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2016年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年08月

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辻村深月    「ネオカル日和」(講談社文庫)

 公園の前のたい焼きの店「ひらかわ」。皮がパリパリであんこが尾びれの先までつまっていてとてもおいしいと評判の店。いつも長い行列ができている。主人公の女の子、小学2年生から3年生になるときお母さんと初めて食べてその味のとりこになる。しかも、たいやきを店先で焼いているお兄さんがとても恰好よく初めて見たとき胸がきゅんとときめいた。

 ある日の午後、「ひらかわ」の前を歩く。いつも人だかりがあるのに、その日は誰もいない。そんな時、お兄さんに呼び止められた。

 「いつも、行列ができるわけではないんだ。午後の今の時間はだれもいない。」
そして、主人公の子に、たいやきをタダであげるから、公園で食べてと言われる。びっくり、うれしくなって公園に行ってベンチに座ってたい焼きを食べる。そのベンチにはいつも、若いお姉さんがスケッチをしている。お姉さんがちらっと主人公の食べてるたいやきをみる。

 次の日もたいやきをタダでもらい。また、ベンチで食べそしてお姉さんがまたちらっとみる。

 その次の日、「ひらかわ」に行くと、お姉さんとお兄さんが嬉しそうに話しをしている。完全に恋人同士のよう。主人公の女の子は、衝撃を受ける。大好きなお兄さんがとられてしまったと。それから「ひらかわ」の前を通ってもお兄さんは声をかけてくれない。

 女の子は直接声をかけられないお兄さんが、自分を使ってお姉さんを引き寄せようとしていたことを知る。切ない気持ちが一杯になった。

 辻村さんが小学生の時、びっくりするのだが、クラスで小説を書くことが流行ったときがあったそうだ。他の皆は恋物語を書く。題が「明日のボールを君に」とか「レモン色の濃い占い」など。そんな時、辻村さんが生まれて初めて書いた小説。その題名が「さまよえる悪霊の中に」。流石、天才辻村さんだと感心した。

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町田康   「権現の踊り子」(講談社文庫)

 「だいたいにおいてカレーが自慢っていう人が多いんだよ。というのはつまりカレーっていうのは種々の香辛料を調合して味を拵えて行くわけでしょう。で、みんなその配合具合に独自の俺の味があるなんて言っているわけだ。でもそれってホントは虚しくってなんていうのかな、自分で考えつくことは独自だっていう、自分は自分であることそれ自体が特別であるっていうガキみたいな考え方なんだよね。つまりなにをいいたいかというと、配合程度のことに縋って自分が独自だというその心底が卑しいんだよね。つまり、それはよくいうだろう、自分が才能あると信じてバンドとかやってる奴な。ああいうのと一緒なんだよ。つまり、専門の教育を受けていないそこらの兄ちゃんが売り物にできるのは、なんか曖昧な、例えばセンスとかそういうものなんだよ。でもそこがくせ者で技術やなんかだと一目瞭然なんだけど、そういうセンスなんて言うのは曖昧だから、自分でセンスあると思っちゃえば思えるんだよね。けどそれは客を騙すにはいたらないんだ。結局自分を騙してる、誤魔化してるだけさ。・・・・そういう奴は結局、他より優れた自分という妄念から逃げられなくて結局滅亡するんだけどね。・・・後、自分や自分の体験が特殊であると信じてそれだけを根拠に詩や小説を書いたりね。これが一番、まあ困る部分だね。」

 強烈な町田の想いを物語にいれている。町田自身のことを自虐的に言っているのだろうか、それとも他人にそういう馬鹿な人が多すぎると言っているのだろうか。

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町田康    「スピンク日記」(講談社文庫)

 吾輩は猫であるではなく、吾輩は犬であるの町田版。プードルであるスピンクからみた、

 スピンクの主人である作家ポチ、妻の美徴さんと後からやってきた、スピンクの兄弟であるキューティーの観察記。その主たる対象は、主人であるポチ観察。ということはこの作品の主人公はスピンクでなく作家ポチ。

 だいたい、人間という動物は刹那的。もっと計画性をもっていろんなことをやれば、生活も快適で楽しくなるはずなのだが、それができない。今年は暑くなるぞと言われているのだから、早めにエアコンを買っておけば、シーズンでないので安く買えるのに、ぐずぐずしてまだいいやと思っているうちに猛暑がやってくる。それで、家電売り場へは、刹那的な人間が殺到する。価格も殆ど割引なし。購入したからといって在庫はなく、取り寄せで時間がかかる。さらに設置工事者が間に合わない。それで、なんだかんだしていると、秋の涼しくなってからエアコンが設置される。

 暖房器具も、これでいいやと購入してきても、全く効き目がない。寒さに耐えられないからまた次の器具を購入する。これも効かない。そんな時ポチは絶対失敗したとは言わず、なんだかんだ理屈をつけ、まわりのせいにする。知らないうちに部屋は不要な暖房器具ばかりになる。でいっこうに温まることはない。

 こんなバカな作家ポチを冷ややかにスピンクがみて、馬鹿らしさを表現する。

 犬は縦社会。基本的には主人に忠実となるはず。だけど、こんな主人にスピンクは忠実にはなかなかなれない。ひょっとしてスピンクは作家ポチを自分より低くみているかもしれない。それでも作家ポチはスピンクが可愛くてしょうがない。

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辻村深月   「ふちなしのかがみ」(角川文庫)

辻村深月   「ふちなしのかがみ」(角川文庫)
 ホラー短編5編が収録されている。

 主人公の加奈子は、ジャズクラブのサックス奏者、冬也に恋心を抱く。そんなとき、友達に深夜12時に、等身大の鏡を用意し、そのまわりに自分の年齢の数だけ蝋燭を点灯し、振り向くと、一瞬だけど将来の自分が見えることを知る。

 それを信じて、深夜鏡を見る行為をする。すると一瞬だけど、自分と冬也の目元そっくりの娘が一緒にいる姿が映る。これは、冬也と自分の間に将来できる娘だと信じる。
 
その女の子を見た後には、必ず女の子をピアノに向かって座らせ、加奈子が虐待する夢をみる。その夢をみながら、いつも本当に冬也と暮らす幸せな未来がくるのだろうかと不安になる。

 そんな不安を抱えている時、実は冬也には、麻里という加奈子が足元にも及ばない可愛い恋人がいることを知る。しかも、ある夜仲睦まじく歩く2人を目撃する。

 そして、加奈子は女の子は自分と冬也の子ではなく、冬也と自分は恋人同士にはなれないことを知り、どん底に落ち込み、精神的に苦しむ。

 このノイローゼ状態から脱却する唯一の方法は、鏡に映った女の子を鏡の外へ出させて、首をしめて殺すことだと教わる。

 加奈子は深夜の街を彷徨い歩き、冬也のマンションに行く。そこで、振り返ると鏡の女の子がいた。玄関で手招きをして、やってきた女の子を首を絞めて殺す。実はこの女の子は、冬也の母親とは違う女に父が産ませた年の離れた女の子だった。

 ホラーの雰囲気もあり、結構ぞっとする作品である。

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堂場瞬一    「被匿」(中公文庫)

 選挙出馬には3つのものが必要といわれている。
 「地盤、看板、鞄」である。このうち最も肝要なものが鞄である。選挙には膨大な金がかかる。その費用のスポンサーがつくかつかないかで選挙に立候補できるかできないかが決まる。

 その昔、北海道で有名な代議士だった中川一郎の後継者を秘書の鈴木宗男と長男の中川昭一が争ったことがあった。鈴木宗男は一郎が自分を後継に指名してくれると信じていた。それを待つのだが、なかなか一郎が政界から去らない。そうこうしているうちに、昭一が社会人として風格もつけてくる年令になる。宗男はあせる。

 そんな時、一郎が札幌のホテルで怪死をとげる。北海道警は2日後にこの死を自殺と断定、発表する。

 この怪死が自殺だったのだろうか、その後ずっと疑問がふってわいた。地盤は最初昭一が継いだのだが、宗男は金を集めることに成功し、その金を武器に昭一から一郎の地盤をはぎ取っていった。

 この経過をみていると2つのことがわかる。

 まず、警察が自殺と結論付けると、それからどんな疑義がでようが、絶対自殺がくつがえらないということ。

 次に、色んな記者や民間ジャーナリストが怪死した当時のことを調べようとするが、宗男、一郎の関係者が頑として、口を割らない。それは割ることにより自分の生活が抹殺される可能性があったり、周囲の関係者を甚大に傷つけることになるから。多少の後悔があっても、口をひらくことは、御法度ということ。

 この物語は、その警察の誤った結論と選挙後継者をめぐる御法度の打ち破りに挑戦している。

 堂場がこの物語で書いている。
過去は決して死んではいない。ずっと生きている。そして過去はいつも喋りたくてうずうずしている。

 そういえば、一郎の息子昭一も心筋梗塞で、突然死している。

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堂場瞬一     「牽制」(中公文庫)

 神奈川地方大会での打率が6割を超える。甲子園でも打って打って打ちまくった超大物高校野球選手である花井翔太がパイレーツ球団にドラフト1位で指名され、後一週間で入団というときに突然失踪する。それもどうやら同級生の不良少女高島水穂といっしょらしい。

 この失踪した花井を捜索するのが高城が引っ張る失踪課チーム。
この高城刑事、娘綾奈が小学生の時、失踪してそのまま行方不明、それが原因で妻とも離婚、それから12年の歳月が流れている。
 時々綾奈に係りそうな事件が起こったりする。だから、物語が多少長くなるのは理解できる。

 ただ、その他にも事件らしきものが結構起きる。

 花井の高校での野球賭博事件。高井という元刑事の新築中の家の火事。警察に入った新人巡査の拳銃を持ったままの失踪事件。

 読む私としては、これらの事件が、花井の失踪とどうかかわってくるか、非常に興味を抱いて読む。ところが、驚いたことに、これらの大騒ぎをした事件は、全く花井の失踪とは無関係。いったい何のために、わざわざこんな事件を物語に入れ込んだのか堂場の考えが全く理解できない。

 結局、真相は、花井が肩を負傷していて、これを秘密裡に手術するために、失踪していただけ。470ページもかけて、大山鳴動して鼠一匹状態、ちょっとひどいのではと感じた作品だった。

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乃南アサ    「紫蘭の花嫁」(文春文庫)

 殺人というのは、必ず、恨みが極まって引き起こされるものと思っていた。だから、サスペンス小説でも、証拠を探したりトリックを解明しながら、必ず犯人の動機が何であったのかが解明される。

 ところが最近は、動機なき殺人事件というものが発生しだした。殺しをやってみたかった。対象は誰でもよかったと。

 この動機無き殺人の一つで最近クローズアップされているのに快楽殺人というのがある。女性を殺害して、全裸にする。その全裸遺体をみると異常に興奮する。その興奮が得たいがために次々女性を殺す。

 現代は、女性も男性も多忙を極めているし、厳しい競争社会のなかにあり、男女交際に充てる時間が殆ど無い。だけど、性欲は抑えられないときがある。それでセフレなどという得体がしれない人間関係ができあがる。

 その刹那的な相手を探す簡単な方法が、この小説が書かれた1990年ころは、Q2ダイヤルやテレクラ。今だと出会い系サイトである。

 相手の人間性、素性も知らずに行きずりで出会い、関係を結ぶ。そして後腐れなく別れる。
人となりもわからず、ひたすら欲望処理のために関係する。こういう中に、快楽殺人者が紛れ込むのである。

 この作品は現代のいびつな有り様を描いている。ただミステリー作品として読むと、真相を追い詰めるというところがなく物足りない。いびつな部分がたくさんの種類の蘭の花にこめられ、ゆらゆらうごめく現代を描いているのだと思うとそこそこ納得はできる。

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ソール・ベロー   「この日をつかめ」(新潮文庫)

 トミー・ウィルヘルムは44歳で人生の崖っぷちに立たされている。

 本当かどうかはわからないが、当人が言うことによれば、彼はロジャックス社で、北米東部地区営業担当として輝かしい成績をおさめ、重役になることが確約されていた。ところがロジャックス社の社長が代わりその約束が反故にされ、それに怒りロジャックス社を去った。

 一方家庭には妻マーガレットと2人の息子がいた。しかしロジャックス社に勤めていたとき、オリーヴという女性を愛し、それがばれて家も追い出された。妻との約束で2人の息子の養育料を負担することになっている。

 ロジャックス社からもらって溜めたお金で、父親もいっしょにいるホテルで暮らしている。しかし、そのお金がもう底をついてきて、ホテルの支払いも滞っている。

 そんな状態の最後の一日を物語にしている。

 父親はかなりのお金を持っている。だから窮状を訴えお金を恵んでくれるようウィルヘルムは必死に訴えるが、どう訴えても、頑としてお金はやれないと冷たく父親は拒否する。

 タムキンという相場師に唆されて、なけなしの700ドルをラードとライ麦相場に託す。
 しかし、これもその日のうちに値下がりし、損をする。

 父親からは見放される。妻から息子たちの養育料の支払いを催促される。ホテルからも宿泊費の支払いを要求される。

 もうどうしようもなくなり、ニューヨークの街を放浪すると、葬儀の列に遭遇する。そのまま列について教会までゆく。そして柩の遺体をみる。その遺体は老人ではなく、何と自分と同じ年頃の男。顔もゆがんで、どことなく今の自分と同じ人間のように感じる。それで遺体をみながら大声をあげ号泣する。

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小林聡美    「読まされ図書室」(宝島社文庫)

 小林が、他の人たちから推薦され読んだ本の感想文集。

 酒井順子が推薦している「股間若衆」というのが面白い。

 私の住んでいる街は、彫像がどこにもある街として町おこしをしていて、あちこちの歩道沿いにたくさんの彫像がある。彫像というのは、だいたいが裸である。「股間若衆」というのは、日本の彫像だけなのだが、男の彫像の写真を集めた作品。
 股間を殆どがむきだしにしている彫像もあれば、葉っぱや布で隠しているものもある。

 わが街の彫像もすべて裸である。だいたい彫像には「光」とか「輝き」「希望」「未来」などという題名がついている。そして、女性の像は、その題名がなるほどと思わせる明るさに溢れているのだが、男の彫像は、どれも何となく寒そうで寂しそうに見える。特に股間がどことなく孤独感を誘う。

 小林さんが思わず裸の彫像に向かって言う言葉がズシリとくる。
「どうした若衆。裸でなにしてんだい。」

 よしもとばななが一番幸せと感じるのは、ベッドの脇に本が積まれているときだそうだ。

 どこかの本に書かれていたそうだが、
「ベッドの脇に本がある人は、本が恋人だから、恋人ができない」と。うーん確かに。
それでよしもとばななは「なにもしないでもお金がどんどんはいってくる」風の本を寝る前に読むのだそうだ。すると胸から上のまわりが大富豪になった雰囲気になり、眠りについて、夢も大富豪になった夢をみるそうだ。

 朝目覚めて、普通の自分に気付きがっかりするそうだが、なかなかいい本読み方法だと思う。

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角川春樹    「わが闘争」(ハルキ文庫)

 「私はもう知っている。私は絶対だ。私は神なのだ。」
 「おれは、おれを歩く神社のような存在だと思っている。・・・・台風にしても、おれがいればそこは避けて通る。・・・・自分の生まれた故郷は、この地球ではなく、たまたまおれはこの星に遊びに来ただけだという思いがずっとあった。そして、おれの故郷とは、宇宙のカオスではないかと。」

 自分を神だと言い切る角川春樹。もう70歳を超えるというのに、20歳そこそこの恋人が何人もいる。愛しているわけではない。恋をしているだけなのだ。だから、いやになればいつでも去ってよい。
 傲岸不遜、世界はすべて角川中心にまわっている。何しろ神なのだから。ここまで、自分を言い切る人間はいない。
 倒産寸前で、社員の給料さえも遅配していた角川書店を、大出版社に生まれ変わらせた角川春樹。

 私が大学生のころ、確かに角川春樹は凄く、時代の先端を走っていた。

 その頃の文庫は、すべてペラペラのパラフィン紙に包まれていた。それを今のようなカバーに変えたのは角川春樹だった。

 また「読む、映像、音楽」をコラボして時代を創ったのも角川春樹が初めてだった。当時は映画は衰退していて、それはテレビの出現によるものというのが一般認識。だから、映画とテレビは相いれなかった。こんな時角川春樹は、映画を作り、その宣伝をテレビでばんばんやり、映画をヒットさせた。当然、その映画の原作は文庫にして売りまくった。

 最初は金がなかったから、アメリカ映画の原作を買ってきて売った。「ラブストーリー」「いちご白書」「ナタリーの朝」「雨に濡れた舗道」などニューシネマブームにのり、成功した。

 もう全ての人から忘れ去られていた横溝正史を再度掘り起こし、作品を映画化、文庫化してブームを起こした。金田一耕助の衣装しぐさは全て角川春樹が考え出した。森村誠一を発掘し売り出したのも角川春樹。

 たとえコカイン所持で刑務所にいれられても、ここまでやれば神であると威張っていても許さざるをえない。

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辻村深月     「島はぼくらと」(講談社文庫)

 瀬戸内海にある冴島、人口3000人。この島、常識から言えば、典型的な老人だらけの過疎の島ということになるのだが、大矢村長の力や、コンサルタントのヨシノの活躍もあり外に向かって開かれた島になっていて、人口が増加している。住みやすい、楽しい島として。そして、シングルマザーにも優しい島として宣伝が行き届いていて、脱都会派の人が新たに住みついているのである。

 村長とヨシノのアイデアで、地元の主婦を集めた「サエジマ」という食品会社も成功していて、シングルマザーの受け皿になっている。男の人がやってきても、漁師のアルバイトがあったり、ネットの普及により、島でも暮らしが成立する環境も整ってきている。

 一方、開かれている表の面もあれば、強固な変わらない面もある。男はある年になれば、別の男と兄弟の契りを交わし、実際の兄弟より、強いきずなで結ばれる。しかし、Iターンの人たちにはこの絆を結ぶことが困難で、実際には島の生活の深いところで弾かれてしまう。女性たちもこの地縁に拘束される。特にシングルマザーで島にやってくると、この地縁の観念から、嫌悪感をもって接せられてしまう。

 4人の高校同級生が主人公として登場する。島には高校がないから、フェリーで本土の高校にいつも一緒に通っている。

 島の表面と裏面が、ぶつかり合って、色んな問題が起きる。今までの辻村作品なら、主人公の4人が、ひたすら情熱を持って問題にあたり、苦労しながら解決してゆく物語となるのだが、この作品では、そうにはならず、4人の高校生が、問題に巻き込まれ、振り回され、時には解決を阻害するようなこともしてしまう。等身大の高校生を通して、過疎、島が抱えている問題を生き生きと活写する。そのどれもが、解決が難しい。そのことを読者に重く感じさせる。

 4人の高校生の一人、衣花は、網元の娘。網元の娘は島で一生を暮らさねばならない決まりになっている。島の高校生は卒業すると、島を去る。島を去れば2度と島には帰ってこない。

 島はいつも「行ってらっしゃい。さようなら」と見送るばかり。寂しい。
いつか「お帰りなさい」が言える島になってほしいと衣花は思っている。

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原宏一   「ヴルスト!ヴルスト!ヴルスト!」(光文社文庫)

 主人公の勇人は高校を中退して、中華料理店に勤めたが、そこを追い出される。それと同時に恋人だった早苗に「だめな人」と烙印を押され、ふられる。そこで一念発起し、昔でいう大学入試検定試験をうけるべく、ぼろいアパートの2階の部屋を借り受験勉強に打ち込もうとする。

 ところがそのボロアパートの一階の住人髭面のおやじである伸太郎が、ヴルスト(ソーセージ)開発に没頭する変人だった。
 勇人が、中途半端な生き方から脱却を目指し勉強に奮闘しようとしているのに、すべてに伸太郎が邪魔をする。喧嘩をしたり文句を言っているうちに、伸太郎にもせがまれ、勇人は伸太郎のヴルスト開発に巻き込まれるようになる。

 19歳の勇人が、どうして伸太郎のヴルスト開発に勉強がありながら一緒に開発をしたのか。
その勇人の心境が作品で語られている。
 「なぜここまで入れ込んでしまったのか、その理由は自分でもよくわからない。
  ただ、もともと勇人は、大人というのは、もっと立派で、もっとちゃんとしたものだとおもっていた。なのに、伸太郎ときたら、還暦近くまで歳を重ねていても十九の勇人と同じように、怒ったり泣いたり迷ったり意地になったりしている。そればかりか、まるで子供のごとく、法螺を吹いたり、見栄をはったりして懸命に生きている。要するに大人なんて、ちっとも立派ではないし、ちゃんとしてもいない。そこに大検に光明が見えた余裕も加わり、つい本気に介入したくなった。」

 男の中年の姿をよく表している。家庭を顧みず、家族をふりまわし、嘘とまでは言わないが、ちょっとした実績を100倍も膨らまし、俺は偉いと喧伝する。それなのに、いつのまにか会社では不要と言われ、リストラ路線にのり会社を追っ払われる。
 それでも俺はできると、とんでもないことをおっぱじめる。愛想をつかし妻や子供に逃げられる。

 それでも伸太郎のヴルスト開発への情熱は半端でなかった。その半端でない背景がだんだん物語の進行につれ明かされてくる。

 原はヴルスト造りを物凄く研究し調査しつくしている。そのかけた情熱がこの作品に込められている。いつもの原だと、アイデアがボっとでてそれが急に萎んで竜頭蛇尾の作品になるのだが、めずらしく最後まで息切れせずに完走している。

 伸太郎が最後に特上のヴルストを完成したように、原のヴルストへかけた情熱が作品に全編に漲っている。

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我孫子武丸    「8の殺人」(講談社文庫)

 ほぼ密室状態の部屋で、ドアに磔になった状態でボウガンに撃たれ、殺された死体が発見される。

 磔になっていたドアはポチっと内側からロックして閉まっている。だから、誰かが忍び込んで殺人を犯してから外へでるしか、殺人方法はない。

 しかし、推理作家というのは面白いトリックを編みだす。犯人は声をかけて被害者を呼び出す。

 被害者がドアをあけたところで、ボウガンで撃つ。すると、被害者は内側のドアに磔になった状態になる。被害者の重みでドアが閉まる。その際被害者は内側のドアロックを押した状態でドアを開けていたので、自動的にドアはロックされ、被害者はあたかも自室内でボウガンで撃たれたような状況になる。

 別の被害者がボウガンで撃たれ殺され、倒れている。その死体が、引っ張られた後があり、数メートルずれている。引きずられた後に血がはりついている。警察は真剣に考える。何故、数メートル実際の殺害場所から死体を犯人はずらしたのか。しかし、さっぱり理由がわからない。

 実は犯人は一旦殺した死体をその場所から、数メートルずらし、更にまた元の場所にずらし戻して、殺害場所を錯覚させようとしたのだ。それにまんまと警察はひっかかる。

 我孫子のデビュー作品で推理作家に絶賛された作品。我孫子はこの作品でもそうなのだが、古今東西の推理小説を物語に埋め込み読者の推理の手助けにしようとしている。マニアにはなるほどとうならせるかもしれないが、一般読者には少しうるさいし、何か馬鹿にされているように思ってしまう。

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神津善行     「音楽の落とし物」(講談社文庫)

 音痴というのがある。音痴の殆どは、学生の頃大声をだして、声をからしてしまうと、声帯が敏感に働かなくなって起こるのだそうだ。これに対し先天的に音痴という人がいる。これは、今もって原因はわからない。それで凄い重大疾患なような名前がつけられている。「脳性楽音高低痴呆症」というのだそうだ。何だかボケ老人にされているような名前だ。

 ところがこの音痴を逆手にとって歌手になり売れた人がいる。アメリカのF.F.ジェンキンスという歌手である。この人、演奏とは大外れになるのだけど、一流のオペラ歌手のように美声で歌う。どの会場もすべて満員の聴衆で埋まる。この大外れ音痴は芸術の領域に達しているということで、絶対笑ってはいけない。もし笑うと係員により強制退場させられる。そのため、会場には、椅子の下にクッションを持ってもぐり、クッションに顔を沈めて笑いを堪えていた人がたくさんいたと言う。

 ジェンキンスは何とレコードも7枚だし、そこそこ売れたというから驚きである。

 現代音楽の作曲家ジョン・ケージに「4分33秒」という作品がある。ピアニストが椅子にすわり鍵盤蓋をあける。しかし何も弾くことなく、じっと座ったまま、4分33秒がたつと、鍵盤蓋をしめて演奏が終わる。
 この演奏をカラヤンがすると、鍵盤蓋をしめた途端「ブラボー」の声がかかり大拍手。おなじことを掃除のおばちゃんがやると大ブーイングとなり、色んなものが舞台に投げ込まれるのだろう。

 白秋と山田耕作コンビは名曲をたくさん残しているが詩に「道」「白い」「花が咲いた」という言葉が多く、曲調も似ている。かの有名なオペラ歌手である藤原義江「この道は」と歌いだしたが次の小節になり「からたちの花が咲いたよ」となってしまい、その後わけがわからなくなり「この道」と「からたちの花」がごちゃまぜになって歌い終えたことがあったそうだ。

 演歌にも似た曲調のものが多い。時々スナックで「夢追い酒」の演奏で「思い出酒」を歌う人がいる。

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町田康   「つるつるの壺」(講談社文庫)

 私達の時代のシンガーというのは、普段の服装で登場して、内向的、メッセージソングを歌っていた。もちろん、本音の部分では、でっかくあてて大金持ちになって優雅な生活をするのだという野心があったかもしれないが、表面的には普通で、そんな野心は表面にはでていなかった。そういう点では、普通の人々との差異は少なく、失敗すれば、普通の人々の流れに同化しやすかった。

 町田のエッセイを読んでいると、ロック、パンク歌手というのは、とにかく音楽世界で一発大きくあてて、毎晩、スーパーカーで美女をはべらせ、遊びまくる生活をする。そんな野心をあからさまにだして、音楽を創造する人たちのように思える。それ以外に自分たちがバンドを組んで演奏する価値はないと身体中から発している。

 しかし、それで成功した人は殆ど皆無。町田はたまたま文才があり、その才能が町田を救った。ロック、パンクは、20代半ばくらいが、世に出る限界年齢。しかも、一旦その世界にはいると、抜け出ることができなくて、貧乏に窮しながら気が付けば30年パンクをやっている自分を発見する。

 そうすると、カップラーメンをすすり、朝からチビチビ酒をなめながら、午前中は「桃太郎侍」昼は「新伍捕物長」午後一番は「鬼平犯科帳」そして4時から「大岡越前」ぼうっとみつめている生活に陥るのである。

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澤地久枝  「石川節子」(講談社文庫)

 「つねに啄木の歌よりは現実の世界の方がはるかに過酷である」と著者澤地は書く。14歳で、石川啄木と結婚を約束する恋仲になった堀合節子。啄木の才能を信じ、啄木にひたすら付き従った節子。

 それにしても啄木の生き方は理解できない。父親の一禎が寺の住職を解任され、一家の収入が絶たれたとき、自分がきちんと生活を支えねばとなるはずだが一向にそうはならない。とにかく、この作品、年がら年中友達への金の無心、質いれ、大晦日に50銭しかなく年をこえねばならない状況。貧窮につぐ貧窮の連続。

 啄木、いろんな人から心配され、代用教員になったり、北海道の2つの新聞社に就職したりするのだが、勤め始めてすぐに無断欠勤をはじめ、自ら辞めるか首になるのである。節子や長女を養うことを思うならば、詩作や小説を書く時間もあるのだから、どうして勤めあげ、家族生活を安定させようと考えないのだろうと不思議に思う。

 東京に啄木だけでて、節子、京子、啄木の母カツと別暮らしになる。啄木は、東京朝日新聞に職を得て、金銭的には安定的な生活にはいった。当然、函館に送金せねばならないのだが、殆ど送金はしない。余った金は遊郭の女にすべてつぎ込む。だから、変わらず啄木も函館の残った家族もピーピーの生活になってしまう。

 澤地の節子よりの一方的啄木評に影響されながら読み進むので、ひどい奴だ啄木は、どうにかせんかいと怒りが膨らむばかり。

 啄木が26歳で亡くなり、後を追うようにその一年後に節子が亡くなる。夫婦はたった7年間で終了する。
 たった7年間だが、あふれほどに、どん底生活の苦しいことばかりが続く。

 啄木は死後評価され歴史に残る作家になった。それは、啄木の日記や啄木への節子からの手紙、啄木の原稿を、啄木が「捨てろ」と命令したが、隠し持って、啄木死後整理して発表した節子の貢献があって実現したことだとこの作品を読んで思った。

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畑野智美    「海の見える街」(講談社文庫)

 「相手を殺したくなるような激しい感情を持つことが恋愛だと思っていた。欲と欲をぶつけ合い、他の女と話すな、他の男に触るなと騒ぎ、携帯電話でほんの数分でも連絡が取れなくなったら、何をしていたかを問い詰め、お互いを束縛しあう。毎日のように刺されるくらいの覚悟を持ってけんかして、暴力の延長のようなセックスをする。それが愛されている証拠だと思っていた。」
 この作品の春香の真剣な想いだ。

 恋愛が息苦しくなってきた。それと同時に、恋愛が人生の中心からだんだん外れてしまう時代になった。
 仕事が大切な時代になった。仕事によってできあがる人間関係が大切になった。いつでも会話できつきあえる友達が大切になった。
 恋愛は、こんな大切なものを邪魔する存在になった。上手くいくことが少ないわりに、かける情熱、割く時間がとんでもなく無駄に思えるようになった。そして、そんな恋愛が、綿々と築いてきたもっと重要な人間関係や力をいれて頑張っている仕事を破壊してしまう存在にもなった。

 セックスをしたくなったら、セフレを持てばいい。何も恋愛まですることは無い。

 最近は携帯で途切れることなくつながっていないと不安になる関係が多くなっているが、つながっていることが目的で中味は薄い。心のなかで、それ以上は私に踏み込まないでくれとセフティネットをはる。

 恋愛小説はたくさん出版されているが、それが受け入れられるのは難しい時代である。
そんな中で、この作品は頑張って正面から恋愛小説にチャレンジしている。

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| 古本読書日記 | 16:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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五木寛之   「僕のみつけたもの」(集英社文庫)

 五木が旅先で、目に留まり購入したいろんな品物を、購入したときの思い出とともに、語った作品。

 ドイツ人は理屈が好きで、理屈に裏打ちされたものをとことん追求し作り上げる。堅牢な車が典型だ。だから、ドイツでは曖昧さが許されない。

 「立派なもの、駄目なもの、大きいものと小さなもの、力の強いものと弱いもの、そういったすべての対比が、この国ほどあらわに見えてくる場所は少ない。」
 と、五木はこの作品でドイツを語る。

 そんなドイツでも、少し変わった側面を持つ。五木は更に言う。
 「変に昔の乙女のようなロマンチックで感傷的な面と、悪魔的なデカダンスへの偏愛が共存している。」と。

 どうであれ、ドイツ人は、とっつきにくく入り込めない雰囲気がある。これは、日本人からの印象だが、同じように日本人をながめ、ドイツ人も日本人はあいまいで、わからない人間たちだと思っているのだろう。

 五木がバイエル地方で手に入れたガラス工芸品。壊れないようにと強いプラスチックの箱にいれて、日本へ持ち帰ったが、口の淵が少し欠けてしまっていた。工芸品が日本になんか住めるかと意思表示をしているように五木には思えた。

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| 古本読書日記 | 16:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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柴崎友香    「ビリジアン」(河出文庫)

 近々、小学校の同級会に行く。故郷から遠いので、行ったことはなかったのだが、低学年の時の担任の先生が91歳。電話で死ぬ前に一回会いたいと言われるので、でかけることにした。

 しかし流石に小学校での出来事は殆ど浮かんでこない。きっと先生や、同級生からあんなことがあった、こんなことがあったと聞かされ、それに触発され思い出すのだろうと思う。

 この作品、主人公は柴崎さんだと思われるが、山田といって作家で多分年齢は40歳くらい。その作家の山田が10歳から19歳までの間の、ふっと時々浮かんでくる記憶、思い出をアットランダムに並べた作品。

 確かに、中年になっても、殆どの高校生までの記憶は忘れ去るものなのだが、こびりついた記憶もあって、ふとしたときに忽然とよみがえってくる。まわりから見ればどうってことない出来事だし、自分でもそう思っているのだが、その記憶が胸の奥底をチクリと刺激するような部分がある。

 持久走は1500m。小さいグラウンドを6周、7周と回る。どんどん、離され、追い抜かれ、まだ一周半あるのに、走っているのは山田(柴崎)だけ。ふっと横をふりむくと、渡り廊下を渡っているマーサが手をふっている。このマーサがずっと記憶に染みつきチクリと痛い。

 入道雲がどんどん盛り上がってゆく。山田はその先端に乗っている気持ちになり、一緒にどんどん上がってゆく。雲の上は、青空の天井がある。その天上に頭がぶつかりそうになる。思わず、身をかがめる。

 電車の吊り下げ広告に「経済破綻、日本崩壊」「大地震で世界壊滅」と書いてある。破綻、崩壊、地震、壊滅の文字がひび割れている。

 こんなようなことの一部を今度の同級会で思い出すのかなと思う。

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| 古本読書日記 | 16:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎   「歴史と視点」(新潮文庫)

 九州肥前の守護職大名だった大友宗麟。その後勢力を拡大して最盛期に九州の80%を配下に収める、九州一の大勢力大名となる。

 この大友宗麟、フランシスコザビエルとも会っていて、キリスト教を信仰し、洗礼までうけているキリシタン大名として有名である。
 彼が最後に居城とした臼杵城の城内は、西洋との貿易で栄え、一見西洋の街のような雰囲気があり、聖歌隊があったりオペラも上演された。

 こんな雰囲気だから、遠藤周作がいくつか大友宗麟を物語やエッセイにしているが、当然キリスト教信者である遠藤は、大友宗麟を絶賛している。

 ところが、司馬のこの本を読むと、大友宗麟の評価は最悪である。とにかく宗麟は漁色、女癖が節操もなくひどいのである。義理の母を側室にしたり、部下の妻や娘に強制的に手をだしたりする。毎晩酒池肉林の生活をする。

 これでは、部下がついてこられない。大友は当時、北からは毛利、南からは薩摩の島津に常に攻められる状況で、あちこちで戦をするが、悉く負ける。つまり、誰も大友に従わないのである。それで、最後は領地も減り、臼杵に引っ込み、城も明け渡し、普通の小さな家で隠居となり生涯を終える。

 司馬はこうしたことをあげ、大友の酷さを強調する。

 歴史というのは、その人を目の前でみているわけではないし、文献も多くあるわけでもない。
遠藤も司馬も同じ文献から、大友を見ているのは間違いないにもかかわらず、これだけ180度評価が別れる。面白く興味がつきないところである。

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樋口卓治    「ボクの妻と結婚してください」(講談社文庫)

 これは小説というより、今風のテレビドラマの脚本という趣だ。多分、ドラマ化もされたのじゃないかと思う。

 売れっ子放送作家の修治がすい臓がんで余命6か月と宣告される。そこで修治はとんでもない企画を考え実行しようとする。生きている6か月の間に、妻に相応しい再婚相手をみつけてやることが実行することだ。

 そこで自分が培ってきた人脈をふるに使い、婚活リサーチ会社の社長に頼み、妻にふさわしい男性を探してもらう。正直、そんな話、妻が承知するわけがない。妻は懸命に入院をすすめ、少しでも病気を治癒させようとするのが常識。また、こんな変な話にのってくる男性がいることもあり得ないし。

 ところが、リサーチ会社でふさわしい相手を探してくれて、お見合いをし、結婚してもいいと相手の男性が言い出す。

 このまま、上手く結婚できるのも変だし、さりとて結婚が壊れるのもありきたりと思って読み進めたら、少し変化球の終末が用意されていた。

 それにしても放送作家というのは、常に面白いことを考えてようとして、何かヒントになりそうなことがあればしょっちゅうメモをする。
そんな中から、ひとつ。
 「太っているドイツ人。ジャーマンポテット」

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今野敏    「バトル・ダーク」(ハルキ文庫)

 国際ジャーナリストで「イスラムの熱い血」をベストセラーに導いた磯辺が「イスラム聖戦革命機構」というゲリラ組織に誘拐される。この磯辺を、かってチャド内線で傭兵として戦った工藤とジェイコブを中心に4人の精鋭が救出するために、ゲリラとの戦いを描く。

 少し読み応えがあるのは、救出のためにゲリラと4人の戦いの部分だけ。あとは、はっきり言って内容がひどすぎる。

 まずアラブゲリラが磯辺を拉致し、たった6人のアラブゲリラが日本で戦いをしようとする動機が全く不明。どんなに、優れた訓練をうけ、有能なゲリラ戦士であっても、大量の警察官やその中の特殊部隊に囲まれればまったく勝ち目はない。そこまでして、何を成し遂げたいのかが全くわからない。

 しかも、箱根のホテルの公衆電話から、故意に長電話を警察ニして、自分たちの居場所を警察にわかるようにさせるところなど理解不能。

 幾多の今野作品のなかで最低の出来の作品だった。

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桂歌丸  「歌丸 極上人生」(祥伝社黄金文庫)

 桂歌丸に自分史を語ってもらい、それが録音され、書きおこされてこの本ができあがったように思われる。歌丸の語り口そのまま味わいもあり、目の前で歌丸が喋っているのではないかと錯覚してしまう。

 初めてこの本で知ったのだが、歌丸の実家は横浜の真金町で遊郭をやっていた。富士楼と言ったそうだ。仕切っていたのは歌丸のおばあちゃんで、このおばあちゃんがすごい人らしく、他の遊郭「ローマ」「いろは」のおばあさんを含め真金町の三大ババアと言われていた。

 横浜大空襲ですべて焼け落ちたが、放っておくと他人にとられると、すぐに平屋のバラック小屋をたて、遊郭をはじめたというからやはり凄いおばあさんであったことは間違いない。

 この遊郭ではやたら赤飯を食べることが多かった。戦争中、兵役でとられた人が、出征前に記念にと女郎を買いにくる。そんな時は必ず赤飯を焚いて送り出すからだ。

 歌丸のお祖母さんと、お母さんは折り合いが悪く。お母さんは実家へ逃げて帰る。だから歌丸とお祖母さんの二人住まい。歌丸を一人遊郭に残しておけないと言って、栃木に女を買いに歌丸を連れていったそうだ。10歳かそこいらで、歌丸はとんでもない経験をしている。

 歌丸は私が落語をよく聞いていたころは、おばあちゃんを題材にした落語で有名な古今亭今輔の弟子だったり、桂米丸の弟子で、かれらの系統をひいて新作落語ばかりをやっていた。

 でも今は新作はやめ、古典落語しかしない。それも最近は、円朝の大作「真景累ヶ淵」を演じているというから驚いた。

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| 古本読書日記 | 16:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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安岡章太郎   「とちりの虫」(旺文社文庫)

 少しセレブな人は、家を新築したり、マンションを購入したりすると、たくさんの銘酒を並べてホームバーを作る人がいる。この感覚が理解できない。だいたいバーで飲むということは、家庭生活や普段の暮らしからのがれたくてすることである。家にバーを作って、奥さんと飲むなどということは、空想世界では考えられるがとても現実世界ではあるようには思えない。

 安岡が、新築してホームバーを作った菊村到に聞いた。
 「どうだいホームバーを楽しんでるかい?」
 菊村が答える。
 「子供の遊び場になっているよ。」
わかるなあ。

 「両面の鏡」という映画がある。
妻が美人に憧れ、夫を喜ばせてもっと幸せになろうとして、整形手術をする。それでとびっきりの美女に変身して夫の前に現れる。夫は大ショックを受け、妻と離婚する。

 これもよくわかる。それなりの容貌でお互い夫婦になって安定した家庭を築いているのである。この築いてきたバランスが突然崩れ、妻が美人に変身すれば、夫の重圧は大変である。美女には美女たる生活を用意せねばならない。そんな絵空事のような生活はとてもできるわけがないのである。これもわかるなあ。

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| 古本読書日記 | 16:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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永六輔   「終わりのない旅」(中公文庫)

 永六輔が雑誌「旅」から依頼され、あちこちを旅する旅行記。

 この企画を知った、テレビマンユニオンのスタッフが、永さんの邪魔はしない、永さんが好きなように気ままな旅をしてくれればよいという条件で、旅を番組にして放映したい、それを永六輔がしぶしぶ了解して始まったのが、あの有名な旅番組「遠くへ行きたい」だ。

 だけど、永六輔が勝手にぶらぶらしているところを映像にしたって、少しも面白い番組にはならない。だから、結局はスタッフが干渉してきて、こういうところを撮る、その時に永さんはこうしてくれと要求をしだす。

 今、旅番組やグルメ番組は全盛、一見するといきなりその場所へ行って撮影しているように装うが、実際に映像を撮る前に、スタッフがでかけ、何をどういうアングルで撮り、出演者にはどんなことを喋ってもらうかシナリオをおおよそ作って、出演者、スタッフ打ち合わせの後、シナリオに沿って撮影をするのである。

 網走刑務所の前で、風呂敷包みを持たされてそちらから歩いてきてくださいと永が言われる。何で、雑誌の旅行記だけを書くのに、そんなことをせねばいけないのだと頭にくる。
 しかしディレクターに説得され受け入れる。

 ディレクターが「ハイ スタート!」と声をかかる。
 永が歩き出すと、スタッフがマイクを突き出して
 「おつとめご苦労さんでした。今一番会いたいのはどなたですか。」
いやがっていた永が調子に乗って答える
 「会いてぇやつは、ムショ暮らしよ。」

 この作品昭和47年の作品。

 隠岐の島に永六輔を含め5人で行ったとき、旅館の大将から、この中で一番偉い人はどなたですかと聞かれる。行きがかり上永六輔が一番、そして五番目まで順位がつけられる。

 夕食のとき、永には二の膳、三の膳と豪華な料理が提供される。しかし5番目の人にはお茶漬けだけだったそうだ。凄い封建社会。今はまさかこんなことはないだろう。

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| 古本読書日記 | 16:45 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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奥野健男    「北杜夫の文学世界」(中公文庫)

 小説のなかの小説といえば大河小説である。ある家族や、集団、さてはその民族、国家の壮大な運命を辿った小説、あるいは幼年期からの自己形成小説、さらにはそれらを縦糸にして、その時代の社会の人々を、状況を、風俗を横糸にした、交響楽的本格ロマン小説である。そんな大河小説への憧れは私達は強い。

 小説のなかには一部にそういう小説が無きにしも非ずだが、思想や特定の歴史観が全面にでて、リアルさが欠如していることが多い。女性作家ではたびたびそんな小説があるが、特定な職業、価値観に対象がせばめられていて、小説の幹の太さが欠ける。

 世の中は細分化され、個人主義が蔓延し、もう大河小説は生まれないかもしれない。

 その大河小説の大傑作のひとつが北杜夫の「楡家の人々」である。

 山形の百姓の出の楡基一郎が、楡病院経営で成功し、成り上がり最後は代議士にまでなる。しかし、息子の徹吉は詩作や短歌に没頭する、気弱な知識人階級。それのため、財産を費消し没落してゆく。そこに大戦と敗戦。あわれな徹吉。桃子と藍子の悲しい運命。明治、大正、昭和の敗戦までの壮大な人間ドラマが展開する。

 「楡家の人々」を執筆中、北は奥野と、三島由紀夫としばしば飲む。三島が懸命に「楡家の人々」創作にアドバイスをしたり、支援をした。実は三島は、北の「楡家の人々」に触発されていて、傑作「豊穣の海」の構想を同時に作り上げていた。

 私は北杜夫が大好きである。初期の傑作「幽霊」でもそうだが、幼年期、少年期の純粋な気持ちを常に北は大事にしてその視野から作品を創る。大人であるべき世界と純真な視野とのギャップから独特のユーモアが生まれ「ドクトルマンボウ」シリーズができあがる。

 書店でまだたくさんの北の作品が書棚にあることがうれしい。

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| 古本読書日記 | 16:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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最近読んだ本

その1:「薬剤師は薬を飲まない」

生理痛は、普段から体を大事にし、体が冷えないようにしていれば、むやみに薬を使うことはない。
高血圧も、極端な数値になっているときは薬が必要だけれど、「高め」がその人の体にとってちょうどいいのかもしれないし、「生涯飲み続けるお薬ですよ」とは言いたくない。
このあたりは分かる。
話が広がって、「抗がん剤は免疫力が低下する。薬をやめて免疫力を高めれば、癌も治りうる」「医者からもらった薬を飲まず、ギランバレー症候群から回復した知人がいる」までいくと、そこまで言っちゃっていいのかな~となる。

ただ、著者自身が正しい姿勢での運動を始めて薬を減らすことができたそうで、それなりの根拠はあると思います。
薬は、周囲に水をまき散らしながら走る消防車のようなもの。確かに、頭痛にも生理痛にも肩の痛みにも効くなら、抑えなくていいところまで抑え込んでいるってことになりますね。
何種類か乗っているエクササイズは、普段使っていない筋肉が使われている感じで、気持ちいいです。


その2:「中島らものたまらん人々」
爺やが、読み終えたあと少しリビングにこの本を放置していまして、パラパラ見たら面白そうだったので。
時代の違いか、私の知識不足か、オチがわからない話もいくつかありました。

「あんたと違う天国に行くのは嫌やもん」
「じゃあ、天国は団地みたいになっていて、回教・仏教・カソリックと棟が分かれているのか?」
「たぶん、そう思う」
この、ばかばかしさ(?)は分かる。
牛丼屋で肉の塊を床に落としてしまい、「カラの器に拾った肉を戻しておいたら、店員が『あの客、肉を残しおった』と驚くに違いない」と考えるセコさ(?)も分かる。
めちゃくちゃなフランス語が通じたと思っている学者の滑稽さも分かる。
新入りの顔にケツ丸出しでしゃがみこみ、お稲荷さんを顔につけて無理やり起こすのも……分かる。
ゴルバチョフ丼はわからなかった。
そんな本です。

| 日記 | 16:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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思い出のマーニー(映画)

連休なので、DVDを借りてみました。
爺やの感想はこちら。私の感想はこれ

日本に舞台を移しちゃって大丈夫なのかと思いましたが、そんなに無理はなかったと思います。
祖母が外国人のために、杏奈の目は青みがかっていて、それがコンプレックス。その程度です。
原作だと、実父がスペイン系だとか、実母(原作はエズミ。映画はエミリ?)がバツイチとか、屋敷に引っ越してくる家族が子だくさんとか、マーニーは親の愛を知らなかったから娘をうまく愛せなかったとか、色々ありますが、無駄な設定は削除。

☆マーニーに団地とか手当とか話しても通じない気がするが、杏奈もパーティーやねえや・ばあやを受け入れているので、世代間ギャップは無いことにしていいのだろう。
★日本の田舎で、駅前にチェーン店ができたのも最近らしい。なのに、派手なベッドカバー・木の形を生かした柱・壁に飾ったジュエリー・枠にペンキを塗ったガラス窓等々ペンションの一室みたいなしゃれた部屋。
☆絵描きの老女は、マーニーの孫の名前くらい知っていたのでは。
★聞き役の少女が、「和彦さんはいい人だったのね」「マーニー、かわいそう」といちいちコメントするところで、外国の作品が原作だと強く思う。

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杏奈が、屋敷のそばで療養したのが偶然なら、できすぎている気もします。
養父母も預かってくれた夫婦も何も知らず、「不思議な力が働いた」という解釈がよいようです。ファンタジーだし。
死んだマーニーが、「いつか杏奈に屋敷を訪ねてほしい。あの土地に縁のある、あの夫婦に杏奈を引き取ってもらう」と仕向けたなら、怖いような面白いような。

結末を知っていると、「大好きよ」と抱き合い叫びあう少女二人にも理由があると思うんですが、なんか薄っぺらい気はしますね。不幸自慢しあったり、秘密やら友情やらを強調したり。
そういえば、アンとダイアナがうらやましいって思ったことない。
あまり入り込めず、「早く靴履きなよ」「こりゃ、草でふくらはぎが切れそうだな」「ドレスびしょびしょで洗濯が面倒くさそう」とつまらぬことを感じていました。

| 日記 | 16:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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大江健三郎    「人生の親戚」(新潮文庫)

 主人公倉田まり恵の長男は、重い知能障害で生まれた。次男は健康に生まれた。そこから夫との関係が悪くなり、離婚をする。その時、まり恵は長男を引き取り育てることを決意する。
ところが、次男が交通事故にあい、半身不随の暮らしを余儀なくされる。そこで、しかたなく夫と復縁し、2人の子供を育てることになる。

 長男は体は健康だが心は壊れている。次男は心は健康だが体は壊れている。心と体が一体となって人間は普通の暮らしができる。分離されて生きてゆくのは大変なことである。
 まり恵に衝撃を与えたのは、長男と次男が一緒になって自殺したことである。

 これはまり恵の人生に取り払えない重荷となる。

 ここからまり恵の苦しい流浪が始まる。しかし、その流浪には、何とかまり恵を励まし支えてあげようとする人々が現れる。その人々の支えが、決してまり恵の人生にはなかなか援軍とはならないが、染み込むようにゆっくりと力になってゆく。この人々こそ、この作品のタイトルにある「人生の親戚」であることを作品は言う。

 心と体を融合させる直接的行為はSEXである。まり恵はこのSEXにも溺れる。そんな苦悩の中を彷徨い、この作品でいう親戚と関わりながら、最後にメキシコの農園に行きつく。

 農園は貧民のたまり場だった。そこでまり恵は生涯SEXをしないことを決意し、貧民の先頭にたって懸命に働く。そして、貧民を励まし生きてゆくことで、息子たちの自殺を克服してゆこうとする。

 この作品を読むと、言葉の空虚さを感じてしまう。心とか神がBGMのようにこの作品では語られるが、愛のこもった献身的な行為の前に言葉はいらなくなる。

 まり恵は神を実践して、多くの親戚を持つようになったと思う。今神の行為があるとするなら、まり恵でありマザーテレサだと心底思う。

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| 古本読書日記 | 16:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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レイモン・ジャン  「ふたり、ローマで」(新潮文庫)

 物語は、二組の若夫婦とともに進行する。
 妻ソフィー  夫ブリュノ
 妻イリス   夫リオネル
そしてイリスとブリュノは不倫関係にある。

 悪いことに、ブリュノはニースに出張と嘘をついて、イリスとローマでサッカーヨーロッパチャンピオンシップを観に行く。
 そして、シュートが決まったとき、最も大喜びしている観衆として、2回も不倫の二人がテレビに映される。何しろ、世界中に中継され、ヨーロッパでは大多数の人々が視ている。
当然、ブリュノの勤めている銀行でもソフィーの親や親戚でも騒ぎになる。

 このことにたいしてブリュノ夫妻とリオネル夫妻が好対照の対応をする。

 ブリュノの妻ソフィーは、夫の裏切りに衝撃を受け、嫉妬に狂い、もうダメと絶望の底に沈む。ブリュノも気が動転して、何と弁護士をたて、テレビ局を訴える。

  一方イリスの夫リオネルは、イリスの生き方をみていて、これもありかなと思って、いらだつこともなく現状を受け入れる。
 イリスは「柔らかい女」という運動組織を主宰している。この考え方が面白い。

 人間は元々甲殻類だった。何が襲ってきても、甲殻で身を覆い徹底して守り固める。しかし人間は甲殻類から脱皮して、守っている骨を柔らかな肌で包むようになった。
 肌は触れ合うためにあるもの。人間は相手を受け入れ認め合うように進化した。だから不倫は起こって当たり前のことだと。

 硬い甲羅に身を固めて、絶望、孤独に陥るのは進化前の人間の姿なのだ。
そして、物語はどちらを選択するかは、読者にまかせると終了している。

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| 古本読書日記 | 16:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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