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2016年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年01月

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朝倉かすみ  「恋に焦がれて吉田の上京」(新潮文庫)

 会社に勤めていたとき、部下の事務社員が不足して、緊急募集したときがあった。その募集に女性が応募してきた女性がすごかった。その女性は北海道大学の卒業生でひとめぼれした学生がいたが、何も告白できないまま、学生は卒業して北海道を後にした。思いを伝えられないまま、人生は送りたくないと思い、彼の卒業後の足跡を調べ、群馬、東京を経て、彼がいるという浜松までやってきた。

 まだ出会えていないけど、出会えたら告白して、それで断られたら、気持ちをすっぱり切り替え北海道に帰るのだと言う。もちろん、この告白は採用した後で聞いたことだが。

 更に驚いたのだが、この女性は札幌の名門女子大、藤女子大を卒業していて、ご両親は2人とも学校の先生という堅い職業。更に、彼女を応援するために2人の友達が一緒についてきていた。

 北海道というところはどういうところなのだと不思議に思った。行動力旺盛で、思い描いたことは、やらないでは済まない。その前には絶対あきらめない。とんでもない女性がいるところだと感動した。

 主人公の吉田苑美は、「ささやかなしあわせ」という言葉が大嫌い。「『ささやかなしあわせ』に落ち着くのが一番いいということはわかっている。だが、そこにたどりつくまでに、もうひとあばれしたっていいのではないか。」と強く想い、一目ぼれをした男を追って東京にでてくる。

 北海道の女性はここぞと思うときにはちゃんと口にだして、ストレートに気持ちを伝える。もったいぶって、屋外でぐずぐず駆け引きをしているうちに、真冬の北海道では凍死してしまうから。

 なるほど、だから勇ましい女性が育つのか。

 私のところに勤めた女性は、この作品の苑美と異なり、告白が通じて結婚をし、今浜松で幸せな生活を送っている。

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北上次郎    「気分は活劇」(角川文庫)

 アクション映画というのを殆ど観たことがないのでわからないのだが、ブルース・リーは肉体、技が直接相手としのぎを削るアクションなのだが、ジャッキー・チェンは相手との間に必ず何か物が差し挟まれる。この物を突き抜けたり、避けたりして物のむこうの相手を倒す。

 この物が毎回異なり、その物にユーモアやウィットがある。マニアは今回の映画は何が差し挟まれるか興味津々、それを楽しみにチェンの映画を見に来る。

 アクションスター千葉真一の名セリフに「アクションこそドラマ」がある。多少物語の内容が粗くても、突き抜けた、想像を凌ぐアクションがあれば、映画もドラマも喝采をあびる。
そのために時代劇には殺陣師がいて、現代アクション劇には技闘師がいる。

 かって全く売れなかったが、属十三というハードボイルド作家がいた。実はこの属十三は5人の共同執筆者から成り立っていた。物語を考える奴。資料を調べる奴。会話を考える奴。それらを総合して文章を書く奴。こんな風に分担していたかもしれない。

 分担執筆が一般化すれば、アクションシーンを執筆することだけ群を抜いているという執筆者が現れるかもしれない。表紙の執筆者の欄に(技闘:大藪春彦)なんて書かれているとそれに魅かれて読者が本を購入する。

 講談社にはうまい技闘作家がたくさんいる。創元のあの名技闘作家の本が早く読みたいと本の選択幅が広がり面白いのだが・・・。

 日活のアクション映画。大女優が貧乏な女性に扮しても、ボロボロの恰好はさせられない。
石原裕次郎が貧乏女性の浅丘ルリ子にお金のことで喧嘩する場面がある。すると、映画館の観客からヤジがとぶ。
 「時計を売りゃいいじゃねえか。」「服もいいもの着てるぜ」「質に持ってけ」と。

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宮下奈都   「田舎の紳士服店のモデルの妻」(文春文庫)

 一流会社のお偉いさんから紹介され、男前だし包容力もあり将来も嘱望されている会社員に、もうこれしかないと思って懐に飛び込み結婚し、幸せな人生を歩めるはずだった主人公梨々子。まいっちゃうよなあ。突然夫から「会社を辞める」と宣言されただけでなく、夫の故郷である北陸の目立たない県庁所在地に帰ると言われる。しかも、夫はその時うつ病を患っていた。

 そんなことにぶつかった30歳から40歳までの梨々子の10年を2年毎に区切り描いている。

 うつ病とはいえ、夫のわがままだけで、梨々子だけでなく、こどもたちも住み慣れた東京を離れ、未経験の田舎暮らしを強制させられる。

 梨々子や子供たちが変調を引き起こすことは当然。田舎暮らしはしているがいつか東京に帰れると思いながら生活する。なかなか田舎に身を沈める覚悟ができない。

 子供に問題があるといって何回か学校にも呼び出される。長男の潤は運動会の徒競走で、スタートラインに並ぶのだが、走り出すことをやめる。夫はそれをみていたのに、知らんぷりして何も言わない。周りに言い訳したり、先生に謝ったり、潤に対峙するのは母である梨々子。

 うつ病の人というのはどこか甘えがある。自分のことだけを中心に考える。病気を理由に何を言っても無反応かそれはあんたが考えろという姿勢。

 子供の教育だけでも大変なのに、大人のわがままうつ病患者まで抱える。しかも、東京を離れたため相談できる人もいない。
 絶望的状況。ここからどうなる?

 普通なら、やりきれなくなり、どこかでプッツンして、今の生活から脱却しようと行動をおこしそうなものだが、心象的にはそんなつぶやきがあるのだが、大変だと思われる出来事も深堀されず、通りすぎてゆく。心象と出来事に乖離があり、うまく物語に乗れない。

 特に、かってのアイドルのマヒナとのデートの場面は唐突で違和感があり、何のために入れたのかがさっぱりわからなかった。

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アンソロジー    「恋のかけら」(幻冬舎文庫)

 唯川恵をはじめとして8人の女性作家が描く恋の短編集。

 山崎マキコの「ちょっと変わった守護天使」がテンポもよく楽しくいい小説だった。

 主人公の本宮つぐみは会社の主要部門であるバイヤー部門一筋で懸命に頑張ってきて、今34歳。会社の上層部で人事権を持つ人と不倫を続けてきたが、利用されるだけの身分がに嫌気がさし、別れることを告げた途端、異動が発令されCSR業務担当となる。しかも担当者はつぐみのみ。完全に会社をやめてくれという辞令。

 突然5歳年下のオタク系の桜井君が話しかけてくる。
 「この間レンタルビデオ屋でAVの棚をみながら歩いていたら、『人妻熟女34歳』という
タイトルのがありまして。」
 「何が言いたいのだ。」
 「いや熟女って素晴らしいなと思いまして」
 その日はまさにつぐみは34歳の誕生日。
 この後、夏休みはどうするという話題になり、口からでまかせにつぐみは
 「自転車にテントでもとりつけてキャンプにでも行こうかな。」
 「誰と?」
 「もちろん一人で。」
 「それは危ない。絶対だめ。」
 「でも熟女だから大丈夫。」
 「たしかにニッチではあるんですけど、需要が世の中にはあるんですよ。だから『人妻熟女34歳』なんてDVDもあるんです。つまり世の中には私たちには想像もつかないマニアックな趣味の人がいるんです。」

 こんなやりとりがあって、今つぐみは桜井君の運転する車でキャンプにでかけている。
 ものすごい渋滞にあって、キャンプ場と思われたところに着いたのが夜9時で真っ暗。

 2人はキャンプは初めてだし、テントも張ったことはない。四苦八苦してテントを張り食事の用意を始めたのが夜11時。

 焼肉をやろうとするのだが、備長炭に火がつかない。何しろ備長炭は、つぐみが10数年前の学生のとき、世をはかなんで自殺をしようとして買ったもの。やっとちょろちょろと火がついた。食べてのは焼肉ではなく半生肉。食べ終わって寝ようとしたころ、やっと火が燃え盛る。

 朝目覚めると、テントの外に動くものの影。さては熊かと。つぐみは匕首をもって突進しようとする。で、そこにいたのは牛。キャンプ場ではなく牧場でキャンプをしていた。

 この後もハチャメチャな行動をするのだが、ここまで読んだだけでも、これは羨ましいカップルになる予感がいっぱいする。

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有栖川有栖     「怪しい店」(角川文庫)

 犯罪学者火村准教授と推理作家有栖川が登場する探偵シリーズ中短編集。

 世の中には、名前だけでは何を商売にしているかわからない怪しげな店というのがある。
「男性が化粧をして女装を楽しむ店」「女性が膝枕で耳掃除をしてくれる店」など。

 この作品に登場する「みみや」という店は、磯原紀久子なる中年女性が、悩みを抱えている客からひたすらその悩みを聞いてあげるという店。紀久子は聞くだけで、何か相談をうけたり、解決策を提案することは一切しない。それでも、聞いてくれるだけでも、スッキリするというお客がいて商売としてなんとかやれていた。

 この紀久子が殺害される。紀久子の夫磯原兼介は、定職をもたずふらふらして暮らしている。しかも、愛人もいる。

 更に紀久子の客を調査してゆくと、80万円、40万円と大きな金額を紀久子の口座に振り込んでいる客がいる。紀久子が、聞いたことを逆手にとって顧客に秘密をばらすと脅迫していたのだ。それを知った兼介は、その上前をはねようとして、レコーダーをセットしていた疑いがでてくる。

 当然、脅迫された者が恨みで紀久子を殺害したのではということで調べる。アリバイは無いが、お金の振り込み後は、脅迫はなくなっていて、そこに更に危険をおかしてまで紀久子を殺害するとは考えられない。

 一方、兼介はレコーダーは紀久子がセットしたもので、自分はあずかり知らぬと言えば、言い逃れができる。

 有栖川は、読者を脅迫内容がレコーダーに記録されそこに殺意が生ずると引っ張るだけ引っ張り、最後にどんでん返しを食らわせる。

 レコーダーには、相談者の内容だけでなく、他の内容が記録されていた。しかも、それは殺害が行われた場面。その殺害者をかばうためにレコーダーを廃棄しようとしたのだ兼介は。

 犯人は兼介の愛人だった。

 まいった。物語の9割以上、犯人は兼介か、相談者の誰かであるように描かれてのどんでんがえし。鮮やかと言うべきだろう。

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皆川博子      「花闇」(河出文庫)

 江戸末期から明治にかけて、大人気を博した歌舞伎役者女形の澤村田之助の生涯を描く。

 この作品を、皆川さんは歌舞伎の名題下の役者、市川三すじの視点で創り上げる。名題下というのは、名前が書かれない役者ということで、大部屋役者を指す。何故か、大部屋役者が雲上人でもある大役者の世話をしていて、影のように田之助に付き従う。

 江戸時代では、歌舞伎は大衆娯楽のなかで、最高の位置をしめていた。常に芝居小屋は大入り満員で、楽屋の入り口は役者を待つファンであふれかえっていた。幕末は世情を反映して、退廃的な内容や、人々を驚かすスプラッターのような演目がもてはやされた。

 ところが明治になり、政府は何もかも西洋から取り入れるということに急変し、西洋のような格調高く、清廉な演目を舞台にかけるよう強制した。大衆の気持ちを代弁するような劇は、取締が行われたり、劇場の新設も政府の意向に即したものを行うことが条件になった。

 こういう激変が底流にあり、政府の意向に沿う市川團十郎と大衆の喝采にこたえようとしていた女形田之助の対立。時代の激変に翻弄され、頂点から一気に落ちてしまう田之助が印象深く描かれている。

  脱疽により、最初片足を切り落とし、それからもう一つの足、最後は両手も切り落とし、それでも舞台にあがる田之助の異様な執着が強烈。その執念に大衆は集まるが、最初は奇抜で面白いが、舞台としてみると、動きがぎこちなくなることは否めず、飽きられるのも早い。

 そんな体だから、どうしても見世物のような芝居になり、どうあっても田之助はおちぶれてゆくだろうと思わせるのが、徳川時代の武士がおちぶれてゆ姿とかぶさり印象的だった。

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江國香織     「左岸」(下)(集英社文庫)

最後まで、私が普段感じている生活感、人生観と交わることが無かった。江國さんの生きている世界は、私の世界とは完全に分離している。どうしても小説に入り込むことができない。

 兄惣一郎と主人公茉莉が心を寄せ合い、強いきずなで結ばれていたことは実感できる。ただ、惣一郎が中学生で突然首を吊り自殺をしたことの背景がきちんと描いていないので、茉莉や同級生の九がその死をどう解釈し、人生の中にどれほどの衝撃と影を与えたのかが、まったくわからない。惣一郎がときどき茉莉の心の中に現れたり、九が茉莉の人生の中で、登場したり、消えたりしたことが、自然さが全くなく、茉莉にとってそれがどんな意味があるのかわからない。

 惣一郎が自殺したことは、学校生活での悩みもあったろうが、主に母親喜代と父親新との家族での苦悩が大きな原因のように思う。母と父の冷たくぎくしゃくとした関係、それと惣一郎、茉莉兄妹と両親との冷ややかな関係が自殺を誘因している。

だから、茉莉と両親の間には、冷たい壁が横たわっているように感じたのだが、母喜代が亡くなったときの茉莉の慟哭、新が倒れた時の茉莉の手厚い介護の、そして父新が亡くなったときの慟哭は、茉莉が高校のころから家庭から独立して、両親にあまりよりかからず生きてきた生きざまに比べ違和感があり、ここも素直に受け入れられなかった。

 東京にアパートを借り、シングルマザーとして小学生のさきを育ててゆく。バーで働きながら茉莉は、踊りや水泳教室に通い、更にソムリエの資格取得にまで手を広げる。バーのアルバイトだけで、家賃を払い、さきを養育して、その他に習い事の出費をする。そんなことが現実可能なのだろうか。しかも、茉莉は画家志津夫の要請を受けて時々パリまででかける。
このときさきの面倒は誰がみているのだろうか。

 つまり、茉莉の生きてゆくためのインフラに対し実感が持てなかった。そこに共感が無いと、どんな恋愛をしようが、感情を吐露しようが、どれもこれもが、あり得ない、空虚な舞台劇をみている感じだった。

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| 古本読書日記 | 08:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織      「左岸」(上)(集英社文庫)

辻仁成の「右岸」と共作ということで、発売当時話題になった作品。辻仁成の作品、初期の作品は集中して読んだが、それ以外は読んでないので、「左岸」と関連があるのかはわからない。

 「左岸」全体の印象については下巻を読んでから記す。

主人公の茉莉は、学校では変わった子として、虐められていたが、二歳年上の兄、惣一郎を慕い、その助けもありめげない力のある子に育つ。その2人に隣の家の九も加わり楽しい生活をしていた。ところが、惣一郎は茉莉が10歳のとき、首を吊って自殺をする。

 衝撃を受けた茉莉は、いつも惣一郎が言っていた「チョウゼンとして、もっと遠くへいけ」という言葉を肝に銘じ生きていこうとする。人生の中で困難や岐路にたったとき惣一郎のこの言葉が茉莉の心に必ず浮かんでくるのだ。

 茉莉は17歳、高校生のとき隆彦と駆け落ちして川崎に住み付く。その後、故郷の福岡に帰り、家庭教師について大検にトライ、一年目は失敗したが二年目で大検を通過して、九州大学を受験し合格して2年遅れの大学生となる。

 ところが、4年生のとき、ガソリンスタンドの息子の子を妊娠し、大学を中退し、息子と結婚してガソリンスタンドを支えながら暮らす。そして女の子を産む。

 その直後、夫と義父が交通事故にあい、死んでしまう。ガソリンスタンドを追い出され、同時に有名画家に出会い、彼の絵のモデルとして、パリの画家のアトリエに娘と一緒に行く。

 そのモデルの仕事を終え、日本に娘と戻るところで上巻が終わる。

不思議な物語である。生活場所、環境が次々変わるのだけれど、それにより茉莉が変貌してゆかない。ずっと同じ茉莉がいて、環境、背景だけが変わるだけという印象が強い

 下巻では、大きな変転する物語になるのだろうか。

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七月隆文   「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(宝島社文庫)

 主人公南山高寿は、京都の美大に通っている。ある日、彼の性格ではとても考えられないのだが、電車の中で会ったとびきり可愛い子愛美に一目ぼれして声をかける。そこから、毎日幸せいっぱいの付き合いが始まる。

 高寿は10歳のときに大震災にあっている。そのとき30歳くらいのおばさんに、崩れた家から助け出される。

 実は愛美と高寿は時間の進み方が真逆になっていた。高寿は我々と同じように、未来に向かって進む。愛美は逆に過去にさかのぼる。高寿は、過去の記憶があるが、愛美には記憶は無い。その変わり未来が見える。

 愛美は知っている。10歳になったとき、家が火事で焼け、その火災のなか、助けてくれたおじさんが実は高寿だったこと。その10歳のときに、おじさんに抱かれて、おじさんに一目ぼれ。いつかおじさんに会いたいと願っていたこと。

 そしてお互いが20歳になった、4月13日から5月23日までの40日間、出会って、恋をする。愛美からみると5月23日から4月13日までとなるのだが。

 愛美は、ことあるごとによく泣いた。高寿がことのカラクリを愛美から告げられる前、どうしてそんなに泣くか理由がわからなかった。

 それは愛美にはキスも初めての好きな男の子との愛の交歓も最初で最後のこととわかっていたからだ。最後だから泣いてしまう。

 こういう物語は、どこかで読んだことがある。しかし、結構面白かった。

 特に、高寿と愛美が出会ってからのデートは初々しく、初恋の雰囲気がよくでていて、自分の青春時代を彷彿とさせよかった。

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堀川アサコ    「幻想温泉郷」(講談社文庫)

 「幻想郵便局」の続編。

 登天郵便局は、亡くなった人たちが成仏するために通る入り口。亡くなってこの郵便局にやってきた人たちは、ATMを使って生前の善行、悪行を「功徳通帳」に記載して、地獄極楽門を通って、あの世に向かって旅立ってゆく。ところが、その中に「功徳通帳」に記載されている悪行が消滅して、地獄極楽門の手前で消えてしまう人がでてくる。

 こんなことが起こっては、登天郵便局の存立にかかわる。そこで、東京に就職していた主人公のアズサが、たまたま休日で帰郷、郵便局に遊びにきていたとき、消えていった人たちがどこへ行ったか、謎の占い師それを探せるのはふたご座でB型の女性しかできないとの宣託があり、探索をすることとなる。

 ゴボウというホームレスの男と協力して、銀行強盗をするようにと神と言われている狗山比売の命令でアサコが強盗をしようとしているところに生田という男が途中で加わる。強盗は失敗する。

 その後生田が公園で首を吊って死のうとするところをゴボウと一緒に助ける。
 生田は婚約者を別の男にとられ、しかも婚約者は妊娠。そのことに悲観し自殺を試みたのである。

 アズサは、消滅した人間が枯ヱ野温泉に行っていることをつきとめる。枯ヱ野温泉は、生前の罪がすべて洗われ無くなるといわれている温泉。しかし、これがどこにあるかがわからない。行ったことがあるという人にも出会うが、すべての人が場所を忘れてしまっている。

 ところが、生田が枯ヱ野温泉に車で連れてってくれた。

 実は、アズサは生田の婚約者とそっくりだった。それで生田は、アズサを好きになり婚約まで申し込む。生田はかなりの美男子であり、アズサも恋心を覚える。

 ところが、この温泉で、生田は5年前、婚約者を奪った男らに湯の中に頭をつっこまされたまま溺死させられていたことがわかる。つまり、生田は幽霊だったのである。そして地獄極楽門の手前で消滅していた人たちは生田の怨念、呪いにより無理やり枯ヱ野温泉に来させられていたのである。

 アズサは生田を地獄極楽門に連れてゆき成仏させる。門をくぐってでてゆく生田の姿にアズサは涙ぐむ。それから、門の直前で消滅する人はいなくなった。

 幽霊とアズサの悲恋の物語だった。

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林家たい平   「林家たい平 特選まくら集」(竹書房文庫)

 最近「笑点」をみていてなかなか座布団10枚がでないなあ、日本テレビがけちっているのかと思っていたら、そうではなくて、6枚以上になると上がって座れない落語家がでたからだそうだ。座ってもふらついて崩れおちそうになるからということもある。

 だからなかなか5枚以上には座布団がたまることがない。6枚座布団があって、回答をすると、司会者にめくばせをして「いらない、いらない」と合図を送るそうだ。

 それで、たい平がアイデアをだす。「介護ベッド大喜利」にしたらどうかと。ちょっと顔がうまく撮影できないことが難なのだが。

 回答者が回答する。司会者のところに、着物の色のボタンがある。良い答えだと、司会者がボタンを押す。押したボタンの色の着物をきている回答者のベッドが一段あがる。

 このアイデアは即却下になったらしい。

 今の子どもは想像力というのがあまりできなくなったらしい。
たい平が高座で、手ぬぐいを使って懸命に焼き芋を食べている演技をした後、
 「さて今私は何をしていたでしょうか?」
と訊ねたら、前に座っていた子が言った。
 「タオルを食べてた」と。
たい平は大きなショックを受けた。

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江國香織  「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」(集英社文庫)

 主人公陶子と夫水谷の会話。

 午後9時前、陶子が言う。
 「ちょっと 外出するわ。」
 「時間を考えろよ。」
 「まだ9時にもなってないじゃないの。」
 「独身のころはしょっちゅう街にいた時間だわ。」
 「もう独身じゃない。」
 「どうちがうの?」
 「子供がいるわけでもないのに、どうして夜はでちゃいけないの。」
 「ちっともちゃんと話してくれないのね。」
家庭ではこれが繰り返される。夫は何を言っても、妻にはかなわない。そして、何も言わなくなる。で、妻の決め言葉は
 「ちっともちゃんと話してくれないのね。」となる。
男は好き勝手、女遊びをして、家庭から放り出される。でも、自分は悪くないとつぶやく。

 この物語にでてくる別の男、土屋のつぶやきが痛々しい。
 正直に生きてきたつもりだった。好きな仕事をして、好きな女と、短いが正直な恋をしてきた。女には敬意ははらっているが、女にふりまわされることなどない質だと思っていた。

 それにしても長い作品だった。300ページくらいまで、9人の登場人物の普段の暮らしが延々と続く。その後、物語は動き出し、色んな出来事が起こる。物語の構成が少しゆがんでいる。

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江國香織    「金平糖の降るところ」(小学館文庫)

 「他の女のことは、ただのスポーツだよ。そのくらいのこと、わかってると思ってたけど。」
佐和子の夫達哉の言葉である。

 他の女の子との体の関係はスポーツなのだけど、佐和子の場合はどこがスポーツではないのだろうか。

 佐和子とミカエルの姉妹は、ブエノスアイレス郊外の小さな町で育った。少女のころ互いにできた恋人は2人で共有することを誓った。達哉だけは共有しないでと佐和子は達哉と知り合ったときミカエルにお願いした。しかし、ミカエルは達哉とピクニックにでかけ、体の関係を持つ。そして、佐和子はそのことを知っている。

 体の関係は、男と女が知り合い友達になれば、大人だったらできることが自然。この物語、佐和子と達哉は当然体の関係はある。一方、達哉は毎晩とっかえひっかえ別の女性と寝ている。佐和子は田淵という商社員と関係している。佐和子の妹、ミカエルは若い時片端から男と寝て、結果父親のわからないアジェレンを産み育てる。ミカエルは勤めている会社の社長ファクンドと関係を持っている。このファクンドはもう爺さんのような年齢なのに、ミカエルの娘アジュレンと関係を持つ。

 日本からアルゼンチンへ田淵と逃げた佐和子を追ってきた達哉は、アルゼンチンでミカエルと関係を持つ。

 体の関係はまさにスポーツのごとくになされる。スポーツだからしてもしなくても同じはずなのに、しない、しなくなると、気持ちでわりきれない、説明できない重圧と恐怖がおおいかぶさってくる。

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勝見洋一    「中国料理の迷宮」(朝日文庫)

 この本のタイトルが異様である。中華料理でなく中国料理と書かれている。あまり中国料理という言葉は聞かない。つまり、政治や権力闘争、歴史に翻弄されてきた中国の料理の変遷を扱っているのである。

 今まで私は中国はもちろん、香港、台湾を始め世界各国で中華料理を味わってきた。で、一番おいしいと思った中華料理は雪の中バンクーバーで日本料理を食べようとして行った店が休みで、寒いからと向かいの中華レストランで食べた中華料理だった。

 香港が中国に返還された前後に、こぞって一流料理人が海外に渡った。その渡った先で一番多かったのがバンクーバーだった。

 この作品、こんなエピソードもたくさん披露されているが、圧巻なのは毛沢東の文革時代の中国の食事について扱ったところ。

 文化大革命というのは、真に正しい人民は農民であり、すべての人民は農民から学べということで、都市生活者のレベルを農民レベルに落とそうという革命運動であった。それは時代を逆回転させようということである。

 都市生活者は農民と同じものを食べるということで「労農兵メニュー」というものが現れる。作者はどうして行けたのかわからないが、胡同といわれる路地奥にある町内会組織である「居民委員会」が運営している居民食堂を取材している。町内会員は、役員が監視している中、入り口に掲げられている毛沢東の肖像写真に敬礼して、今日の革命的行動は何をしたかを報告し、食事にありつける。メニューは暖かい料理とスープに饅頭一個だけ。そしてこれがこれ以上ないというほど不味いのである。これは耐えられないと家にでも帰って、おいしいものを食べるところを見つかり役員に報告されると反革命分子となり、命さえ失うこともある。

 ところG、高級官僚や外国賓客をもてなす宴となると、考えられないほどの高級料理や高級酒が特別な招待所でふるまわれるのである。作者も多く経験しているようだ。

 この宴が大変で、赤じゅうたんが敷かれた廊下を、招待所の料理人たちの拍手のなかを自らも拍手をしながら宴会場まで行かねばならない。料理長が宴会場で待っていて、お互いに握手して、挨拶をかわす。そして、料理がでてくるたびに、起立して拍手をせねばならない。

 冬瓜のスープに入っている銀杏をみんな食べずに大事に紙袋に入れている。どうしてと聞くと、銀杏に毛沢東語録が彫ってある。家に持ち帰り宝物とするそうだ。

 文革は1000万人の犠牲者をだしたと言われている。当時を覚えているが、朝日新聞をはじめ文革礼賛のマスコミ各社が流した。新聞はこのときから信じてはいけないかもしれないという疑念を持った。

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最相葉月     「なんといふ空」(中公文庫)

 「絶対音感」売れてまだそれほど時間がたっていないころ書いたエッセイ集。

 「絶対音感」は最相さん34歳のときに出版した本。それまでは、世界の底をはうような、あてのない暮らしが続いた。

 最相さんの家も苦しかったのか、父が新聞配達をして家計を支え、中学校で1年間登校拒否症になった弟も、何とか中学を卒業して、やはり新聞配達で家計を支えたようだ。最相さんも、私立高校に行っていたが、そこを退学して公立校にはいりなおそうとしたが失敗。高校を3年では卒業できず、人より多い高校時代を送った。

 小さな出版社のPR誌編集者兼ライターになり、競輪場を回りながら取材記事を書いていた。

 最相さんの夫が高校のとき、読書感想文が夏休みの宿題ででた。同級生5人が同じ本を読んで感想を書くことに決めた。本はバヂッダ著の「夜霧の隅で」。

 馬場君はプルーストの「失われた時をもとめて」に匹敵する文学的大作だと評した。村上君はトーマス・マンが影響を受けたという部分を引用した。津田君はアメリカ文学界に大衝撃を与えた世紀の大物新人が登場したと書いた。高橋君はイギリス医学界に痛烈な批判を投げかけた空前絶後の医療ミステリー大作と評した。そして最相さんの旦那さんは、ヘミングウェイを彷彿させる乾いた文章とたぐいまれなユーモアが評価できると書いた。

 先生が感心して、その本を貸してほしいと言う。

 彼らは困った。実はそんな本は無いのである。

 作者バヂッダは、馬場君のバ、ヂは当時村上君が痔を患っていたから。後は津田君のツ、高橋君のタからきている。
 なかなか楽しいエピソードである。

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江國香織     「はだかんぼうたち」(角川文庫)

 主人公桃は35歳の歯科医。結婚するだろうと思われていた6年間つきあった石羽と別れて9歳年下の鯖崎と付き合いだす。桃には高校からの親友響子がいる。響子は隼人という夫がいて、4人の子どもたちがいる。そして、響子は4人の子どもたちに手を焼きながら日々の生活を送っている。

 鯖崎は、桃ともつきあいながら、響子にもモーションをかけ、そして響子と体の関係を結ぶ。桃は、鯖崎と関係を持ちながら、結婚寸前だった石羽とよりをもどし、付き合いだす。

 桃の姉の陽は、とても男とはつきあいはできない雰囲気の娘だったが、実は鯖崎の会社の社長と不倫を続けている。

 桃の想いが最後に近いところで描かれる。

 最初からそうだったと、桃は認める。桃自身鯖崎を、男友達と考えていた。恋人ではなく男友達だと。どちらも独身で、大人なのだから、キスや性交を含む友情が成立してもいいと思っていた。そのことでもし誰かがかなしむなら、その誰かとは別れるべきだろうと思った。それで別れた。

 大人なのだから、友達同士、相手に家庭があるからとか、そんな関係の別の友達がいるからとか、何かに束縛されることがなく普通にキスも性交も行うことは通常のこと。

 それに対し、桃、陽の母親由紀はうろたえる。
さっぱりわからない。・・・・この子たちはどういうつもりなのだろう。一体なぜ、わざわざ孤独になろうとするのだろう。ほんとうに、さっぱりわからなかった。

 キスも性交も友達の証の時代になってきたのか。私はまだ、母親由紀の述懐に賛同する。

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| 古本読書日記 | 11:39 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織   「泣かない子供」(角川文庫)

 行列のできるラーメン店がある。

 こういうラーメン店は、追加の具とか、麺のゆでかげん、スープに油脂をうかべるかどうかとか、お客がいろいろと好みが言えるシステムになっている。気が小さくて今日こそ自分の好みをお願いしようと決めていくのだが、これが上手く言えた試しがない。

 まず店の外にズラーっと並ぶ。店に入れたからすぐに食べられるわけではない。みんなが食べているのを眺めながら、蟹の横歩きのように、徐々に移動してゆく。このとき、怒ったように注文を聞かれる。注文とりの人は、メモするのではなく、注文を聞いて暗記をする。

 注文を聞かれるさい、スムーズにたまごをのせて麺はかたと注文をさっと言わねばならない。少しでももたもたすると、注文とりの人が恐い顔をする。リズムに乗って注文が言えないと、注文を忘れる恐れがあるのだ。
 江國さんはこれができなくて今までラーメンとタンメンしか注文したことがない。

 江國さんは、言葉に敏感だ。違和感がある表現を聞くと「今のは何?」と咀嚼するのに時間がかかる。

 サッカー中継で
 「本田がいたんでいます」とか
 「そこはかと存在する」とか
 「何げに言う」や
 「明日はご自宅におりますでしょうか」
でも、ことばはいつも変化するもの。そんな中で、感動して自分も使いたくなる表現がある。

 バスのなかでの男子学生の会話
 「〇〇知ってる?」
 そして、新しいゲームソフトを細かに説明をはじめる。聞いていたもう一人の学生が説明者を制するように大声で言う。
 「超知らね。」
 心底、感動した言葉だ。江國さんはうれしくなって家に帰って試してみようと江國さんバスのなかでしばし興奮をする。

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| 古本読書日記 | 09:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織   「雨はコーラがのめない」(新潮文庫)

 音楽と犬と江國さんの3つが融合したエッセイ集。

 タイトルの雨は降る雨ではなくて、江國さんの愛犬、雄のアメリカン・コッカスパニエルのことだ。

 江國さんの雨は、女性歌手のソプラノが大好きなのだそうだ。私が前に飼っていたビーグルの雄は、散歩中夕方の5時に同報無線で流れる「家路」に反応した。「家路」が始まると散歩は小休止。ピシっと姿勢を決めて、口を大空にむけ、一緒に声高らかに「家路」を歌っていた。

 犬の雨はコーラは飲めないそうだが、このエッセイによるとワインは嗜む。昼一緒に江國さんとワインを飲む姿がいくつか書かれている。贅沢な暮らしだ。

 江國さんの家では、江國さんの仕事部屋と寝室は2階にあり、雨の部屋は1階。で、雨は邪魔になるので2階には上がってきてはいけないようにしている。

 しかし、その禁を破って、夜眠るとき2階に連れてくることがある。そうすると雨は興奮して、走り回ったり、江國さんの顔をなめたりして寝ようとしない。いつも、先に江國さんが眠りに落ちる。

 私の家のビーグルは、もともと江國さんと同じように1階が遊び場兼犬の居間になっていたが、最近は2階の私のところへやってきて、一日中一緒にすごす。

 夜も私が2階に上がると、すぐついてくる。そして、遊べ、遊べとせまる。無視をしていると、足元でベターっとなって、眠る。すごいのは、ベターっとなって数秒後には鼾をかいて寝入るところ。この楽天性、屈託のなさが私にも伝播して、ビーグルと眠るようになってから全く不眠ということが無くなった。

 ビーグルは夜中の2時ころ必ず目を覚ます。そして今の季節は必ず私の布団に入ってきて、背中をこすりつけるようにして眠る。

 以前は朝四時から散歩に連れていけと私の顔を舐めたり、キュン、キュン声をあげた。叱りとばしたら、今は朝4時に正座をして、じっと私の起きるのを我慢して待っている。

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| 古本読書日記 | 09:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織    「すみれの花の砂糖づけ」(新潮文庫)

 詩集。

 江國さんは、子供の頃から、少し冷めていて、孤独感、虚無感が漂っていた。
例えば「眺める子供」という作品

 眺めていた
 校庭を
 教師を
 ほかの子どもたちを
 じかにさわれる
 石や
 砂や
 下駄箱や
 朝礼台の方が
 ずっとしたしい気持ちがしていた
 それでも
 眺めていた
 校庭を
 教師を
 ほかの子どもたちを

こんな詩があふれているのだが、この虚無感をかなぐりすて、まっさらにさらけ出した時の
江國さんの言葉の嵐も強烈である。「願い」という作品。

 いつまでも いつまでも あなたと寝たい
 私の願いはそれだけです
 よあけも まひるも 夕方も
 ベッドであなたとひとつでいたい
 雨の日も 風の日も
 風邪気味の日も、空腹の日も
 がっしりくっついて あなたといたい
 私の細胞のひとつひとつが あなたを味わう
 あなたの細胞のひとつひとつが わたしでみちる
 体中の血がいれかわるまで
 体温がすべてうばうまで
 もう足の指いっぽん動かせない
 と
 あなたが言うまで
 もう寝がえりもうてない
 と
 私が言うまで
 もう首が持ち上がらないと
 と
 あなたが言うまで
 いつまでも いつまでも あなたと寝たい
 くっついたまま としをとりたい
 何度も 何度も あなたとしたい
 地球があきれて
 自転も 公転も
 やめるまで

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| 古本読書日記 | 08:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮木あや子    「白蝶花」(新潮文庫)

 昭和19年、山形県の酒田から、福岡県知事の屋敷に奉公にやってきた主人公の千恵子。

 その屋敷の令嬢和江は、千恵子にしか心を許さない。すこしわがまま。和江は実は、書生の喜三郎に恋心を抱いていた。しかし喜三郎は同じ奉公人の伸子と愛し合っていた。このことが余計に和江を頑なにしていた。

 喜三郎が出征することになり、交代で政吉が書生にやってきた。喜三郎が出征してすぐ、伸子の妊娠が明らかになる。しかし、伸子は妊娠中毒に陥り、子供は流産する。

 一方千恵子は政吉と結ばれる。そして、政吉も出征。これで和江は怒り心頭となり、千恵子は故郷酒田に帰る。
 酒田の実家で両親は千恵子の妊娠を知り、世間体が悪いから子供を下ろすように指示する。これに千恵子は反発して家をでる。

 そこから、酒田の飲み屋に匿われ、その飲み屋の女将の妹を頼って東京にでてくる。その東京で福岡県知事をやめて東京に戻っていた元主人宅を訪ねる。懐かしい和江に謝ろうとして千恵子は和江にコンタクトを試みるが和江は自室にこもって扉を開けてくれない。

 そうしているうちに東京が空襲をうける。このまま屋敷に留まっていると、和江は死んでしまう。必死に千恵子は扉をこじあけ和江を連れ出す。空襲途中、和江が足をけがして歩けなくなる。血縁でもない和江を放り出そうかとも思ったが、和江を身重でありながらおんぶして、青山墓地まで連れてくる。そのとき屋敷は完全に焼け落ちていた。千恵子の救助がなければ和江は完全に死んでいた。しかし、和江はお礼の一言もなく青山墓地を去る。

 戦争が終わって、千恵子は政吉の両親に引き取られ、男の子を生み育てる。和江は東大生と結婚をし、幸せな家庭生活を送る。

 空襲から50年たって、和江は認知症となり、病床にある。死の間際になって、屋敷でともに暮らしていた人たちが和江の心に浮かぶ。色んな人たちが浮かんで、最後に「千恵子は無事だろうか。」とつぶやく。

 そして、千恵子の「お嬢様」「お嬢様」の呼びかけの中で息を静かに引き取ってゆく。

 あの青山墓地で懸命に自分を救ってくれたのに、お礼さえ言わなかった。悔恨というのはずっと残り、いつも心の底で疼き、人々を折に触れ突き動かすのだ。

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| 古本読書日記 | 08:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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桐野夏生    「だから荒野」(文春文庫)

 主人公朋美は46歳。その誕生日に、家族みんなで新宿のレストランを予約して食事をすることを計画する。

 当日、自分の誕生日なのに、夫と息子2人に、朋美が車で運転してくれないと食事に行かないと言われ、何で自分の誕生日なのにそこまでしなければならないのか、これじゃ酒も飲めないと強烈に不満と怒りを覚えるが、キャンセルもできないと思い我慢をし、明美は運転をして家族でレストランにむかう。

 誕生日だからと少しはでめの服をきたり、化粧も念入りにしたのだが、夫や息子たちから「妖怪」とか「京劇俳優」と好き放題言われる。少しでも反発すると「きもい、死ね」と怒鳴られる。レストランでは「不味い」「サイテー」とあたりかまわず言われ、普段から夫をはじめ家族から「馬鹿おばさん」扱いされているのも影響し、とうとうプッツン。食事の途中で勝手にレストランをでて、車に乗って、もうあの家には帰らないと決意し、走り出す。

 朋美は家出をすれば、夫を始め家族が混乱するのではと思ったのだが、夫からはメールで車を返せ、ゴルフバッグを返せ、そうすれば家に帰ってこなくてもかまわないというメールがきただけ。

 夫は次の休日、ゴルフコンペがあり、そこで朝、小野寺百合花という美女を車でピックアップする約束していた。つまり、朋美のことなどどうでもいい、自分の都合しか考えていないのだ。しかも、車に残されたポーチにはコンドームがたくさん入っていた。

 朋美のいなくなった家庭は、破壊され奈落の底に落ちるかと思いきや、たしかにその兆しはあるのだが、桐野さんはそこまでは描かない。

 朋美も、パーキングエリアで車の置き引きに遭い、絶望的状況に陥るのだが、亀田という軽自動車の運転の男に救われ、長崎まで行き、山岡という被爆伝道者の家に居つき、どん底まで落ちるところを食い止められる。

 絶望、どん底に堕ちて、そこをどう描くかを読者は期待するが、生ぬるい状況で物語が進み、最後は元のさやに納まる、何だか甘やかされた人々の物語だったなと少しがっかり。

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| 古本読書日記 | 09:40 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織     「真昼なのに昏い部屋」(講談社文庫)

 人生の中で本当の恋は、年とか、生活している環境などと係りなく突然やってくるから大変である。中年の恋というのは、打算があったり、いきなり体の関係があったり、体の関係になるための駆け引きがあったり、純真さや純粋さとは縁のない関係が殆ど。

 この作品の美弥子さんと、アメリカ人の大学教師ジョーンズとの恋は純粋、純真である。フィールドワークという名のデートが毎週あり、小鳥を観察したり、街や公園の風景を観察したりする。途中で銭湯にもよって気持ちも体も暖かくする。その過程で、互いを知り合い、尊敬し、信じあう関係に徐々になってゆく。その間、体を求めあう衝動は全くわいてこない。

 体の関係を持ったのは、夫の浩が会社に出勤していて不在なときに、2人が楽しそうにデートをしているという近所の噂を夫が知り、激怒したとき、美弥子が大学教師のジョーンズのところへ駈け込んだときである。

 しかも、次の日が土曜日。もともとしっかりした恋愛の土台ができていたので、2人は堰を切ったように一日中、土曜日も日曜日も愛し合う。

 夫の浩は、美弥子は清楚で優しい妻だったので、家に帰ってきたら叱らず優しく受け入れようと考える。そうすれば、平穏な生活に戻るだろうと確信をしていた。

 江國さんが、この結末をどうするのかと読んでゆくと、さらりと2人は離婚をしたと軽く片つける。

 私も納得、安心をした。どんな年齢になっても、純粋、真剣な恋を邪魔することはできないのだと思った。

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| 古本読書日記 | 09:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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原田マハ    「総理の夫」(実業乃日本社文庫)

 相馬凛子は42歳、日本では初めての女性総理大臣となる。鳥類研究者である夫日和は、総理を支えるべく「総理の夫」となる。

 発想は面白い。日和は、一般人から突然「総理の夫」となる。総理の伴侶として、外遊に随行したり、国内視察にも随行しなくてはならない。鳥類研究所への通勤は専用車がつき、送り迎えがなされ、電車通勤などありえない。更に一人での、勝手の行動が許されなくなる。

 すべてが凛子中心で、凛子にとってマイナスになるような行動は避け、全身全霊で凛子を支える、よき伴侶にならなければならない。

 凛子は10名にも議員が満たない弱小野党直進党の党首だった。しかし、当時最大与党だった民権党の実力者原が、民権党を飛び出し民心党を結成、野党に転じ、結果野党が与党民権党を上回り、野党連立政権が誕生。原の意向があり、首相が凛子となったのである。

 この原は、現在の小沢一郎に似ている。この他の登場人物も造形がはっきりしているが、際立っている分現実感がなく、少し安っぽいテレビドラマをみているよう。

 政治の中身も深堀はなされず、表面的に流れ、それゆえ「総理の夫」としての揺れる現実が十分に描かれず、発想が生きて来なかった。

 発想が先行して、書き始めたが、政治の実態を十分把握していなかったため、中味が薄く少し安直だった印象を受ける。

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| 古本読書日記 | 09:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織    「ぼくの小鳥ちゃん」(新潮文庫)

 雪の朝、主人公のぼくの部屋に、小さな小鳥がやってくる。「あたしはそのへんのひよわな小鳥とはちがうんだ」と言ってぼくの部屋に住み付く。ぼくには、毎週週末にやってくる彼女がいる。彼女はちょっぴり小鳥ちゃんに嫉妬をしている。

 この小鳥ちゃんの生きている姿が、私には重くズシンとくる。

 小鳥ちゃんは、仲間からはぐれたから、主人公のところにいると宣言する。だからと言って不安だから、寂しいからと言って、仲間のところへ決して帰ろうとしない。むしろ、そこから解き放され自由でいることを楽しんでいる。主人公と部屋にいても、彼女と主人公のデートに連れ添っても、いつも言動は媚びることなく独立している。

 思い立った時は、窓からとびでて自由に空へとはばたき、ときには2-3日帰ってこない時もある。アパートの上の階の部屋のおばさんの肩に乗っかている姿をみたときには、主人公のほうが大きな衝撃を受ける。

 江國さんは、世の中のしがらみとらわれない自由をことのほか望み、愛している。小鳥ちゃんは江國さんの姿を象徴しているのだろう。

 だけど、絆を断ち切ることで得る自由はどこかに言い知れない寂しさが漂う。

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| 古本読書日記 | 09:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織    「つめたいよるに」(新潮文庫)

 江國さん初期の掌編21篇を集めた作品集。

 どの作品も見事だと思ったが、やっぱし第一作目の「デューク」が群を抜いて鮮やか。

 主人公が溺愛していた愛犬デュークが死んだ。老衰だった。アルバイトから帰ってきたときは、まだあたたかかった。しかし、膝の上で抱いて撫でている間に、いつのまにか冷たくなって固くなってしまった。

 卵料理と梨と落語が大好きで何よりもキスが上手だった。ときおり拗ねた横顔はジェームスディーンにそっくりだった。

 ワーワー泣きながら外へ飛び出した。涙がとまらないまま電車に乗った。見かねた少年がどうぞと言って席をゆずってくれた。その少年は、乗り換えた駅も下りた駅も同じだった。

 「コーヒーでも」と少年を誘った。
そこで少年は朝ごはんがまだだと言ってオムレツを食べた。それから、少年に誘われプールに行く。少年が手を添え泳ぎを助けてくれた。次は美術館。インドの古代美術に少年は目を奪われる。そして、映画館へ。最後は落語を見に行く。

 そして街にクリスマスソングが流れている中、別れのときがくる。

 少年が言う。
 「今までずっと楽しかったよ。」
 「そう私もよ。」と主人公は答える。
 少年は更に語気強く。
 「今までずっと、だよ」と言い主人公を引き寄せキスをする。
 主人公は驚く。そのキスはデュークのキスそっくりだった。
 「僕もとても愛していたよ。それだけを言いたかったんだ。」
 と言いながら主人公の元を去ってゆく。その横顔がジェームス ディーンにそっくりだった。止まっていた涙が主人公から溢れだした。

 鮮やかな余韻を残す物語である。

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| 古本読書日記 | 09:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織     「都の子」(集英社文庫)

 江國さん30歳になったことを記念して出版したエッセイ集。

 あとがきで江國さんが語る。
 「書く」というよりも、例えば「少しずつ冷凍する」という方がしっくりする作業でした。お料理をたくさんつくって小分けにし、一つずつパッキングして保存する、あれです。四百詰原稿用紙に四枚という枚数は、その作業にちょうど具合のいいものでした。

 私たち読者は、その詰められた江國さんの記憶の物語を、冷凍パックから解凍するような気持ちになって読み進む。それは、江國さんの冷凍パックに動かされながら、私たち自身の忘れてしまった記憶の冷凍パックを同時に解凍する作業をしていたのだ。

 江國さんは、真夜中に起きて仕事をする。しかし、いつもいつも仕事をするわけでもない。

 少し疲れていて、熱いお茶とお風呂だけが友達だと感じるときがある。その他には、何もいらないし、誰もいて欲しくない。そんな時に必要なものは本ではなく音楽。こんなときの音楽は耳だけでなく全身に降りかかってくる。皮膚も、髪の毛の一本一本も、どんどん音を吸収してしまう。だから、心や脳裏だけじゃなく、肝臓も腎臓も音楽を聴く。

 音楽の浸透力の強さ、音楽の本質を見事に言葉で表現している。ここまでの感受性が無いと、深い感動を与える物語は創造できない。

 そして、音楽が終わり、未明の街に散歩にでる。

 足を交互にだしている、ということや、両手を振っているということ、その指先までちゃんと神経がかよっていて、手を振ると指のまわりまで空気が流れること、そうやって自分が街の空気を振り回しているのだということ、なんかよくわかるのだ。頭で理解すのではなく、体が直接理解する。

 受け身の音楽から、きりっと切り替えた早朝の散歩。そこから物語が聞こえてくる。

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| 古本読書日記 | 09:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織    「すきまのおともだち」(集英社文庫)

 新聞記者の主人公のわたしが、取材で行った旅先で恋人に書いた手紙をだすために郵便局を探しているとき、突然すきまの世界に入り込んでしまう。

 そこには、何でもテキパキとこなす9歳の女の子と、車の運転ができるお皿がいた。

 その街には、年老いた風呂敷がいたり、靴屋の主人のねずみがいた。また主人公が2度目にすきまに落ち、女の子と旅をして行った寒村には、コックの豚や空き家に住んでいる兄弟がいた。

 それぞれが大人のような口ぶりをするが、精いっぱい純真な子供たちのように楽しく強く生きている。

 生まれて初めて出会って感動した本がある。本というのは、実に当たり前なことだが、何年たっても、登場人物が年をとったり中味は変わることがない。変わってゆくのは、読者のほうである。

 小学校のとき、高校生、大学生のとき、新婚のころ、子育てに懸命だったころ、子供が大きくなり学生になったころ、子供が結婚したころ、そして孫ができたころ。
 それぞれ時代に同じ本を開いてみる。その本こそまさに時をさかのぼる「すきま」である。

 本の中身は変わらないのに受ける印象はその都度異なる。そして、「すきま」とともに、あの時、この時を懐かしく想いだす。

 最初に出会った9歳の女の子は、ずっと9歳のままなのに、すべてが愛おしい。たしかに9歳の女の子は本と一緒に生涯連れ添ったたいせつなお友達だ。

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| 古本読書日記 | 09:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織    「とるにたらないものもの」(集英社文庫)

 普段はとるにたらないもの、もう使われなくなってわすれかけているもの、だけど欠かせないもの。そんな60点を集めて、江國さんがそれぞれのものにたいする思いを描いたエッセイ。

 ものは見て使ってさわって、そこから感じるものを表現することだけでは息づかない。それは、過去にそれを使って感動したり驚いたそんな記憶の奥底をつむぎだすことにより初めて輝き息をふきかえす。江国さんは、それぞれのとるにたらないものを記憶の底から呼び起こして、見事に生命力を与えている。

 ワープロの時代になって、あまり使わなくなったのが鉛筆。もちろん、授業の講義を書き留めたり、テストの回答に使ったりはする。鉛筆は、芯がすり減ったとき、どこで削ったらいいか判断が難しい。だから、今は殆どシャープペンシルに置き換わっている。

 それから、文房具でまったく見なくなったのが下敷き。今は学校の机は殆どスティールに変わった。だから、机の表面が下敷きがわりとなった。私が少年だったころは、机も腰掛も木製だった。表面は木でありでこぼこしていた。

 そのまま紙に鉛筆で字を書くと、紙がやぶけたり穴があいたりした。字の一部薄くなって見えないことが発生する。またノートに書くと、次のページに字が筆圧でくっきりと写る。

 それを避けるために、みんなが下敷きを使った。

 下敷きはセルロイド製が多かったが、中には鉄製の下敷きを持っている子がいた。
 これが羨ましかった。文字を書くとき実に軽やかな弾む音がした。

  テストのとき「始め!」の号令のもと、一斉に「コツ、コツ」と鉛筆と下敷きが触れる音だけが響いた教室がなつかしい。

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| 古本読書日記 | 09:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織   「日のあたる白い壁」(集英社文庫)

 江國さんが、世界の美術館で出会った24枚の絵について語ったエッセイ集。

 江國さんは、それぞれの絵を確かに読み込んでいて、それを澄み渡るような言葉に変えて表現をしてみせている。

 たくさんの画家が静物としての果物を描いているが、ゴーギャンの「オレンジとしての静物」で描いているオレンジは、おいしそうですぐにでも食べてみたくなると江國さんは書く。
 食べてみたくなる絵は殆どないのだそうだ。

 ユトリロの「雪の積もった村の通り」。雪は本来冷たいものなのだが、この絵は心地よい暖かさがいっぱいに溢れている。それは、通りを歩いている人たちの心に暖かい家や、暖かい食事などの想いが溢れているから。前かがみになって早く暖かいところに行こうとしているから暖かさが絵全体からあふれ出している。なるほどと感心する。

 イタリアの中世の画家、カラヴァッジョの「聖トマスの懐疑」ではキリストの復活が描かれるが、聖トマスが復活は本当なのかと、キリストによって開けられ晒された胸の傷のところに指をあてて確認している図をみて、江國さんは、自分の絵に接する姿勢と同じだと語っている。

 それはインタレスティングだと。インタレスティングとか好奇心ではない。
しっかりと見届けたり、触らずにはいられない欲求だと言う。道端で死にかけている虫とか、教師が怒って興奮してしまった顔を、驚いてただ見てしまう。好奇心とか怯えとかではなくて、ただポカンと見てしまう。その意味では無感動である。

 インタレスティングで接した絵の数々から発せられる江國さんの言葉のすばらしさにひたすら感動する。

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| 古本読書日記 | 08:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江國香織      「がらくた」(新潮文庫)

 この作品は、自分が住んでいる世界や経験をとおしてだけで、理解したり見てはいけないということを言っている作品だと思う。たぶん、平凡な経験からの世界からみると理解不能で駄作との判断がなされると思う。

 テレビ局のプロデューサーをしている人は、浮気をするとか、家庭の外に恋人をいつももっているのは当たり前のこと。そうなっていない人がいたら、そんな人は希少価値な人である。

 それが当たり前なこととして、結婚している妻は、嫉妬とか恨みの感情は抱かない。では、どうして夫婦関係が成り立つのか。それは、夫は家庭にいるときは、これほど愛している女性はいないと思わせるほど妻に尽くすのである。これが徹底できないと、妻は夫への不満と猜疑心が生まれてその先は離婚ということになる。

 それにしても、この作品には我々が暮らしている普通の風景は全くでてこない。居酒屋、ファーストフード店、ファミレスは無縁である。

 食事は高級フランス料理、高級中華、すし屋、イタリアン、高級バー。それ以外は登場人物が行くべき場所ではない。ミミという15歳の中学生がでてくるが、ミミも湯行く場所は大人と同じ。バーにも行く。

 主人公の柊子が夫には決して恨みは感じて来なかったのに、夫としばしば外で出会っているミミには強い嫉妬を感じる。それとなくそのことを母に言う。そのときの母の言った言葉が印象的。

 柊子が言う。
 「嫉妬?だってまだこどもじゃないの。ばかばかしい。」

 母が言う。
 「だからこそでしょ。子供と大人の中間で、あんたが失ったものと手にいれたものと両方持っていて、いましかないっていう種類の生命力があるから。」

 最後にはプロデューサーの夫とミミがホテルで抱き合う。

 私は、年をとっているので、冷静にこの作品は読めるが、馬鹿らしいとぶんなげる人もいるだろうなと思う。

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| 古本読書日記 | 08:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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