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2016年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年04月

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湊かなえ    「高校入試」(角川文庫)

高校入試での不正、そのことを暴露して大騒ぎになっているネットとが、上手く共存していない。テーマは面白いだけに、惜しい出来栄えの作品だ。

 それでも興味深い点がいくつもあった。

私の住んでいるのは地方都市。地方都市に必ずあるのが名門高校。東大のような大学に行く人は、地方に戻ってくることはないが、まあそれなりの大学を卒業した人の中には、地方に戻って働く人も結構いる。

 面白いのは、名門校に入れず、それ以下か私立高校に通って、頑張って良い大学に入り地方にもどってきても、あまり評価は高くならない。重要なことは、どこの大学を卒業したかでなく、名門校卒業の方が価値が高くなるのである。名門校卒で固まり、役所とか校長などの権力クラスは抑えられてしまう。名門校をでないで、その名門校の先生として赴任してきても、一段と程度の低い先生と先生仲間からも、親御さんからもみられてしまう。この小説の描いている通りである。

 高校入試の採点というのも大変。マークシート式でなく、記述が主となると、数学のように答えがこれしかない科目は問題ないが、国語だ、社会だとなると本当に実態は大変なようだ。一つの言葉の意味も、スタンダードな意味に加え、隠語や古語などがあり、6つ、7つあるのは一般的。それをスタンダードな意味だけで採点はできず、辞書を首ったけにして採点をしている。大文字、小文字、返り点、はねなど細かく見て採点をする。

 40人受験者がいたのに、解答用紙の回収数が39で一枚足りない。先生らしい、事なかれ主義で、白紙の解答用紙を一枚しのばせて収めようとする。ところが、今は、生徒同士で受験後自己採点をする。だから自分がどのくらいの点数だったかはわかる。もちろんそれで合格しているかはわからないが、少なくてもまわりに自分より点数が低い学生がいることはわかる。

 白紙は当然ゼロ点となる。それを受験場でみてしまった。それなのに見た受験生が白紙の受験生より点が低いのに合格している。知らなかったのだが、今はそうした場合、答案用紙とその採点の開示を要求できる制度があるそうだ。

 今、辻褄があえばよいというわけにはいかないわけだ。

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恩田陸    「隅の風景」(新潮文庫)

京都南、奈良の県境に高校時代の友がいる。彼によばれて去年京都奈良に行った。それで、あのチャップリンや、ヘレンケラー、アインシュタインが宿泊したクラシックホテル奈良ホテルに冥途の土産との覚悟で泊まった。最高に素晴らしく、値段を考えねば本当に至福のひとときを過ごした。

 それを、恩田さん取材だから支払いも出版社とはいえ、この紀行集で、「宿泊は奈良ホテル」の一言で済ますのはあんまりだ。その数ページあとで奈良ホテルを書いていると思ったらお寺みたいで抹香くさいでは悲しい。私も「泊まったのは確か奈良ホテル」とさりげなく言ってみたい。実際は興奮して、ホテル内を探索していたのだが。

 でも、その奈良の印象。「夜の奈良を歩いていると、本当に『夜の底』にいるという感じがする。」全く私もそう思った。

 お腹が空いたので、ホテルにコンビニの場所を教えてもらい夜の11時過ぎに外へでた。
びっくりしたが、コンビニは21時で閉店していた。街灯が少なく、月明かりを頼りにして歩いた。飲み屋も店も何もかも閉まっていて、歩行者も殆どいなかった。「夜の底」を歩いているという気持ちになった。

 私は長野県の南で育った。で、高校までスキヤキと言えば馬肉だった。刺身も馬肉が多かった。

 大学にはいり、肉は牛と知り、牛肉を味わい、それは本当に美味しかった。馬肉なんかとんでもない。牛が最高と感じた。

 それが、静岡の会社に入り、何年かして本社に転勤。そこで久しぶりに馬肉に遭遇した。そして、馬肉は牛肉を超えた味だと心底感じた。

 恩田さんも馬肉大好き人間。熊本に旅行して、熊本在住のSF作家梶尾真治と馬刺し三昧をする。そこを読んでたらたらと涎が垂れて仕方がなかった。

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恩田陸    「夏の名残の薔薇」(文春文庫)

 去年、こんなことがあったね。馬鹿ね、そんなことはあったのは本当だけど、それ一昨年のことよ。ちょっとボケが始まったんじゃないの。こんな風に自信たっぷりに言われると、去年のはずだが、あれは一昨年のことだったけと思い込んでしまう。

 小学生少女の殺人事件の裁判で、逮捕者が自白。証拠がないので、その自白が真実なのか、厳しい取り調べに耐えられなくなって嘘を言ったのか、最近話題になっている。

 もちろん真実は私達にはわからない。しかし、嘘の自白だとしたら、弁護士は、嘘を真実にぬりかえようとするし、真実の自白だったら、弁護士は真実を否定して、懸命に嘘をでっちあげ真実に置き換えようとする。

 この作品を読むと、そんな少女殺人事件を思い出す。この物語の中にも真実が語られている部分はあるのだろうが、登場人物がよってたかって真実を違うものに置き換えようとする、それがまた正しい真実のように語られるから、中身が混とんとしてわからなくなる。

 読んでいるうちに殺人そのものが本当にあったのだろうかと疑いたくなる。本当にあったのなら、それはいつ?下手したら未来のことかもしれない。何にも判明しないまま物語が終わったような印象。

 とにかく本当に難しい小説だった。

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宮部みゆき   「ここはボツコニアン1」(集英社文庫)

 1とタイトルにあるので調べてみるとこの作品5まであるようだ。
本当なのだろうか。宮部さんが書きたくてしかたがなかったテーマだそうだ。もし本当だとしたら。

 宮部さんくらいの作家になったら、どんな出版社だって、内容、質など関係なく、原稿をもらいたがるだろう。だから、原稿がボツになることなど万が一にもあるわけがない。タイトルにある「ボツコニアン」は、書いても、書いても、編集者の「ボツ!」の一言で、日の目を決してみることのないボツ作品だけがうずたかく積りに積もった国。すなわちできそこないの国を表している。つまり、作家の恨みつらみが渦巻いている国なのである。
 宮部さんも、今の地位を得るまでに、ボツに次ぐボツでその恨みがまだあり、この作品につながったのか。

 それとも、本業の物書きを横に置いて狂いたいほどゲームにハマっているのか。だからどうしてもPCでゲームしている過程、心境を冒険という形にして表現してみたくなったのか。

 宮部さんが最初にちゃんと断りをいれている。「ゲームに興味の無い人は読むべからず」と。

 バグはわかるにしても、取説やチュートリアルはゲームの世界では絶対必須で汎用語なのだろうか。宮部さんがおっしゃられるように、ゲームをやらない私には、興奮もなければ映像もちっとも浮かんでこない。

 宮部さんの優しい忠告にしたがい、一巻目以降はこのシリーズ読むことを断念することにした。

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恩田陸     「三月は深き紅の淵を」(講談社文庫)

 この作品は、恩田さん4作目。まだ作家として一本立ちできるかどうか不安なとき。それでも、恩田さんの作家のありようについての信念は堅牢、そして素顔はしらないがかなり鼻柱は強いと察する。

 この作品集、恩田さんのこれからの作品の原型が見て取れ、かなり面白いが、それ以上に、2編目で登場する朱音という編集者に言わせている恩田さんの作家としてのあるべき姿が素晴らしい。

「朱音には嫌いな種類の作家が幾つかある。一部の例外はあるが、他人の作品を読まない作家。次にマニアが長じて作家になった作家。無論、出発点はそれで正しいかもしれないが、読者と作者の間には厚い透明な壁がある。その壁を意識せずに、読者の延長上の内輪受けで満足している作家(いるいるいっぱいいるよ)・・・・朱音が最近一番嫌悪しているのは、

『自己表現の手段として小説を書いています』と称する人間だった。・・・・たいてい著者近影が読んでいる時に鼻の先にぶら下がっているような、才色兼備のマルチ人間である。・・・たかが一個人の表現手段に使われるほど、物語は小さくない。・・・物語をあたかも自分に隷属するように扱うのは物語を貶めている証拠だ。・・・・

 先に物語ありき。語られるべき、語らずにはいられない物語自体がまずあって作者の存在など感じさせないようなフィクション。物語は読者のために存在するものでも、作者のために存在するものでもない。物語は物語自身のために存在する。」


 このきっぱりとした考え。そしてすごいのは、恩田さんはこの原則を必ず守りぬいて今でも素晴らしい作品を世におくりだしているところ。

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池永陽    「漂流家族」(双葉文庫)

 いつも思うのだが、人間というのは自分中心に何でも考えるものだ。こうしたい。こうでなければならない。それが必ずいつのまにか勝手にこうなっているとなってしまう。

 あいつはこう考えている。こう考えているのに間違いない。そのうちにあいつはこう考えていることが事実のように思いこむ。

 世話をしている義父が宝くじで1000万円を当てたらしいことを近所の人から聞く。確認はしていないのにすでに当てたことが事実になってしまう。そしてそれは義父のものなのに、懸命に自分を犠牲にして、世話をしているのだから、当然全額とはいわないまでも半分は自分の家族にくるのが当然と考える。そう考えているうちに、はずがそうなるという事実となってしまう。
 でもいざ意を決し、確認したり調べると、事実はとんでもないことになっていることを知りがっくりとくる。

 この短編集。自分と他人が考えていることがそれぞれ異なっているのに、それを互いに言わないままギャップが大きくなり、その事実が明らかにされたとき、ドンと衝撃にであうことを物語にしている。もちろん衝撃は悪い場合もあるが、なんだそんなことだったのか、それならもっと早く確認したほうが良かったなんて結論もある。日常の人間模様が上手く描かれている。

 それにしても最後の短編「バツイチ」はどことなく清張の名作「鬼畜」を彷彿とさせる。

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上橋菜穂子   「物語ること、生きること」(講談社文庫)

 本が大好きで、書くことも大好き。だからと言って、そんな人の誰もが作家になれるわけではない。作家になるには、作家になりたいだけの人たちとは違う、変人とまではいかなくても、突き出ている何かがないといけない。

 上橋さんはどこが突き出ていて、どんなことに恵まれ作家になれたのだろう。

 この作品で4点が印象に残った。

 まず上橋さんが通った香蘭女子高がすごい。科目「国語」は「文学」と言った。更に高校で修学旅行が英国、それも半端でない21日間。かのグリーンノウシリーズで売れっ子作家になったルーシー ボストン。そのボストンの「グリーン ノウのお客さま」を読んで感動した上橋さん、ボストンに修学旅行の間に「会いたい」と手紙を書く。この向こう見ず。「おいで」との返信をもらい、ボストンの家を訪ねる。
「作家になりたい」と小声で言うとボストンが「なれますよ」と。これで作家にならなかったらどうなるの。

 二つ目。学生時代出版するあてはないが何と原稿用紙1000枚にもわたる作品を書く。
通常文学賞応募するのは長くて400枚が限度。1000枚は異常な長さ。よくも、成算なく1000枚もの小説を書くものだ。その情熱に驚嘆する。

 三つ目。名前は知らないが、上橋さんが最初に原稿を持ち込んだ偕成社の編集長。
「文章のひとつ ひとつが長すぎる。これじゃあ老人は窒息死するよ。」いい編集長に出会っているなあ。

 四つ目。上橋さんは今でも人類史の研究者と作家の2足のわらじ。毎年アボリジニの研究でオーストラリアにフィールドワークに出かけている。そのことが物語のこやしになっている。

 この作品、何だか上橋さんの文章とだいぶ違うなと思って読んだら、上橋さんへのインタビューを上橋さん担当の滝さんという編集者が構成も作り文も書いていた。

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恩田陸    「ライオンハート」(新潮文庫)

恩田さんがこの作品で語るように、宇宙や地球はある意志により動いているとしたら、我々の一生、恩田さんは泡のようなものと書いているが、泡にもならないほどの瞬間である。その中で、苦労も幸せも悲しみも味わい泣いたり笑ったりしているが、地球、宇宙のダイナミズムな歴史に比べれば人間の一生などささやかで平凡極まりないものだろう。

 恩田さんは何回もこの物語で言う。「内側に時がある」。時だけでなく私は「空間も内側にある」と思う。
 本当に愛していて、憧れる人。随分若いときに出会っていたかもしれない、いやそれは夢の中に登場するだけの偶像だけかもしれない。

 でも、いつも憧れている。その人と時を超え、空間を超え魂がおもむくままに自由に出会い、楽しく遊びそして愛し合っていたいと。それは、遠い未来宇宙をかけめぐっているかもしれない。いやいや、ナポレオン時代の傷ついた戦場で、熱いジャングルの隣でパナマ運河を創っている時代に、シェイクスピアの時代に一緒に飛んでいって出会い愛し合いたい。

 そんな夢を味あわせてくれるこの作品。

でも最後にその出会っていたいと願っていた人は今夫婦で人生の終わりを迎えようとしている互いの相手だったというしゃれた結末を恩田さんは用意していた。

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恩田陸    「象と耳鳴り」(祥伝社文庫)

 小気味よい洒落たミステリー短編集。

 どれも印象深いが、私には「往復書簡」が一番楽しくよかった。

 東京育ちの主人公孝子が新聞社にはいり、赴任先が北国の小さな支局。初めての地方ぐらし。寂しさもあり、おりにふれて出会った人や風景などを書いた手紙を東京の友達や世話になった人たちにだす。面白いのは、みんな「今手紙が着いたよ」とメールで返事がくる。

 そんな中で、孝子が就職で世話になり、同じ新聞社を勤め上げたおじ様だけは、流石に自筆の手紙で返信をよこす。律儀ということもあるが老人世代でもあるし。

 その手紙のやりとりで、支局のある町で頻繁に起きている放火事件について孝子が手紙で知らせる。その簡単な手紙をみて、おじさんはどんな人が犯人で、動機が何かを見事に推理してあてる。

 その推理、論理も鉄壁。納得できる。しかし、いくら推理名人といえども、10行くらいの手紙から犯人、動機まであてるのは恩田さんそれはやりすぎだよと思っていたら、恩田さんちゃんと落ちを準備していた。

 実はおじ様は、社会人だったときの人脈をふるにつかって、メールで詳細な事件の内容や、状況を調べ上げていた。

 孝子の近況報告の手紙に、おじ様以外はメールでしか返事がないと直球をはなち、読者にやっぱしおじさまは自筆手紙かと読者に刷り込んでおいて、最後に実はおじ様もPCをあやつっているんだよとどんでん返しをする。
 見事だと感心した。

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折原一    「叔母殺人事件」(講談社文庫)

 叔母、伯母を矛盾のないように叙述トリックにて使い分け、これに甥、息子、母がまた矛盾しないよう使い分ける。

 本来なら、本当に矛盾が無かったか、再読して確認すべきなのだが、そこまでやってみたい気は起らない。正直、こんなこと本当か、これありというところがあるからである。

 たまたま、私は最近義父が亡くなり、遺産相続に多少関わらざるを得なくなった。私がその過程で間違っているかもしれないが知ったことは、遺書が残されていない限り、相続人は配偶者と実子であった。義父の兄妹にも相続権が無いのに、まして甥姪に相続権があるとはとても思われない。この作品で叔母さんなる人が遺書を書いているようにも思われないのに、この叔母を殺せば、自分に遺産がころがりこんでいるとしている甥っ子の存在があり得るのだろうか。

 それから、二重人格者として登場する「智樹」と「行彦」。智樹が言う。「殺人は智樹でなく、行彦がやったんだ。」と。
 探偵か刑事が言うのならわかるが、二重人格者は智樹の時には、行彦が自分の中にいるという認識は無いし、また逆であっても同じなのである。だから、智樹がこんなことを言うわけは無いのである。

 随分雑でいい加減な作品の印象がぬぐえない。

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恩田陸     「木曜組曲」(徳間文庫)

 作家。まだ駆け出しでそれほど売れてないときは、技量はともかく、書くことが楽しくて、アイデアも湧き出し、次々出版はされることは少ないが、書いた原稿だけはたまっていく。

 そして、大きな賞を受賞するか、ポンと一発あたりベストセラーを獲得する。それからが大変になる。

 今までは書けたら出版社に持ち込むか賞へ応募する。しかし、それが逆になる。出版社から締め切りを決められ作品を創ることが要求される。更に最も大きなプレッシャーは売れた作品と同レベルかそれ以上の作品を書かねばならないということ。特にエンターテイメントのジャンルは多作を要求されるし、次々作品を発表していないと、すぐ忘れ去られる強迫観念がつきまとう。

 しかし、いくらベストセラー作家といっても、ふってわくように次々アイデアや構想が浮かぶわけではない。

 この小説で殺される大御所作家重松時子のように、弟子とまではいわないまでも、作家修行しているか、駆け出し作家を傘下において、彼らの習作を読み、アイデアを語らせそこから盗み取り、大御所の名前で世に作品を送り出している作家もきっといるんだろうなと思う。

 こいう関係は、いつも崩壊する状態を抱えている。どちらも、矛盾が沸点になると、殺してしまいたいという関係になる。

 溶かした毒が入った水、いつか調理している鍋に入れたいと、鏡を通して、調理場を観察しその機会をうかがっている大御所作家。それは、同時に調理場からも、大御所の不穏な動きが鏡を通してみられていることを意味している。その調理場にも、大御所を快く思っていない人がいる。
 ちょっとした緊張があり面白い場面だった。

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湯川豊    「本のなかの旅」(中公文庫)

 オイルショックやドルショックがあり日本の高度成長が止まった。国内で成長が止まれば、企業は海外に活路を求める。そんな転換期のときに私は会社に入った。会社は、海外に販売網や生産工場を作った。その流れに私も乗せられた。駐在は無かったが、本当によく海外には出張ででかけた。それも、殆どが一人だった。仕事を別にすれば、私も変わっていて、あまり海外には興味がなく、ホテルの部屋、移動中、大好きだった本ばかり読んでいた。

 思い出せば、食事も、街の散策も、そして少しの観光も、バーでの酒も一人であったことしか想い浮かばない。「モナリザ」も、大岡昇平が一人でみたレンブラントの「夜警」もゴッホの「自画像」も、オランダのハーグに電車ででかけ、マウリッツハウス美術館のフェルメールも一人でみた。フランスの夜ムーランルージュ、リド、クレイジーホースも一人ででかけた。

 望んではいたけど、やはり異国での一人は何ともわびしい。日本を想ったし、最初はちょっぴりホームシックにもなった。

 それでも、40年ほど前に初めて行ったヨーロッパ。パリのシャンゼリゼを歩いていると、開高健が「夏の闇」で書いているそのまま「これは現実か。頬を叩いたり、抓ったりした。」

 この作品には、積極的に目的をもって旅をした作家の旅行記と、あてもなく放浪するような旅の旅行記が半分半分で載せてあるが、私は断然後のほうの旅路の風景や心情が好きだ。

 金子光晴のパリへいく途上、旅費を稼ぐため春画を描いて売りながらさまよったマレーシアやシンガポール。ヘミングウェイのまだ無名時代のパリの放浪を書いた「移動祝祭日」。

 旅は場所の移動にすぎない。だから旅先でもいつもと変わらない。それでも、楽しみはおいしい酒と肴という吉田健一の「酒肴酒」そして「金沢」。汽車に乗ることだけが目的の旅。だから汽車の中では酒を飲むかボーっとしている百閒先生の「阿房列車」。どれも私の心に沈んできて離さなかった。

 百閒先生はすごかった。山陽本線で走った特急「かもめ」。神戸に停まるか、三ノ宮で停まるかおおいにもめ、結局上りは神戸、下りが三ノ宮で決着したが百閒先生は怒る。

 そんな中途半端なことをしないで、プラットフォームを三ノ宮から神戸までつなぐべきだと。
 ああ、また目的もなく一人旅をしたくなった。

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明野照葉   「女神」(光文社文庫)

 なかなか今、デフレから脱却できない。世の中、欲しいものは行きわたって、売る商品がない。だから、最終顧客向け商品は利幅が少ない。今までの常識では、最終顧客商品販売は利幅が確保できるが、企業対企業、あるいは下請け企業との取引は利幅が少ないということだった。

 この作品を読むとそうではないのかもしれないと思う。

 企業対企業の取引も現実は、個人対個人で行われる。もちろん後ろに会社名は背負っているが。更に特徴は、自分のお金を使うのではなく、会社の金を使う。自分の懐が痛むことはない。

 今はネットの時代。サイバー攻撃やハッカーにより、個人情報は丸裸になってしまう時代。取引相手の弱味が手に入る時代なのである。それを商売で使う。表面的には柔和で微笑みいっぱいで近付くが、ちくりちくりと相手の弱味、秘密を暴露し、取引にもっていく。そうそう、弱味があまりない人間なら、弱味を無理やり創って商売をせざるを得ないようにしてしまう。

 そうなると取引金額もほぼおもうままの金額でできる。儲かってしかたがないということになる。

 ネットというのは、既存の常識や概念のはるか先をゆく。規制も法律も追いつかない。もう何でもありの状態。欲しい情報もとれるし、相手を傷つけるために、嘘情報を発信拡散もできる。

 この作品で私達とんでもない時代を生きていると思った。

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有栖川有栖    「幽霊刑事」(講談社文庫)

 今まで読んだ有栖川作品の中では一番面白かった。

 物語の設定が奇抜だ。主人公の神崎刑事が結婚直前に経堂という上司の刑事に拳銃で撃たれ殺される。殺された神崎刑事は、幽霊となって現実世界を彷徨う。その幽霊の姿が見え、会話できるのが早川というお母さんがイタコをしている平刑事。

 犯人は誰か、神崎はもちろん早川もわかっていて、捜査の行方をみる。見当はずれの捜査や、経堂に行きつかない捜査をみていらいらする。ここが何とかせいと思わず叫んでしまうほど読んでいて愉しい。

 有栖川の得意な叙述トリックも他作品に比べ、少なく、物語にうまく溶け込んでいる。また、交換殺人トリックもわかりやすく、無理なくよくできている。

 今話題の清原が麻薬中毒に陥ったのは、身に付いた贅沢だらけの生活を、お金がなくなってきても、生活レベルを落とせないところからきているのではと私は思っているので、経堂の贅沢生活をやめたくないという殺人動機も納得できた。
 更に最後の事件が解決して神崎がこの世から消失してゆく場面でのフィアンセで同じ刑事である須磨子との情感のこもったやりとりもよかった。

 推理よりもまず、人間の物語があったことが作品を成功に導いている。

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桜庭一樹   「このたびはとんだことで」(文春文庫)

 牡丹は、父親の期待に沿って懸命に勉強し、一流大学をでて、父親の紹介の会社に就職し懸命に働いた。働きすぎて27歳でプッツン。会社をやめ、その後は派遣会社に登録してあちらこちらの会社で仕事をしている。半年前には実家からでて、小さなアパートで独り暮らしを始めた。

 その牡丹の隣に、60歳くらいのおじさんが住んでいる。おじさんは、実はアパートの大家。働かないでも、家賃収入で暮らしていける気楽な身分。ちゃんと持ち家をかまえているのに、そこからでてアパートで気楽な一人暮らし。部屋には文庫本だけがたくさんある。それを日がな一日読んで暮らしている。気楽で自由で孤独な暮らしをしたかったからだ。
 その大家のアパートにはしょっちゅう息子が訪ねてくる。「困っていることはないか。体は大丈夫か。一人で寂しくないか。家族は皆心配している」と。
 一人になり、気まま暮らしをしているようでちゃんと心配して気にかけてくれている家族が大家にはいる。

 牡丹は30歳も半ばすぎて。家にいるのはわずらわしくて、大家と同じように実家を離れた。たまに家から電話がくる。それはすべて見合いの話。気が付くと、自分には心配してくれ、気にかけてくれる人が周囲にいないのじゃないか。酔っぱらって帰ってきた部屋で膝をかかえながら想いに沈む。

 そんな牡丹。見合いをした相手で、結婚をしたいとは思わなかったが、話がはずんだので、その後飲み友達になった林太郎という男性がいる。

 その林太郎が、安居酒屋で言う。
 「セネガルに赴任が決まった。一緒に行かないか」と。しかし、その前につく言葉がどうやっても林太郎からでてこない。
 「好きだよ。だから」が。それどころか「恋愛感情は全く無いが、君とは気楽に話ができるし」なんてことを言う。

 こんな孤独で寂しい生活がこれからもずっと繰り返される。でも、30歳も半ば。好きでもないのに、「いいよ。セネガルへ一緒に行こう」なんていうエネルギーはわいてこない。

 燃える恋は青春時代の特権?牡丹と林太郎が居酒屋をでて、「さよなら」と言い、別の道を歩いてゆくところが、なんとなく切ない。

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千葉誠治    「シュウカツ」(光文社文庫)

 今の時代のオフィス。ひたすらパソコンを打つ音だけがして、全く人間の声がしない。会話が無い。時々あればパソコンに張り付きすぎ「眼が疲れた」「肩が凝った」という言葉くらい。隣の人とだって会話せず、メールで話す。電車にのれば、皆一斉にひきつったような顔をしてスマホを操作している。

 私のような古いタイプはそんな状況を嘆かわしいと思うが、この本を読むと、私らのほうがこれからは時代遅れで、化石のような存在になっていくのではと思ってしまう。

 今社会へ出て行こうとする人たちは、すでに生まれついたとき携帯やパソコンが普及していた。
 考える、悩む、行動する、生きることのすべてでスマホやPCに寄りかかる。そのことがおかしい、危険だと叫ぶより、もうそれが当たり前のことで、どんどんネットを通じて人間関係が構築され、暮らしがなりたっていくようになることを肯定して、社会や企業のデザインを創っていくように思考を変えるべきなのではないかと思ってしまう。

 そういう思考の転換をすると、ビジネスの世界は広がる。

 人間と人間が直接会話しなくても成立しうる世界。会社では、会議室や打ち合わせテーブルが消える。応接室や食堂もなくなる。事務所に集まる必要もない。人と人が面と向かわない営業活動とはどういうふうになるのだろうか。

 そうそうこの作品にあるように、就活で面接試験も面と向かって行わない。
 こんなことを想像しだすと、体の底からゾクゾク感がわきあがる。

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明野照葉     「骨肉」(中公文庫)

 父親などというのは、家族のなかで何の力を持たないし、空気のような、空気どころか、給料は稼いできてほしいが、できれば家では存在してほしくないような扱いをうけるもの。これで、子供が大きくなりそれぞれ自活できるようになると、本当に存在は無くなる。

 そんな父として、あるいは男として、その存在と力を家族に唯一認めさせる機会が死ぬときの遺産分与の時である。もちろん、持ち家とその土地があり、ある程度預貯金か有価証券がある場合に限るが。

 この物語では、3姉妹に加えて、父親が突然4人目の娘がいるとその娘を自宅に連れ帰ったことから急展開をする。遺産はどのように分配されるか3姉妹の間で強い関心事になり、4人目の突然出現した妹には一銭も渡すわけにはいかないと、4人目の妹対既存3姉妹の遺産相続争いを描く。

 お金というのは不思議。3姉妹はそれまで考えることのなかった相続遺産について詳しく手続や金額を調査する。彼女たちはそれぞれ試算したお金が間違いなく入ってくるものと思ってしまう。
 すると、勝手にそれを何に使うか考えるようになり、もうそれは実現してしまっている錯覚がおき、中には、もう莫大なお金が入ってくるものとして、生活スタイルをゴージャスに変えてしまう娘まで登場する。

 ところが、父親はそんなバカを横目にしながら、今にみておれという風に、「遺書」を書きのこし弁護士に手渡しておく。
 2千万円はお寺に寄進。更にもう2千万円は慈善団体に寄付。

 それぞれの姉妹は、税金を払っても手取り6千万円はもらえると踏んでいたのに、結局手元にやってきたのは2500万円。
 2500万円だってとてつもないお金だと思うが、6000万円は確実に入ってくると思い生活設計していたが、もう現実に帰ることができない。偉く大損したと衝撃を受ける。

 お金というのは、手に入れても失っても、いつも損した思わせる特徴を持っている。

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初野晴    「水の時計」(角川文庫)

 統計をみていたら、2014年末で慢性腎臓疾患を抱えて人工透析を受けている患者は全国に32万人以上もいることを知った。

 今はどうなのだろう。脳死判定を受けた人から臓器提供をしてもらうということは結構行われているのだろうか。ちょっと前までは、臓器提供移植はその実施のたびに、大きなニュースとなり報道されていた。未だに報道されている以外には実施されてないとなると、臓器移植でしか助かる道がない人たちにとっては、助かる可能性は殆どないということになる。

 悪の商売というのは人間の弱みにつけこんで金をまきあげる方法が一番成功する。そしてその弱みの最たる場合が健康を害し、ある特定の方法でしか助からないという追いつめられた場合だ。

 以前は、脳死判定の明確な基準がなかったため、日本では臓器移植はなされてこなかった。どうしても、助かりたい人は、主にアメリカにわたりとんでもないお金を使って移植を受けた。

 今は臓器提供を待てない場合、アジアの国々に(この小説の場合はフィリピン)わたり移植手術を受ける。貧しい国々では、臓器提供者がたくさんいるからだ。

 ここに悪徳業者が暗躍する、この作品では、1200万円で移植が受けられることになっている。600万円は日本で前払い、残り600万円はフィリピンに到着したときに払うシステムになっている。

 お金をなんとかかきあつめる。時に悪徳業者が裏金融会社とつるんで、金を高利で貸してお金を用意することもしばしば。やっと臓器移植までたどりつけたかと思っていると、フィリピンでちょっと問題が発生して、臓器提供がなされなくなったと言って金を巻き上げ業者がドロンするなんてこともある。
 では弱っている人々をどうやって業者は探すのか。実は、人工透析を受けられる施設というのはパブリックには公開することができないのだそうだ。それで、業者はそのマップをネットで公開。そこに縋りつくように問い合わせてきた人に移植をしないかと誘うのだそうだ。

 驚いた。この小説を読んで、臓器移植の裏側を知って。

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| 古本読書日記 | 22:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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重松清    「また次の春へ」(文春文庫)

 東日本大震災をテーマにした短編集。震災直後から3年目まで、だんだん時が経て行く。その移り変わる表情やさらなる悩みなどがきちんと表現され、構成としてもよく練られている。
 時々は顔をだすが「泣かせの重松」もかなり少ない分、話が上滑りすることなくしっとりと読者の心に響く。

 重松は、震災直後を含め今まで何回か東北に足を運んでいる。たぶん、物語が心に響くのは、物話は重松の想像物なのだろうが、その根源に取材時に知り聞き込んだ真実があるからだろう。

 「記念日」はなるほどと印象深い作品だった。

 私たちはとかく起きた災厄は早く忘れて、未来に希望をもって進もうと被災者を励ます。
しかし、未来へ進むためには、いつも繰り返し被災の日や、それまでの日々に立ち返ってそこから勇気を奮い起こさねば前に進めないとこの物語で、重松は強調する。過去は未来に希望をもって進むために必須なもの。

 三好達治で一番有名な詩
  「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」
この詩からどんな情景が浮かぶ?

 驚いた。貧しかった東北地方。口減らしのためか、病気のためかわからないが太郎も次郎も死んでしまった。
 その2つ並んだ小さなお墓が、太郎と次郎のお家。そこにゆっくり眠りなさいよとしんしんと雪が静かに降り続く。
 幼くして亡くなってしまった太郎と次郎をいつも見返り、そしてその2人のために未来へ前を向いていこう。

 そんな強い想いがこの詩には確実にある。

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明野照葉   「フェイク」(徳間文庫)

  あれ、昨日の夜、洗濯はしてなかったのに、洗濯籠に洗濯した後の洗濯物がいれてある。どうして?
  友達から電話がある。「どうしたの。昨日の夜2時過ぎに電話よこしたりして。」
そんなことあるわけない。午前2時には完全に眠っていた。でも、発信履歴をみると「午前2時27分」に確かに電話をしていたことになっている。

 子供にはよくみられる症状だそうだが、夢遊病という病気がある。これが、大人にもでることがある。

 睡眠には、知ってのとおり、レム睡眠とノンレム睡眠がある。レム睡眠は眠りが浅い状態、ノンレム睡眠は深い眠りの状態。レム睡眠のとき寝ぼけて夢に従って変な行動をするのはまだ救える。というのは当人に寝ぼけたことの自覚があり、何をしたか覚えているから。

 夢遊病はノンレム睡眠のときにおこる。しかもノンレム睡眠はS1-S4の段階があり、最も深い眠り状態であるS3-S4の時に起きる。そうなると、当人は全くそのときの行動を覚えていない。

 私の知り合いに夢遊病をときどき発症して、真夜中から未明にかけ、とんでもない行動をする人がいる。

 これはかなり危険なことである。それで、病院にいって相談すべきなのだが、当人は自覚がないから「そんなことするはずがない。」と強烈に拒否をする。この短編集のなかの作品「ドリーマー」は書評の冒頭で紹介したような、夢遊病を扱っている。

 知り合いのことを考えたら頭が痛くもなり、暗い気持になってしまった。

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| 古本読書日記 | 22:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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明野照葉    「愛しいひと」(文春文庫)

明野さんにはめずらしくホラー、サスペンスでなく家族再生物語。

夫が突然失踪。息子直也も大学入学とともに家をでて、アパート暮らし。そのアパートを直也は飛び出て、大学にも行かず、行方知れずになる。主人公の母親である睦子は途方にくれる。
 睦子は世間体を気にして自分の途方にくれる姿や、夫の失踪について周囲や親族に嘘をつきとうそうとするが、それが限界に達し、食うためには働かざるを得ないと意を決して、専業主婦二十年からの脱皮を決意、社会へ出てゆく姿はよく描けているとは思う。

 しかし、一流企業の昨日までバリバリの営業部長である夫瞭平が、一夜にして突然ホームレスにまでなってしまうという設定が世の中にはありえない。例えば、何かのアクシデントが襲われ記憶喪失となり、今自分がどこにいるかもわからなくなる、自分の名前さえわからなくなるというような設定なら理解できるのだが。

 瞭平の場合、帰宅途中突然家にかえりたくなくなり、カプセルホテルに寝泊まりして会社に通うが、会社へも行くのがいやになり、ホームレスになる。会社での失敗や、家族とのトラブルも何もないのである。

 記憶喪失になるどころか、 会社で頑張っていて成果をあげたことも追憶しているし、妻や息子のこともいつも心配して頭の中にある。

 こういう人はとてもホームレスになるとは思えない。
ホームレスは、今がいやになっただけでなる人はいない。なるだけの背景や原因が必ずある。
 そこを掘り起こして物語を紡がないと、表面的お遊び小説になってしまう。

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| 古本読書日記 | 22:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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折原一   「天井男の奇想」(文春文庫)

江戸川乱歩の「陰獣」「屋根裏の散歩者」を彷彿とさせる。屋根裏に男がいて、節穴から毒薬をたらしながら、寝ている人の空いた口に落として殺すことを目論んでいる天井男がこの物語には登場する。

 折原は、貸間の持つ特性を使い、物語をつくりあげている。その特性とは、個々の部屋に住む人は、それぞれ回りから隔離され、独立した人間として現れる。また、互いに他の住人には全く関心もないし関わりもしない。その点では、全くの無個性で物体と変わらないという特性を持つ。

 折原は、叙述トリックをふんだんに多用して、そこの住人について重い過去をもっている、あるいは困難を抱えていて逃げているという風に、個人的には強い特徴、個性を持っているように描く。その一方で、そこの住民は、いつでも物体のごとくころころ変えて、それが誰だかわからないようにする。その雰囲気のなかで、天井男は存在しているのか、妄想の出来事なのかわからないままにしている。また、住人の特性を殺すため、大家は住人の身元などは確認せず、家賃さえ払えば、部屋を貸してあげるというようにする。

 さらにその貸家を、大家がゴミ屋敷としてしまい、死体を隠しても、ゴミの匂いに死臭がまぎれて死体が発見されないようにする。

 そんな中で、いったい今読んでいる物話は、現実に起きたことなのか、妄想なのか、今登場している人間が、書かれている名前を持っている当人なのか、かたっているだけで違う人なのか、更にその人は生きているのか、殺され死んでいるのかがなかなかわからないようにして物語を作っていく。

 貸間という特徴を生かしているとは思うが、読者を惑わせることを目的にして叙述トリックを複雑にすることに集中しすぎ、なかなか読者はついてゆくことができない。

正直、ここまで幻と現実を混ぜ合わせると、作品は作者の自己満足だけの作品に終わる。

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| 古本読書日記 | 22:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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明野照葉     「海鳴」(文春文庫)

 明野さんは不思議な作家だ。これまでに読んできた作品は、動機、背景がありえない突拍子もない作品ばかりで、なかなか作品に入り込めなかったのだが、この作品はその欠点は解消、物語の運びもしっかりしている。

 主人公良枝は、歌手を目指しながら、銀座のクラブで歌を歌って暮らしを立てていた。あるとき、闇のお金を、付き合っていたやくざの下っ端の男江木とかすめ取る。江木はそのことが発覚し、暴力団に召し取られ行方不明になる。良枝は、すべての罪を江木にかぶせて、省一という男と鎌倉へ逃げ、彼と所帯を持ち鎌倉で暮らす。

 良枝の子供恵に、とんでもない歌の能力があることを良枝が知り、やめとけばいいのに、どうしても恵を歌手にしたくて、恵とともに東京に再びでてゆく。

 歌手になるためには、莫大な先行投資がいる。結果良枝は、以前の東京での闇の人間関係に縋らざるをえなくなり、危険に近付くことになる。

 恵が売れ始めるに従い、良枝が昔の怪しげな人間たちの輪のなかに入ってゆき、危険と不安がどんどん増してくる展開。
 これは結構面白い。どうなるだろうと読み進む。

 ところが、話は突然、良枝が鎌倉に帰り、家族に温かく迎えられ、家族とはいいものだで終わる。
 何なのだ。これだけ気をもたせてきたのに、とんでもない肩透かし。明野さんはこの物語では今度は結末で失敗している。全く奇妙な作家である。

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| 古本読書日記 | 22:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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明野照葉    「チャコズガーデン」(中公文庫)

 吉祥寺の瀟洒なマンション、チャコズガーデンに住む渚。突然夫に離婚を宣言され、慰謝料としてマンションの住居はもらうが、夫は渚の元から去る。それといれかわりのようにやってきた映子一家。

 実はこのマンションの最上階七階はワンフロワーすべてを村内という老女が購入し住んでいるのだが、マンションの住人誰一人村内に出会ったことはない。村内専用のエレベーターがとりつけられ一般の住人は七階にゆくことができない。

 映子一家がマンションにやってきてから、怪しげなことが次々起きる。更に映子の息子(実は娘なのだ)が、誰も行くことのできない七階の村内の住居に頻繁に出入りしている。だんだん物語は明野さんのテリトリーであるサスペンスの色彩が帯びて行く。

 ところが怪しい事件の数々はすぐに解決。何だか物語の雰囲気がサスペンスでは無くなってくる。
実は七階に住んでいる村内老女は、戦後の絶頂期に突然銀幕から消えた大女優北村都だったことが明かされる。明野さんは完全に原節子を想定してこの小説を書いている。

 面白いのだが、原節子が突然消えたのが、「禍福はあざなえる縄のごとし」という諺を信じ、「人生、絶頂期の直後には必ずどん底がやってくる」だから、絶頂期の今、女優をやめたほうが良いという実父の忠告により、映画界を去ったという説が一部にある。明野さんもその説に従い物語を進める。

 そんなことでは大女優が映画界を去ることは無い。そう私が書けるのも、その後原節子の突然の引退について、石井妙子が「原節子の真実」(新潮社)で迫っているからである。

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| 日記 | 22:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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明野照葉     「宿敵」(中公文庫)

心の病というのは、耐えられないほどの精神的圧迫、苦痛を受け、それを支え切れなくなったときや、体がもちこたえることができないほどのオーバーワークをやり続けたとき、突然緊張がプッツンして起こるものが一般的である。

 一人暮らしで、友達もいなくて、家族とも多少疎遠になっている人というのは、かなり自分を律して生活するというのが難しい。

 家事というのは、今その瞬間にせねばならないというものは殆どない。誰かが訪ねてくるとか、着飾ってどこかに人に会いにでかけるなどのような外的要因が無い限り放っておいても、当面、困ることはない。
 今日は、面倒だから洗濯はなし。とりあえずゴミは明日片付けるか。洗い上げも、掃除も明日しよう。今日は眠いから、風呂はやめよう。

 孤独というのはこれができる。

 で、その明日とか今度というのが積み重なると、ちょっとした家事ではできないほどに汚れた食器、ゴミ、洗濯物が溜まる。
 その途端に、これはとんでもないことになった、どうしようもないという心境になり、暗くふさぎ込むようになる。何かしたいとかせねばいう意欲が、ゴミの山をみると起きなくなる。

 ちょっと前ならば、こんな惨状をたまに家族がやってきて見て、「何とかしろ」と一喝したり、手伝ってくれてきれいに整理してあげる。あるいは今だったら、「便利屋」にきてもらい金をだせば整理してくれる。

 ところがゴミの山の中で、暗くふさぎ込んでいる姿をみると、今は片付けるより前に、どこか心が病んでいるのではないかとなりまず病院に連れてゆくことが多い。
 そして病院から薬をもらい服用すると、何故だかもっとだるくなり、更に何もしようとしない気持ちが増す。

 この作品は、そんな孤独で何もやりたくなくなる人を扱う。

こういう人たちも心の病を持っているということになるのだろうか。だらしないと心の病との分岐点はどこにあるのだろうか。

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| 古本読書日記 | 22:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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明野照葉      「その妻」(中公文庫)

流石ホラー作家の第一人者である明野さん、最後の小出刃を持って、有名デザイナーであるモナミに迫り刺し殺す場面は迫力がある。しかし、そこまでに至る物語が全くよくない。

 主人公聡乃と夫である融也。高校時代から付き合いその時の誓いを守り結婚した。どちらも強く愛し合っている。

 その融也が突然、モナミが余命幾許もないガンに罹り、それを励まし支えてあげねばならない、だから今から10か月、家をでてモナミのそばにいてあげると宣言、家をでて行ってしまう。まず、この設定が無理すぎ。多少の会話のやりとりがあるが、聡乃は素直にそれを受け入れる。こんなことは全く現実にありえない。

 当然聡乃の融也に対する信頼や愛は揺らぐ。モナミは本当に余命幾許もないガンに冒されているのか、何よりも融也とモナミの関係はどうなっているのか、不安と怒りが渦巻く。

 それで、聡乃はモナミとつきあいのある人たちを何人もみつけて、真実を探ろうとする。そこのところが物語の殆どを占め、色んな事実がでてきて、聡乃の不安や怒りがだんだん増幅するようになってイルクライマックスを迎えるように物語は構成されている。

 とにかくああでもない、こうでもないという聡乃の心の揺れ動きが大量に描かれる。
何もそんなに苦悩するのなら、聡乃はモナミでも、融也でも直接会って確かめればそれで済むことなのに。何で、わかることを、こんなにまわりくどくあれこれ引き回さねばならないのか。全く実感がわかない。

 まだ明野さんの未読本が5冊ある。ちょっと残りを読む切るべきか悩んでしまう。

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| 古本読書日記 | 22:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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明野照葉     「さえずる舌」(光文社文庫)

 物語の設定でミスをしている。

 颯爽として講義をしている主人公真幌の姿や経歴をみて、嫉妬、憎しみを抱き、芽衣なる美貌の女性が、真幌の成功した会社に入り、何としても真幌を地獄に落としてやろうとあれこれと策略をするという前提ストーリーに完全に無理がある。
 いくら変わっている人であっても、講習会でであっただけで講師に嫉妬してその講師の人生を貶めてやろうなんて考え実行する人は皆無だろう。

 更にわからないのは、千種という真幌のことが心配で、真幌にストーカーとして15年もくっつき尾行しているところ。

 芽衣の小さな嘘を積み重ね、真幌の会社の人間関係を破壊し、真幌を窮地に追い込もうとしているところは流石明野さんと思わせる迫真の描写で感服するが、前提で失敗しているため、物語に入ることができない。千種の行動にも納得できる背景が欲しかった。

 この本を読むと、組織に個人が恰好よく不正腐敗を告発しても、結局個人ははじきとばされるものだと改めて思ってしまう

 くい打ち偽装の告発した人や、甘利大臣を追い込んだ人は今どうなっていて、これからどうなるのだろうか。やった行為に見合うか、それ以上の益は受けたのだろうか。

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| 古本読書日記 | 22:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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折原一   「螺旋館の奇想」(文春文庫)

 ミステリーオタクの人にはたまらない作品だろう。
倒錯ミステリーという呼び名にふさわしい作品だし、叙述トリックてんこ盛りのところも素晴らしいのかもしれない。

 とにかく、田宮というミステリー作家の日記、彼が書いたとされる「螺旋館の殺人」、それから田宮の盗作であるとされる、大久保という男の書いた小説「倒錯のロンド」(内容は忘れたが、折原の作品の中にある)更に田宮の一人称で描かれる物語が並列にして物語が進む。そして並列して進む物語やら日記のすべてに、嘘と真実がちりばめてある。

 だから、読んでいくうちになにが本当で何が嘘なのかわからなくなり、作者折原に読者は翻弄されっぱなしになる。

 どんでん返し、どんでん返しがごろごろと繰り返し、最後にはこれでもかという、とんでもないどんでん返しが用意されている。

 正直、やりすぎ。おしまい近くは、読むのも馬鹿らしくなった。ミステリーオタクの世界はここまでやらないと満足しない世界なのか、少し空恐ろしくなった。

 しかし、折原そのものの筆致はシンプルでわかりやすく、ともすると子供の絵本を読んでいるような文体。これを意識して作っているとしたら、奥が深い作家と思う。
 それから綾辻のベストセラー「館」シリーズを大分意識しているとも感じた。

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| 古本読書日記 | 22:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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相場英雄   「共震」(小学館文庫)

 チタン製とステンレス製のタンブラーの特性を使い、さくらんぼに染み込ませた毒を被害者に飲ませ殺すというトリックもそれほど目新しいと思わなかったし、復興支援金を巻き上げる仕組みも、現実はもっと色々の方法があきらかにされているので、それほど驚くこともなかった。

 それでも、相場、この作品のためにたくさんの資料を読み込み、東北大震災の現場にも何回も足を運び取材をしただろう、それも通り一遍ではなく、かなり深く切り込んでいて、それが魂のこもった筆致に結実し感服した。

 いつも、思うが、暴力団を含めた裏社会の連中、および政治家、それに続く官僚の一部は、いつも税金をどう分捕り、それらをどう彼らの間で分配するかを考えている。

 ひとたび、大災害が起きると、義援金やら復興支援金が大量に注ぎ込まれる。大災害だから、そのお金を分配する手続きがどうしても甘く、穴だらけにになる。厳格にしていてお金が回らない事態になると、マスコミを中心に国民からの罵声が山のように発せられるからである。

 ここを裏社会の連中たちは狙う。ホームレスの人々を、震災被害者として現場に送り込み、避難場所に住まわせる。大量の避難民がいるから、チェックなど十分にできないし、被災直後はすべてのエネルギーが行方不明者の捜索、救助に注がれ、避難所の避難民についての調査など完全に後回しになる。

 そこで組織により送り込まれたホームレス避難民が、被災者として申請し、義援金やら生活助成金を手に入れる。もちろん口座は裏社会達の組織がホームレスに個人口座を開設させ、集まった義援金を裏組織に還流させる。

 どさくさと混乱は、お金を詐取する絶好のチャンスなのである。

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| 古本読書日記 | 22:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長部日出雄   「日本を支えた12人」(集英社文庫)

 すごいタイトルである。そして支えたのは誰か、聖徳太子、天武天皇、行基、本居宣長など錚々たるメンバーのなかに太宰治がいる。津田左右吉がいる。もちろん、太宰も津田も功績はそれなりにあるだろうが、日本を支えた偉人にふさわしいのかと言うとかなり首をかしげる。あとがきを読んだらもともとは雑誌「正論」からの依頼により「私が愛した日本人」ということで12人をとりあげ長部が書いたものとだそうだ。あとがきから読めばこの作品は納得できたのに。

 幾つかこの作品で新たに知って驚いたこと。

 法隆寺の国宝で有名な「百済観音像」。明治以前は「虚空菩薩像」と呼ばれていたものを、岡倉天心が「百済観音像」に変え現在に至っているとのこと。1000年以上「虚空菩薩像」と呼ばれていたのに。何故変えてしまったのかは、この本ではよくわからなかった。
 変えなかったほうが良かったという想いが私には強い。

 壬申の乱で大友皇子が大海人皇子に敗れなければ、われわれの日本語はなく、漢語の世界に日本はなっていたとのこと。よかったねえ。大海人皇子が勝利して。

 で、何より驚きそして納得したのが、太宰がのりにのっていたときの作品「富獄百景」「駆け込み訴え」「走れメロス」などは、正式に婚姻した妻石原美智子の協力を得た太宰口述筆記の作品とのこと。

 あの、一人称語り口の独特の文章は、口述筆記で創られていいたのか。なるほどなあと納得した。

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| 古本読書日記 | 22:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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