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2016年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年05月

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アンドリュー・スタントン  「ファインディング ニモ」(竹書房文庫)

 ディズニー映画作品のノベライズ作品。

 オーストラリアの海岸のイソギンチャクを住居にしていたカクレクマノミ夫婦、200個の卵の孵化を心待ちにしていた。そこをオニカマに襲われ、卵を守るために飛び出した妻を
 救おうとした夫マーリンが叩きつけられ気絶してしまう。眼を覚ますと、妻は亡くなり、残った卵はたった一つ。その卵から誕生したのが主人公のニモ。

 ニモが学校に初めて登校した日、先生の背中に乗って遠足にでかけたとき、人間のダイバーの網に掬われニモが連れ去られる。

 そこから父マーリンのニモ探索の冒険と歯医者の水槽に入れられたニモの水槽脱出作戦が平行して進む。

 マーリンの探索記が非常に面白い。サメに飲み込まれるが、サメは魚は食べないということを信条にして腹には飲み込まない。歯の先端に引っかかりながら、脱出するところなどはワクワクする。海亀の背に乗って深海を移動したり、クラゲの背中を弾みながら移動し、最後はペリカンのナイジェルの嘴でつまんでもらい、とうとう歯医者の診察室までやってくる。もう一歩で出会える直前で、歯医者はニモをいらないものにしてトイレに流す。

 トイレに流されたニモはパイプを伝わり、海にでる。そこでもいろいろあるのだが、何とかマーリンと出会い、逞しくなって、家に帰る。

 この作品でマーリンと探索を一緒にするドリーの言動に独特のユーモアがありとてもいい味をだしている。とにかく物忘れがひどい。さっきやったこと言ったことをすぐ忘れる。だけど、歯医者の住所だけは、マーリンの顔をみると絶対思い出し忘れない。

 困難に打ち勝ちながら、成長、仲間への信頼の深まり、家族の絆を謳いあげる真正面から臨んだ愉快な映画であり小説である。

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小杉健治     「失踪」(集英社文庫)

 若い時分、主人公の教師が教え子と過ちを起こす。その子との別れ話が上手くいかない。連れ込まれたラブホテルの踊り場で言い合いになる。教え子が足を滑らし、踊り場から落ち死んでしまう。自分ではない別の教え子と同い年の少年が、犯人に見立てられる。そこに追及捜査が集中したため、教え子殺人の追及は先生にはなく、事件は迷宮入りとなる。

 先生は、そこから人間を変え、札幌に移り、評判の良い先生として教育一筋の人生を貫く。賛辞は多くの教え子や、同僚に及び、国から表彰を受けることになる。

 そんなとき先生はアルツハイマーに罹る。記憶がどんどん失われていく。自分の言動がおかしくなり全く自信がなくなる。このまま、今の人たちと関わっていると、ほんのちょっとしたきっかけで、教え子殺人を口にしてしまうかもしれない。その恐怖心が先生を襲いその恐怖心がどんどん膨らんでくる。

 そこで、先生は自分の存在をこの世界から消し、新たな別な人間として生まれ変わることを計画する。

 この失踪を、教え子で先生を尊敬していた弁護士鶴見が追及して真相にまで至る。しかし、鶴見は先生が園長をしている老人ホームまでやってくるが、先生を今のままにしてあげようと思い、先生に会うことなくそのホームを去る。

 ここまでいかなくても、人生の中では、あれだけは秘密にしておかねばならないということを持っている人は結構いるかもしれない。忍び寄る病とともに秘密を抱えながら生きることは厳しいことなのだ。

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| 古本読書日記 | 20:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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スティーブン・レベンクロン  「自傷する少女」(集英社文庫)

 よく女の子に多いのだが、自分の腕に刃物で傷つける子がいる。

 この作品によると、ものすごく精神的に追い詰められて、このままでは完全におかしくなると感じたとき、その精神的かい離を防ぐために、腕に傷をつけ、精神的圧力を忘れ、傷ついて痛いことに集中するためにしていることなのだそうだ。つまり、決定的な破滅を防止するために本能的にしてしまうことなのだ。

 この作品に登場する主人公の少女ケイティは、フィギュアスケートの一流選手を目指して、ロンコーチと母親に支援をうけ、懸命に厳しい練習に励んでいる。2回転ジャンプは時々成功することもある。3回転ジャンプは挑戦するも未だ成功できない。2回転ジャンプを失敗すると母親が強烈な罵声をとばす。それがプレッシャーになり、回転前に頭が空白になり、失敗する。すると母親の罵声のなか、どうしても腕に傷をつけたくなる。

 ある日、学校で、この空白がやってきた。そして、壁に顔や頭を自分でぶつけることを続けて、血だるまになる。

 そこからセラピーを受けることになる。

 この物語では、モンスター母親がケイティの自傷行為を誘引しているように語られる。父親を離婚で失った母親は完全に人生の生きがいはケイティだけになる。それがケイティのためにやっていることだと置き換えているところが救いようがない。

 セラピーを通じてケイティが母親の傘から脱却して、母親と対等になってゆく過程が展開する。現代どこにでもありそうな話でなかなか重かった。

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| 古本読書日記 | 20:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ジェームス三木     「翼をください」(アニメージュ文庫)

 高校入試で公立高校受験は日程が統一されている。だから公立高校受験に失敗すると、私立の「~学園」なる高校に行かざるを得ない。人間は平等で、通う高校により差別などはあってはならない。それは理屈ではわかるが、現実はそうはゆかない。

 この物語、たった200mの距離に超優秀進学校の花房高等学校と、ダメ学校である「花房学園」があり、通学も同じ道を通って学校へ行く。左側と右側に通りは分かれて2つの高校の生徒が交わることは全くない。進学校には制服はなく自由。それにくらべ「花房学園」はブレザーに臙脂のネクタイ。一目でどこの学校の生徒かわかる。

 「花房学園」の生徒は、はなから勉強をやろうなんて生徒は殆どいない。問題を起こしたり、勉強通学がいやになり中途退学者がわんさかいる。

 街では、学園の制服をきている子をみるだけで、あれはダメな子と烙印を押す。もう学園にはいったというだけで、人生の展望は全く閉ざされる。

 この物語は、こんな学園だって、通っている生徒は、普通に頑張っているし、血も通っている普通の10代の若者なのだということを文化祭で訴えようとするところから始まる。

 街全体だけでなく、校長や先生まで、学園の生徒はダメ生徒と思っているから、実現には非常な困難が次々現れる。

 それらを克服してパフォーマンスは成功する。感動的なフィナーレを迎えるが、それで街の差別意識は変わったかというとそうにはならない。でも、生徒たちの卑屈、いじけの気持ちだけは無くなった。

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| 古本読書日記 | 20:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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うずまき猫

最近読み終わった二冊。

その1: うずまき猫のみつけかた

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一か月以上かけ、だらだらと読み進めました。
読みづらかったわけではなく、ゲームとかほかの本とか合間に入れていたもので。
あとがきで村上氏が振り返っている通り、猫のエピソードがわりと入っています。アメリカでの隣家の猫、学生時代に飼っていた猫、旅行先で出会った猫。
どこに「うずまき猫」が登場しているのかはわかりませんでしたが。

こういう生活していると、ああいう小説を書くようになるんだな~と思いました。ピアノとかジャズとか昼間のビールとか奥さんとの心地よい距離感とか。
日本で書いてもアメリカで書いても小説の中身に影響はないって話も載っていましたが。『ノルウェイの森』は、ギリシャとイタリアで書いたらしい。

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「日本ではやりません」という断りがあったとしても、マリファナに誘われたら気軽に楽しんでいるとか中毒性がないとか書いてあると、「え~っ」とはなりますね。
国が変われば法も感覚も変わる。


その2: また、犬と暮らして。

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母(はなゆめママ)が買いました。
考えようによっては重い内容だし、買った本人は数日に分けてゆっくり読んでいるようですが、私はさらっと読んでしまった。
写真が多いし(;´・ω・)

「独身というだけで、『あなたは里親にはなれない』と断られました」
という不満は、この前知恵袋でも見かけました。
この本では、
「二度目の人生(犬生)に、間違いのない場所を選んであげたいという運営側の思いがあるのだろう。
ペットを捨てるのは、もともと動物が嫌いな人ではなく(そういう人はそもそも飼わない)、最初は「かわいい」と思っていたけれど責任を放棄した人。
そして、「里親になってやってもいい」と、傲慢な態度で応募するのは違う」
という話。
知恵袋は、
「審査を厳しくして狭き門にしているサークルは確かにある」とか
「面倒なことを言わないペットショップで、売れ残りのコを買えばいい」とか
「あなたになにかあったときのため、セカンドオーナーの確保はしておいてほしい」とか。

富士丸のときは、「狭そうな部屋に大型犬を室内飼いかぁ」と窮屈そうなイメージでした。部屋を荒らされないよう、1畳ほどのスペースで留守番させたそうな。
この本によると、階段のある家に引っ越しして、ダブルベッドにシングルベッドをくっつけた広い寝床で犬と並び、朝晩海のそばを散歩しているそうです。

| 日記 | 19:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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星野博美   「島へ免許を取りに行く」(集英社文庫)

 私達は人間関係で知らず知らずに重視していることは、相手の中にズケズケはいらないこと、だから相手も自分の中にズケズケ入ってきてほしくないと思って関係を成り立たせている。

 星野さんは、この作品を読んでいると、思ったことはあけっぴろげで喋る、とにかく結構煩いタイプのように思える。

 きっとこの作品を書いたころは、そのあけっぴろげな性格が災いして、大事だと思っていた友達に絶縁されて落ち込んでいたのだろう。ただ星野さんは、過去を悔いても仕方がない、前を向いて自分を変えようと思う。

 そこで、自動車免許をとると決心。自分を変えるのだから、全く今までの生活と異なった環境、そして誰も知っている人がいないところに自分を置こうと思い、五島列島で免許取得合宿に参加する。

 そこでも、東京での痛手も忘れて、結構思いのまま発言する。学科の授業中でも、疑問が浮かぶと、あれやこれやと先生を質問攻めする。きっと先生も他の生徒もみんな辟易していい加減にしてくれと思っていると思うのだがそこへの気付きが無い。教習も仮免運転時もああだこうだととにかく煩い。

 この積極的な性格が色んな行動を誘い出し、結果、五島の素晴らしいところや温かい人々を発見遭遇する。一方で小さな町の住まいづらさ、窮屈さも知る。

 星野さんの生き方、性格は変わらないだろうから、これからもどんと落ち込むこともあるだろう。そのたびに、今を克服するために、突拍子もない発想と行動をするだろう。そこが星野さんの人生に素晴らしい違った色が加わることは間違いない。

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| 古本読書日記 | 19:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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安岡章太郎   「私説聊斎志異」(講談社文庫)

 時々、将来高級官僚にならんと志し東大法学部を一途に目指すが、何年も受験するがそれに悉く失敗、5浪、6浪なんて人がいる。或いは、司法試験を5年6年にわたり受ける人がいる。

 もういい加減あきらめて他の大学に行くか、他の職業に就くか周りはやめてほしいと思うのだが、決してやめない。とにかく、落ちるくせができると、どういうわけか、絶対というくらい受からない。

 この小説に登場する蒲松齢、19歳の時に初めて中国の官僚登竜門である科挙を受けて失敗。その後51歳まで数十回挑戦するが悉く失敗する。科挙というのは、一回の受験で数百万円費用がかかるらしい。蒲松齢は地方の町に住む。科挙試験を受けるのに済南まででる。
そのたびに試験に失敗。帰る道は本当に辛かっただろうと思う。

 司法試験ではないが、落ち続けると、意地になるのだろうか。どうして諦めないんだろうか。50歳にもなって科挙に受かっても、任官される可能性も少ない。それに任官されても栄光の出世街道を歩めるわけでもない。何しろ、51歳の時には息子と一緒に試験を受けているのだから。

 多分家では、男として一本だちできないダメおやじと蔑まれ生きてきたのだろう。作者安岡も松山高等学校を3回受験で失敗している。そして慶応に入る。

 青春モラトリアムの時代。食えるかどうかわからない物書きを目指し放浪していた時代。家族を思うにダメな男だと安岡は自責しながら放浪していた。その青春を蒲松齢に重ね合わせ執筆した作品である。

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ロバート・キャパ   「ちょっとピンぼけ」(文春文庫)

 第二次世界大戦でのヨーロッパ戦線の写真家キャパによる従軍記。

 北アフリカ、イタリアナポリ、そして有名なノルマンディー上陸、パリへの入城、ドイツ戦線の前線での記録。戦闘機に乗り、落下傘部隊の降りてゆくところや、自分自身も落下傘にぶらさがって降り、その途中でシャッターをきる。

 写真記者キャパは部隊の後方からゆくのではなく、常に最前線で危険地帯を兵士と共に行動する。やはり圧巻は、ノルマンディー上陸作戦の前線。史上最大の作戦といわれた前線である。

 「突進する二人の蔭に隠れながら、海岸にたどりつくと、私は砂の上に打ち伏した。ドイツ兵はまだふんだんに弾薬を持っていた。いま、わたしの熱烈な願いはしばらくの間でも大地にもぐれたら、ということであった。しかし事態はますます逆に、私の体はますます危険にさらされた。」

そして

「瞬時のあいだにフィルムというフィルムは撮りつくされた。バックに手を伸ばして、新しいフィルムを取り出したが、濡れて、震えている手は、フィルムをだいなしにするばかりで、カメラに入れることはできなかった。」

「フィルムのない空っぽのカメラが手の中で震えていた。予期しない。新たな恐怖が頭のてっぺんから、足のつまさきまでわたしを揺さぶって、顔がゆがんでいくのが自分にも感じられた。」

 本の表紙の写真が、このときの写真。完全にピンボケになっている。それは、恐怖で手が震えながら撮られた写真だからである。

 この作品のすばらしさは、キャパが全く平和とか戦争反対などの思想を述べないことだ。戦争の前線にいる兵士は、そんな思想など微塵も考えないし言わない。ひたすら、命令に従い敵前にとびこんでゆく。キャパが兵士と同じ姿勢を貫き、ひたすらその兵士たちの写真を撮り続ける。そこからにじみ出る兵士の姿が世界の人々の心に強烈に届いたのだと思う。

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| 古本読書日記 | 19:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー   「私の文章作法」(文春文庫)

 60歳も半ばを過ぎると、頭の固さ、働きの悪化を認識せざるを得なくなる。感想文を今のように本を読むたびに書き、ブログにして掲載している。別に作家のようにこれで稼ぐという必要は全くないのだから気楽に書けて当たり前なのに、何ともそのための言葉がしばしば浮かんでこなくて戸惑うことがよくある。

 このエッセイ集で、杉浦明平の言葉がずしんと響く。

 「チューブ入りのねり歯磨きが古くなりやや硬ばったような頭だから、一句ごと一節ごとむりやりに絞り出し押し出さなくては進まないのである。ときにはアルコールで脳細胞を刺激興奮させて、ことばをオートマティックに流れださせようとこころみないでもない。がこのごろは飲みすぎると眠気の方が先に頭全体を支配してしまうので、文章が流れだすどころではない。やはり正気で涸れた脳味噌にしめ木をかけて、わずかに染み出す屑まじりの語彙や文節をよたよたと並べる以外に方法がないのである。」

 作家はみんな同じなのだろうか。

 作家の創作の苦労をこれほど鮮やかに描くとは。これこそ、名文中の名文だと思う。

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| 古本読書日記 | 19:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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白石一文     「神秘」(下)(講談社文庫)

 膵臓末期ガン余命一年の宣告を受けた主人公の菊池は、宣告を受けて2年たっても、何の治療もせずに元気で生きている。

 菊池に限らず、人にはメインで流れている人生のほかに別の人生を持っている人が多い。
菊池は出版会社の超一流編集者として常に光り輝く道を疾走してきて、取締役までなり、社長になることも視野にはいっていた。成果もあげただろうし、ライバルとの確執もたくさん経験し、彼らを蹴落として今の地位を築いた。それが、彼の人生のすべてのように思えた。

 一方、彼は気が付かなかったが、陽のあたらない人生のたまり場である飲み屋に寄りかかっていたり、会社ではなく家族、親族を基盤にしている人間関係の中にも菊池は存在していた。

 ガンの宣告があり、メインストリームであった人生を完全に捨てざるを得なかった。明日の栄光を勝ち取るためにすべての競争に打ち勝つという世界から下りた。

 そうなると、よりかかるのは、別の絆である。競争とは無縁の、淀みのある社会が眼前に現れ、そこに自分の身を寄せることになる。

 完全に自分の今までのこれが人生というものを捨てて異なる人間に生まれ変わったのである。この、物語は、心も体も完全に生まれ変わっていく菊池の軌跡を物語にしている。

 ガンというのは、正常細胞が何らかの力で全く異なった細胞に作り替えられることによって起きる。ということは、ガン細胞もまた何らかの別の力により元の細胞に戻ることもありえても不思議ではない。

 物語では、菊池がガンを克服したかどうかはわからないが、少なくても、生き方を全く変えたことによって生き延びたことは示唆している。

 確かにガンは、人生や生き方を完全に変革することで克服できる病気なのかもしれない。

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白石一文     「神秘」(上)(講談社文庫)

 大手出版社取締役の主人公菊池。体の変調に気付き、病院で精密検査をすると末期の膵臓ガンで余命一年の宣告を受ける。

 彼は社長に事実を告げ、取締役のまま、一年間の休職をとること認めてもらう。そして、関係のあった人々との関係をすべて断つ。すでに、妻とは5年前に離婚。2人の娘も、留学、あるいは嫁いでいて2人とも海外暮らしをしている。愛人との関係もたつ。

 そして、神戸のタワーマンションに移り住む。昔、足首をねん挫したとき、ある神戸在住の女性の祈念により、そのねん挫がすーっと治ってしまった経験があり、奇跡の治療をしてもらえればと思って神戸に移住したのである。

 菊池は今までの生活と様変わりになる。人や時間や電話に追いまくられることがすべて無くなる。街を歩いても、すべてが見知らぬ人ばかり。孤独だけど、実に自由で解放的である。

 そこで、死ぬこと、生きることを深く考えるようになる。人間は社会的動物だから、人間関係を断つということは、悲しく切ないことように思われるが、現実の菊池は今までで、一番幸せで大切な時を過ごしているように感じる。
 この小説上巻は、その菊池に以前愛人だった女性が訪ねてきて、あれこれ菊池を支えようとするところで終わる。

 それにしても変わらず白石の作品は、深く、質高く、主人公が考え込む場面が多い。だから物語の展開が遅い。ジョブスや志賀直哉を引き合いにだして、その生きざまを赤裸々にしながら、主人公なのか白石の想いか判然としないが、余命1年宣告された後、どういう生き方が最も人間的なのかを作品で吐露する。

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川上未映子    「愛の夢とか」(講談社文庫)

 短編集。
 あの大変だった時、私はなにをしていたのだろう。こんなふうに振り返っても本当に何をしていたか思い出せない時がある。

 夫は勤めていた会社から独立して、建築会社を作った。そして、都会に一億円以上もかけ土地と家を持った。内装も家具も自分で決め、特に庭は丹精を込めて作り上げた。幸せいっぱいと思っていたとき、夫から会社が倒産した、この家を売ってどこかへでていかねばならないと言われた。ある日不動産屋が女のひとを連れてくる。女のひとは家を気に入り買うと宣言する。

 そして今主人公は、夫と家を手放し、狭いウィークリーマンションにいる。

 会社が倒産してこのマンションに今いる。その間、「私は何をしていたのだろう。夫は何をしていたのだろう。」と一人つぶやく。倒産してから、今まで夫と何かを話した記憶がない。
今後どうするのだろうと話した記憶がない。何もしていなかった。何もしないまま今になってしまった。

 そして今かっての家に行き、大好きだった庭で、新しい女主人が掘った穴に寝ころび、庭と家と空をみつめている。そしてつぶやく。「私は今なにをしているのだろう」と。

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宮本百合子   「婦人の生活と文化」(国民文庫)

 日本の代表的女性作家といえば、「源氏物語」の紫式部ということになるが、海外からみるとこの偉大な作品の作家紫式部が個人名ではないことに仰天するそうだ。本名なりを語って物語を発表できないことが不思議。これは「枕草子」の清少納言にもいえる。女性には人格、人権が与えられていなかったことの象徴として語られる。

 明治になり、ぼちぼち女性作家が登場してくる。露伴なども執筆していた「文藝倶楽部」という雑誌で、女性作家特集号というのを出す。その原稿料が簪や着物だったそうだ。樋口一葉の時代である。まさか一葉の作品も同じだったとは思えないが、生活苦で駄菓子屋をやっていた一葉のことを考えるとひょっとすればとは思った。そんなことをこの作品で知った。

 この作品のように、女性の人権や地位が男性に比し、極めて低くおさえられていたという評論を読むと、それはそうなのだろうが、抑圧という観点からみると、女性、男性という区別でみることが正しいことなのだろうかと思う。

 抑圧、人権無視は別に女性に特別に向けられていたものでなく、百姓や貧しい人々、あるいは一般人に等しくなされていたと思ったほうが正しいように思う。戦争中、この作品ではいかに女性が虐げられていたかを強調するが、赤紙一枚で戦争に駆り出された男たちにもその悲劇は女性と同等にもたらされている。それは権力に抗することを押さえつけられた庶民に等しく覆いかぶさってきた。女性、男性の区別などあまりない。

 しかし、確かに、社会において女性進出が遅れてきたことは否めない。女性からみると男性優位社会にみえることもしかたないようにも思う。

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フィッシャー   「音楽を愛する友へ」(新潮文庫)

 音楽とは何か。芸術の中での音楽とは何か。偉大なるピアニストフィッシャーが、ショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、そしてフィッシャーが最も敬愛したバッハを論じながらその問に答える。

 現在のクラシック音楽家を目指す人たちのバイブルになっている名著。

 元来、音楽を言葉で表すことが困難なうえに、非常に難しい言葉を訳者が多用しているため、クラシックにあまり馴染みのない私にはかなりちんぷんかんぷん。

 私達は、クラシックコンサートにでかけ、演奏前は非常に世俗的である。今日の些事を語り、仕事の失敗成功を思い出し、他人とのまずかった会話に苦みを感じたり、色んな現実を感じながらコンサートに聞き入っていく。

 そして、フィッシャーは言う。
「どんな人の生活にも、あらゆる外的なもの、あらゆる見せかけ、あらゆる作り物が落ち去ってしまう、そんな瞬間があるものだ。われわれはそのような瞬間に、生命を自然の現象として感じ、誕生や、最高の歓喜や、深い悲しみなど、その永遠のモチーフを感受する。」

 演奏家も聴取者もこのような状態にならねばならない。これが最高のコンサートの状態なのである。

 更に加えて、
「われわれは、自分自身の生命の表現に力を注いでも、個人的存在が取るに足らないものであることを認識しなければならない。そして一個の被造物は、より高いものに奉仕していない限り、無に等しいことを感じなければならない。このより高きもの・・・・それがバッハのなかで極めてあきらかになったのだ。そしてそれを三つの文字S・D・Gでもって象徴した。
 SOLI DEO GLORIA 栄光はただ神のみに!」

 コンサートが終わると、あの苦み走っていた聴衆の顔が晴れやかな幸せいっぱいの顔に変わっている。より高い崇高な領域、神の領域まで高めてくれるのがバッハでありそれを具現してくれるオーケストラであるのだ。演奏家はその高みを常に追求して精進せねばならない。

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曽野綾子 アルフォンス・デーケン  「旅立ちの朝に」(新潮文庫)

 死ということを巡って、曽野綾子と上智大学で「死学」という講座をもって死ぬことについて教えているデーケン神父との往復書簡集。

 書いてある言葉はわかるが内容は、とても凡人の私には理解できない。

 人生の3大要素は3つ「生きがい、愛、死にがい」だと言う。人生は、小さい死の連続だという。友や、仲間との別れ、親兄妹との別れ、それらは小さな死なのだそうだ。そういう死が積み重なってやがて大きな死を迎える。他人を慈しみ、愛をもって接し、愛を貫き通すことで、死ぬことは恐れではなくなり、受け入れることができる。そして死はまさに新しい世界での誕生をいうのだそうだ。

 自分で書いていても何を書いているのかよくわからない。

 この作品で感じたことは、キリスト教信者、牧師というのは生きている人に対し積極的にかかわって生きようとする姿勢が強く、苦悩している人の心に入っていってその苦悩を解いてあげようとする。一方、日本のお坊さんは、亡くなった人を供養することには熱心だが、あまり生きて苦しんでいる人には分け入っていかないような気がする。

 西洋では、余命幾許もないということを告げるのは、神父、牧師が多いそうだ。そして、そこで衝撃を受けた患者に徹底的に付き添い、死は恐ろしいことではなく、新しい旅立ちだということを熱心に説き、患者を死の恐怖から脱皮させることに心を砕くそうだ。

 日本のお坊さんも、もっと生きている人を大切にする活動を行ってほしいものだ。そういう説法が仏教にはないのなら仕方がないが。

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山田風太郎    「甲賀忍法帖」(角川文庫)

 家康は3代将軍を秀忠の息子2人、竹千代にするか国千代にするかで迷っていた。人望もあり聡明だったのは国千代。無口で出来の悪いのが竹千代。

 ここから山田風太郎独特の話が始まる。家康が服部半蔵と相談。伊賀、甲賀からそれぞれ10人ずつの忍者をださせ対決させ、伊賀が勝ったら竹千代、甲賀が勝ったら国千代にすることにした。

 そして壮絶な殺し合いが始まる。甲賀、伊賀は反目しあい、ともに婚姻で交わることはしない。忍者の素材は、近親婚姻により、人間とは思えない奇形や特殊な能力を備えた人間により創られている。

 だからものすごい術や奇形な人間が現れる。ここに山田風太郎のあふれ出る想像、妄想が作品のなかで暴れる。

 人間とは思えない速さで走る忍者。それは、なんと4つ足になって走る。当然道などは通らず、森、山、崖を最短距離で走りきる。

 忍者というのは私達の想像では、口に何かねばねばした糸や武器や火などを入れておいて吐き出して攻撃するのが常套手段。もちろん、この作品にもそんな忍者が登場するが、山田の妄想は全く逆。空気を強烈な吸引力をもって吸い込み、真空状態をつくる。その真空状態のなかに敵をいれ窒息させる。すごい発想である。

 更に人間の体、60%以上は水分。なめくじのように、塩を塗り込むと、体が液体化して小さくなり、小さな隙間さえあれば、どこへでも侵入する。

 まあ、こんな術が縦横無尽に展開される。そして、殺し殺され、最後に伊賀朧と甲賀源之介が残る。この2人ロミオとジュリエットのごとく愛し合っていて、添い遂げたい願望がある。

 その2人が安部川河原で最後の対決をする。ここがクライマックス。読者はどちらも勝たせて2人を結婚させたいと願うわけだが。

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植村直己     「冒険」(旺文社文庫)

 世界屈指の日本人冒険家、最後はアラスカ マッキンリー山登頂後、行方不明になり43歳で没した植村直己の冒険記がこの作品。
 この作品を読むと、冒険家の行う冒険というのは、それが世界初の試みともなると、多くの人たちの協力と膨大な資金の上に成り立つものだということを知った。北極点単独到達12000kmを十数匹の犬をあやつり1か月以上かけて北極点を目指す。

 一か月以上の食料や時々の必要な設備は、橇に積み込んで運ぶわけにはいかない。都度、出発地に設営したベースキャンプに必要食料設備を連絡、それをヘリコプターをチャーターして運んでもらい空から落としてもらう。

 進むべき方向は磁石により決めてゆくのが普通なのだが、この作品で初めて知ったが北緯76度を超えると、北の方向は磁石の針は南を指し示す。磁石が役立たない。

 今はGPSがあるが、植村が北極点を目指したときにはそんな機材は無い。それで、NASAにお金を払い協力してもらう。三浦が持っている無線機で無線を人工衛星に飛ばし、それを受け取ったNASAが植村の場所を確認して、今植村のいる地点とどちらに向かうべきかを伝える。NASAの誘導により北極点をめざす。

 一体このためにどれだけの費用がかかるのか、想像を絶する費用がかかっているはずだ。
植村、冒険が終われば、また次の冒険にゆきたい衝動にかられる。そのための資金集めは大変でいつもいらいらしていただろうと思う。

 それから、冒険家というから野性味あふれる大男を想像していたのだが、身長1M62CM体重57KGの小柄な体格であったことを知り本当に驚いた。

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太宰治    「愛と苦悩の手紙」(角川文庫)

太宰治が書いた手紙で今現存しているのは640通を超えるそうだ。筆まめと思われるが、しかし、戦前や戦争直後には、一般家庭に電話はなく、通信コミュニケーション手段で最も使われたのが手紙。私も、大学時代にはたくさんの手紙を書いたりもらったりしていたから

太宰がとりわけ筆まめというわけでは無いようにおもう。

 この作品は640通の中から、太宰の友人だった亀井勝一郎が212を選び編集したもの。

 昭和10年頃、「思い出」「魚服記」の頃。非合法共産党員として活動していたころ。投げやりで、人生の希望もない時代。暗いもんもんとしていた時の手紙。

 そこから脱して、石原美知子との婚約、結婚時代に生気に満ちた希望あふれんばかりに輝いていた時代の手紙。このときに傑作「富獄百景」をものにしている。

 戦争直後の虚無の時代。そして心中。
そんな太宰の通ってきた人生がありのままに表出している。

 太宰文学の本質を語っているところ、仏文学者河盛好蔵にあてた手紙から抜粋する。

「優は優しいとも読みます。そうしてこの字をよくみますと、人偏に憂うると書いています。人を憂える、人の侘びしさ、さびしさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、人間としていちばん優れていることじゃないかしら。そうして、そんな、やさしい人の表情はいつでも含羞(ハニカミ)であります。私は含羞(ハニカミ)で、われとわが身を食っています。」

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北杜夫    「マンボウ雑学記」(岩波新書)

今は、街には内科医と同じくらいに、精神科の病院がある。そして、それらの病院はさばききれないほど多くの患者をかかえている。ちょっとした心の不調で、病院を訪ねる患者もおおくいるのだろう。精神科医を訪ねる敷居は本当に低くなっている。

 義母の調子がおかしいので、近くの精神科医院に連れてゆく。そこで、会社に勤めていたころ、とても偉くなった人にであう。あんなに生き生き会社内を闊歩していた人。とても精神科医にはお世話になるとは信じられない人である。その病院でも、会社同様元気に声をあげ闊歩している。

 こんな人が精神病を病んでいるのかと思うと、世の中すべての人が精神病を病んでいるのではと思ってしまう。

 医者は通常の人と患者とをどういう線引きをしてわけるのだろう。治癒したと判断するのはどのようにするのだろう。
 精神科の病院に行くと、いわれたままにしておくと、生涯患者として通院せねばならないような錯覚に陥る。自分で判断して通院をやめる以外に患者から逃れるすべは無いようにみえてくる。

 この本を読んでみて、何となくこんなことを感じた。

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| 古本読書日記 | 21:36 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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リンドグレーン   「長くつ下のピッピ」(講談社文庫)

 久しぶりの子供のための小説を読んだ。結構面白かった。

 主人公ピッピ。お母さんは早く亡くなり、お父さんは船乗りで、航海中難破にあい、行方不明になり、天涯孤独の身の上。

 そんなピッピがお父さん残しておいてくれた小さな町の家に、小さな猿とともにやってくる。ピッピは女の子なのだが、ものすごい力持ち。何しろ馬をひょいと持ち上げるのだから。更に、足の大きさの2倍にもなる大きな長靴をはいている。隣の家のトミーとアンニカが、こんな子と友達になりたいと思っていた女の子がやってきたのだ。ピッピとトミーとアンニカ3人で繰り広げるユーモア一杯の騒動が実に愉快だ。

 ピッピは躾を受けてないし、学校にも行っていないから自然児そのまま。いじめや窮屈な世界で生活している現在の子供たち。そんな子供たちを思うと、自由奔放しかも心優しいピッピの行動は本当に羨ましくみえるし、子供のあるべき姿をリンドグレーンは活写している。

 こんな楽しい小説を60代半ばで初めて読むとは実に切ない。真っ白な心を一杯の小さいときに読んでおけばよかったと真剣に思った。

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| 古本読書日記 | 08:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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西尾維新    「屋根裏の美少年」(講談社タイガ文庫)


 少女漫画をみている雰囲気がいっぱいの作品。
中学校の美術室を占拠して、集合集会場所に使っている美少年探偵団。そこに主人公マユミは、男装して美少年になり参加している。

 この旧美術室の天井裏から33枚の絵がでてくる。この絵画よくよく見ると、世界の名画から、人がすべて消えている。まるで、人が誘拐され消えてしまったように見える。また、学校の講堂の天井や壁面に描かれた巨大な絵画。それはこの講堂を描いたものだが、そこからも生徒全員が消えていることがわかる。

 もともと存在していた人間や生徒たちがどうして絵から消えてしまったのか。その謎解きが物語となる。

 そのトリックは、推理小説ファンならば、これしかないという誰でもわかるトリック。その点では西尾らしい奇抜さは無い。

 主人公のマユミが謎解きのため、仲間を振り切って、敵対する中学校の生徒会長とバス停でであう場面。ここの描写が何とも少女漫画らしく、読者が胸キュンとするところ。

 ライトノベル。少年少女の個性もよく描かれている。楽しくはあるが、西尾としてはやや面白さに欠ける。

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| 古本読書日記 | 08:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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原田マハ   「翔ぶ少女」(ポプラ文庫)

 阪神淡路大震災を扱っている。

 震災で一番つらい経験をしている人は、家族のなかに亡くなった人がでた人なのだろう。しかも、この作品のように、目の前で、助けることができなくなった家族が亡くなってしまった経験をした人は本当につらい。そして、そんな人は、阪神淡路でも、東日本の大震災でもたくさんいたのだろう。

 イッキ、ニケ、サンクの三兄妹は、大震災で、3人は逃げることができたのだが、両親は倒壊した家屋の下敷きになり亡くなった。特に母さんは、倒壊した家の下敷きになった時はまだ生きていた。瓦礫を取り除くことができなくて、見殺しとなった。そのとき、近くの心療内科医のゼロ先生が通りがかり、この悲劇をみて、孤児になった3兄妹を自分のところに引き取って育てることにした。それは、ゼロ先生も、妻を下敷きになった家屋から救えない体験をしたばかりだったから。更に、一人息子で医者である裕也は、父が母を見殺しにしたと思い、そんな父親は家族ではないとして家をでる。

 ゼロ先生は、身を犠牲にして、震災被害者の治療と救済にあたる。一方、震災で主人公である長女ニクは足に大けがをする。ゼロ先生の懸命のお願いで、息子裕也が専門外であったが手術をしてあげる。それで、後遺症は残ったもののニクは何とか歩けるようになる。

 ニクは、ある日突然体の変異に気がつく。何か、真剣に思いつめたとき、肩甲骨のあたりが強烈に痛み血が流れてくる。そして、その肩甲骨のところから羽がはえてくる。

 ゼロ先生が突然、心臓発作で倒れる。高度な手術を受けないと治らないことがわかる。そしてその手術ができるのは息子の裕也しかいない。
 ニクたちは裕也に会って手術をお願いするが、母を見殺しにした父の手術はしないと拒否される。

 憔悴しきって、宿にもどってきたニクに、肩甲骨に鋭い痛みがはしり、羽が生えてくる。夜の空へむかってニクは翔ぶ。そして、裕也のいる病院にゆき、懸命に手術をお願いする。そこで裕也も手術をすることを受け入れる。この空を飛ぶところが物語のクライマックス。

 この作品は、文章が意識して小学生が読んでもわかるように簡単明瞭に書かれている。小学校の図書室に並べてもらい、多くの小学生に読んでほしいとの原田さんの願いがこもっている。

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| 古本読書日記 | 18:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アン・モリス    「優しく殺して」(創元推理文庫)

 マイクとブレンダーは傍からみれば、羨ましいほど仲の良い夫妻。しかし、現実はマイクはブレンダーのすべてを支配するべく、横暴に家庭では振る舞う。ブレンダ―は家をでることを許されず、孤独感にさいなまれアルコール中毒に陥ってゆく。普通は、依存症を脱却させるため酒をブレンダーからとりあげたり、病院に連れてゆくべきなのだが、マイクは何と酒屋から酒を送り届けるようにする。完全なるサディストである。

 そんなとき、マイクが失踪して、何日かたって、川に彼の死体が浮かぶ。

 話はブレンダーが殺したのではないかと進んでゆく。しかし、常にアル中で浮遊しているブレンダ―が、果たしてマイクを殺して、そのマイクを運び川に捨てることができるのか。

 そうすると、よくこういう設定の推理小説での常套手段が登場する。もちろん、マイクを運ぶには共犯者はいることが明らかにされる。
 常套手段とは、実はブレンダーは、いつかサディストのマイクを殺そうと思っていて、そのため、アルコール中毒者を装っていたのだと。

 会話が作品には豊富で、いかにも英国作家が書いた小説だと思った。それなりに会話が面白くはあるが、内容は平凡。

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| 古本読書日記 | 18:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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津村記久子   「アレグリアとは仕事はできない」(筑摩書房)

会社には、当たり前のようにあって、誰もがその恩恵にあずかっているのに、存在を忘れ去られているようなものや人がある。プリンター、コピー機はその典型である。

 主人公のミノベさん、誰も動いて当たり前と思っているプリンター機が、いつも気持ちよく動いてくれるよう気にかけている。そんなことに気を使っているミノベさんは、会社にとっては必要な人なのだが、あまり存在感は無い。

 ミノベさん、会社に友達はいそうにない。プリンターが友達だ。その友達プリンターの名前が「アレグリア」。最新型ということで購入したのだが、どうにも調子がよくない。よく勝手に「ウォームアップ」状態になり休む。肝心なときに故障する。それで、最近は「アレグリア」に対し怒りまくっている。

 「仕事をしろ」「アレグリアが憎い」

 確かに会社には、ミノベさんのような人がいた。プリンター機が動かなくなることは頻繁にある。そのたびに「助けてくれ」と大声があがる。ミノベさんがさささっと登場して、ちょこちょこ何かするとプリンター機の機嫌が直って動き出す。

 津村さんは、会社事務所でプリンターの置かれた状況と、そのおもりをさせられている事務員の姿を面白くとらえている。ミノベさんが、動かないプリンター機に対し頭にきて飛び蹴りをするところの気持ちがわかるし、怒りが伝わってくる。

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| 古本読書日記 | 19:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ドストエフスキー   「永遠の良人」(新潮文庫)

タイトルと中身がどことなくかけ離れている。ロシア語がどうなっているかわからないが「万年ダメ亭主」くらいのほうが中身とピタっとはまる。

 この作品で、ドストエフスキーが言うが、神様の言葉は時に嘘があるが、妻の言葉は常に真実であり絶対である。

 夫が浮気をすれば、妻は金切声をあげ、罵倒叱責をする。妻が浮気をする。夫は、それを知っていても、なかなか非難できない。まして、妻の浮気相手が、自分より社会的地位も高く力もあるとなると、面とむかっても、多少の皮肉は言えても、結局は唯々諾々と相手の言うことを受け入れ従ってしまう。

 自分の子供だと思っている娘も、本当にそうなのか確信がなくなる。
この作品、男の卑屈さを、ユーモアを散りばめ、描いている。

 訳者の米山正夫が解説で言っている。
この作品、まさにドストエフスキーが脂が乗りきっている時に書かれた作品。「白痴」と「悪霊」の間で書かれた作品なのだそうだ。その稿料が支払われない。ドストエフスキーが悪いのは、出版編集長にも関わらず、卑屈になり、下手にでて、助けてほしいと編集長にお願いをする手紙を書いている。

 その心情がこの作品にはにじみ出ていると米山は言う。強い権力者には全く抵抗できないものだとドストエフスキーは言っているのだ。そして強い権力者の一人は妻だと。

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| 古本読書日記 | 19:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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川端康成    「川端康成初恋小説集」(新潮文庫)

 川端の一高時代、小説家を目指しでいた時代は、大正時代で、田山花袋や島崎藤村などの自然主義、私小説ブームだった。川端もその影響を強く受けていた。それで、自らの体験をそのまま描く告白小説を書いていた。

 自分の体験を書くという小説には2通りの方法がある。まったく飾りもなく、想像もほとんどなく、強烈に自らを赤裸々にさらけ出すという小説。それに体験には基付くが、その体験を客体化して、更に空想も挿入して、物語として昇華してゆく小説だ。
 この本に収められている小説は、前者の赤裸々小説である。幾つかは既読だが、こう並べてみると、川端もこんなに赤裸々小説を書いていたのだと少し驚く。

 いわゆる初恋小説として有名な「初代もの」が中心に掲載されている。川端も心の整理ができていないまま、自分の感情を異常に高めようとして、かなり毒々しい小説になっていて、私小説、自然主義の影響があり、文学の香りはまったく無く、読むに堪えない作品ばかりで嫌悪感がわきあがってくる。

 それでも、初代から婚約を破棄され、それに納得しない川端が初代を連れ出そうと岐阜の初代のおじさんの寺まででかけるが、初代が外へ出てこず、完全拒否された場面。雨降りのなか傘をさしたままたたずむ、川端の姿を描いた表現は胸にぐんとくる。川端をもって初めてできる表現である。

 「俊夫(川端)は少年の傘に落ちた冬の雨が、自分の心に落ちる音を瞬間聞いた。」

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| 古本読書日記 | 19:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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曽野綾子    「仮の宿」(角川文庫)

曽野さんが大好きな生き方エッセイ集。

「いい家に育った。財産もある。学歴のいい青年と結婚し、家も建ててもらい、子供も生まれ、夫は出世街道を歩いており、何不自由ない。」

 ここまで書いて曽野さんはでも、と言う。

「愛して結婚した、と思ったのは錯覚で、実は、ワリのいい相手と結婚してトクをしようとしたに過ぎない。その後は世間の賞賛だけを目標に、家を整え、子供の学校を選択した。」

ここから、ものすごい飛躍をする。

「他人にいいと思ってもらうのを生きる目的としている以上、その人は生きていないのです。どんなに器の立派な結婚生活でも、やはり中身は虚しくなるのが当たり前です。そして、今、社会にも家庭にも、この虚しさを嘆く声が満ち満ちている。」

 我田引水、思い込みもはなはだしい。愛あって、愛なくて打算で結婚しても、愛が第一優先で感じるのは一瞬で、その一瞬が過ぎると、愛よりも、生活家庭仕事が優先となる。

財産もあり、夫は出世街道をまい進していて、何の不自由もない生き方をしている人が、皆虚しいと嘆いているなどということは、私には信じられない。
 虚しいと嘆くことと、何不自由のない生活をしている、財産も、家もある状況とは全く関連が無い。どうして、勝手に因果関係があるように決めつけるのだろうか。

 人は人それぞれに生き方があり、これが素晴らしくて、これはダメと決めつけることは難しい。だから人生は面白いのであり、小説の材料がわんさかあるのである。

 私は、愛などいらないから、財産もあり、家もあり、出世街道を走り、子供は優秀な大学にはいり、何不自由のない生活をしてみたかったと強烈に思う。

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| 古本読書日記 | 19:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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津村節子   「娼婦たちの暦」(集英社文庫)

「かなの兄弟姉妹たちは、四人までが生後十日、二十日、一番長くて四歳までに死んだ。村の女たちは日頃から満足なものを食べていないうえに、妊娠しても体をいたわることは出来ず、出産間際まで重労働を続けるので、生まれてくる子供はみな虚弱である。・・・
 かなはその年の暮れ身売りをした。人口九百余人の村で、春から暮れまでに100人近くの娘が売られて行ったのである。口減らしのために十二歳の娘を十円で手放した親もあった。」

 それで100人近くの売られて行った娘の誰一人も村には帰ってこなかったのである。

この作品によると、特に東北、山陰から売られた女性が昭和初期には多かったようだ。

 それで、売られた娘は、悲しく不幸のように思うが、死ぬまで重労働でこきつかわれている上に、白い飯などみることもなく、大根の葉や、野草を食べ飢えをしのぎ一生を送ることから見れば、体を売ることへの見返りとして、腹いっぱい白いご飯は食べられるし、きれいな着物を着られるし、夜以外は比較的自由である娼妓が哀れなのだろうかとこの作品を読むと思う。

 売られた娘たち、性病を移されたり、たくさんの男を一晩でとらされたり、不幸だった娘も多々いたが、そんな娘たちが、では、また田舎の寒村に戻りたいと思うか、それはあまりなかった。それほどに、田舎の村の生活はみじめだった。

 私達は、今の生活水準や、それに支えられた価値判断で、昭和、戦前の時代をみるが、どうも、こういう作品を読むと、悲しいことではあるが、その判断が正しくないようにみえてしまう。娼妓になることは、その時代、結構当たり前のことであり、娼妓は女性蔑視、不幸の象徴と断じることは難しい。

そういう時代を経て今があると思わざるをえないように思う。

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| 古本読書日記 | 18:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平岩弓枝   「ハサウェイ殺人事件」(集英社文庫)

 売れっ子モデル、俳優。いきなり飛び出る人もいれば、下積時代を経て、スポットライトを浴びる世界にでる人もいる。下積時代を経験した人。結構その時代、ヒモのような生活をしていて、女性に食わせてもらっていた人が多い。売れっ子になると、その時の女性が邪魔になる。まあ、女性などよりどりみどりとなるのも邪魔になる理由だ。

 で、下積時代につきあった女性、捨てられるわけだが、その中で、悲しみと裏切りに打ちひしがれ自殺する女性もいる。あまり、その恨みを直接、男にむけ、男を傷つけたりするということはない。暗く消えてゆくのである。

 それで、大概事件となるのは、それを横でみていた、亡くなった女性の姉妹が、亡くなった女性にかわってその恨みを晴らす場合が多い。

 この作品は、まさにその王道をいっている。

平岩さんの文章を読んでいると、常にまっすぐで、あまりためらいとか書き直しがないと思える。

 多分、幼少のころ、一人ままごとや、人形をならべて、しゃべり物語をしょっちゅう作っていたのではと想像する。ポンポコしゃべるがごとく、文章が浮かんで手が勝手に動いている姿が作品を読んでいるとみえてくる。

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| 古本読書日記 | 18:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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大岡昇平    「来宮心中」(集英社文庫)

不倫、浮気というのは、普通はいろいろあっても、大概はもとの鞘に収まる。多少の不満はあっても、男も女も今の安定した生活場所を壊したくないからである。特に男はそういう傾向が強い。

 まずい不倫は、男と女のどちらかが、または両方とも暮らしに行き詰まっていたり、苦難を抱えている時に、その不幸が互いをひきつけ結びついた不倫である。

 愚痴が更に次の愚痴を呼び、どんどん心が高ぶる。そして、大概自分たちの不幸は、自分たちそれぞれの不甲斐なさにその原因があると思うことはあまりなく、世間がおかしい、悪いからこんなことになってしまったと慰めあうのである。しかし慰めあってどれだけ感情がたかぶっても、苦難が消滅はしない。消滅しないどころか、問題を先送りすればするほど、大きくなりにっちもさっちもいかなくなる。

 そして、甘えがでる。今の自分たちの不幸は世間が悪いのだから、世間が何とかすべきであると。それが、話しているうちに、何とかするとの確信に変わる。
 それで、世間に対して行動する。でも、どうにもならない、ただ世間の冷たさだけが返ってくるだけ。

 それで、面白いのは、この物語にあるように、冷たさを知ると同時に、だんだんお互いの見苦しさが目に付くようになる。それで、2人の距離はどんどんかい離し、逆に憎悪が増してくる。それでも、「もう死のう」「うんいいよ」と軽く言い合った言葉がどんどん重くなり二人におおいかぶさってくる。

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| 古本読書日記 | 20:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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