない。

 村人が言う。「どうせ、わからないから、焼けたところの骨だけ運んで、後は川に放り投げよう。」と。そして、それを実行する。たまたまそれをヨウコが見ている。

 そのことに気付いた村人がヨウコに言う。
「絶対に今のことしゃべっちゃいけないよ。」ヨウコはうんと頷く。そこがとても悲しい。


 僕らの小さいころは、アタマシラミがたくさんいて、みんなの頭や身体を蝕んでいた。お風呂がある家が殆ど無くて、風呂のある家にお風呂をもらいにゆくが、気おくれがあり週一回、二回が精いっぱい。だから、たくさんの子供たちが不潔だったのだ。

 先生が、シラミを髪の間からみつけ取ってくれた。ほかの生徒がバケツに水を汲んできて、先生が頭を洗ってくれた。そして、アメリカが持ち込んできたシラミ防除剤であるDDTを下着の間に降りまいてくれた。

 それでも、次の日には、やっぱりたくさんのシラミが頭を始め、体にいっぱいくっついていた。

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吉田健一    「酒談義」(中公文庫)

吉田のエッセイのうち酒に関わるものを集めて収録されている。半分以上は既読。80年代に発表した作品も多く載っているが、多くは1950年代後半から60年代前半の作品が多い。

 50年代から60年代にかけての7酒事情は現在と比べ雲泥の差がある。我が家でも父親が毎晩晩酌していたが、日本酒は今では無くなったが最低品質の二級酒。それをもったいないようにしてチビリチビリとやっていた。

 50年代にはカストリという名のメチルアルコールが主成分の酒があった。

ワインなど殆どみることはなかった。関税が異様に高かったから。現在1000円しないようなワインでも5000円以上はしたと思う。薬品である「養命酒」や「赤玉ポートワイン」がワイン代わりだった。

 そんな時に吉田は日本酒について言う。
銘酒というのは酔わせない酒だという。灘、広島、或いは秋田あたりの高級日本酒は、飲むと酔い心地がしてくるが、ある程度までいくと、それからいくら飲んでもあるところでいつまでも止まっている。一旦、酒をやめると、酔いはさめるが、そこから飲みなおしていくらのでも、酔いがあるところで止まり、それ以上には絶対酔いがまわらない。ずっと気分がよいまま飲み続けることができる。

 こんな酒は、当時一般人は絶対飲むことはできない。

 今は、価格がいくらするか知らないが、吉田が普通に飲んでいたブルゴーニュの赤ワインシャトーヌフ・デユ・パープという赤ワインがある。このワインを吉田は絶賛する。

 吉田茂が総理をやっていたころの話だから、昭和20年代の戦争のつめ跡があちこちに残る時のことである。

 吉田健一が銀座のフランスレストラン「小川軒」に頼んで作ってもらって家で宴会をする。
そのときフォアグラがだされる。このフォアグラ、この宴会のために、飛行機でパリから空輸してくる。

 今は、総グルメ時代で、当たり前のように誰でも、大吟醸酒やフォアグラを嗜む。
昭和20年代、30年代。食うことがやっとの時代、俗世間から離れて、お金に不自由することなく、酒にワインに高級料理を楽しむ人々がいた。

 あまり素直に、素晴らしいエッセイだと思うことのできない自分がいる。

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三羽省吾   「厭世フレーバー」(文春文庫)

父親である宗之が会社をリストラされる。そして、その直後にどこかへ失踪する。母親はキッチンドランカーとなって崩れる。
 そのとき他の家族は14歳のケイ、17歳のカナ、27歳のリュウ、そして73歳の祖父新造。

 それぞれの登場人物の視点から、現状の家族や兄姉への見方、そしてとる行動を描く。同じ家族であっても、人間というのは見方、想いが異なり、互いにわからないものだとこの作品は語る。

 三羽は、追い込まれた状態になった人が、もうだめだと厭世的になったり、人生に希望を失ったとか、世の中が悪いのだと嘆き、引き籠るような人になることを嫌う作家である。

 この作品でもそうだが、ぐでぐで恨みつらみを言ってないで、登場人物に足掻けるように仕向ける。

 14歳のケイは陸上部の有力選手だったのだが、部をやめ、新聞配達をする。17歳のカナは成績優秀で真面目な生徒だったが、夜遊びをするようになったのか、いつも帰りは午前様。
しかし、カナは学校を終えてから焼き鳥屋で深夜までアルバイトをしていた。

 27歳のリュウは、父親同様、会社をクビになる。しかし、そのことは家族には言わないで、昼間は就職活動、夜はビルなどの解体現場で肉体労働をする。そして、もらったアルバイト料28万円から25万円を生活費用として母親に渡す。

 それで、この家族が幸せになるとは思えないけど、座して死を待つのではなく、懸命に足掻いていれば、局面が変わることはあると三羽は言う。

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佐野洋子   「もぞもぞしてよゴリラ ほんの豚ですが」(小学館文庫)

椅子。半径50CMしか動かないのに、たくさんのお尻をのせてきた。でっかいお尻やとんがったやつ、もじもじべったらべったらするやつ、貧乏ゆすりをするやつ、おならだってするお尻だってある。

 そんなお尻を乗せる、椅子の思い出。本文の椅子の物語もすばらしいが、あとがきで書いた椅子の思い出が印象深い。

 佐野さんが初めて座った椅子は、おとうさん手作りの小さな柳でできた椅子。食事のときちゃぶだいが大きすぎてごはんが食べられないからだ。座ったお尻のところに大きく名前が書いてあった。兄の椅子にも、弟の椅子にも書いてあった。あの小さな椅子はどうなったのだろう。

 北京の小学校に入学したとき座った木でできた学童用の椅子。そこで終戦を迎えた。椅子は泥をかぶっていた。

 就職したデパートの事務所で座ったビニールとパイプでできた椅子。みんな同じ椅子に座っていたけど、部長の椅子だけひじ掛けがついていて、ぐるぐる回ることができた。

 ラーメン屋の丸椅子は、カバーが破れていてスポンジがとびだしていた。

ドイツで下宿のおばあさんがトランプをしていたビロードの赤い椅子。スペインでは、はすっぱな色っぽいおばさんがギターを弾いていた白の折り畳みの椅子。

 そういえば佐野さんが最初に座った椅子。おねしょの濡れたパンツで、佐野さんの名前はねずみ色に溶けていた。

椅子の思い出が佐野さんの人生を巡らす。

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佐野洋子    「あれも嫌いこれも好き」(朝日文庫)

青春とは何であったか。ただ時間をもてあまして、ウロウロキョロキョロすることであった。落ち込んだり向こう気強く生意気になったり、何も知りもしないのに、断定的にこの世を切り下ろしたりわかりもしないのに偉そうに小難しい本を読みふけって暗い顔をして深刻ぶったりすることであり、その深刻さも、はしがころがっただけでたちまち軽薄なキャーキャー声にひっくり返ったりするだけであった。その上、不安であった。

 佐野洋子の青春への想いである。

今の若者が、スマホやSNSやLINEやゲームに熱狂するように、当時は映画か本しかなかったので、青春は本を読むことが流行だった。その意味では、中味は今の若者とそんなに変わらない。

 そして延々と議論をした。「チボー家のジャック」のジャックについて、「アンナカレーニナ」のウロンスキーについて。

 ところが、その頃、誰もが熱狂して、熱心に読んでいるのに、議論するどころか、皆に明かさない作家がいた。それが太宰治だった。

 太宰が何回も心中を試みて、その度に相手だけが亡くなる。そして、最後は太宰も玉川上水で心中して果てる。太宰に読者は熱狂するのだが、自分も最後は太宰と同じ道を選ぶのではという恐怖が奥底にある。たぶん、何人かは太宰の影響を受けて自殺したひともいただろう。

 そんな太宰大流行の時代、下宿や寮のおばさんがよく言っていた。
「本は読んでも読まれちゃいけないよ。」
「小説は読んでも、小説の毒には気を付けるのよ。」

本が青春とともに存在し輝いていた時代の話である。

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三羽省吾    「JUNK」(双葉文庫)

女性の気持ちはよくわからない。

主人公の俺は、鍵師を生業として生計をたてていた。鍵師というのは、金庫破りをするということである。ということは、大金や高価な貴金属を盗むことの片棒をかついだり、実際自らが盗みを実行することを意味していて、大犯罪をするということで、逮捕され刑務所おくりになる危険が隣り合わせにある。

 この俺は、真弓子と出会ってから、危険な鍵師をやめて、暴力団のフロントとなって、賭場のディーラーとなる。賭場といっても実際の賭場ではなく、プロ野球やJリーグ、ボクシングなど元締め。集めたお金の多くは、繋がっている暴力団に収めにゆく。賭場を開いているわけではないので、捕まる危険性はほとんどなく、お金は多く手にはいることはないが、安定した生活が保障されている。真弓子を愛するがゆえに、安定を求めたのである。

 賭けで集めたお金を暴力団事務所に収めにゆく途中で俺は、バーによる。

そのバーで、サクラという刑事に脅される。お金の入っている鞄をここに置いていけ、置いていかないと、警察は違法賭博を摘発すると。警察も恐ろしいが、暴力団と縁がきれる、そのことによる報復の方が恐ろしい。それで俺は、その恐怖のために、鞄を置いてバーをでる。

 この鞄には、盗聴器が仕掛けられていて、俺にはバーをでてからの会話が聞こえる。
真弓子の声が聞こえる。
 鍵師をやっていたころの俺は、懸命でぎらぎらしていてそこに真弓子は恋した。賭けの元締めをするようになってからは、精気がなくなりつまらない人になった。付き合いだした頃のように、熱気のある人に戻って欲しいと。

 安定より危険と隣り合わせの男に魅力を感じるということである。これが中編集の物語「嘘」での女心。

 その前の中編「飯」では、主人公の俺は、失職中のろくでなし。一方同棲中のアキは一流ホテルでコンシェルジェをしている。俺はこの状態では、必ず捨てられるし、いつアキより別れを言われても、対応できるように準備している。この卑屈な気持ちはよくわかる。こんなダメ男をアキがずっと愛を抱いてくれるわけはないと思う。

 俺は、田舎の刑務所の前にある食堂にバイトで拾われる。そのオヤジが勤め始めた2日目で心臓病で倒れて入院してしまう。

 バイトだし、これは無理で辞めようと思うのだが、アキが必至に支える。折角安定した職場を得たのだから頑張れと。愛想がつかされるはずだったのに、恋人アキの熱い恋心はどんどん強くなる。

 面白い女性の気持ちを三羽は描く。

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谷川俊太郎 佐野洋子 「入場料440円 ドリンク付き」(集英社文庫)

谷川俊太郎は佐野洋子と1990年に結婚して6年後に離婚している。その間に出版した共作本。本のタイトルになっている作品は劇の脚本。それも面白いが、最初の「からだ大辞典」が最高のウィットに富んでいて面白いので紹介する。

耳・・・・・・耳があるからすべてが聞こえるわけではない。聞きたくないことは聞こえ
       ない場合もあり、ありもしない音を聞くこともできる。女の耳は「君が好き
       だ」という声だけ聞こえれば、健全な耳と言える

腹・・・・・・うんちのお家

手首・・・・・つかまれるためにある。あなたの手首はそれを振り払うためにある。振り払ったら、勿論あなたは走り出さねばならない。痴漢だったら、大声を上げながら、全速力で。恋人だったら、声を出さずに二分後には追い付かれる速度で。

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夏石鈴子   「愛情日誌」(角川文庫)

夫明彦はいつ仕事があるかわからない映画監督。私、豊子は学生の時友達だった緑と編集プロダクションをしている。5歳の昇太と2歳の宝子の4人家族。燃えて、燃えて大好きで恋愛をして、そして結婚し、子供を得た。そんな経験を経て、今は盛り上がることは全くないけど、昭彦を愛し、信頼して子育てに家事に仕事に目の回るような生活をしている。

 明彦は、たまに、ひとくさり言いながら洗濯など家事をしてくれるが、最後までやりきることがなく、必ず後始末は豊子がやる。全部自分でやる。豊子は言う。

 「自分で全部できるからって、男がいらないわけじゃないの。」
 「へぇー豊ちゃんは男好きなの。」
 「そうじゃなくて私はこの人がいいの。」
 「ふーん、どこがいいの。手がかかるだけじゃない。」

そこで、豊子は思う。
私は、一人暮らしの働く女性が猫を飼う気持ちがよくわかる。猫は別にお金を稼がないし、ご飯を作ったり掃除もできないだろう。でも、猫はもともとそんなことを求められてはいないはずだ。だって猫は猫なのだから。猫だというだけで100%OKなのだ。いるだけで飼い主のこころは満たされる。

 じゃあ、明彦は猫と同じなのか。そうとも言えない。
明彦は猫とちがってしつけると、洗濯もしてくれるし、子供を保育園にもおくってくれる。
 なるほど、うまくやるなあ豊子さん。恋を通過して、「愛」が貫かれている生活が伝わってくる。

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三羽省吾   「ニート・ニート・ニート」(角川文庫)

ヤクザの女に手をだしトラブルを背負ったレンチは、父親が駆けずり回ってやっと探してくれた会社を面白くないからと2年で辞めたタカシと、一流大学に入ったものの途中で親元に帰りそのまま引きこもりになったキノブー、2人の中学校の同級生を連れてキノブーの車に乗り北海道へ向かう。

 レンチは女のトラブルなどどこ吹く風で、ずっと車の中で「出会い系サイト」に接続。仙台駅前で女性との約束をする。その仙台駅に現れた女性が、何と眼鏡をかけた中学生くらいの女の子。

 そして、ニート3人と女の子の4人が北海道へ行く。

北海道では女の子にふりまわされる。目的地がどこになるのかわからないまま、あっち、こっちと放浪させられる。
また札幌で女との失敗をいくら繰り返しても懲りないレンチの失敗により、やくざの車に乗り換えたところ、その車に大量の大麻が隠されていて、結果やくざや麻薬取締官に追われるというドタバタが起こる。

 そして、お金が底をつき、タカシが幼いころしか会ったことのないおじさんにお金を無心に行く。

 このおじさんは、10代後半から30代半ばまで家出を繰り返し、仕事もせずにブラブラし

短い時は数か月、長くなれば3年ももどってこないときもあった。本人の弁によれば、20代前半は職工や港湾労働者として働く。その後は荷役や船舶料理士として海外にもでて、海外の日本料理屋でも働く。途上国の寒村で土地を開墾したり井戸を掘ったりしていた。そして、その時培った人脈を使って雑貨や衣類の輸入会社を興す。商売は急成長したが、自分には合わないと思い5年で他人に譲る。で、今は移動遊園地を運営して、北海道をあちこち渡り歩いている。美佐子さんという奥さんと、娘という家族をおじさんは持っている。

 おじさんは、金をだしてくれない。お金が必要なら働けと言い、解体現場を紹介する。
現場は厳しく、日当8千円だがキノブーは力もなく要領もわるいからと6千円に下げられる。

 3人は何とかお金を作り、東京への帰路につく。

おじさんも元祖ニートだ。しかし、意味があるとかないとか、自分にふさわしいとかふさわしくないとか何かをするとき考えるなと言っているように思える。とにかく足掻け。足掻いて、足掻いて、足掻きつくし、元気いっぱいなニートでいろと言っている。自分の今も足掻いてきた結果としてある。

 おじさんの想いがニート3人に通じたかはこの作品ではわからない。

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佐野洋子    「死ぬ気まんまん」(光文社文庫)

このエッセイにでてくる古物商をやっているニコニコ堂の主人という人が面白い。一回会ってみたくなる。

 「ニコニコ堂が来た。ニコニコ堂は玄関に入って来たときから死人が風に吹かれて戸の隙間から人魂みたいにうすーくなってすけてみえるように立っている。そしてハァハァと息を絶え絶えとしながら、鼻をすすっている。
 足音がしないのは、体重が足音をたてるには少なすぎるからだとおもう。・・・まるで死人である。

 ニコニコ堂は一応古道具屋なので、時々、皿を頼んだり茶碗を頼んだりする。姫鏡台を頼んでいたから抱いて来たはずだけど、すぐ死人になってしまうので私はしばらく思い出せなかった。

 うちに来ると、来るだけで精力をつかい果たして帰れなくなるので泊まっていくが、死人だから平気である。」

 ニコニコ堂には、血圧が無い。あるとき風邪で医者にゆき医者が血圧をはかる。医者はニコニコ堂を絶対安静にして、「ご家族を呼んでください。」と言う。

 奥さんがやってきて「まったくもう」と怒る。
ニコニコ堂は言う。「でも、いつものことだから」と。

 すごい人だ。ニコニコ堂は。

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| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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森絵都   「おいで、一緒に行こう」(文春文庫)

2011年3月11日あの東日本大震災が発生、それによって起こった原発事故。これにより原発20km圏内のすべて住民は圏外に強制的に避難させられる。殆ど住民は、それまで家族のように飼っていた犬、猫を置き去りにせざるを得なかった。森さんは、ネットで置き去りにされたペットを救う活動をしているボランティアの存在をしり、今20km圏内のペットはどうなっているのか取材を兼ね、ボランティア活動に参加する。

 人間はどうすることもできない悲しい現実に遭遇すると、大声をはりあげ泣くものだということをこの活動記で知った。

 東京からこのボランティアに参加した赤沼さん。知人のボランティアから、すごく弱っている犬がいる。自分はレスキューに行けないから、赤沼さんに行ってほしいという依頼がある。そのとき赤沼さん、すでに20km圏外に出る近くにきており、明日にしようと考え、宿泊先に戻る。

 翌朝一番、指摘された場所にゆくと衰弱しきった犬がいた。急いで病院に連れて行くが、点滴を受けている間に犬は死ぬ。
 自分を責めて、普段あまり泣いたことはないのに、大声をあげて泣いた。泣かないと心のバランスが取れない。

 同じボランティアをしていた太田さんの話。
「あるとき、一人である牧場に行ったら、がりがりに痩せた乳牛が50頭ほどいたんです。僕の顔をみるなり、喉が渇いた、お腹が減ったって、一斉に訴えてくるわけですよ。僕は一人だったから、牛対僕、で自分が人間の代表になってしまう。でも一人で受け止めるにはあまりに相手がでかすぎて、あまりにもたくさんいて、何もできない、してやれない、と。もう泣くしかないとおんおん泣きましたね。」

 数ページめくると、その牛の写真が載っている。見るのが辛い写真だ。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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佐野洋子    「クク氏の結婚、キキ夫人の幸福」(朝日文庫)

クク氏は3人の女性と付き合っていた。それがばれて妻に家を追い出された。特に3人の女性に恋心を抱いていたわけではないが、その3人のなかの背の高い女が、妊娠したといって、強引に結婚をせまがれ、そのまま妻と別れて背の高い女と結婚する。女もクク氏をそれほど好きだったのではないが、子供を持って、子供を育てる安定した家庭を持ちたかったから結婚した。クク氏も結婚は仕方ないことと考え、今では子供の世話を背の高い女に指示され行っている。

 キキ夫人は垣根越しにある古ぼけた家を覗いている。垣根越しにはそんな家は無いようにおもえるのだが、キキ夫人にはその家があり見えるのである。

 日焼けした古い畳の上に、女が素っ裸になり頭を向こうにしてくねくね動いている。その上にやはり素っ裸で山登りをするように男が畳を蹴っている。キキ夫人にみせつけるように、二人は抱き合う。長い交歓が終わり2人が果てる。すると2人はガラス戸をあけて並んで立ち、男は緑のコンドームを、女は赤のコンドームを持ってみせつける。

 男はキキ夫人の夫である。

 キキ夫人には、夫が不実をどこで働いていようが、すべて見えるのである。そして、夫が帰宅すると、その見えたことを細かく描写して夫に言い、怒るのである。夫はその描写が事実と完璧に合致しているため、恐ろしくなり不倫をやめる。

 クク氏夫妻もキキ氏夫妻も、暗く長い結婚生活を続けることになるだろう。そうして、老人夫婦になり、向かい合ってよくここまで持ちこたえたなあと慨嘆するのだろう。

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住野よる  「君の膵臓が食べたい」(双葉文庫)

昨年の本屋大賞2位。65万部を売り、大ベストセラーにもなりテレビドラマ化され今年は映画化もされるという評判の作品。住野よる、本を読んでその内容から女性作家と思っていたらなんと男性作家と知り驚いた。

 物語は盲腸手術後の抜糸にきていた友達もいない根暗な主人公ぼくが、病院の椅子に置き忘れた「共病日記」というタイトルの日記帳に眼がとまり、中味を垣間見たら、日記には著者が重症な膵臓病になり余命一年と書かれている。その著者が、日記帳を取りに来る。見ると同級生の女の子の山内桜良というところから始まる。ぼくと桜良の熱い青春ストーリー。

 ストーリーは正直、ありきたりな内容。しかし、2人のやりとりが良い。特に桜良が実に輝いていて作品の中を生き生きと駆け回る。

 もうすぐ死ぬんだから桜良は、学校で気になって少し恋心も芽生えている、孤立していて気が弱そうで、何でも言ったらその通りにしてくれそうなぼくを引っ張って、一緒に最後にやりたいことをするのだと決意する。

 焼肉やケーキをお腹いっぱい食べる。そして、ぼくと一緒に、九州博多まで一泊旅行にもゆく。

 焼肉を食べた後、ショッピングセンターに行く。その中にあるホームセンターで主人公のぼくが桜良から少し離れて釘をえらんでいると、桜良の声が聞こえてくる。

 「すみません。自殺をするためのロープを探しているんですけど、やっぱり外傷とかおいたくないんで、その場合どのタイプが無難ですかね。」

 とんでもないジョーク。戸惑っている店員。背中が笑っている桜良。しかたなくぼくが
「ごめんなさい。彼女余命がわずかで、ちょっと頭がおかしくなっちゃてて。」
すると桜良がぷーっと顔を膨らます。
「もうせっかく店員さんに商品を紹介してもらおうと思ってたのに。邪魔しないで、もしかして私と店員さんの仲睦まじさに嫉妬しちゃったの?」

 こんな胸に応える強烈なジョークが最後まで続く。

桜良の恋を貫こうとするピュアな気持ちと、命が短いというところからくる少し屈折した言い回しが混ぜあって、切なさの中に、ひたむきな青春の熱さが読者に突き刺さる。

 「好きだ!愛してるよ!」より強く深く恋心を伝える究極の言葉はこれだ。
 「君の膵臓を食べたい!」

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小泉武夫   「食に知恵あり」(日経ビジネス人文庫)

中国では肉といったら一番好まれるのが豚。日本では豚より格上は牛になるのだろうが、中国では牛は豚から比べれば格が落ちる。漢字でもわかるように、月をとってウ冠をつければ豚は家になるが、牛は牢屋になってしまう。

 若者が集まって泥鰌鍋を楽しむことになる。泥鰌を鍋にいれて火をつけてぐつぐつ煮る。そこにある若者がやってきて豆腐を一丁鍋にいれる。しばらくするとその若者は豆腐を取り出し用事があるからと帰ってしまう。

 「あいつもけちだなあ。豆腐一丁くらい持って帰らなくたって」と鍋のふたをあける。
すると泥鰌が一匹もいない。鍋の中の泥鰌が熱がって、全部豆腐の中に入り込んでしまったのだ。こんな小泉の話信じる?

 最近は、ラーメンや蕎麦を食べたときに、音をたてるのは食事のマナーが悪いといって敬遠されることがある。西洋かぶれの人たちからの非難である。だから、麺類も細々と口に吸い込みゆっくりと食べねばならなくなってきた。

 これはどうにもおかしい。いちいち蕎麦の食べ方について欧米人から指摘されたくない。できたてのラーメンや蕎麦を、フーフー言いながら、大きな音をたててかっ込むところにおいしさがあふれ出る。耳でおいしさを楽しむのが日本流なのである。

 テレビのお茶漬けのCMで、食事のマナーに悪いからと、無音で食べたら、誰もその製品は買わない。

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| 古本読書日記 | 06:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高野秀行    「未来国家 ブータン」(集英社文庫)

高野は自分を自称未確認動物探索家と言う。動物だけでなく、日本人が入っていけないような場所に探検、探索にゆく。そこでの、向こう見ずな行動とそれに伴って発生する大事件の凄さ、未確認動物は格闘の末発見できず、その苦労と現実とのギャップに言い知れぬユーモアとペーソスが溢れる作品を次々生み出してきた。その冒険譚に引き込まれ、高野と一緒にその未知の場所で自分も興奮しながら冒険している自分に気付き思わず苦笑することがしばしば。

 しかし、この作品は、雰囲気が今までの作品と異なる。列記とした企業の依頼をうけスポンサー付きの制限があったことが重しになっていたのかもしれないが、時には、これは事件かというように大げな描写場面もあるが、それほど驚くようなことではないのが殆ど。
 柳田国男を意識して、ブータンの村々で聞いた民話や老人の経験をゴシック体にして挟み込むが、この民話も驚くようなものは無い。

 ブータンはご存じのようにGNPに対抗するようにGNH国民総幸福度全世界一位の国とされている。しかし、この作品を読んでも、何が幸福なのか伝わってこない。最後の章で突然ブータン賛歌が始まり、我々が目指す未来国家はブータンにその基本があると言うがそれもどうも心もたない。

 ブータンでも教育の質は向上している。海外への留学も多い。教育が向上すると、それに準じた職業に人はつきたくなる。しかし、遊牧や農業中心の地方では、それに合致する職業は無い。テレビも普及してくる。するとティンプーのような都会の暮らしも全国に伝わる。

 そのとき、人々は都会へ流入することは無いのだろうか。幸せと我々が想像しているものにひび割れおきることはないのだろうか。

 少し疑問の想いが頭に浮かんでくる。

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ミシェル・ウェルベック   「服従」(河出文庫)

今全世界にイスラム教信者は16億人いる。キリスト教信者に次ぐ信者数である。

現在はどちらかというとヨーロッパでは、イスラムを憎み、排斥しようという動きが強くなっているが、この物語では逆で、2022年にムスリム同胞団が登場して選挙戦を勝ち抜き、フランスでイスラム政権が誕生する。

 このムスリム政権は、現在の過激派暴力集団とは異なり、党首である国立行政大学院を卒業した、頭脳明晰な若きエリートである。国民戦線のルペンはフランス第一主義を標榜しEUを離脱し本来のフランスを取り戻すと主張するが、ムスリム政権は、EUどころではなく、イスラム圏の国々も組み入れて大統一の政治、経済圏を創ろうとする。バックにアラブ産油国の莫大なお金がある。治安もよくなり、各国の財政事情も改善される。

 イスラム教では宇宙や世界の創造主であるアラーは絶対で、しかも完璧な宇宙、世界を創ったとされる。すべての動植物は、完全にアラーの創った生態系自然摂理の原則に従い、維持発展してゆくものと消滅してゆくものができる。強く力のあるものが生き延び発展するのだそうだ。

 だから、自由、平等、民主、個人主義の西洋文明は堕落の象徴であり滅亡する運命にあると考えられている。

 アラーを中心に強いものにすべての人々は服従する運命にある。一夫多妻というのは、強く生き延びる男に女性が魅かれるのは当然の現象で、それにより多くの強い子供が生まれ、イスラム世界を発展の道へ導く。

 イスラム政権は、この考えを背景に国家を運営する。だから、ソルボンヌ大学でもイスラム教信者が支配する構造になる。こういう時代になると、キリスト教を捨ててモスリムに改宗する人間もでてくる。

 この作品の主人公のように、モスリムに改宗できない人間は、馘首されるが、政府に反逆しないようオイルマネーから十分以上のお金を年金として与える。

 こんな世界はやってくることは現実的なのだろうか。

この作品ではイスラム世界では、富裕層と貧困層の二極化を是認しているとする。富裕層がいないと音楽や絵画など芸術世界の発展がないからだと。

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中脇初枝     「みなそこ」(新潮文庫)

 本を買ってからAMAZONの書評コメントをみたら、一点台。今まで書評コメントのなかでも見たことの無い最低の評価。これは大変な本を買ってしまったと嘆く。しかし読んでみるとそれほど酷くはなく面白く読めた。

 主人公のさわは10歳になった娘みやびとともに夏休みを利用して沈下橋の先にある、故郷の小さな村「ひかげ」に帰省する。そこにはさわの同級生で隣の家に住んでいる幼馴染で、離婚して戻ってきている、ひかると息子の13歳のりょうがいた。

 私も山国の出身で、小学校にも中学校にもプールは無かった。泳ぎはもっぱら村の裏を流れる川。この物語のように、欄干の無い橋から飛び込んで泳ぎは覚えた。川の中にはやまめやはやがたくさん泳いでいた。
 やまの子供たちのりょうや弟のしんに連られて、沈下橋からみやびが飛び込むところでは自分の子供時代を思い出した。

 村に帰ると、子供たちが、昔から伝わっているわらべ歌を歌いながら遊んでいる。この村からでてゆく決意をしたさわの両親が住んで、さわが育った家にみやびと眠ると、古くから村に伝わっている民話を古い家が思い出させ、みやびに寝物語に聞かせる。

 そしてさわに、幼い時代から今までの、ピアニストにはなれなかったが、懸命に頑張ったひとこまひとこまを思い出させる。

 故郷の村に流れる川。それの源も知らなければ、終わりの場所も知らない。しかし、その川には今までに死んだ人たちがいる。おばあちゃんも、ひかるのおばあちゃんも、金田のおばあちゃんも。知っている人たちだけではない。旅の途中で死んだお遍路さん(高知ではおへんどという)。産み落としたが育てられるずに亡くなった子。生まれる前に流された子。

 そんな亡くなった人たちを迎えるのがお盆。その厳かな村の儀式の描写が美しい。その儀式は、変わることなく村人たちにより伝えられてゆく。

 川は、物語を読むと、亡くなったひとたちがいる場所ではなく、その人たちの無数の記憶が留まっている場所だと中脇さんは描く。さわが村に帰ってきて思い起こす記憶。そんな記憶が引き継がれて今から未来にむかってひたすら川は流れる。

 その流れの記憶には、主人公のさわと13歳のりょうと恋も刻まれた。

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小泉武夫    「食の堕落と日本人」(小学館文庫)

 食べ物を入れる口は非常に重要な場所だが、それと同じくらい重要なのが、食べたものを吐き出すお尻も大切。そこからでてくるウンコも色、匂い、太さが健康である印。三位一体のウンコが重要なのである。

 色は黒いのがいけない。肉の偏食。体の酸化が進行していて体が弱っているか、血便になっている。強い臭いがあってもいけない。細くてもいけない。バナナの太さくらいのものが1本、2本とでてこなくてはいけない。

 ウンコが不健康なら尻も不健康になり、体も不健康になる。犬や猫は、ウンコをしても尻を拭く必要が全くない。健康なウンコであれば、尻を拭くことは無いのである。食べ物の出口である尻は入り口である口にまさるともおとらない大切な部位である。

 ところがこんな大事な部位である尻を最近はないがしろにする。男も女も区別なく、路上に車座になって座る人がでてきた。ベジタリアンをもじってジベタリアンというそうだ。
 こんな尻を大事にしない若者が増えたことが、逆切れ、暴発することの多発の原因になっている。
 お尻論から小泉は最近の若者の荒れた行動に結びついていると展開する。

 日本の水の品質はすばらしい。鉄分が0.02ppm以下でないと、日本酒は赤味をおびてきてできないのだそうだ。この0.02ppmというのはどれだけの鉄分のことをいうのか。新幹線の東京―新大阪の線路の上にゴルフボールを一個おいたくらいなのだそうだ。

 この酒の製造法の堕落に小泉は怒る。吟醸酒というのは、米粒を半分の大きさで醸造する。すると酒粕が半分以上発生する。つまり、半分は捨てるのである。これがもったいないということで、たくさんの酒をつくるために米粒を完全粉砕して粉にしてしまったり、醸造期間を短くするため醸造用アルコールを混ぜる。これを堕落というのだ。

 堕落は食生活にもおよび、伝統的な日本料理がどんどん消えてゆく。このことが、日本人の健康を害し、衰退してゆくと小泉は嘆く。しかし、小泉の指摘するあるべき作物の栽培や、料理の仕込み、時間をかけた料理を一般家庭で実施することは難しい環境になってきた。

 嘆き、郷愁は理解できるが、今を受け入れることも仕方ないように思う。

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西村賢太    「下手に居丈高」(徳間文庫)

 西村、相変わらずあっちこっちの出版社の担当者と喧嘩をしているのだろう。芥川賞作家が、こんなことを言っては失礼とは思うが、いよいよ徳間文庫から出版かと思ってしまう。このエッセイ集でも、東京MXテレビの深夜番組にレギュラーをもっていたのだが、何があったかわからないが、番組を途中でほっぽらかして局をでてしまう。

 単なる不精でめんどうくさがり屋だけのことだと思うが、西村寝るとき足元に尿瓶がわりの空のペットボトルを置いて寝る。寝る前に必ず缶ビール500ML缶と、焼酎一本を飲む習慣になっており、どうしてもトイレに起きてしまう。寝床からでるのが面倒(歩いて5歩だそうだが)、一回寝床をでると寝付かれなくなるからということでペットボトルを置いて準備しておくのである。

 このアイデアが素晴らしいと悦に入り、西村がその方法を解説してくれる。それがすごい。

 「注ぎ口は鋏で事前に広くカットしている。けっして大層なマラを持っているわけではないが、さすがにそのままでは狭くてせんたんは押し込めぬ。
 もしこれを我も実践と、思われるかたには、そのカットの際には鋏を一気に円周させて切り開くことをお薦めする。そうでないとギザギザの形状が残り、そこに竿の内側が当たると飛び上がるほど痛いのだ。
 使用後に水洗いをする必要まではないが、衛生上からもせいぜい一週間をめどにして、別の2リットルペットに取り換えるべきであろう。それ以上使い続けると妙な赤いコケがつきはじめ臭気のほうも酷くなる。」

 もう、実践者しかわからない言葉。しかしこれを読んで実践する人はいないだろう。

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大下英治   「総理戦争 田中角栄から小泉まで」上巻 (新風舎文庫)

 中曽根政権は5年以上の長期政権だった。中曽根はその政権時代に3つのことをやろうとした。一つは行政改革。電電公社、専売公社、国鉄の民営化。当時は、平和国家の象徴として、防衛費はGNPの1%以内でなければならないという了解事項があったが、国を守るための費用がなぜGNPの1%以内でなければならないのか。この制限を取っ払う予算をつくる。そして、最後が税制改革。当時は売上税といわれていたが、間接税である消費税の導入。

 前の2つは実施できたが、消費税導入だけは野党の反対どころか、身内の自民党からも多くの反対がありどうしてもできない。何しろ身内の議員が、社会党や共産党の街頭演説に参加し消費税導入反対を叫ぶのだから。

 このため予算案が通らなくなった。しかも、野党から内閣不信任案が提出されそうな状況。もし提案されれば自民党からも賛成者がでて、不信任案が通過するかもしれない。

 弱った中曽根は、消費税導入を断念して予算案通過させることで収拾をはかる。そして首相を辞職した。

 中曽根の後は、竹下登、現在の安倍首相の父親安倍晋太郎、宮澤喜一の3人が候補となった。田中角栄軍団を率いている竹下は過半数は握っていないが自民党内で最大勢力を持っている。しかし、決選投票になって、竹下派以外がすべて対抗候補に流れれば総理にはつけないという不安があった。

 しかし、田中軍団の攻勢で総裁選になれば勝てるだろうという感触は持っていた。それでも確信がないから、中曽根首相による後継者指名に従うことにした。

 中曽根は、消費税導入を実行するという条件で、竹下を後継首相に指名した。

 竹下はリクルートスキャンダルもあったが、中曽根のご下命を実行し消費税を導入したため国民に総スカンを食らい、任期半ばで辞職に追い込まれた。

 竹下はその時悔やんだ。
「あの時、中曽根裁定に従わず、総裁選を実行すればよかったと」

 衆議院の解散権は首相の胸三寸にある。首相の決断により解散はできると私は思っていた。ところが、その解散をするためには、すべての閣僚の辞職をとりつけねばならない。

 海部首相は議会で解散を宣言したが、この辞職願をとりつけることができなくて解散ができなかった唯一の首相となった。

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宵越しの図書カードは持たない(17'前半)

1年前の記事がこちら
今年は、来月に簿記3級の試験を受けてみようと思っていて、別の資格に関する本を買ってもあれだし、小説を買っても気が散っちゃうかな~と。
3級の過去問は、ユーキャンで買ったものすらまだ終わっていない(;´・ω・)
というわけで、息抜きレベルの漫画です。

IMG_8963.jpg

絵柄がギャグで、くるねことはまた違った面白さがあります。ちなみに著者は私と同世代。
オールカラーです。白黒だったら多分、2匹の見分けがつかない。
本になっていない、ネットに掲載されている分もチェックしてしまった(`・ω・´)

ぽんたを「うちは猫アレルギーの家族がいるから無理。お前がもらってくれなきゃ保健所」と押し付け、
自分の考えた名前を変えられた(のんた→ぽんた)ことを根に持ち、
2匹目こそは「のんた」にしてやろうと口出ししてくる眼鏡の友人が、うっとうしいw
そういえば、「動物のお医者さん」のチョビは飼い主のハムテルではなく二階堂の命名でした。

昨日はこちらを読み終わりました。
IMG_8653_20170514124300442.jpg

一昨年、挫折した記事を書いたんですが、改めて挑戦。
やっぱりよくわからないですね。
表面だけ見れば、主人公は教え子の兄と恋人になるが、彼は妹との禁断の恋を選び、主人公は捨てられる。
かつて主人公の母親と恋人同士で、姉とも怪しい雰囲気だった男が、その教え子の恋人として再び主人公の前に現れる。
教え子はお兄ちゃんを取るので、この男もまた捨てられる。
……こうやって書いてみると、主人公の教え子が魔性の女っぽいw 
性に関しては緩そうだし、ストーカーに対してもあいまいな態度だし、とらえどころがないと表現されている。

部署の業績がよかったようで、全員ご褒美としてJCBギフトカードももらったんですが、サイエンスダイエット(シニア犬&猫)とささみ巻きガムに使いました。

| 日記 | 12:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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