FC2ブログ

2016年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年10月

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

井形慶子     「好きなのに淋しいのはなぜ」(集英社文庫)

 最近はあまり流行らないが、西洋の国々で生活して、それをベースにエッセイを書く人がかっては多くいた。このようなエッセイストは2つに別れた。自分の住んだ海外の国がいかに素晴らしく、それに比べ日本がいかにひどいかをくさす人か、逆に住んだ国がいかにひどく、それに比べ日本がいかに素晴らしいか持ち上げる人のどちらか。井形さんは、前者の日本をくさすエッセイストだった。このエッセイにもその面影がでている。

 このエッセイは、上手に恋愛し、結婚し、家族生活を豊かに送るハウトゥーもの。昔は若い女性にこういう本が、熱狂的に読まれた。草柳太蔵や遠藤周作がこういう本をたくさん書いた。今は生き方、恋愛観は多種多様で、こんな本を読む人がいるだろうかと思わず考えてしまう。

 一つだけその通りだと思った。

 結婚しても、夫婦は仕事を続けるべきというところ。今は賃金で男女格差はない。年収500万円で夫婦が働けば年収1000万円となる。税金は配偶者控除があり、共働きは不利になるが、それでも1000万円と良人の500万円だけでの生活のではゆとりが全然異なる。

 ただ、結婚前に、特に夫が家事に協力することなど、妻によりかからないということを決めておく必要はある。この約束が履行されれば、旅行や外食など、かなり楽しめる生活が実現できる。専業主婦で夫の収入だけで生計をたてるのはかなり苦しい。それがわかってから、職を求めても、アルバイトのような不安定で低賃金の職しかない。

 この本に記載されていたから思い出した。公務員というのは基本給が抑えられているため、やたら手当を作り、給料を上げようとする。

 40歳を独身でむかえると「結婚祝い等調整給付金」などという名目で「独身手当」が支給されたり、課長が部長になれず5年を過ぎると「出世困難手当」という手当がもらえる都市がある。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 15:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

松久淳 田中渉   「天国の本屋」(新潮文庫)

 この作品では、人間の寿命は100歳までと決められている。100歳になる前に亡くなった人は亡くなってから100歳までを天国で過ごす。そして100歳を過ぎたら、また現生に戻りゼロ歳から生活を始める。まれに100歳以上生きる人がいる。その場合は、同じ人が100歳以上と生まれ変わった人を現生で過ごすことになる。

 この物語は学生でコンビニアルバイトをしている冴えない主人公のさとしが、まだ生きているのにヤマキという男に天国に連れ去られ天国の本屋で店員にさせられる。そこには、眼が緑色の愛想が悪く、全く笑わないユイがいた。

 さとしはこの店の売り物である本の朗読サービスをやらされる。そこに小さい男の子が本を抱えてきて、これ読んでとさとしにせがむ。販売本ではないので、さとしが躊躇するとユイが読んであげるようにさとしに要求する。その本を、朗読していると、店は朗読を聞く人たちであふれかえる。

 さとしはユイに恋心を抱くようになるが、ユイはそんなさとしを無視して冷たい。ユイがどうして冷たいのかやがてヤマキが教えてくれる。

 ユイはまだ死んでいない。実は、ユイが赤信号で交差点を間違えて渡ろうとしたとき、弟がおいかけてきて、弟はやってきたトラックに跳ねられ死んでしまう。ユイは弟を自分が殺したと思い、ショックで自殺を試み、その結果アキラに天国に連れてこられる。

 だから、心がさめきっているのだ。アキラは普通の優しいユイに戻して上げ、また地上に送り返そうとしている。

 そんなとき小さな男の子がまた本を抱えてさとしのところにやってくる。その本はユイが地上で弟に朗読してあげていた本だ。そう、この男の子こそ事故で亡くなった弟だった。

 泣きも笑いもしなかったユイがその朗読を聞いて涙を流し最後は笑顔になった。

 そしてユイが地上に戻ることになる。しかし、ユイにはその時天国での記憶はすべて消される。だから、さとしが地上に帰って、ユイにあえるかどうかもわからないし、ましてユイと恋人になれるかもわからない。でもさとしは言う。「絶対探し当てて、恋人になるんだ」と。

 私たちにも、若いころ、今でも胸がチクリとする恋がある。喧嘩別れして、何十年もあっていないが、時々逢いたいなと思うときがある。でも、偶然出会っても、お互いがわかるだろうか。そんなことをこの本を読んで感じる。

 それから、本屋の店先で朗読をするサービスは素敵だと思った。目で読んで手に取る言葉と耳で聞いて手に取る言葉は、肌触りがきっと異なり、そんな未知の世界を味わってみたくなった。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

江波戸哲夫   「企業の闇に棲む男」(講談社文庫)

 この作品は、90年代後半バブル景気が崩壊したときに発覚した中堅商社イトマン事件を扱っている。

 慢性的な赤字で苦しんでいた中堅商社イトマンに、メインバンクである住友銀行から河村(この作品では沢村)が社長として送り込まれる。河村は繊維取引中心だったイトマンを居酒屋「つぼ八」グループを買収したりするなどして経営を立て直し、業績を回復させた。

 この作品を読むと、企業を食い物にする悪人の手口というのがよくわかる。

 この会社に入り込んだ当時中部地方を中心にあった冠婚葬祭グループ平安閣を経営していた悪人伊藤(作品では武藤)は、絵画取引を持ち込む。絵画に無知な経営トップを巻き込んで、市価の3倍以上の金額で絵画をイトマンに買わせる。この取引で驚くことは、一部の絵画を住友銀行の天皇と言われた磯田会長の妹の画廊から買うこと。市価180億円くらいの絵を590億円でイトマンは購入。当然、伊藤と磯田は裏でつるんでいて、イトマンから引き出されたお金をふところに入れる。

 同じようなことをゴルフ場開発。不動産取引でも行う。経営が揺らいでいる会社をしゃぶりつくそうとするのである。

 私の勤めていた会社でも、ワンマン社長の息子が社長となり、わけのわからない人間が重役でやってきたり、北海道のレジャー開発など、本業と異なる分野事業に力をいれていたときがあった。思い出すと、かなり危ない時期だったと思いかえし、少しゾっとした。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 16:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

大島弓子    「グーグーだって猫である1」(角川文庫)

 私の家には、犬と猫を飼っている。犬は、夜寝るときふとんにはいってきて、一緒に寝る。
最初は離れて寝るが、朝が近くなると、背中を押し付けてきて、体が触れ合うと安心して、大きな鼾をかいて眠る。

 昼は、猫がずっと私の傍らに座っている。殆ど眠っているのだが、起きるたびに座っている場所を変えないで、体だけをぐるっとまわして座りなおす。思い出したころ、頭をすりつけてきて甘えてくる。遊んでほしいとせがんでいる。その仕草がかわいい。

 この本で知ったのだが、猫はうんちをする前とした後は、ものすごく興奮するのだそうだ。

 猫は、大便は、近くではせず、遠くに行ってする習性がある。その、道すがら、他の動物に襲われないよう、警戒心を強め、興奮しながら大便をする場所にゆくからだ。だから、大便を終わった後も、元の場所まで、やっぱり興奮しながら帰る。

 確かに、今我が家は2階に猫トイレをおいているが、トイレにゆくとき、終わって帰るとき、あちらこちらの家の壁に向かい、興奮しまくって爪とぎをする。家が壊れないかと心配するほどである。

 大島さんは今2匹の猫を飼っている。グーグーとピーである。最初にグーグーがやってきて、その後ピーがきた。グーグーとピーを同じように抱いて可愛がっているのに、ピーを抱いていると、グーグーがいじけて部屋の隅に行ってポツンとしてしまう。どうやっても直らない。どうしてか悩んだ。そしてある日、まずグーグーを抱いてからピーを抱くと、グーグーがいじけないことがわかった。グーグーは先輩である自分から抱けと言っているのだそうだ。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

佐藤正午    「私の犬まで愛してほしい」(集英社文庫)

 佐藤正午の初エッセイ集。

 佐藤の出世作は「永遠の1/2」。この作品ですばる文学賞をとり、作家として世の中にでる。面白いのは冒頭のエッセイの「かなりいいかげんな略歴」。このエッセイ、雑誌「すばる」の載った受賞の言葉である。編集者から受賞の言葉を原稿用紙一枚で書いてほしいとの依頼を受け書いておくる。こんなことはありえないと思うのだが、ボツと言われ書きなおせといわれる。びっくりして改めて書いて送る。これもボツっといわれる。

 今度は完全に頭にきて、ABCと振り分けて3通送る。これでよしと3通のなかの一通が採用される。

 佐藤は私より4歳年下。だから経験している事象も多いし、生活していた雰囲気も似ている。佐藤の中学時代は長崎諫早で田舎だ。

 だいたい自分のことはおれというのが殆ど。それをちょっと気取って教科書にでてくるように、あるいはテレビでみるように「ぼく」などと言うと地方では大騒ぎになる。
 「おめえ、今自分の事ぼくなんて言った。気でも変になったか」なんてびっくりされる。
田舎では「ぼく」はタブーだった。

 クラスには必ず全教科オール5の頭の良い生徒がいた。

 私のような洟垂れ小僧どもがグループで馬鹿を言い合う。子供はどうやって生まれてくるのかと。ああだ、こうだと言い合うが結論がでない。そうすると洟垂れ小僧はオール5の子に、あいつは何でも知っているから、あいつに聞こうということになる。

 そしてあいつに聞くと、きっぱり「母ちゃんの腹を破いて生まれるに決まっている。」と言う。それで、長い間、赤ちゃんは腹からでてくると皆が信じることになる。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

久坂部羊   「破裂」(下)(幻冬舎文庫)

 この作品は現在の医療が抱えている2つの問題を、提起している。

 ひとつは、医療費がこのままの増加をしてゆけば、早晩、国を破滅させてしまう。しかも、その医療費の半分以上が高齢者医療費となっている。

 アメリカには寝たきり老人というのは、日本に比し、圧倒的に少ない。それは、日本人は心臓がアメリカ人に比し強いからなのだそうだ。日本人は、心臓以外の機能や、脳の機能がだめになっても、心臓だけが動く患者が多い。寝たきりで苦しむ患者が多いのである。アメリカ人は心臓が弱いから、死ぬときには心臓がまず止まる。つまりポックリといく確立が高いのである。

 日本人も最近は死はかならずやってくる。ならば、長い間苦しみ、家族に迷惑をかけるより、ポックリ逝きたいという人が圧倒的に多くなっている。

 この物語では、PPP、ピンピンポックリゆきましょうという掛け声とともに、元気のままでポックリ死ぬことを実現し、寝たきりや苦しむことなく、死ぬことを推進する方法の確立と導入を厚労省のプロジェクトが目指す過程を描く。

 その方法は、エリート教授である香村が開発したペプタイド療法を導入する。この療法はある開発薬を投入すると、心臓が突然強くなり、膨張する。だから、寝たきり患者が突然元気になる。しかし、心臓が膨張するに従い、血管がそれにつれ伸びるが、限界に達すると、突然ちぎれ、心臓が破裂して突然死をするという療法である。
 認知、寝たきり、病気に苦しんでいる人にこの療法を使い、元気に再生させ、そしてポックリ逝ってもらおうという方法である。

 命は尊いものではなく、それを止めることも悪ではないという概念にたつのである。

 もうひとつは、医療過誤について。
 医者とは失敗するものである。それにより亡くなる患者も多い。それを、裁判を起こして、医療側と戦う物語が、平行して進行する。そして、医療過誤を告発して裁判で勝利を得ることは本当に難しいことをその物語は教えてくれる。

 2つの問題とも、明快な解決策は無い。しかし、この物語は医療の抱える問題をリアルに読者に提示している。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 16:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

久坂部羊     「破裂」(上)(幻冬舎文庫)

 本全体の感想は下巻を読了後記載します。

 日本の医療費は、2014年にはとうとう40兆円を超えた。これが2030年には140兆円に達すると予想されている。そのうち高齢者医療費が78兆円となり、半分以上をしめる。医療費増大の9割以上が高齢者分であり、一人当たりの医療費も現役世代は15.2万円であるのに対し、70歳以上の高齢者は76.7万円。2010年には寝たきり老人が200万人。認知症老人は210万人、健康保険組合の8割以上が赤字で、毎年30近い組合が解散し、介護保険費用は2000年には4兆3千億円だったが、2030年には12兆7千億円となり、現役世代の負担も現在の3倍に膨れ上がる。公的年金は、現在70歳以上の人の掛け金2.5倍の給付率だが、40歳以下の人は給付拠出倍率が一を切って、掛けるだけ損になる。一部ではこれを若肉老食と呼び、老人が若者を食い物にしている状況を揶揄している。

 こんな文章がこの物語にある。これが現在の医療費の問題の現実である。ここを読むと、最早、問題を解決するには、70歳以上の多くは、早く死んでもらうしかないように思えてくる。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

茂木健一郎 「頭は「本の読み方」で鍛えられる」

明日は、玉置浩二さんの誕生日らしいです。
「彼女はなにかを知っている」とか「プルシアンブルーの肖像」とか歌った人ですね。
貴女は嘘つきな~薔薇♪

音楽の話から入ってみます。
「『誰もが認める美文』『人に伝わる名文』というものもあって、それはどういう表現なのかわかるようになるのは大切なことです。
たとえば、夏目漱石は日本の偉大な文豪だと言われていますが、『そうなの? どこが?』ではなくて、素直に『確かにそうだよね』と思えるでしょうか」
ほう。
「井上陽水さんの楽曲の歌詞は圧倒的にいいし、ユーミンこと松任谷由実さんの歌詞や中島みゆきさんの歌詞も、あきらかにその他大勢のものとは違う(くり返しになりますが、これは「好き・嫌い」というお話ではありません。客観的に見て、優れた歌詞かどうかということです)」
ほう?
夏目漱石のすごさは、ほかの章でも書かれています。先見の明があるといったことです。これは、なるほどと思った。
ただ、歌詞となると、「客観的に見て優れている」はどんなポイントで評価しているのかと、引っかからなくもない。
教科書に残ったり、後世のアーティストにカバーされたり、そういうポイントなら数値化できそうだけれど、「情景が鮮やかに浮かぶか」「余韻が残るか」だと、客観的とは言えなくなる。
3人とも好きな部類に入る作詞家ですが、こうやって挙げられると、「良さがわからない人は、まさかいませんよね?」と挑発されている気分に(^▽^;)

IMG_8778.jpg

最終章の、おすすめの本を紹介する文章は、巧いです。枕草子も、推しています。
作者がメンサに入った話とか、英語の原著を読むべきだとか、アメリカのノーベル賞受賞者が名門大学を出ているとは限らないとか 、グーグル会長やスティーブジョブズがどうだとか、「そんなハイレベルな話をされてもねぇ。あなたや彼らとは、頭の作りが違うんですよ」と、若干引きました。
もちろん、読もうと思っているのに読めない本があるとか、苦手な分野があるとか、赤毛のアンやバカボンが好きだとか、読者を楽しませ歩み寄ってくれている感じはありますよ。
出だしは「まずは一冊読み通してみよう。歯ごたえのある本を読むと、喜びが得られますよ」ですが、到達すべき点はけっこう高いところに設定されている気がしないでもない。

AIは雑談が出来ないという話が、印象的でした。
いつかはできるようになって、介護士も保育士も教師もぜんぶ人工知能になっちゃうんですかね?
もうしばらくは、生身の人間じゃないとムリそうですが。

| 日記 | 22:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

筒井康隆    「偽文士日碌」(角川文庫)

 筒井のところへ、印税を払わねばならないので、請求書を作って送ってほしいとハッピネットという小さな出版社から依頼がくる。数百円、数千円である。何で請求書などきらねばならないのか。いやになる。何しろ住所と宛名がやたら長い。

 「郵便番号 東京都台東区駒形二の四の五 駒形CAビル四F 株式会社ハピネット、ピクチャーズユニット 映像企画部 制作管理チーム 何某様」

 もうこれだけ書いているうちにカッカと頭にくる。

 テレビ朝日からも同様な封書がくる。

 「郵便番号 東京都港区六本木六の九の一 株式会社テレビ朝日 編成制作局制作二部、コンテンツビジネス局 コンテンツビジネスセンター 何某」

 頭にくる筒井の気持がわかる。

 朝日新聞の連載の原稿を送る。FAXでゲラが送られてきて筒井が最終チェックする。これでOKと原稿を送り返すと、ここから新聞社から疑問がいっぱいやってくる。

 何があるんだろうと思ったらこんなこと。

 「頭を垂れる」というのは「あたま」ですか「こうべ」ですか。「こうべ」だったらルビを振ることになる。「神の御前」「おんまえ」だったらこのままでいいが、「みまえ」だったらルビを振るう。「見境いなく」だと「みさか」とルビを振るが、「見境なく」だったらそのままでよい。
 「荒げる」「あらげる」は誤用で正しくは「あららげる」。だから「荒らげる」としてアラとルビを振る。
 「夜驚」にはルビがなく、「入口」にはルビを振る。「人口」と間違いやすいからだそうだ。

 いやあ日本語は難しく、作家も大変だ。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

打海文三   「ぼくが愛したゴウスト」(中公文庫)

 11歳の主人公の翔太。大好きなアイドルグループのコンサートを見ての帰り途中の中野駅で、人身事故にであう。轢かれた人を見ようと群衆の中に行こうとしたところ、男が近付いて「見るな」と言われる。

 この男はヤマ健という。

 ここから、翔太が不思議な世界にヤマ健とともに引き込まれる。驚いたのは、知らないうちに両親も姉にも友達の隆志にもしっぽがある。気が付けば翔太とヤマ健以外皆にしっぽがあるのである。
そして、皆、中野駅で人身事故があったなんてことは無いという。

 翔太とヤマ健は中野駅事故後、まったく現実世界と異なったもうひとつの世界に入り込んでしまったのだ。

 この世界、物語では阿部先生により分析がなされ、現実の世界の他に人間の脳が作り上げたもうひとつの世界が存在するとされる。それがどういうことか翔太により明らかにされてゆくが、もうひとつピンとこない。

 私には、眠っているときにみる夢の中の世界に思えた。翔太はずっと夢の世界で過ごし年を重ねてゆく。それが9年もだ。

 この物語の面白いのは、夢が覚て、現実世界にもどらないところ。パラレルワールドの世界で、翔太は家族や友達と別世界を生き、そして自衛隊員だったあぐりを恋し、抱き合って夢の世界のまま物語が終了する。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 16:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

朱川湊人   「鏡の偽乙女 薄紅雪華紋様」(集英社文庫)

 大正浪漫の雰囲気がよくでている作品。大学がある本郷の学生用下宿。芝居小屋や見世物小屋がたくさん並び、多くの人たちが行き来する浅草。大正時代はこんな雰囲気だったろうなと思わせる。そして、百物語のような怪奇現象はこの時代にぴったりはまる。

 「みれいじゃ」という霊魂が人間の形で登場する。「みれいじゃ」というのはたぶん「未練者」がなまった呼び方。

 人が死ぬ。その人が、世の中にやり残したことがあって、それをやり遂げるまでは死ねないと強く思っている。そんな人が死んだ直後に謎の蒐集家が現れ、蒐集家が欲しいものを与えてくれれば、代わりに亡くなった人を人間の形にして、人間世界に戻し、思いをやり遂げさせてくれる。それが「みれいじゃ」。その際、生きて動けるために、何か他の生き物からその魂を植え付けてもらう。そして、それがやり遂げられれば、その直後に人間の形をした霊魂はバラバラに砕かれ土にかえってしまう。

 月子は、海におぼれて死んでしまう。そのとき、月子は生前強い恋心を抱いていた早稲田の学生の平井に、月子が真剣に取り組んでいた奇術を見てもらう前には死ねないと思っていた。

 画家を目指していたこの作品の主人公槇島と同じ画家を目指している雪華の計らいで、芝居小屋月光館で、月子の奇術をかけ、それを平井がみられるようにした。

 月子は、たくさんの観客がいたが、平井の眼だけをみつめて懸命に演技をした。最後の大仕掛け。白い装束を纏った月子が十字架に磔にされ、あらゆるところを刀でさされ、その都度血がにじんだり、ふきだしたりする。観客の悲鳴が最高潮に達したとき、観客席の最後方の階段に白装束の月子が登場して降りてくる。観客の悲鳴は、大拍手に変わる。そして観客は月子の更なる奇術に大驚愕することになる。

 舞台に再びたった月子が、だんだん壊れて海岸の砂粒に変わる。そこに、一匹の蟹がいる。

 うまいストーリーである。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

打海文三    「時には懺悔を」(角川文庫)

 もし生まれた子供が超重度の障害をもって生まれて来たら。この小説、会話が軽やかでユーモアにあふれているので、重さを感じないが、重度障碍児を抱えたときの両親の困惑や想いをよく描けていて感心する。作者である打海自身が障害を持った子供を抱えているのではないかと想像してしまう。

 主人公の新は二分脊椎症という超重度の障害をもって生まれた。水頭症で異常に頭が大きく、手は動かないし、足も歪んでいた。新を生んだ民恵が、夏にもかかわらず、風防がついた帽子に厚い長袖の服を新に着せていた気持ちがよくわかる。奇形児であることを見せたくないのだ。実家にも後ろめたくて、生まれた子が障害児であることを伝えられない。

 こういった障碍児が生まれたときに最も大切なことは、両親が現実をしっかり受け止めて、2人で頑張って障碍児を育てていく決意をして生活を前に進めることだ。しかし往々にしてこういう場合、衝撃が夫婦を分裂させる。その場合、夫婦のどちらが障害児を引き取っても全くどうにもならない。

 この小説の場合、そんな新を育児室から、子供ができない明野夫婦が拉致したことから事態が複雑に動く。拉致してから夫婦は重度の障害児であることがわかる。誘拐だから、簡単に民恵に返すわけにもいかない。しかたなく、民恵に連絡して「一億円だせ」と要求する。民恵が「一億円は無理だが5千万円を用意する」と答える。そして実家から5千万円を用立て
「5千万円やるからどこへでも連れってくれ。」といらない雰囲気で明野に言う。

 それからいろいろあったが、明野の妻は逃げて、夫が一人で新を育てることになる。それが9年も続く。

 夫である明野が探偵佐竹に追い詰められたときの病院での会話が心に痛い。
「あの子も二分脊椎症なんだ」
「そう・・・。」
「あの子と比べると、こいつは手がかからなくて、楽ちんだよ。」
「どうして、楽なんだよ。」
「動きまわらない。腹をすかせても泣かない。進学、就職、結婚で悩むこともない。」

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 16:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

読書の秋

まだ暑いですがね。

今読んでいるのはこの3冊です。
IMG_8777.jpg

真ん中、茂木健一郎「頭は『本の読み方』で磨かれる」。
まだ数ページですが、「自分にとって歯ごたえのありそうな一冊を読み通す努力をしてみてください」と茂木さんは言う。
そうだよな~と思った翌日に、「ざんねんないきもの事典」という、すべての漢字に振り仮名があるような本を買う。
……ハードル下げてますね。子供が主な対象だろうな。
こういう雑学のつまった本は好きです。
「へんないきもの」もそう。「ゴキブリ3億年のひみつ」も、いくつかネタを思い出せる。

最近、爺やの感想でも良かったみたいだし、なにせ話題の作品だからと、「君の名は」の小説版を開いてみたものの、拒否反応を起こしました。
これは映画を見た後で、振り返りたい人が買うんじゃないですかね? 設定が頭に入っていること前提の。
↑歯ごたえとは別の話だと、読めなかった自分を正当化してみる。
爺やがBLを褒めているのを読むと、娘としては複雑ですが、食わず嫌いしないところはうらやましく思います。

「君の名は」つながりで、Yahoo(Gyao)で無料になっていた「言の葉の庭」を観てみました。
ネットで、「キャラクターの輪郭線の色にまで光の照らし返し、回り込みがしてあって異様……というかアニメーション表現としてすごいなっていう驚きがあった」という評価があって、確かに映像はきれいでした。
濡れたタイルとか、商品のラベルとか、時刻表とか、写真を合成したんじゃないかと思うくらい。
新宿御苑での飲酒は禁止されています、という最後の注意書きがいいですね。

ko.jpg

一回り違う男女が惹かれ合い、色々あってくっつく話です。3年生の「先生じゃなくなるから、振り向いてもらえるんじゃない?」というからかいは正しかった。
エロはありません。(足フェチじゃないし)
裸足で階段を下りるシーンに引っかかり、巻き戻してエレベーター点検中の立札を確認しました。
映像はきれいだけど、雨上がりのマンション外階段なんて、吸殻とかぐじゅぐじゅの新聞紙とか落ち葉とか、裸足で駆け下りるには向かないと思う。サンダルくらいあるでしょうに。
そして、回想に出てくるママにプレゼントした靴も、最後に主人公が作った靴も、なんか微妙だった。
27歳の教師へプレゼントする靴として、星なのか葉なのかわからない飾りの紐がついているヤツは、子供っぽいんじゃないかねぇ。

| 日記 | 23:36 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

朱川湊人    「白い部屋で月の歌を」(角川ホラー文庫)

 主人公のジュンは、主人公の先生で、霊能力者のシシィのもとで、除霊のアシスタントをしている。死んだ人の霊魂が成仏できないで、死んだ場所にとりついている。その霊魂を,一旦、シシィにより、ジュンの体に移し、そこから空っぽの位牌に入れ込んで、その位牌を供養することで、霊魂を成仏させるのである。

 霊魂がジュンの体にはいるという現象は、シシィがジュンに目隠しして、眉間に手をあてると、ジュンの中に白い部屋があらわれ、そこに霊魂がはいってくる。それをまた大きな鉗子を使いシシィが霊魂を捕まえてとりだす。取り出した霊魂が入れられた位牌をリョウという男が寺に持っていって供養してもらうのである。

 ある日、今まででは経験をしたことの無い依頼がある。霊魂と離れた体が、まだ生存している、霊魂が無いから、屍のような状態で生きている、ここに霊魂を戻して、以前の生き生きとした人間に復活させてほしいと。その女性はエリカという美しい女性だった。

 その試みは成功し、エリカは元の人間に復活する。ところがジュンがその面影に恋心を抱き、忘れられない状態になる。

 そして、また別の依頼があり、霊魂を白い部屋にいれようとしたとき、その部屋にエリカの霊魂がいることにジュンが気付く。白い部屋に複数の霊魂はいれることはできない。それで、この依頼については失敗する。

 シシィは怒り、エリカの霊魂を取り出そうとするが、白い部屋にはそれをさせまいとする
ジュンがいて懸命にエリカを掴まえている。そして、シシィは何と誤って、ジュンを鉗子で掴まえ、外へだしてしまう。ここに、供養代がもったいないと、霊魂を成仏させないで、持っていたリョウが登場し、その霊魂がリョウに乗り移り、大変な結末が待っていることになる。

 成仏方法や、手順を間違えるととんでもないことになる。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

加門七海     「猫怪々」(集英社文庫)

 猫は人間以上に徳が高い。猫を飼うと決めたとき、それは人間がその猫を飼うと決めたのではなく、猫がその人間を選んでいるのだそうだ。こいつは、俺を崇め奉り、奴隷となってつくしてくれるかどうか、猫が判断しているのである。

 加門さんが拾ってきた猫の「のの」。その関係はまさに前記の関係。ののにとっては最高の忠誠心をもった奴隷にであった。

 人の能力のバリエーションというのはよくわからないが、霊媒を信じている加門さんのこの「のの」育児記はどうにも読んでいてすっとはいらない。

 夜になると、いろんな来訪者がある。犬がののにとりついたり、猫もとりつく。それを毎晩はがしてやる。手の中で黒い毛の塊がもぞもぞ動く。

 蚊やら黒虫や白い粉、黒い粉が大量にののの体をはいまわったりとりつく。時に草も体から生えたりもする。それを払ってあげたり取ってあげる。こんなことにならないよう、霊媒師に相談をする。最後はののが幽体離脱までする。

 ののは白血病を持っていて体をときどき壊す。そのケアも育児としては、大変なのだが、それ以上に繰り返される怪奇現象に加門さんが対応しているほうがもっと大変。

 霊能力のない私がののを飼えば、これほど大騒ぎの育児記にはならない。何だかこの本を読んでいると、起きた騒動は猫に原因があるのではなく、加門さんが原因で引き起こされているように思った。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 16:48 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

朱川湊人    「スメラギの国」(文春文庫)

 中国の伝説に登場するヒュンという動物。動物なのに、さなぎから生まれる。しかも、このヒュン、敵から襲われ危なそうになると、すぐさなぎに戻り、土にもぐり、危険がなくなるとまたさなぎからかえる。さなぎから抜け出た姿は白い猫。ときどき光を発する。
このさなぎからかえる白い猫のことをスメラギとこの物語では呼ぶ。

 この不思議なヒュン、スメラギを最高権力者と崇め、彼の指示、意向としてルイという猫が、周囲にいるたくさんの猫を集めて、猫を配下にしてこの世の支配者として君臨する人間世界に戦いを挑み、勝ち抜き、人間を配下にして、猫の支配国家スメラギの国を作ろうとする。

 どこか、物語の構造が第二次世界大戦に似ている。誰がどうみても、アメリカを含めた連合軍には勝てないにも関わらず、天皇の威光を傘にして、戦争に突き進んだ軍部。

 猫がどんなに頑張って戦おうが、人間に勝てるわけがない。それをルイがスメラギの威光を傘にして戦争を始める。

 主人公の志郎の車に、ルイの指示で、体ひとつで体当たりして、死んでゆく姿は、大戦のときの特攻隊を彷彿とさせる。

 この本を読んでいるとき、ずっと横で我が家の猫がうずくまって寝ていた。猫は群れず勝手気ままで自由なのが特徴。猫が全体主義を信望して、ある猫の指示により生死をかけるという姿は、ごろんごろんしている我が家の猫からは想像できない。

 猫が殺されるたび、血が飛び散ったり、頭が破裂したり。横では猫が幸せを満喫している。物語を読んでいると、あまり気持ちがいいものではなかった。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

加門七海     「うわさの神仏」(集英社文庫)

 初夢をみるときは、宝船を絵にしているものを買ってきて、これを枕の下に敷いて眠ると、幸運な夢を見るといわれている。
 しかし、実はただ敷いただけではだめなのだそうだ。眠る前に次ぎの呪文をとなえないといけない。
 「長き夜の遠の眠りの皆目覚め、波乗り船の音の良きかな」
そして、枕を三回、ポンポン叩いて、パッと眠る。

 この呪文、濁音を清音にかえれば、下から読んでも、上から読んでも同じになる。回文なのである。終わりなき文章になっていて、魔物の侵入を防ぐようになっている。

 だからしりとりも同じ効能がある。魔物がはいってきそうな気配がしたときには、ずっとしりとりをしていれば、魔物が入ってこない。


 仏にも位がある。一番上が如来。次が菩薩。そして、明王、天部と続く。
如来はパンチパーマで、腕が異常に長く、身長と同じくらいある。舌も長く、おでこを舐めることができるそうである。どことなく、気持ちが悪い。

 菩薩は、ピアス、ネックレスをはじめとして、腕輪、足輪、宝冠までしていて華美である。これは、人の気を引いて、菩提に導くためだそうだ。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

貴様いつまで女子でいるつもりだ問題

爺やの感想はこちら

なかなか鋭いタイトルですね。
30代になって「~な子」「女子」と自分を表現すると、イタい。
とはいえ、作者の結論は、
「女子魂というのは刺青のようなもの。女の心に、死ぬまで宿り続ける指向性・嗜好性・志向性。
不用意に見せればギョッとされるが、見せる相手と場所を限定すれば自己表現のファクターとして有用」
てな感じです。

IMG_8775.jpg

書名やサブタイトルから想像するほど、毒のある内容ではありません。
「私はオバさんになったが森高はどうだ」「ブスとババアの有用性」「やさしさに包まれたなら、四十路」なんて、さぞかし自虐的な内容だろうと思うわけですが、くすっと笑える部分が用意された後味のいい話です。

作者は、自分の仕事や生き方に誇りや満足感を抱いている人です。
爺やの感想にも出ている通り、旅行サイトと老人ホームの案内を別のタブで開くような状況でも、決して自由にやってきた20代30代を後悔まではしていない。
だから、同じく独身の読者がモヤっとしてしまうような、自虐的で耳に痛い内容で終わらないのでしょう。
「頑張らなくてもいいんだよ、と言われたい女性は、そういう意見を参考にしてください。頑張れない自分を責める必要はないし、私の意見がナショナルスタンダードというわけじゃないので」
「お仕事ゲームの第一線から身を引いた女性たちを、こちらの価値観で判断することが下劣だということくらい、私もわかっています。気楽だな~と思うことはありますよ」
というあたりは、『そういうオンナたちとは分かり合えない』というトゲ(あきらめ?)を感じなくもないですが。

男に負けていない姿を想像させる記述や、「失恋で25キロ痩せても普通に生活できるほど、太っていた」「私は、ブス・ババアにデブを加えたトリプルコンボ」という表現、ジェーン・スーというペンネームから、渡辺直美やマツコっぽい姿を想像していました。
……が、ググるとさほど飾り気のない、賢そうな女性が出てきます。

| 日記 | 23:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

朱川湊人   「銀河に口笛」(角川文庫)

 この物語、主人公モッチが小学校3年から4年にかけて、仲間と結成した「ウルトラマリン隊」の活躍を、40歳を超えた主人公が思い返すスタイルで出来上がっている。

 時代は1971年から1973年にかけてだ。たぶん作者の朱川も同じ年齢で小学校時代を過ごしていたと思う。私より一回り年代が若いから、あまり共通する記憶はないが、同じ年代の人たちにはきっと懐かしさがこみ上げてくる小説だと思う。

 それでも、ウルトラマリン隊のテーマソングになっている「銀色の道」は60年代半ばの歌で、なつかしく思い出すし、ウルトラマリンの名の由来になっている「ウルトラマン」シリーズは71年に「かえってきたウルトラマン」が放送され新たに人気を博したし、「海底少年マリン」もあったあったと思い出す。

 「仮面ライダー」で使われ流行った「スーパーメモ」も「水に溶ける紙」も流行った。それに象さんがのっても壊れない筆箱もなつかしい。

 よく当時のことを生き生きとここまで描いたものだと感心する。

 最後、肝臓がんで厳しい手術を行う前夜、宇宙人だったウルトラマリン隊で大活躍したリンダがモッチのベッドの横に現れ、言った言葉に朱川のこの作品への思いがこめられている。

 「だから・・・モッチには、自分の人生を強く生きてほしい。人を憎んだり、自分の不幸を人のせいにしたりしないで、弱いものには優しくて、ズルい奴には負けたりしないで・・・
拳で人を殴るより、同じ手で人と握手できる人間でいて欲しいんだ。」

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 16:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

加門七海    「もののけ物語」(角川文庫)

 非常に不謹慎の話で恐縮だが、こないだ台風10号の被害にあってたくさんの方が亡くなった岩手県の岩泉町という所は、河童がたくさん生息しているということで有名な町である。河童研究者がたくさん訪れ、その捕獲や研究に勤しむところなのである。全く不謹慎の上塗りするわけだが、台風10号では、人間だけでなくたくさんの河童が被害にあったのではないかとずっと心配している。

 「おもかる石」というのがある。ある石に願い事をすると、その願いが叶う場合は、急に石の重さが軽くなるが、逆に叶わない場合は、ぐっと重くなる石である。
 加門さんがそんな石に「きれいで可愛いね」と言ったところ、石は軽くなる。逆に「ばかやろう。いやな石だ」といったところ、持てないほどの重さになったそうだ。

 祭りの翌日、神輿を片付けている。かついでいる人は数人。おかしい。祭りの最中は数十人が担いでいる。それだけの人数で担がないと重くてあがらないのだ。
 そう、祭りのときには神入れの儀式をして、神輿に神様が乗っているのだ。それにしても神様というのは相当重いものだ。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

久坂部羊    「無痛」(幻冬舎文庫)

 この物語は、ありえないことかもしれないことを含めて3つのことを考えさせる。

 ありえないことからいくと、物語のタイトルにもなっている「無痛症」という病気である。

 この物語の殺人犯になっているイバラは生まれつき無毛、無痛症である。殴られても、傷つけられても全く痛さを感じないのである。この作品によると痛いと感じる現象は、人間が危険、危機に陥っていることを知らせる信号なのだそうだ。

 痛いということがわからないということは、マグロを捌くような心持で、人間を刺したり切ったりしても何も感じない。こんな病気の人がいたらかなり怖い。

 次に最近の医者は、人間を診ることはなく、検査データや画像だけをみて診断する。この作品では、この診断のありかたに反逆して、患者を観察しよくみれば病気がわかるという医者を登場させている。そして、医療分野は進歩はしているが、病気の治癒は、人間個々の生命力の強弱によるものが殆どで、医者の治療により治癒することはあまりないという考え方にたっている。患者を観察すれば、病名だけでなく、治癒できるかどうかもわかる医者でてくる。

 確かに、人間を観察して、病気がわかるということはあるかもしれない。

 それから、刑法39条の問題。心神喪失の人は罪を問うことができないという法律である。
この作品が書かれた2003年、不起訴になった容疑者は604人。うち74人の殺人者が含まれていた。

 最近の殺人では刑法39条の適用を狙って、精神異常者を装い、精神科医院にかかり、病気と診察させて、それから殺人を実行する犯罪人が結構いるそうだ。病歴があると、かなりの割合で、刑罰を問われることはないのだそうだ。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 15:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

アンソロジー  「そっと、抱きよせて」(角川文庫)

 実話怪談話として10人の小説家が紡いだ怪談集。

 占いの方法というのは、だいたいは決まっている。手相、タロット、生年月日、名前、水晶玉などが典型。ある女性の占い師。依頼者を抱きしめて占う。そして、その占いがビシビシと当たる。ある依頼者が、占ってもらおうと占い師のところへ行くと「今日はやめましょう」と断られる。その依頼者、占い師のところから帰る途中で交通事故にあって死んでしまう。

 ジンクスというのがある。家をでかけるとき、右足から最初にあるきだすと、いいことが起きるというようなこと。この短編集に、「ホーミー」というささやきが聞こえると必ず悪いことが起きてしまうという話がある。「ホーミー」とは何か。そして「ホーミー」のささやきを聞けばどうして悪いことが起きるのか、真剣に事実を分析して因果関係をつきとめようとする。

 「ホーミー」。モンゴルの歌唱法でもあるような気がするし、英語の「HOLD ME」あるいは「FOR ME」かもしれないと分析、推理は続く。

 しかし、作品を読んでいると、何か変だなと感じる。「ホーミー」の囁きを聞いた直後に悪いことが起こるならわかるが、聞いてしばらく日を過ぎてから悪いことが起こることもある。それを何となく勝手にその悪いことの原因があのとき「ホーミー」と聞こえたからと無理やり結びつけて考えているのではと。日常、「ホーミー」が聞こえていなくても悪いことは起きているだろうし。

 怪談作家は日常行為と出来事の間にあるあやふやな空間を無理やり結びつけようとしながら小説を創造しようとしているのかと思った。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 15:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

藤野恵美     「わたしの恋人」(角川文庫)

 最近の青春小説は、両親が離婚したり、暮らしも乱れていて、それを背景に主人公の子供たちが、極端にとんがり、荒廃した状況を描く小説ばかりで少し辟易としていた。

 しかし、殆どの子供たちは、両親の問題や、暮らしでの問題を抱えても、影響は受けないことは無いが、普通に学校生活をおくり、クラブ活動や、オタク趣味などを通して友達をみつけ、恋に悩み、勉強もして、青春時代を通ってゆく。
 この作品は、そうした、ありふれた高校生を描く。非常に心穏やかに読めてよかった青春小説だった。

 龍樹が森せつなに「つきあってほしい」と言う。
せつなが一日考えてから言う。
 「つきあうってどういうこと」
 「つきあうってのは・・・友達じゃなく、恋人同士になるってことで・・・」
 龍樹はおろおろしながら言う。さらにとんでもないこと
 「つきあってたら、キスとかしても怒られない・・・・」
 「だ、だからさ一般論として恋人同士がするようなこともしてもいいですよということがつきあうということ・・・。」
 「恋人同士がしてもいいことって?」
もう龍樹はあわてふためき、どうしようもない。ここで踏ん張って一呼吸する。そして考えてから言う。この理屈がいかにも高校生の初恋という感じがしていいなあと感じる。

 「おれにとってつきあうってのは、一番好きな相手っていうことで、最優先の存在っていうか、ただひとりの特別な人だって証明みたいなもんだと思う。」
 そして
 「つまり、おれは森さんが好きだから、友達って立場じゃ満足できなくて、つきあいたいっていうのは、俺も森さんにとっての特別になりたいってこと。」
 こんな硬い理屈が、森せつなに「つきあうよ。」と答えさせる。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

加門七海    「平将門魔方陣」(河出文庫)

 平将門は、江戸の守護神として崇められている。どうしてそうなったのか、将門を祭っている神社を歩きながらその謎に迫る作品。

 平将門が生きていた時代、朝廷は地方を統治するということはあまりせず、地方の豪族を国司として任命し、その国司がどんな統治をしようが、税金さえ納めれば関知しないという姿勢だった。だから、やりたい放題の国司が登場する。
 だから地方は、常に混乱していて、争いが絶えず、ここから武士団が発生する。

 平将門は上総の国の国司となるが、任期が終わっても居座り、武士団を結成して、周りの国を征服してゆく。そして、関東八か国の国司を追放、自らを新皇と名乗る。

 ここで朝廷が制圧にはいり、軍を派遣するが、軍が到着する前に地元の武士藤原秀郷、平貞盛により殺害され、反乱が収まる。

 この戦乱の過程に面白く謎めいた話がある。

 合戦の最中にある童子が突然登場する。この童子、将門が不利な状況になると、登場して敵の武士を矢でもって、百発百中で射抜き、将門を勝利に導く。結果将門は童子を崇拝する。

 この童子の正体が妙見菩薩。この妙見菩薩は将門を支援していたのだが、彼が新皇と名乗ったときから、神の座に居座ることは神の冒涜に他ならないとして、寝返り、将門に敵対し、将門は鎮圧される。

 妙見菩薩は天文神。北極星を神格化した神。この北極星がやがて北斗七星の神と変わる。
妙見菩薩は、人間一人ひとりの寿命を決定する。将門は妙見菩薩により寿命が縮められた。

 加門さんは、将門が首を取られ、その首が宙を舞い、最後首塚に落ち祭られるが、その首が通過し、将門が祭られている東京の神社の位置を地図に並べる。そして線を結ぶと、何と形が北斗七星となる。この北斗七星の神社が将門の怨霊を沈め江戸を守っていると考察する。

 そして更に面白いのは、いつその怨霊が江戸、東京に災禍をまきおこすかもしれないからと明治政府は、その神社沿いに線路を敷設して、怨霊を沈めようとした。確かに山手線、中央線、総武線はこの説を証明している。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

乃南アサ   「すずの爪あと」(新潮文庫)

さまざま個性を持つ人間の営み、複雑な心の内面、それによって生ずる人間関係、人間を描かせたら随一の作家、乃南さんの特徴がいかんなく発揮された短編集。

 ぞくっとさせるのが「氷雨心中」。

 主人公の敬吾は山形の田舎で農業をしている。冬場は仕事が無いので都会に出稼ぎにでたいのだが、都会が不況で仕事がなく困っていたところ、守山松造というお祖父さんからの紹介で神奈川の酒蔵の日本酒造りの仕事を得る。守山は敬吾の祖父さんの友達の関係から敬吾に声をかけたらしい。そして守山は酒蔵の杜氏で祖父さんも守山と一緒に昔この酒蔵へ出稼ぎに行っていた。

 祖父さんは、敬吾が5歳のときに亡くなっている。だから敬吾は祖父さんを全く知らない。

 昭和18年冬、祖父さんは、酒造りのタンクに落ちて死ぬ。そのとき、文枝という親方の娘で松造の許嫁が一緒に亡くなった。松造がタンクを覗いているお祖父さんと文枝の背中を押したのが真相らしい。

 そして今、敬吾を訪ねて恋人の朋美が酒蔵見学にきている。2人はタンクを覗いている。その背中に松造の手が・・・・。


 自分の存在を消すことだけに専心している主人公が、本当に存在が誰からも消えてしまう「指定席」。

メールをやりとりしていて、盛り上がり実際に会おうということになり会ってみたら相手は死んでいた「Eメール」。どれも本当に面白い。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 17:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

藤野恵美     「ぼくの嘘」(角川文庫)

高校生のあおいは小学校のときからかすみと大の親友である。高校からは違った学校に通っている。かすみに恋人ができた。年上で大学生の石田君といった。かすみに言われて遊園地でダブルデートをすることになった。あおいは見栄をはり、恋人がいないのに、嘘をついて恋人がいると宣言してしまっていた。

 そこで、風采がもうひとつの存在感がない笹川に頼んで、恋人になってもらい遊園地でダブルデートをした。

 遊園地であおいが躓いて転倒した。石田君が身をかがめたとき、財布から指輪が転げ落ち、あおいの目の前に転がった。あおいは指輪を拾ってポケットに隠した。

 その後少したって石田君があおいに拾った指輪を返せという。

石田君は結婚していたのだ。しかも大学生ではなくて、大学職員として働いていた。
あおいは怒りまくり、かすみに正直に結婚していることを言って別れると宣言してくれたら返してあげるという。

 極まった石田君はかすみに既婚であることと別れると宣言する。しかし、去ってゆく石田君を待ってといってかすみは追いかけてゆく。そして、その日の夜あおいにメールをしてくる。
 「あれから2人で話をして、また仲良くなりました。」と。

頭に来たあおいは笹川を連れて大学にゆき、石田君をよびだし、その場でもう会わないメールをさせ、携帯もかすみからの電話も受信拒否にさせる。

 かすみはその時、石田君を失った。あおいは大親友のかすみを失った。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 17:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

榎田ユウリ  「死神もたまには間違えるものです」(新潮文庫)

 面白い。発想がユニークで、その発想を十分に生かし切っている物語である。

 会社員である高梨広は、会社で高梨さんと呼んでくれる人は殆どいなくて、みんな高橋さんと呼ぶ。自分は高梨だと言い返しても、そのすぐ後からまた高橋さんと呼ばれてしまう。それでもう言い返すのをやめて高橋さんで通してしまっている。つまり圧倒的に存在が薄いのである。高梨の人生、生まれて50歳過ぎまで、ずっと薄い人生。いるかいないかわからない存在が無い人生だった。

 そんな高梨がある日乗り合わせたバスが、おばさんの自転車にぶつかりそうになり急ブレーキをバスがかけた。それで乗客が車内に投げ出され転倒して意識を失う。

 意識が返った4人の乗客の前に黒いコートを羽織った男が現れ、「お前たちはすでに死んでいる」と宣言する。そのバスの乗客は5人。高梨、若いサラリーマンの喜多山、坊主の敬真、女子高生の久留美と医者の天堂が乗っていた。そして天堂だけは死にではいなかった。

 黒いコートの男は自分は死神だと名乗る。確かに死んだ4人は、普通に生活しているのに、氷点下でも夏服で寒さを感じないし、家で転倒し傷になった頭を天堂に縫ってもらっても全く痛みを感じない。体温も測れないほど低い。

 死神は、生きているように行動している4人をこの世から消さねばならないと、そのタイミングを狙っている。それには生きているように行動している4人が、何としても生き抜くんだというエネルギーを発して、そのエネルギーによりこの世から消えるようにならなければ彼らは消えない。そして、高梨を除く3人は、ガンに罹っている妻のそばにいたいとか、本当の友達をやっとみつけたなど、本当にまだ生きたいと強く思い、それをエネルギーにしてこの世から消されていく。

 しかし高梨は、どうせ薄い存在だから、生きていても死んでも構わないという気持ちが変わらない。だから、消えるためのエネルギーが全然湧き出ず、死神が弱る。

 そこで死神は、天堂をマンションの14階から飛び降ろさせ、それを阻止しようとして高梨が必至に天堂を死なせないような場面をつくり、その高梨のエネルギーにより高梨をこの世から消そうとする。

 14階の窓枠に立っている天堂の脚につかまり、必死に天堂を死神の力から守ろうとする高梨。で、高梨はこの世から消える事態にはなかなかならない。そのうちに天堂がたばこを吸う。その煙が、昇って天堂の頭で輪っかになる。そう天堂はなんと天使だったのである。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 16:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

加門七海   「大江山幻鬼行」(祥伝社文庫)

 歴史というのは常に勝者が正義であり、敗者が悪であると語り継がれる。

 京都北の大江山に棲む鬼の酒呑童子を朝廷からみた反逆者として、源頼光、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の5人により征伐させる。まあ、大江山では鉄は採れたかもしれないが、若狭の海にもちかく山のもの、海のものも潤沢にとれ穏やかな暮らしをしていて、とても悪とは思えないのに、征服されただけで、鬼として恐れられ語り継がれる。

 かの桃太郎だって、何の罪もないのに、鬼ヶ島に棲んでいるというだけでその島の人々は、殺戮され、しかも金品まで略奪される。桃太郎は国に凱旋する。とても、桃太郎に正義は感じず、典型的な悪人に思えてしまう。

 鬼をテーマにした物語を書くことを約束した主人公の加門が、全くアイデアが浮かばないうちに締め切りが迫ってくる。何とかしなければと追い詰められていたとき、骨董屋の鬼の文鎮、友達からキアゲハの背に鬼が乗っている写真を見せられ、それに触発され、そのキアゲハがたくさん生息していて、鬼伝説で有名な大江山に旅行。そこで何かがみつかり、小説ができるのではと期待してでかけた旅行記。

 一見SF的展開になるかと思いきや、まあそんな雰囲気もあるのだが、現実には何も起こらない。しかし、訪れた伝説の地のそれぞれで、鬼を慈しみ、鬼からみた視点で、その地の言い伝えを考えたり、古文書の記述を解釈したりする。敗れた鬼の視点が、本当に魅力的で、思わず読者も訪れたくなる。

 鬼となった敗者、弱者に寄り添う作者の思いあふれる物語である。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

真梨幸子   「インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実」(徳間文庫)

 嘘を平気でつく人間がいる。嘘を言っているから当人はその嘘が真実であるように振る舞う。最初は周りの人間はそんなことありえないと思っているから、放っておくのだが、嘘をいっている人間もそれがだんだん真実だったように思い込んで主張するから、周りの人間も感化され、だんだん嘘を信用し、嘘を言っている人間の支配下にはいる。

 ある静岡県下のアパートの一室で、壮絶なリンチの果てに、5人の男女が殺される。犯人は嘘で生き抜き悪の権化のような下田健太だと思われ、起訴され裁判になったが証拠不十分で無実の判決。

 下田健太が犯人であるのは間違いないと確信しているジャーナリストの吉永サツキが、丹念に事件を調べ上げ、下田健太とその母である下田茂子が、5人殺しの犯人であるところまで突き止めるが、その直後に検察は控訴を断念し、下田の無罪が確定する。

 衝撃を受けたサツキはアパートに乗り込み、健太、茂子を殺害してしまう。読者はここのところがしっくりこない。いくら検察が控訴断念したからと言って、何も事件とは関係ないサツキが殺人までなさねばならないことが理不尽に思う。

 殺人は、何かに支配され、それがやってはいけないことだときちんと認識していても、その支配者に逆らうことができずに、殺人までいってしまう。

 この物語には、健太に拉致され、性的おもちゃにされ、更に右耳をそぎとられ、左手の指を切り落とされてしまう、健太の姪っ子美也子が登場する。5人男女殺人事件の関係者で唯一生き残ったのがこの美也子。

 サツキの殺人は、この美也子の壮絶な体験を知るにつけ、徐々に美也子にサツキが支配されることによりなされたとこの作品では匂わせている。

 この殺人鬼シリーズ、次の作品は美也子を中心とした物語になるのではと思う。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ


| 古本読書日記 | 16:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

中谷美紀    「インド旅行記2 南インド編」(幻冬舎文庫)

 女優中谷美紀による北インド編に次ぐ第2弾南インド旅行記。

 ガイドもついている旅行記なので、ディープなインドに出会えるという旅行記ではない。
中谷さん、今はベジタリアンだそうだ。この旅行記の最後では純粋ベジタリアンから逸脱して、我慢できずに魚は食するのだが。肉類は一切口にしない。

 ピーター・コックスの著書「僕が肉を食べないわけ」にも触発されている。

 この本にも書かれているが、動物を慈しむからという理由ではなく、劣悪な飼育環境で虐げられながら家畜たちが、尊厳などまったくない殺し方をされて、極度の恐怖と苦痛からストレスホルモンを分泌して、肉片にはそれが残留しているとこの本には書かれている。

 ストレスホルモン満載の肉など食べたら、ただでさえストレスの多い人間が今以上にイライラして生きにくい世の中になるからだからそうだ。確かに説得力はある。

 あまり、インドらしい場面はこの作品にはないが、それでもいくつかなるほどという場面がでてくる。

 一番びっくりしたのは、フセインガール湖から帰る途中の通りで、通行人の中に全裸の男の人が平然と歩いているところ。男の人も何も気にせず堂々と歩いているし、周りの通行人も全く気にしない。普通の風景として街にとけこんでいる。

 インドの庶民家庭では、ふとんを敷いて寝るという習慣はない。食事をする部屋で、そのまま板の間に寝るのだそうだ。

 あるホテルでクリーニングにだしたシャツがもどってこない。ハウスキーパーに問いただすと、「何とかみのがしてくれ」「このホテルに勤めて12年間ひとつのミスもしなかった。これがバレたら、12年間の一切が泡と消えてしまう。」
 クリーニング代だけでなく、シャツも弁償するなんて気持ちは全くない。これもインド人らしい。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT