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2016年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年09月

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酒井順子 「この年齢だった!」

「古今東西の有名女性27人の転機となった年齢にスポットを当て、その人生を読み解くエッセイ集」
だそうです。

妻の若い愛人が同居するのを許す(岡本かの子)
妻をパリに送り出し、カネオクレの連絡にも応じる(森英恵)
弁護士を目指して、妊娠中も出産直後もがり勉している妻を応援(マーガレット・サッチャー)
こういう協力的な(?)旦那を取り上げる一方で、仕事も娘も旦那に奪われたという金子みすゞの話も入っています。

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紫式部35歳、清少納言28歳、も出てきます。
酒井さんは、清少納言は「持ち前の才気と明るさで女房生活を大いに楽しみ、一流の男性貴族たちとも当意即妙のやり取りを楽しみ、人気者だった模様」と書いています。
「はなとゆめ」には、日の光の下で侍るのを嫌がって『葛城の神』というあだ名をつけられたり、身分の高い男性に話しかけられてしどろもどろになったり、自信がつく前の姿も出てくる。

彼女より年下で内向的だった紫式部は、「清少納言は、教養をひけらかす鼻持ちならない女。女は「一」という字も書けないフリをしなくては」と、日記に書いているらしい。
源氏物語には光源氏の詠んだ歌が書かれているわけで、紫式部も教養やセンスに誇りを持っていたとは思います(^▽^;)
高校の授業で「山月記」をやったとき、国語の先生が「中島敦が、『秀才』の李徴に吟じさせた漢詩は、そんなに巧くない」と突っ込んでいました。
あれは、虎になってから年月が経っているし、友人も「第一流の作品となるには何か足りない」と引っかかっているし、まだ逃げ道がある。
光源氏は、何をやらせても第一流じゃなきゃいけない。作者に自信がなきゃ、あんなヒーローは設定できないでしょう。
(書き写されていく中で、手直しされた可能性もあるんじゃ・・・)

あと、私はあと20年生きたとしても、向田邦子並みの具体的な遺言は書けない気がする。

| 日記 | 22:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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榎田ユウリ   「妖琦庵夜話 空蝉の少年」(角川ホラー文庫)

 「妖琦庵夜話」シリーズの2巻目。

 見た目、行動は人間とほぼ同じにみえるが、人間とは異なるDNAを持つ妖怪ならぬ妖人がいることが明らかにされる。

 この妖人のなかで、悪鬼であり反社会的妖人が青目甲斐児。女性ならば誰でも虜にさせてしまう美丈夫。発生する香しいフェロモンで次々女性を犯しては捨て去る。そんな反社会的行動のため、社会的あらゆる集団からはじきだされ冷たい孤独のなかにいる。そのため、人間社会を敵と断じ、憎悪し、いつか人間社会を破壊しようと思っている。

 今回の作品では、孤独にさいなまれ深い闇の中にいる青目が、自分の連れを妖人の中でみつけ、孤独をいやすとともに、人間社会の破壊を一緒にできる妖人にしたてあげようとすることが、底流に流れる。

 その被害にあったのが13歳の照子。照子は咲耶と双子の姉妹。母は妖人で≪件≫という。≪件≫は未来がすべて見通せる能力を持つ。それで母は占い師になり、評判をとる。

 照子、咲耶姉妹は幼いころ両親が別れ、咲耶は母に引き取られ、甘えん坊で不自由のない環境で育てられるが、照子は父親に引き取られ、この父親がぐうたらで、ごはんも満足に食べられない悲惨な環境で育つ。

 この双子の姉妹に青目が近付く。しかし咲耶は妖人ではないことがわかり、妖人である照子に近付き、悪人になるように照子に吹き込む。そして、最後、にっくき咲耶を青目が拉致し、その場で照子に刺し殺すよう催眠をかける。しかし、結局照子は実行はできなかった。

 それは、照子が少女であり、女性になっていないため、青目が誑かすことができなかったからと、榎田は物語で言っている。

 それにしても、物語には直接関係ないがスミレという二口女と称する妖女が登場する。大量の食事を摂取しないと脳が不安を感じる物質を分泌するのが特質。たまたま実家が農家だったからよかった。もし、農家以外の家に育ったら家は完全に破産していた。なにしろ朝ごはんのために10合のご飯を炊くのだから。

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| 古本読書日記 | 16:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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さだまさし    「日本が聞こえる」(講談社文庫)

 本当の事かどうかわからないが、人が母親の胎内からでて、最初に「オギャア」と声をあげる。この最初の「オギャア」で、人は初めて肺の中に空気を送り込み、そして2回目の「オギャア」で空気を外に排出する。実は、このとき取り込んだ空気の一部が、ずっと肺の中に残っているそうだ。なかなかロマンあふれる話だ。80年生きれば、80年間も生まれたときの息吹が体の中にあるのだから。こんな、話を綴りながら、さだの最後の落ちはロマンの心を破壊する。

 だから、赤ちゃんが誕生したときは屁をしないようにと。赤ちゃんが一生臭くなってしまうから。

 最近は、何でもオタク単位に関心が固まる。環境も平和もそのテーマに関心がある人だけが固まり、問題の関心も深くなるが、それが拡散せず、一般の人々の間に大きな壁ができる。

 シールズもそんな感じで始まったように思う。だから、ものすごく盛り上がったように書くマスコミもあったが、客観的にみれば、ごく一部の塊が活動していた状態だ。特にそこに、色んな意志を持った一部のマスコミや、燻っていた学識者が被さって利用してしまったために、更にシールズは一般から離れてしまった。

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| 古本読書日記 | 16:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小路幸也    「うたうひと」(祥伝社文庫)

 私が通っていた会社がある街に「フレンチクウォーター」というスナックがあった。よく町場にある普通のカラオケスナックだったが、店主と奥さんはとても地方都市にいるような人ではなく、あか抜けた人だった。ギターもすごくうまかったし、ウクレレも店にあり、時々演奏をきかしてくれた。

 旦那さんの名前は桜井輝夫といった。色々馴染みになるにつれて、話をするようになり、この桜井さんが東京で以前、米軍キャンプなどで、バンド演奏をしていたことを知った。さらに驚くことにそのバンドの名前が「ドリフターズ」だった。桜井さんは、いかりや長介さんの前のドリフターズのリーダーだった。

 ドリフターズは、夜のクラブなどで演奏するには、まあそれなりのレベルがあり、問題なかったのだが、プロとしてはあまり上手ではなく、しかたないので、演奏に笑いコントをいれて凌いでいた。そこに、米軍キャンプからの出演依頼がある。とても、まともな演奏はできないということで、彼らはギャグを中心に客を大笑いさせることに集中した。

 これをたまたま見ていた、TBSのプロデューサーが、彼らをテレビで使うことを決め、出来上がった番組が「8時だよ全員集合」という後のお化け番組だった。

 桜井さんはテレビにでることに限界を感じリーダーをいかりや長介さんに譲って、ドリフターズを離れ、私たちの街に帰ってきた。

 ドリフターズの最高のパフォーマンスは、あのビートルズが来日公演をしたとき、前座を務めたこと。たった1分15秒だったけど。そのとき、ビートルズの楽器とドリフターズの楽器が両方セットされていたのだが、ドリフターズは間違ってビートルズの楽器を使って演奏してしまう。

 この作品集の中の「明日を笑え」は私の青春時代とビートルズ、それにドリフターズと桜井さんを思い出させた。

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| 古本読書日記 | 16:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山口昭    「債権者会議」(幻冬舎文庫)

 著者は94年に勤めていた東急エージェンシーインターナショナルを辞め、広告代理店であった(株)アルファボックスの青山社長に請われて、副社長としてアルファボックスに入社した。そして、アルファボックスの経営状態がおかしくなったとき、青山社長に代わり社長についた。そして経営建て直しをはかったが、その6か月後にアルファボックスは倒産した。

 この作品は倒産するまでの経過と倒産後について山口が描いたドキュメント作品である。

 通常倒産すると、社長は弁護士をたて、弁護士の指導に従い、債務処理にあたる。しかし、山口は、倒産に至るまで、倒産後の対応をすべて自らがぜんめん前面にでてたち行う。責任感が強いといえば、それまでだが、倒産処理というのは、とても一人では行えないほどの業務がある。債権者への対応、売掛金の回収、従業員への給与保障、社会保険、健康保険への対応。事務所の清算と仮事務所の設立と移転。事務所の残材の処理など。

 正直、中小企業の会社社長になる人は、ひとりよがりで、自分ほど苦労している人間はいないというナルシストの人が多い。

 この作品は、山口のナルシストの部分が色濃くあり、ちょっと読んでいて引き気味になる。

 彼には守るべき家族もある。築いた人間関係もある。ひとりよがりにならず、そういったところまで視野を拡げて対応すれば、もっと違った道があったのではと感じてしまう。

 辛い、俺はこんなにやっているのに、それを渾身の力をこめて訴えているが、まったく伝わってこない。

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| 古本読書日記 | 16:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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湊かなえ     「山女日記」(幻冬舎文庫)

 登山が今はブームらしい。中高年の人たちが体力増進のために登山をすることは、理解できるが、山ガールと言われる若い女性たちの登山者がものすごい勢いで増殖中なのである。多くの人たちが山の自然や風景に魅せられ、登山での感動を味わいたくて山へ山へといざなわれているのだろう。

 私は山国で育っている。山はいつも身近にあり、生活の一部になっていて、殊更登山をしてみようということは無かった。でも、どうしても山に行かねばという衝動にかられるときが今までに何回かあった。

 それは、人生落ち込んで、もうお先真っ暗、どうしようもないという時に、山へ行こうと思いでかける。一人で登山道を行くが、周りの風景なんか見えず、「バカヤロー」「何でこうなっちゃったんだ。」「もうだめだ。」と現実の自分の情けなさばかりを思い出しながら進むだけ。山小屋でも眠られず、ずっと嘆いているだけ。

 この連作短編集も、私のような現実の苦悩が引金になって山登りをする女性たちを描く。
だからタイトルも山ガールでなく山女となっている。鮮やかな登山場面も描かれるが、山に現実をもっていって、現実にどう向き合い、どう吸収してこれからを過ごそうかということが描かれる。

 作品のなかでは「トンガリロ」が印象に残る。

 男はニュージーランドを主人公とトレッキング中、その美しさに取りつかれたのか、自分に酔いながら、夢を語る。主人公はその夢をかなえてあげ、一緒に彼と歩んでいこうと決意する。

 主人公は勤めていた旅行代理店をやめ、専門学校に入り直し、帽子をつくりだす。彼はいつまでも企業で働き、夢に向かって踏み出そうとしない。彼女がたまりかね聞くと、「バカじゃない。帽子屋になんかなるなんて。お前の持っている人生の枠と俺が持っている枠とは全然違うんだ。」と。

 自己陶酔している男のたわごとは物凄く格好良く思えるが、これが実にいい加減であることを肝に銘じておかねばならない。

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森瑤子    「カナの結婚」(集英社文庫)

 とにかく森さんと私では住んでいる世界が違いすぎる。物語の世界は想像できるが実際こんな世界があるのだろうかと半信半疑でこの作品を読む。

 主人公のカナは高校教師の慎と結婚して2年。慎が地方の高校に転勤になるが、ついてはいかない。小島という男と不倫をしているから。小島にも家庭があるから、小島を恋しているわけではない。小島との関係を続けているのは、慎に比べ、SEXがとても上手だから。

 カナの母は夫と別れ独りぐらし。伊作という俳優をくわえこんで付き合っていたが、この伊作との関係が行詰まり、伊作は母のもとをさる。しかし、母は伊作を懸命に探そうとする。

 伊作は一番みつからないだろうと考えカナのマンションに居候しようとする。それを、カナが受け入れるから私のような人間にはわからない。

 更に、このマンションに休暇になり、慎が帰ってくる。少しさざなみは立つが、慎、伊作、カナの3人が同居する生活が始まる。

 小島が主催するパーティがある。小島、カナ、伊作が参加者の中にいる。伊作が小島の妻とプールの陰で抱き合う。それをみたカナは、伊作に帰りが一緒になり、ホテルで抱き合う。

 カナがマンションに帰り、留守番をしていた慎に言う。
「私、伊作と寝たよ。」と。こんなことを平気で言うことも信じられないが、これで、ひと悶着あるかと思えばそうではない。
 すこし、2人にやりとりがあって、カナはどうして伊作と抱き合ったかを説明する。
「あなたが今でも捨てたものじゃないことを証明をとりつけるためにそうするの。」

 とても尋常では考えられない会話。
 それで、カナは慎の子供がお腹にいることを告白。慎と子供を支える要になることを宣言する。とても信じられないが。

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関口尚     「ナツイロ」(集英社文庫)

 主人公の田中譲は大好きな千春を、大学で同好会仲間の野渕に獲られた。しかも、獲られた後の同好会の飲み会で、野淵に悔しかったら俺を殴れと挑発されたが、何もできなかった。

その時、譲の気持を作者関口がこう表現する。

 「奪った野淵が悪いわけだが、男として敵わない相手だからしかたない。千春の心変わりも憎いが恋愛なんだからこういったこともある。そんなふうに自分に言い聞かせてぱたぱたと蓋を閉め、何重にも包んで心の奥底に沈めてきた。飲み会で野淵に殴れと言われても殴らなかった。くだらない暴力沙汰にしなかった自分は偉いということにして、自分を守ってきた」

 我慢したのを悔やんでも、だからと言って殴り合いをしても、落ち込む現実は同じかもしれない。ただ、わからないのは、ここまで馬鹿にされ、誰からも声をかけられることもなくなり、逃げ場のない中学校や高校でもないのに、同好会を譲がやめない。どんな心境で、自分を納得させ、同好会に参加していたのだろう。少し不思議。

 どんなことがあっても、自分は我慢する、言いたいことは言わない、妥協して過ごす。こんな譲を、シンガーソングライターを目指す、自己中心の塊である、リンがゆさぶり、ふりまわすだけふりまわす。それで、これではだめだと少しは思い強くなったように見える譲・

 しかし、譲は少しは変わったのだろうか。でも、同じことが起きて、野淵にばかにされても、やっぱし、譲は同じように我慢してしまうように読んだ後感じた。

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玉村豊男    「料理の四面体」(中公文庫)

 まったりとかほっこりなど、よくわからない味覚の表現ばかりの料理本もどうかと思うけで、そんな味覚表現が全くない本もあまり食指が動かない。この本は、後者の本である。たくさんのレシピが紹介されているが、これはなるほど自分で作ってみたいとか、食べてみたいという思いがまったくわきあがらない。

 料理とは何か、どこからきたのかという論文に近い。

 仏語で料理という言葉は「CUISINE」という。これは英語の「COOKING」と同じ言葉である。意味は「加熱する」ということである。だから、シェフなりコックという人たちは、加熱する工程がない料理はしないのだそうだ。サラダや生の素材を混ぜ合わせて提供する料理はつくらない。オードブルなども作らない。

 ローストビーフは、火を直接あてないで、焦げ目をつけずじっくり火であぶることによりできあがる。玉村は言う。オーブンなんか使わずにガスコンロでもできますよと。肉の塊に棒を通して、ガスの火の上で棒の両端をもって、ぐるりぐるり1時間もまわしているとできる。
とても、そんなことをしてまでローストビーフを作る人はいるようには思えない。

 サラダというのは、原則生の素材に衣なるドレッシングを施し作る。だから刺身もりっぱなサラダであるという。確かにそうかもしれないが、何か刺身をサラダと言われると、刺身の有難味がぐっとなくなってしまう。

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「はなとゆめ」

爺やの感想にある通り、このブログのタイトルは犬2匹の名前です。
昔は、「はなとゆめ+5」 だったんですが、猫が老いて5匹から2匹に減りました。
もっと言えば、「はなこ」の後から来た犬が「ゆめこ」になったのは、白泉社の漫画雑誌があるからだと思う。

さて、清少納言です。
・平安時代の人で、「枕草子」を書いた。
・紫式部とは、仕えた主人が違った。
今まで持っていた知識としては、そんなものでした。
橋本治や酒井順子の、軽い古典入門書は読んだような気がするけれど、あまり覚えていない。
読み終えた後(日付が変わっていた)wikiで調べ、実際にこういうドラマがあったんだな~と驚きました。

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一番驚いたのは、清少納言と中宮定子の年齢差ですね。
桃尻語訳が存在するくらいだし、宮中で働く女は若くなくちゃいけないイメージだったので、清少納言が子持ちアラサーで女房になったというのは意外でした。
で、17歳の女主人に感激し、「人の才(華)を見つけることに長けた、なんてすばらしいお方。生きながらにして浄土にいるようだわ」とべた褒めしたり、
年下の上司(もちろん女)にマナーを注意されたり、いったん里に下がって子供を産んだり。
そう、子供。作中で2人産んでいるんですが、定子様のことで頭がいっぱいで、わが子を想うような記述はあまりない。
このころは、自分で子育てしなかったみたいですしね。

あと、中宮定子の父親が「私は金もあるし顔もいい。あと足りないのは知恵だから、結婚するなら賢い女にしよう」と妻を選んだのが面白かったです。
そのうち、遺伝子レベルの相性を調べられる時代が来るとは思うんですが、娘が出世の道具になるこの時代は、今以上に「かけあわせ」を重視していたんだな~と。

定子が命がけで産んだ娘は早死にし、皇子も藤原道長に邪魔されて東宮にはなれなかったという史実。まぁ、そんなものかもしれないですね。
序章と終章で、
「すぐにしぼんでしまう朝顔ならば見ないほうがいい? 長続きしない栄華なんて、知らないほうがよかった? 私はそうは思わない。すばらしい華を見せていただいて幸せだった」
てなことを清少納言は言う。
……どうでしょうね? バブルの金銭感覚が抜け切れず、みじめだと笑われるくらいなら、最初から最後まで地味に暮らしたほうがいいような。
↑なんか違う。

| 日記 | 12:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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映画を見る秋

読書は止まり、休みには漫画読んだりB&Gで歩いたり。
昨日はDVDを2枚借りてみました。

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まず、「プリシラ」。
職場の昼休みにネットサーフィンしていたら、ミュージカルの宣伝(日本の)が目に入ってきた。
幼き頃、シネマハンドブックを見るのが好きだったせいか、映画のタイトルは記憶にあったのですが、内容は知りませんでした。
ちなみに、ハンドブックは唇(エロ)やハイヒール(悪女)のマークがついた、刺激的なあらすじを探して読んでいました。「プリシラ」はたぶん、涙とか音符とかのマークでしょうね。
ヒューマンドラマの棚ではなくコメディの棚にあったけど。
繰り返し見たいというほどではないけれど、いい内容でした。音楽がノリノリです。ヤングマンの元歌くらいしか知らなかったけれど、楽しかった。

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どこかのレビューでもツッコミがありましたが、息子がいい子すぎるかもしれない。いくら母親に説明されていたとしても、父親がドラッグクイーンであることをあんなさわやかに受け入れるだろうか。
あと、途中で追い抜いて行った女性が気になる。
プリシラ号が出発するとき、一人で走って大陸横断するという女性の出発式もしていたので、たぶんその人だろうと思うのですが、何か意味のある演出なんだろうか……。

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もう1枚が「トッツィー」。
真夜中に死んだ、カーボーイじゃないほうの人が主人公。
売れない俳優が役(金)欲しさに女装してオーディションに臨み、合格し、人気が出ちゃったというコメディ。
前半はよかった。ダスティン・ホフマンの化けっぷり、演じ分け、納得のいかない脚本をアドリブで覆す姿が、単純に面白い。
ただ、なりゆきで寝てしまった女友達にうそをつき、女の姿で出会った可愛い女性にのめりこんでいくあたりが、どうにもこうにも。
自分がかつて使った、「他の女と会わないとは言っていない。嘘も時には必要さ」という言葉を、女の姿でいるときに別の男から聞かされるというシーンがあるけれど、反省・・・・・したのかねぇ。
言い訳する姿にうんざりし、早送りして、生放送で男であることをバラすというクライマックスを見て、後処理部分は確かめずに返却してしまった。

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女友達の振られ方、別れる時の啖呵は、なかなか格好いいです。
なりゆきで寝てしまった時も、
「こうなってしまったら今までのようにはいかない。期待したくないから、これっきりにするというのならはっきりそう言って」
と予防線を張る。
主人公は「そんなこと言うなよ。明日の夕食は一緒に」と言うが、風邪だとごまかしてキャンセル。(その次も、本命の女と会っているうちに約束を忘れ、2時間以上遅れる)。
別れるときは、
「本当のことを言って。そうすれば、今ほどみじめじゃないわ。自尊心は保たれる」
「わかった。嘘はやめよう。他に好きな女が・・・」
絶叫。
「僕も君も「愛してる」なんて言わなかったじゃないか」
「そんなのは単なる言葉よ。私、「第二の性」を読んだんだからっ!」
てな感じ。
で、仕事とプライベートは別だから受けた仕事(舞台)はやると言い、主人公が機嫌を取るためにプレゼントした好物(チェリーチョコ)もしっかり持ち帰る。
彼女とくっつく終わり方にしたほうが……まぁいいか。

| 日記 | 17:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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イノサンとベルばら

同時代を扱っていて、マリーアントワネットとか、フェルゼンとか、男装した麗しい女性とか、出てきます。
ベルばらのほうは、無料立ち読みの対象になっていた1巻しか読んでいませんが、読者が少女なのでわかりやすく描かれていますね。
デュ・バリー夫人が意地悪だったり、マリア・テレジアが娘を案じるいいお母さんだったり、ルイ16世がぽっちゃり体型のいかにもイケていない男性だったり。

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バラはバラは気高く咲いて~♪

こういう漫画ってどこまで史実なのかわからんものなのですが、「デュ・バリー夫人とデキていた過去があったため、シャルル・アンリ・サンソンが処刑をためらい、息子にやらせた」というのはまぁ、wikiに載っているし、事実なのでしょう。
だから、彼女は早い段階から登場して、体を武器に上り詰めた様子が描かれています。
ベルばらの1巻だと、アントワネットと対立するおばさんという印象しかない。
そして、マリア・テレジアは「私をフランス国王の祖母にしなさい」とアントワネットに性技のレクチャーをし、道を踏み外した女の末路について怖い顔で語る。
ルイ16世は、愁いを帯びた美青年(初登場時は病弱な美少年)に描かれています。
全体的に耽美かつ美麗な絵ですが、フェルゼンよりルイ16世のほうがハンサムです。

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眉毛フサフサ?

女装している男性騎士が出てきて、「マリー・ジョセフと対比させるために出した、オリジナルキャラだろうな」と思ってググったら、シュバリエ・デオンは実在していました。あ、サド侯爵くらいは私だって知ってますよ。
ミュージカル風にセリフが流れたり、適度に下品(王女も、庭でウンコしてたんだなぁ)で力が抜けるところがあったり、いい作品です。
残酷描写があるので、人には勧めませんが。
あと、この時代ってこんなに乳房を露出していたんですかね? 乳首さえ隠れていればいい、みたいな(^▽^;)

| 日記 | 16:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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吉本ばなな他     「発見」(幻冬舎文庫)

 発見ということをテーマに作家たちが書いたエッセイ集。

 三島由紀夫が「仮面の告白」で書いた、母親から生まれてくる時のことを記憶しているまでにはいかないが平野啓一郎は、2歳半のときから、異常にたくさんのことを記憶しているらしい。

 色々前後のことが混ざり合っているとは思うが、小学校3年のときの5月12日と日まで特定して、特に何か変わったことがあったわけでもないのに、朝目覚めてから、夜寝るまでのことを逐一覚えているそうだ。

 これはこれで大変なことのようで、年がら年中、過去のことが降っては湧いて出て、重圧になるようである。そんなことを考えれば、どんどん忘れていくことの方が健全な人間だと彼は言う。正直、過去には楽しいこともあったかもしれないが、どうにも辛い、面白くなかったことが多い。私の場合など健全以上に忘れたいくらいである。

 ところが最近は、デジカメやPCの進化で、手軽に写真をとり、保存や、ブログへのアップ、メールができるようになる。どうでもいいことを、熱にうなされるがごとく、写真にとり、保存、メールをしている。記憶などという生易しい時限を遥かに凌駕している。

 忘れることが健全な人間の姿なのに、今の一挙手一投足が写真となって保存され、完全に忘れ去られるということがなくなった。
 事細かに積み上げられた過去が記録されているということがどんなことを将来生み出すのだろうか。少し不安である。

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平松洋子    「買物71番勝負」(中公文庫)

 このエッセイに書いてあるけど、物品を買うときの心がけ「長く大切にしたいから」「いいものを大事に使いたいから」「質のいいものをもちたいから」。何だか少し嘘くさい。

 女性にとっての買い物とは、レクレーションであり、心の欲求を満たすための衝動であるような思いがする。

 平松さんのように、「吉野家」も「松屋」も知らない、貧乏知らずの人にとっては買い物は欲望を満たすための手段である。

 現在は、東京に住んでいれば、どんなものでも専門店めぐりをして手にはいる。更に通販カタログが山のように送られてくる。パラパラとめくる。これいいじゃんと購入。これにネットでも、テレビショッピングでもさあ買え、さあ買え、今がお買い得と煩いくらい24時間がなりまくっている。それだけ、購入手段も広がっているし、商品の選択幅もひろがっている。実に買うことが簡単になっている。

 お金の心配が殆どない平松さんは、買って買って買いまくっているご様子。前記で書いたようなショッピング方法だけでなく、通常うさんくさいと感じるのだが、訪問販売の人からスウェーデン製の掃除機まで購入している。これが何と23万円。

 日本も人口減少社会にはいり内需拡大といっても難しくなっていると言われるが、方法はわからないが、少し女性の人たちの財布の中を豊かにしてあげれば、内需はまだまだ拡大するのではとこの作品を読んで思った。

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| 古本読書日記 | 16:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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浅田次郎    「ライムライト」(集英社文庫)

チャップリンが初来日したのは1932年5月14日。翌日の5月15日には犬養首相が暗殺される5.15事件が発生した。この事件と、チャップリンの訪日をくっつけて浅田が物語を作る。この発想力が素晴らしい。しかも、物語を読むと、本当にこんなことがあったのではと読者に思わせる、文章が持つ臨場感に圧倒される。

 5月14日神戸港につき上陸したチャップリンは翌日、東京へ移動、帝国ホテルに宿泊。その夜、夕食を犬養首相と官邸で行うことになっていた。当時は、軍部の一部にアメリカとの戦争をすべきという主張する者がいたが、無謀ということで犬養首相をはじめとする政府に抑えられていて、不満が鬱積していた。

 そこで、鬱積者たちは、夕食会になだれこんで、犬養首相のみならず超一流米国スターのチャップリンを殺害すれば、日米開戦が実現できると考え、それを実行しようとした。

 この謀反行動を事前に察知していた白井検事が、夜盗安吉一家にチャップリン暗殺を防ぐように依頼する。そこで、変身の達人、百面相の常次郎がチャップリンに変装して、官邸に向かう。犬養首相は暗殺されるが、チャップリンは難を逃れる。

 この過程が実に生き生きと目の前に展開するように流れる。

更にとどめ。常次郎が官邸に行っているとき、本物のチャップリンはどうしていたのか。相撲を見学。その後浅草の映画館帝国館にゆく。

 実は理由はわからないが、名作「街の灯」は1931年に全世界公開されているが日本公開は1934年。この当時は未公開だった。

 帝国館の娘映子は10歳で、チャップリンの大ファン。お父さんは満州に応召されてひとりぼっち。そのチャップリンが帝国館にやってきて、たった一人の観客映子のためにパントマイムをしてくれる。舞台から降りてきて、一輪の花を映子にプレゼントする。それはまだ見ぬ「街の灯」の最後の感動シーンのように。

 ここまで盛り上げて最後に浅田は強烈なユーモアを放って物語をしめくくる。

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| 古本読書日記 | 16:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平松洋子    「焼き餃子と名画座」(新潮文庫)

平松さんが、瀬戸内海を旅行中、連れの人に聞かれる。
「銀座で一人で食事するならどこがいい?」と。

そこで。平松さんは「ソバ屋がいいなあ」と反射的に思い浮かぶ。そしてソバ屋について平松さんの感慨が書かれている。

「そもそも、ソバ屋ほどひとりのときに気楽な場所はない。お客の基本単位はひとり。それに、ぐずぐずしていたら蕎麦はあっというまに伸びてしまう。長っちりはよして、とっとと食べて、さっさと立つ。
 ところが、その反対の使いかたもできるところが蕎麦屋の面目躍如たるゆえんである。板わさ、卵焼き、蕎麦味噌。ちまちましたものを卓に並べ、ビールを飲む。ちびちび熱燗を啜る。ご隠居さんが昼間からのん気に徳利の首をつまんでいるすがたがいちばん似合う。」

 いつからだろうか。ランチタイムなどという習慣ができて、夕食の始まる前に営業をしなくなったのは。
 昔はソバ屋というのは、おいしいお酒を置いていて、昼に熱燗を楽しめるところだった。まさに平松さんが指摘されている場所がソバ屋だった。

 最近は年寄りが多数を占める社会になった。年寄りは昼にお酒をほろ酔い加減で家に帰り、相撲をみながら簡単な夕食をとり夜8時には床につく。そして5時前には起床する。

 これが生活のリズムである。年寄りに近くなった私には、昼下がり暖簾をくぐれて、一杯できるソバ屋が欲しい。

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| 古本読書日記 | 16:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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新海誠    「小説 君の名は。」(角川文庫)

 田舎で暮らしている三葉と東京暮らしの瀧は、眠っているうちに不思議な夢をみて、起きると互いの体が入れ替わっていることがある。三葉は瀧になって東京にいるし、瀧は三葉になって田舎にいる。替わったときには、体の構造は変わっても、自分が瀧に或いは三葉に代わっていることがわからない。周りの風景や、友人たちに係って自分が変わっていることを徐々に知る。しかも、実は2人には時差があり、三葉からみれば瀧は3年先の未来からきている。

 しかも、三葉の住んでいる糸守町は、3年前、1200年周期で地球に接近するティアマト彗星が分裂して隕石が落ちて町が全滅して、三葉も含め住民500人が亡くなっている。

 これを、瀧が三葉の体にはいりこんで、隕石が落ちることを町民に教え、大被害を防ごうと歴史を変えることに挑むところが一つの読みどころ。
 普通の物語では、歴史は変えられないから、挑戦は失敗するのだが、この物語では奇跡が起きて、挑戦は成功し、全員の町民が救われる。

 しかし、もっとこの作品の面白いのは、三葉と瀧が入れ替わるたびに、日記がのこされ、それを読んでいるうちに、互いに恋心が生まれ、どうしても会いたくなる。果たして、うまく出会えるのか、ここがこの作品の読みどころ。
そして、ここでも奇跡がおきた。

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| 古本読書日記 | 16:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平松洋子    「平松洋子の台所」(新潮文庫)

 この作品に建築課の郡裕美さんのエッセイが引用されているが、平松さんの家を訪れたときその小ささにびっくりしたと表現している。

 それ本当?とこの作品を読んで思う。

 料理研究家となると、どうしても美味しいものを作りたいと、調理器具や盛り付け皿、器などにどうしても凝ってしまう。平松さんはとにかく海外旅行が好きだ。その行く先々でおいしい料理を頂く。すると、どんな器具でそれを作っているか知りたくなり、調理場を訪ねる。
で、そこにある調理器具をどうしても欲しくなり、おとずれた場所から、色んな器具やら盛り付け皿を買ってくる。

 アジアに、特に韓国へ行けば、たくさんの種類の土鍋を買ってくる。ご飯を炊くのは、石釜。フランスの小さな町サンカンタンで作られているル・クルーゼの調理道具も多く取り揃えている。茶筒だけでも8つも9つもある。まあ、自慢話といえばそれだけだが、こんなにたくさんの料理器具やいろいろをそんな小さな家にどのように収納しているのだろうか。

 ダイニングキッチンといっても、キッチン場所が8割ほどしめていて、残り2割、隅っこでちんまり食事をしているのではと思ってしまう。

 平松さんの使う基本調味料を紹介しておく。

 醤油は京都の「澤井醤油」酢も京都の「千鳥酢」水餃子のために中国・鎮江の香醋。みりんは愛知の「三州三河みりん」ナンプラーはタイのトラチャンブランド、コチュジャンは韓国淳昌産、鶏がらスープは「日本スープ」。

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| 古本読書日記 | 16:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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榎田ユウリ    「妖琦庵夜話・その探偵、人にあらず」(角川ホラー文庫)

 確固たる想像力、妄想力がP226ページに書かれている。

 「サルからヒトへ進化する過程で、ヒトは脆弱になった。
毛皮に覆われた皮膚を失い、いち早く危険を察知する鋭い聴覚を失い、仲間と縄張りを判別するための嗅覚を失った。代わりに得たものは大きな脳だ。ヒトは知恵を絞り、己と家族を守るために、武器を持つようになった。最初に握った石の礫はやがて核兵器まで発達し、自然界の中で唯一、同種同士で大量殺戮を繰り返す動物となった。
 もう一つ、人には特徴がある。自分自身への探求心がことさら強いという点だ。自分はどこから来たのか、どのようにして生まれたのか、その問いはやがて遺伝子の発見に繋がる。自分という人間の設計図がDNA情報だとわかり、さらに人はその塩基配列を読み解くことに成功した。1985年、電気泳動を使った装置で解読できた塩基は一日たった千文字。それが2009年には、シークエンサーの発達により一日10億文字となる。シークエンサーの発達は止まらず、現在ではある程度の金額を用意すれば、一般人でも自分の遺伝子をすべて解析することができるようになった。
 そこまでして、ヒトは知りたいのだ。自分が何者かを。」

 これがライトノベルの小説にでてくる文章、内容だろうか。そして、この解析が行き着くと、人間のDNAとは異なるが、人間とほぼ同じ容姿の妖怪、この作品では妖人という新しい人種が発見される。そのことから、殺人事件が起きる。

 榎田ユウリはとてつもない才能をもっている作家だと思う。

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| 古本読書日記 | 16:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平松洋子  「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」(文春文庫)

 手は不思議。歩く足。聞く耳。食べる飲む口。見る目というように生きていくために絶対必要なものではないように見える。だけど、体の中で、普段最も使うのが手である。

 手は、握ったり、千切ったり、ほぐしたり、たたいたり、揉んだり、捻ったり、包んだり魔法のようにいろんな形で働く。

 生後4か月くらいの赤ちゃんが、まず覚えるのが物を掴むこと。そして、次に雑誌や新聞を脇に置いておくと、それを本当にうれしそうに引きちぎること。それからたたいたり、飴玉の紙をひろげたり、だんだん生長してゆく。

 料理には包丁などの道具を使うが、人間が喜びの本能を感じるために、できるだけ道具を使わずに、手を使って、料理をしてみるといい料理ができることを紹介している作品である。

 確かに、この本を読んでいると、キャベツを千切ったり、キュウリを手でつぶしたりしたほうが、まだキャベツなどに生命力が宿していて、包丁で切るより、素材本来の味が味わえるように思えてくる。

 魚も手でさばくのだが、その際、氷水か普通の水に手を浸してから捌くことが肝要である。
魚は10度から20度の水の中で生活していて体温も水温とほぼ同じ。一方人間の体温は36度余。魚にとっては倍くらいの温度。こんな熱い手でそのまま魚にさわると、魚が火傷をしてしまう。だから、料理の前に手を水に浸せと平松さんは言う。

 だけど、すし屋に行っても、料理屋に行っても、刺身を作っているとき、そんなことをする料理人にはお目にかかったことはない。

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榎田ユウリ   「宮廷神官物語 双璧の王子」(角川ビーンズ文庫)

 この作品のあとがきで榎田は言う。

 ライトノベルの世界では、一年間に原稿用紙1600枚の小説を書くのが当たり前。つまりほぼ5冊の小説を創作しているのである。ライトノベル小説家まずは、書くことが好きでたまらない人でなくてはならない。更に、書いていないときは、いつも頭の中は妄想でこりかたまっていなくてはいけない。だから、人の言うことはいつも上の空、だから付き合いも愛想もないのがライトノベル作家なのだそうである。

 この小説では、もともと王になるために育てられていた王子に対して、突然王子には兄がいてその兄こそ王の正式後継者であるという勢力がでてきて、どちらが後継者になるべきか、血なまぐさいことも含めて争いがおきるという物語である。

 王になるために育てられてきた王子は、民に寄り添い、民とともに歩むことが王たるものと考えている。

 一方突然王の後継者とされた王子は戸惑う。今まで政り事など最も関心から遠いこと、何故自分が王にならなければならないのか本音のところでは疑問を持っている。

 民を大事にする王というのは、民を支配している貴族、神官をないがしろにする。多くの役得、利得の上に贅沢を享受しているのに、それが侵されることなどあってはならないと考える勢力がいる。こういう勢力が、名前だけの王を戴いて、自分たちの権益を拡大しようとする傀儡政権をつくる。

 日本にもたくさんいた。傀儡政権の総理。面白いことだが、操り人形であるとわかっていても総理大臣になりたいという人が政治家にはたくさんいるのだと。

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| 古本読書日記 | 16:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平松洋子     「おいしい日常」(新潮文庫)

 きっとおいしいのだろうけど、食べるのが面倒くさくて、更に値段も張るので敬遠する食べ物がカニ。

 平松さんが本場カニ所、福井にゆきカニを味わう。イメージがもうひとつわかないのだが、お店で隣にすわったおじさんが、そんな食べ方ではだめだ。本当の食べ方を教えてくれる。

 「ハイこうやって、ほら、顔を上に向けて、ぷりぷりに身が弾けた越前ガニの脚肉をつまみあげ、大きく開けた口で豪快に受け止める。こまかいところをせせるのは、カニの親指の爪。箸では折れてしまうし、金属のスプーンではカニ肉に金っ気が移っておいしさが削がれてしまう。鋭く尖りながら微妙なカーブを持つ爪の先なら、すーっと難なく奥まで入ってゆく。」

 なるほどなあ。大口をあけてカニ肉が落ちてくるのを待つのか。カニ肉を掘る専用のスプーンは邪道なのだ。

 それからカニみそは、日本酒をかけていただくと絶品の味になるそうだ。

 福井はすごい。子供が学校から帰ってきたら、食卓に新聞紙をひろげて、台所からカニをもってきて食べる。そう、カニがおやつなのである。

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榎田ユウリ  「宮廷神官物語 渇きの王都は雨を待つ」(角川ビーンズ文庫)

 2008年に書かれている。当時は韓流が大ブーム。その韓流にのり榎田が創作した韓流ファンタジーである。

 この作品は、国が成り立つのは、多くの普通なる国民がいるからであるという当たり前のことを、教えてくれる。

 今や世界は、1%の人たちが世界の富の50%を占めている。この1%の人が成り立つのは残り99%の人々が存在するからである。もし、99%の人が存在しなかったら、1%の人は豊かな生活が実現しない。

 このことが富を握っている人たちには理解できない。この物語でも、雨が降らず、日照りで餓死者が大量にでる。そのため、志ある王子が、貴族や神官にたいし、抱えている穀物を掃出す命令をだすが、それに心よく思っていない、貴族、神官が王子や王子につながる貴族、神官たちをはじきだす計略を作成し、実行する。

 当然、物語では計略は不首尾に終わるが、さりとて、富を享受している人たちが、負けて富がはく奪され、転落してゆくというわけではない。

 国は民によって成立するが、そこから富を収奪している人間を排除できるかというとこれも難しい。富を再分配するということが、国の力を削ぎはしないのか。削がないようにするための国のありかた、富の分配の方法が、いまだに描くことができないところに苦悩する人類の課題がある。

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| 古本読書日記 | 16:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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福井晴敏   「人類資金Ⅵ」(講談社文庫)

 「M資金」は実際に存在していてその名前を「人類資金」に変えていて、運営管理のための財団が設立されていた。創設者である元帝国陸軍大佐笹倉雅実は、その創設の意義を孫である本庄にこう語っていた。

 ここが、この作品で、著者福井が最も言いたいことだと思う。

 「次の戦争・・・それはアメリカとソ連の冷戦というような、わかりやすく目に見えるようなものではない。砲弾の代わりに資本を用い、領土の代わりに他国の経済を奪う戦争。植民地戦争よりずる賢く、広く際限なく争われる戦争だ。それはこの世界を勝者と敗者に分け、融和をみることは永遠にない。そして敗者の逆襲に脅える勝者は、どれほどの力を得ても飽き足りるということはなく、勝者同士の争いからさらなる敗者を生み出してゆく。おそらく最後のひとりになるまで終わらない戦いは、この世界を壊滅的に荒廃させるだろう。自然のみならず、文明文化も摩耗させて、気が付いた時には取返しのつかないことになっているだろう。・・・・そう、次の戦争とは、全世界を舞台とした人間と資本との戦いだ。人類は、己の本性と向き合い、資本を人間性のなかに止揚してゆく方策を確立してゆかねばならない。」

 しかし、今のところこの方策がどんなものか作品ではでてこない。ただ、この新しい方策確立のために「M資金」である「人類資金」を使うのだというところまでは読める。

 全巻読んだら、方策が描かれるのだろうか。全部読むべきか少し悩んでいる。

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| 古本読書日記 | 16:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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藤野千夜    「君のいた日々」(ハルキ文庫)

 ちょっと不思議なスタイルの小説である。

 春生と久里子夫婦。久里子は不治の病に倒れ、亡くなる。春生は、会社からの帰宅途中に突然倒れ亡くなる。そして、小説は春生は生きていて、久里子が亡くなった状態。一方久里子は生きていて春生が亡くなった状態の2つの物語がほぼパラレルに進行する。

 この物語は、家族があって、18年以上、喜びも辛いことも一緒に支えあい生きてきた後、その連れ合いが亡くなったとき、生き残った人の思いや、18年間の重さについては、他人からはかける言葉が無いのだということを教えてくれる。

 私の義父が86歳で今年亡くなった。義母は、夢どころではなく、「今おとうさんと一緒にテレビをみてる。」とか「お父さんが今朝釣りにゆくから、お弁当を作ってあげなくっちゃ」とかしょっちゅう亡くなった義父がまだいつも横にいるように言っていた。

 そしてどんな些細なことでも、お父さんのことが会話にでると、その途端、声をあげてボロボロ泣いてしまう。

 こういうとき、掛ける言葉が無い。「もうおとうさんはいないんだよ。」とか、「やっぱしお父さんに寄りかかっていたから、お父さんが心配してでるんだよ。」など、言葉にだしても、どこかいい加減で表面的、真実をついた言葉にはなっていない。
 義母の心の中がどういう状態になっているのか、他人は想像もつかないのである。

 この作品で、久里子の布団を敷いていた部屋の蛍光灯が、久里子が亡くなってから、点滅したままになっている。新しい蛍光灯に変えてもそれは治らない。春生はそこに久里子がいるからだと思い込む。

 また久里子にはときどき廊下をミシミシと歩く音が聞こえる。これは春生に違いないと思い名前を「みしみし君」と呼び、いつくしむ。

 周りからみれば、下手をすると心の病を患っているのではと思ってしまう。でもやっぱし連れ合いを亡くしたときの生き残った人の心はわからないほうがいいように思う。

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| 古本読書日記 | 16:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平松洋子    「サンドウィッチは銀座で」(文春文庫)

 春の味を楽しみに東京下北沢「七草」にやってくる。ここの店主の前沢リカさんの口上が非常にすばらしい。

 「冬の野菜は土の中にいたので、皮をむかないと食べられない。ところが春の野菜は、冬を越すために包まれているものが多いのです。たけのこ、そら豆、グリーンピース、ふきも硬い筋がはいっている。だから、料理するときは、眠っているものを覚ましてあげる気持ち。
『おはようございます』って。」

 平松さんの食の表現は、ときどきどきっとするほど印象深いときがある。

 フグ鍋を食べた後、おじやにしてたべる。

 「ふぐの濃密なだしを極限までたっぷりと含んだごはんのひとつぶひとつぶ、まろやかにふくらんで、舌のうえにしなだれかかる。ごはん、だし、卵、海苔、すべてが境界をなくし、とろとろに抱き合い、複雑にもつれあいながら腹のなかにおさまってゆく。」

 ところで、中華料理を食べるのは、横浜中華街ではなくて、池袋なのだそうだ。池袋にはたくさんの中国の人が住んでいる。特に料理は中国北方料理が多い。東京には何でもあるとは思っていたが「金王府」では犬肉が食べられるとのこと。これ、本当?

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榎田ユウリ    「過敏症」(角川文庫)

 BL小説、魚住君シリーズの4作目。

 男同士が愛し合うというのは、世の中からははずれているから、魚住君も久留米君もそれが間違ったことではないかとどこかに少し不安がある。もちろん2人は恋人同士だ。しかし、将来に確信が持てない。

 しかも魚住君も久留米君も美麗で、女性にも注目を浴びているし、以前には女性の恋人もいた。魚住君と別れた響子は、今でも魚住君のことを忘れられない。

 この物語の最後のページに男女の恋について書いてある
「恋とは全くもって、偉大なおかしな現象である。セオリーは存在せず、ロジックは役立たず、誰もがそれに翻弄される。」

 しかし、男同士の不安な不確実な恋のほうが、やっぱり変だ。久留米君と魚住君が抱き合った後の会話がそれを表している。

 魚住君が久留米君に聞く。
「・・俺が女の子と寝たら浮気になるの。」
「え?」
「おまえはどうなんだよ。おれが女と寝たらさ。」
「え・・・ちょっと待って、想像してみるからさ・・・う・・・あ・。ダメだ、何か腹たってきた。」

 BOY’S LOVEのこの確信の無さ、ゆらめきがよくでている。ここがたまらないところ。

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| 古本読書日記 | 16:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平松洋子   「買えない味2 はっとする味」(ちくま文庫)

 宴会などで、お膳にならべられた料理で、蓋付きの料理が苦手だ。雑な性格なので、食べ終えた皿を、バラバラとお膳におく。そこで、蓋付きの料理を食べようとする。すると、いつも取った蓋の置くスペースが無い。しかたなくお膳の下に隠すように置くなどということがよくある。

 気が小さいから、取った蓋を、伏せておくのか、ひっくり返しておくのか、周りの人のやりようをみて決める。まあ、ひっくり返して置けば、魚の骨やエビのしっぽを置ける。食べ終わった後の蓋を、これも伏せておくか、ひっくり返して置くべきか気になる。

 丼ものの蓋は、ちょうどいい塩梅に客に運ぶ20秒から30秒蒸すためにするものだそうだ。

 平松さん、街を歩いていて、蓋つきの漆の椀に出会う。5客揃いである。果たして、家で蓋をしてお椀をだすだろうかと考え、そのときは買うのをやめる。しかし2日後、また店へでかけ、漆椀を購入する。

 蓋をほかの事で使えばいいじゃないかと。
 蓋など、何に使うのか私には思い浮かばない。
 で、何に使うかと思ったら、蓋に酒をついで飲んだのだそうだ。

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| 古本読書日記 | 16:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「九つの、物語 」 橋本紡

タイトル通り、各章に文学作品を1つずつ登場させています。
ビブリアみたいな謎解きではないですが、主人公の記憶が戻り、過去の悲しい事件の真相がわかるという流れなので、読者が予想する部分はあります。

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表紙で眠っているのが、語り手であり主人公である20歳の女の子。
地の文が「なんだか顔が赤くなってしまう。男と女の、力の差を感じた」「お兄ちゃんはすごくモテるのだ」というノリで、出だしから(死んだ)お兄ちゃんの部屋に入り込んでお兄ちゃんのベッドで本を読んでいるというシーン。
とにかく兄妹仲が良く、男兄弟のいない私は、真相に禁断の恋愛(実は血がつながっていない等)が絡むのかと思ったくらい。
作者がラノベ出身という偏見(?)も手伝い、「こういう子が、男にとって理想の妹なのか」と考えてしまう。
というわけで、実は前に一度手に取ったものの、読まずに戻していた本。

兄の幽霊は、触れられるし、料理もするし、食べるし、主人公以外にも見える。
このからくりが何なのか気になりだすと、主人公のキャラクターが好みじゃなくても、すいすい読むことができました。
結論から言うと、この点については解明されません。
幽霊の兄と会った人は彼が生身の人間だと思い込んでいるため、主人公は後日「お兄ちゃんは留学しちゃったの」とごまかしています。
かかわった人の記憶が消えるという設定でも、主人公の作り上げた幻というオチでも、実は死んでいたのは主人公のほうというアクロバティックな展開でもない。
飲食のお金は生前本の間に挟んであったものを使ったんだろうとか、恋人も幽霊とか、筋が通っているところもある。

料理に文学作品に映画に洋楽といろいろ道具にこだわりがありそうな一方、登場人物たちについては話を広げすぎたり説明臭くなったりせず、うまくまとめられています。
主人公と母親の確執なんて、いくらでも汚く書けそうですが、脱線しない程度に抑えられている。

トマトスパゲッティはおいしそうだと思いましたが、登場するほかの料理は、それほど心惹かれませんでした。

| 日記 | 00:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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侵入者

帰宅すると、私の部屋に明かりが。
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近づいてみましょう。
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茶々丸でした。
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このスタンドは、台座部分をタッチして点灯・調光するタイプ。
毛に覆われているくせに、寄りかかったはずみで点けてしまうらしい。
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これくらいならかわいいものです。
かばんを黒から白に換えればいいだけ。(茶々丸の尻部分にある白い袋が、通勤用)
吐きたいときはフローリングか、1階のリビングです。

ももこなんて、14歳になっても脱走するし、拭きにくいところに吐くし、
私の部屋に入ったときは↓↓
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「財布に納豆? ・・・・・・あああ」
水で洗って干したんですが、数日たってもドライフードのにおいが取れません(-_-;)

| 日記 | 23:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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