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2016年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年03月

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池井戸潤    「七つの会議」(集英社文庫)

 この前新聞で確かオリンパスの社員が上司の不正を告発。オリンパスはそれに怒り、社員を左遷させ、それが不当と社員がオリンパスを告発、地裁で和解が成立したというニュースを新聞でみた。

 不正を告発。マスコミは告発者を一方的に正義として報道するが、現実はそんなに簡単ではない。もちろん告発の中には純粋な怒りで、不正を告発しているものもあるが、大抵は、動機がすこし曲がっているものが多い。

 自分のおかれた境遇がある。自分の仕事ぶりはさておいて、とにかくこんな境遇においておく会社が憎い。上司とそりがあわない。上司や、同僚のあいつが俺にだけ厳しく辛くあたり、無能よばわりをする。

 こんな怒り、憎たらしさ、嫉妬が根底にあり、それが日々増幅する。そこに不正らしきものをみる。それで、あいつの、或はあんな上司の不正は見逃すことはできない。そして、その不正を告発することが、いつしか正義のヒーローのようにどこかで変転する。そうして、嫉妬怒りが完全に悪をこらしめるためにやっているのだ、それで告発が始まる。

 池井戸の「七つの会議」のなかの「経理屋稼業」での、経理部員新田、自分の社内不倫も問題なのに、それはそっちのけで、ヒーローのごとく気持ちが高揚して、不正を暴くのだと邁進してゆく姿は、まったく会社員という動物をよく観察し描いているものだと感心する。

 最後の締めで物語がちょっぴり萎んで、弛緩したのが心残りではあるが、池井戸の会社の実態を見つめる眼の確かさをこの作品でも改めて実感した。

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金井美恵子  「道化師の恋」(河出文庫)

 金井さんは、きっと映像がまず頭に浮かんで、それを文章にしたいのじゃないかと思う。

 「麻の買い物袋からサイフを取り出してコーヒーの代金を払おうとすると、それを善彦が手で制したものだから、桜子の手の甲に指が触れ、桜子がピクっとして手を引っ込めたので
サイフが床に落ち、それを拾おうとしてスツールに腰かけたまま上体をかがめて腕を伸ばした善彦の頭が、隣のスツールに腰かけている桜子の膝にぶつかり、それはピクっとする感覚というより反射的に脚が上にもちあがる反応を示したので、善彦のあごのあたりにぶつかり、ごめん、と言いかけて不安定な状態の姿勢がグラっと揺れ、善彦の唇がスカートの裾と膝をこすり、唇は木綿の布地の堅い感触を膝の皿より少し上の肌の感触を感じ、膝は柔らかく湿った唇の感触を感じ取り、桜子は善彦の傾いだ身体を支えるために腕を差し伸べてシャツの布地越しに脇腹に触れた。」

 恋が生まれそうな場面緊張を表現している。映像でやれば10秒もかからないことを、金井流表現を使うとこんなに長くなる。緊張感は伝わり、映像も追っかけては来るが、とにかく長い。しかも映像の連続でカットがくるまで一つの文で表現し、句点が無い。

 これを素晴らしい、芸術的と評する人もいるだろうが、私は凝りすぎと思ってしまう。

 この作品で金井さんが誰かの以下の内容を引き合いにだしている。
 「小説は石炭と似ている。19世紀から20世紀前半、人々の最大の趣味、娯楽として小説は読まれた。石炭も大切なエネルギーとして利用された。しかし、どちらも今や廃れてしまった。」

 金井さんの作品を読むと、この言葉がリアルに迫ってくる。

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乃南アサ     「暗鬼」(文春文庫)

物語だからと受け入れながら読むが、主人公の法子が、9人家族の家庭に悩みながらも嫁ぎ、同居をする、大丈夫なのかと心配する。

 我が家の周りにも数は多くはないが、二世帯、三世帯住宅がある。子供たち夫婦は、両親や祖父祖母の面倒をみる見返りに、家と土地をもらえる、こういう打算が互いにあることで成り立つ構造である。

 しかし、最近では殆どの家庭は、子供は家を離れ、老夫婦だけで暮らしていたり、夫婦の片割れが亡くなり、孤老として住んでいる家ばかりになった。

 嫁、姑の争いというふうに矮小化するが、嫁にとって異なった家族のなかにはいるということは、嫁と姑ではなく、嫁と嫁いだ先の家族の争いというのが現実だ。家とか家族。それを構成する人たちには当たり前のことだと無意識に行動していることの中に、新しくやってきた人には抵抗し、拒否したい風習や決まりがある。それが摩擦。そうすると、嫁に対し、夫を含め家族全体で風習を守るように圧力を嫁に加える。だから、嫁は旦那に結婚するとき、ずっと同居をしないことを条件に結婚をするのである。

 この物語は、そんな摩擦をデフォルメして扱っている。

 家族というある宗教団体に入信させられ、それに悩み、戦ったり、妥協したりする姿が実によく描かれている。法子の姿が悲しく、切ない。

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| 古本読書日記 | 06:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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村田喜代子     「ゆうじょこう」(新潮文庫)

からっとしている。最初、読みだして、娼妓になるための教科書、マニュアル本ではないかと思うほど淡々と物語が進む。正直淡々すぎて、つまらなさを感じる。

 しかし、そこに村田の目論見があったことが全てを読んでみてわかった。
遊技、娼妓を主人公にした作品は雲霞のごとくある。男目線から言えば、伝統的な芸妓、芸者文化、それにどっぷりとつかり、娼妓とのささやかな交流に漬かる姿を描く。女性作家は娼妓の切なさはうたいながらも、その辛さを、強く、明るく克服していこうとする姿や、娼妓同士の燃え立つような憎悪のぶつかる姿をこれでもかと描く。

 いずれにしても、悲しさは基軸にはなろうが、やはり淡い恋や、恋情が、そしてそれから派生する嫉妬などが物語のテーマとなる。

 この作品は、そんな人間的な生き様など、売春、娼妓の世界には微塵もないことを描こうとしている。人間を売買する。それは、牛馬の売買と同じ。娼妓は、人間ではないのである。

 この作品に福沢諭吉の言葉が多くでてくる。平等、自由、学問のすすめ。それらには、
 貧乏人や娼妓は含まれてはいない。貧乏人は社会より排除すべきことを福沢は言っている。

 牛馬には、人間的考え、感情の発露、それによる起伏ある物語の創造など皆無なのである。だから、村田の表現が娼妓入門読本のような単調文になっているのである。その単調さの連なりの中から、娼妓たちの怨念や悲しみが湧き出ている。

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綾辻行人   「時計館の殺人」(下)(講談社文庫)

 時計館にある108個の全ての時計の速度を20%速めておく。上手いトリックを考えるものだと一度は感心する。だけど、犯人だった紗世子は年をとった家政婦。そんなことできるわけがないじゃんと思う。

 ところが、綾辻は見事なトリックを用意していた。108個の時計は、館ができた時から20%速度を速めておくようにしていたと。それは、館を創った古峨が、愛する娘永遠(名前)の命が16歳までと宣告され、許嫁である智と16歳までに結婚させてあげたいという強い想いがあり、それを実現したうて全ての時計を20%進めておいたのである。

 上手い結論を持ってきたものだ。構成が実によくできている。本格推理小説は時に、作家に色んなトリックが浮かび、小説の構成を無視して、浮かんだトリックのあれもこれもいれようとして失敗する作品ばかり。それだけに綾辻のこの作品でのトリックと物語の構成のすばらしさに感服した。

 上巻を読んだ段階で、少年由希弥が犯人ではないかと思った。綾辻は、由希弥が犯人であることを終盤縷々説明する。初めて長編で作家と自分の想いが一致したと喜んだ。だけど何となく残り100ページ以上あるため不安になる。そしたら、最後に私の想いをひっくりかえす結論を用意していた。

 凡人はこう推理するだろう、馬鹿なやつらだとほくそえんでいる作者綾辻が眼前に浮かんで悔しくてしかたなかった。

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綾辻行人   「時計館の殺人」(上)(講談社文庫)

 館シリーズ5作目で、大長編。館シリーズの頂点を極め、全日本推理作家協会賞大賞受賞作品。

 変わらず、中村青司が設計した奇妙な館が事件現場として登場し、名探偵推理作家島田潔がこの作品ではペンネーム鹿谷門実で事件の真相に迫る。

 時計館というから古今東西の古い時計(但し模倣品も含め)108個の人間の煩悩だけの数の時計が館には飾られている。何故だかしらないが館の天辺にある時計には針がない。

 その館で10年前に少女が死ぬ。これが事故死なのか、自殺か他殺かが物語では色んな場面でころころ変わる。この少女の不審死を契機にこの10年で7人、正確には彼女を含め8人が死んでいる。

 この館には、過去の霊が存在しているとする霊媒師光明寺美琴の導きで、ここで降霊会をし、それを取材しようと9人の男女が集まる。そこで、血を一杯浴びた服を残し、光明寺が失踪し、更に参加者のうち2人が殺される。ここまでが上巻。

 この作品がもちろんこれからどうなるかわからないが、気になるのは由希弥という少年。由希弥が存在しているように描かれているが、実際には上巻では登場していない。男の子のようにも書かれているが、本当に男の子なのかどうかぼやかしている。綾辻はとにかく叙述トリックを多用するので、この辺があやしいぞと思ってしまう。また、子供の本質は、純白というのは良いことのように思うが、裏を返せば残酷非情。ここらが事件の鍵になるのではと想像しながら下巻へと進む。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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法月綸太郎   「法月綸太郎の新冒険」(講談社文庫)

 推理小説の世界では、完全犯罪を実現する手段として最も確立の高いのが、交換殺人と思われている。

 確かに、誰かを殺したい人が2人いて、別々に互いに殺したい相手を時間差をおいて殺す。
この2人の関係がばれないようにできれば、各々にアリバイが成立して、犯人にたどりつくのは相当困難に思える。

 こんな方法があるのに、どうして現実世界では、交換殺人が行われないのだろうか。行われているのだが全て迷宮入りになってしまっているのだろうかいつも不思議に思っていた。

 この本を読み、交換殺人というのは現実には殆どありえないことがわかった。それも実に簡単なことで、今まで気が付かなかった自分が情けなく思った。
 もちろん最も大変なことは、人を殺したいという思いを持っている他人を探すことだが、最近はネットもあるし、ある確率では探すことはできるだろう。

 しかし、大きな障害は時間差で殺人がなされねばならないということだ。同時に行えば、殺人対象者は異なっていても、アリバイの説明が、実際に人殺しをしているため、難しくなる。
 時間差を持って人殺しをすれば、容疑者に浮上してもアリバイがあり容疑者からははずされる。

 しかし時間差は、最初に殺人がなされれば、後から殺人をする人間は、すでに自分が殺したい人は殺されているため、わざわざ交換殺人を犯すリスクが無い。可能性は、先に殺人を行った人間に何故約束した殺人を実行しないのかと脅され、殺されてしまうことが残るが。日本のどこかに紛れ込めば、発見することは容易でない。

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| 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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金井美恵子    「迷い猫あずかってます」(新潮文庫)

 最近はテレビや本で、犬、猫をとりあげる番組、作品は、飼い主が異常に犬、猫に感情移入し、犬、猫の想いをわかっているがごとく代弁してあげるのが殆ど。その点このエッセイは、猫と人間をはっきり区別して、観察に徹していて、新鮮で小気味よく好感がもてる。

 独身女性で猫を飼っていると、自分は夕飯はカップラーメンくらいで済ますのに、猫にはヒラメや鯛の刺身だったり、ちょっとしたものを調理してあげる。
 「エサやったか」などは猫様に対して失礼千万。「お食事を差し上げたか」と言わねばならない。子供たちには「ほれ、食え」などと言っているのに。

 今や飼い猫は、家族の一員どころでなく、家族の中心にまでその地位をあげている。

 怒られそうだけど、ペットは「可愛い」というところまで行ってはならず、一緒にいれば「楽しい」とか「癒される」というレベルにしておくのが、正しい付き合い方のように思う。

 猫のおしっこを「スプレー」とか「マーキング」などとセレブな言い方になったのはいつからだろうか。昔の「かけしょん」のころに戻ってほしい。

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| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小川洋子 「妊娠カレンダー」

「妊娠カレンダー」
芥川賞受賞作だそうな。あとがきで作者が、
「自分の経験を描いた作品か? と質問されるたび、がっくりする。
 わたしの妊娠体験なんて、何の書かれるべき要素も含んでいない」
と書いています。
タイトルの通り、各所に日付が入っていて、出産までのカウントダウンを思わせますが、赤ん坊の存在があまり感じられない。
妊娠の経過をつづった、エッセイみたいな作品ではありません。
語り手が赤ん坊を、染色体としてイメージしているのは、なかなか面白いですね。

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「ドミトリィ」
天井に広がる染みは、血に違いない! 
両手と片足がない芋虫みたいな寮の管理人は、青髭のごとく若い男の死体を並べて隠しているんだ!!
……と盛り上げておき、意外なところに話が着地します。
そういえば、「寡黙な死骸~」も、この話も、冷蔵庫の中で死んだ男の子の事件が登場します。
実際に似たような事件があって、作者に強い印象を与えたんでしょうかね。

「夕暮れの給食室と雨のプール」
回想がメインで、特に大きな事件が起こるわけでもない話です。
給食室で、ポテトサラダに使うジャガイモをおばさんが長靴で踏みつぶしていたという描写がある。
『給食のトラウマ』が、残さず食べることを強要されて苦しかったとか、鶏をしめる現場を見てしまったとかではなく、
「合体・発酵・変性するにおい」「いくつも重なりあうゴム長靴の底の模様」というあたり、作者はセンスが良いと思います。

3篇の共通点として、登場人物たちが準備をしていないというところがあります。
出産への準備、夫が暮らすスウェーデンへ移住するための準備、新居や結婚式の準備。
3つ目の話に出てくる女性はそれなりに動いていますが、夫とのやり取りが電報というあたり、もたついている気はする。
期限がはっきりしているのに、みんな澱んだ時間の中にいるわけです。

| 日記 | 20:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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井上荒野     「結婚」(角川文庫)

 この作品、結婚詐欺師古海に篭絡されてゆく女性を描くが、ここから見えるのは、現代の中年女性の気風である。独身であれ、浮気であれ、恋愛すること、肉体関係になることの敷居が低くなっていることだ。

 浮気と言えば小説の題材で書かれる80%は男の浮気で、それに怒り冷えた心持になるのは女性というのが通例。女性の浮気は、かなり敷居が高く、肉体関係になるまでに時間がかかったり、その関係になった後は、後悔にさいなまれたり、どこか暗いうら寂しいトーンに彩られる。特に男性作家の描く大人の男女の恋愛は殆どがこの暗いトーン一筋。

 しかし、家庭に不満があることなど関係なく、今や女性、たとえ主婦であっても、出会った瞬間に魅かれた男性に、誘われればついて行くことはめずらしくなく、肉体を求められれば、それに応じることはそんなに異例なことではないようだ。

 ただ、この作品によれば、男から捨てられるというのは女性はプライドが許さない。或は、自分に限り捨てられるということはありえないと信じる傾向があり、客観的にみればだまされていることは明白なのだが、あの人に限りそんなことはないと信じ、いつまでも待ち続けるし、時には、ストーカーまがいに捨てた男を追い続ける。

 既成概念にとらわれた伝統的恋愛作品より、井上さんが描く乾いた現代の恋愛状況をもっともっと読んでみたい。

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| 古本読書日記 | 06:39 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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法月綸太郎   「誰彼」 (講談社文庫)

 この作品は、名探偵法月綸太郎が初めて登場した作品だそうだ。法月作品を最初から読んでいればよいが、私のように順番を関係なく読んでいると、かなり面食らう。

 だいたい、誰の作品であれ、名探偵シリーズというのは、事件がおきると、狂言回しの探偵やら刑事がでてきて、どうにも解決が行き詰まったとき颯爽と名探偵が登場して、ちょっと調査をし、すぐ天才的に事件を解決する構図になっている。

 この作品は、名探偵綸太郎が事件発生当初から登場する。そして、彼の推理は、なるほどそうかと事件を解き明かしたように見え、迷走にはいり、また解決したかと思うと、迷走を繰り返す。

 この作品、作者法月が、ある解決が浮かんで、そこで終わろうとするが、いやまてもう少しひねってみるかと思いながら書き進み、それが重なってこんな長編に結果としてなってしまったように思える。

 だから最後が何これ?状態で終わる。これなら、その前の終わり方のほうがよかったのではと思える。つまり、引っ張るだけ引っ張り、力尽きたのが最後の解決となったのだろう。

 起こる事件は一つだけなのに、物語は400ページを超える。つまり、推理、推理だけで400ページ費やすのだから、読み続けるのが本当に辛い。

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| 古本読書日記 | 06:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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西加奈子    「ごはんぐるり」(文春文庫)

 西さんもこのエッセイで書いているが、やっぱし古今東西の料理レシピ集で読んでズシンとくるのは、あの無頼派で一世を風靡し、料理名人でもある作家壇一雄が書いた「檀流クッキング」である。レシピ本だから当然レシピが書かれているのだが、それが単なる料理法の羅列でなく、根性と力、人生観がこもっているのである。

 「パンを両面ともこげ目がつくくらいによく焼いて、あげくの果てに、チーズを重ねて、蒸し焼きにしてみよう。」

 料理本では絶対におめにかかれない、「あげくの果て」には。料理が何となく決闘試合のような雰囲気になる。

 やっぱし文学の才人は違うものだと感心していたら、西さんも壇に負けず劣らず偉人だと思ったところにぶつかった。
 真面目に原稿にとんでもなく集中しているときがある。そんな時、脳味噌が、ぐるん、と、後ろに「回る」ときがあるそうだ。これはなんとも想像がつかない、とんでもない感覚だ。

 きっとこの「ぐるん」から生まれた小説は傑作なのだろう。
今度新刊本の宣伝帯に、「ぐるん」とこの小説は脳味噌が回ったとそれだけでいいから書いておいてほしい。絶対に買って読むので。

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宮部みゆき    「平成お徒歩日記」(新潮文庫)

 この作品、江戸時代の刑罰について勉強になる。

 改めて言われれば当たり前と思うが、牢屋は今の刑務所とは違い、刑期を勤める場所ではない。刑期という考えは当時は無く、刑罰はお裁きがあれば即執行されるものであった。

 お裁きは、テレビの影響を受けているので、温情や奉行の匙加減で決まるのかと思っていたが、かなり細かく規定されていて、更に、事件経過は殆ど考慮されず、奉行はその規定に従い判決を下していた。

 通常死刑というのは、裁きが終わると、牢屋に「切り場」なる場所があり、即実行される。

 ここからが面白いのだが、江戸時代は死刑より重い刑があった。だいたい市中引き回しというのは付加刑で、単独した刑罰でなく、死罪より重い刑のとき原則付加された。

 死刑より重い刑というのは打ち首、馘首などがそれにあたる。付加刑には引き回しの他に、「晒」(心中未遂などをした男女を通行人の多いところに引き据えられ、立札の横で晒されるような付加刑)このほか、磔、火あぶり、獄門などがある。

 この中で恐ろしいと思ったのが、「鋸引き」。顔だけを地上にだすように体を埋められる。そこで指名された一般人、通行人の類が、鋸で首を切り刻む。命令だから仕方ないが、市井の人がこんなこと残酷なことをしたのだ。

 市中引き回しは、鈴ヶ森などの刑場まで行く道中だけで行われたことと思っていたが、何と文字通り市中引き回し、牢屋から刑場までおよそ20kmもあった。

 江戸時代が長く続いたのは、やはり基盤に恐怖政治があったことがよくわかった。
 恐怖政治は、北朝鮮もそうだが、しぶとく継続するものだ。

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有栖川有栖     「幻想運河」(講談社文庫)

 本格推理小説作家有栖川のことだから、この作品もどんな仕掛けが用意されているか興味を持って読み始める。冒頭から大阪の運河でのバラバラ死体がみつかり、これは面白そうと思い読んでゆくと、急に、舞台がアムステルダムに変わる。確かに大阪もアムステルダムも運河の街。しかも、大阪の運河は、だまし絵で有名なオランダ人エッシャーが指揮をして作ったものとこの作品で明かされる。
 
 それにしてもアムステルダムでの描写が長い。大阪のバラバラ殺人事件と絡まるような事件がアムステルダムでいつおきるのか、待てど暮らせど起きない。それでやっとこさ、もう少しで終わりというとき水嶋という男がバラバラになって殺され、運河に浮かぶ。

 その解決も全く作品のタイトルにもなっているように幻想的で、もう一つ実感がわかない。果たして、殺人事件は解決したのか未解決のままなのか、幻想に包まれる。

 それで、どうもこの作品は本格推理小説ではないのではと読み終わって思う。人間の性(さが)や生と死を扱った本格小説ではないのかと。そう考えて、もう一度読み直さないといけないとは思うが、やっぱし有栖川の趣向と異なると思うとあまり再読する気持ちが起こらない。

 ただ一つ面白いなと思ったのは、人を殺傷しておき、死体を切り刻み、その後で銃で死体に弾を打ち込む。そのときの鑑定が、死因は銃弾によるものと下される。そんなことはありうるのだろうか。そこも幻想に包まれる。でも、頭の隅にこびりついて離れない。

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稲葉真弓   「唇に小さな春を」(小学館文庫)

街中にポッカリと不思議に開いていた土地に、安普請の我が家を建てたのはバブル絶頂期のころ。だからもう建ててから30年近くにもなる我が家である。人生の中で最も長く過ごした家であるのに、何となくまだ自分の家の気がしない。新建材に囲まれ,スレート葺きの少し洋風の家はなんだか仮の住まいである。

 やっぱし、自分の住まいは田舎の育った実家である。屋根はトタンか安瓦。瓦がとばないように石の重しが敷いてある。エアコンは無い。ふすまやガラス戸を開けはなつと、風が絶え間なくふきぬける。すいかを頬張る、冬は夥しい数の氷柱が下がる縁側。

 どうしても、まだ自分の住む家、住んでいる家は故郷の家。今は旅の途中のような想いがする。

 そんな家も今は取り壊されて更地になったまま。そういえば、私の部落では空家、廃屋ばかりになってしまった。

 廃屋に似合うのは、時が止った柱時計と、住んでいた人が出て行った年の黄ばんだカレンダー。

そんなセピア色の風景が広がる稲葉さんの作品であった。

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我孫子武丸   「たけまる文庫 怪の巻」(集英社文庫)

 ホラー短編集。

 神経病の世界というのは、私に知識が無いのか、色々妄想を広げることができる。神経病は病巣が物理的に特定できないから行動、言動により患っているかどうかを判断する。行動、言動というのは、数限りないくらい色々の表出があるから、分類がきちんとなされないと、毎日のように「~症」というもっともらしい名前をつけた新しい病名が次々誕生している。   こんな状態になると、全ての人が神経病患っているように思えるし、神経病患者を装っても、毎日「~症」と命名できる病気を発見できる学界だから、正常人とは気が付かないことが多いのではと思う。

 神経病院の閉鎖病棟。ここに、自分は神経病の医者であると信じて行動する患者がいる。たいがいこんな風に奇異な想いを抱いている人は、一般の人に比べ、物事にたいする執着力、集中力が異常に強い。

 だから、神経病に関する専門書を読み込み、病気の分析、発見、処方について多くの知識を得る。すると、下手をすると病院の医師より病気にたいする知識が多くなり、医師としての技量が名医の領域に達する。

 閉鎖病棟で毎日誰彼を捕まえて、診察(診察ごっこ)をする。それで、手の施しようのない患者を次々治癒させてしまったらどうなってしまうのだろう。

 この短編集の「名医」という作品を読むと、妄想が頭の中を舞いおかしな気持ちになる。

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中場利一    「リョーコ」(角川文庫)

 会社生活を始めたと同時に、大流行になった漫画が、どおくまんプロが描いた「嗚呼、花の応援団」。最初の勤めが大阪で、物語の舞台になる河内にもよく営業で廻ったので、印象が強い。

 ここで登場する、スーパー応援団長「青田赤道」。「クェ~、クェ~」と雄たけびをあげ、ヤクザでも敵の大学番長でもすべてたたきのめす姿が忘れられない。この「青田赤道」は漫画で活躍したが、小説で活躍した「青田赤道」は何て言っても、中場の作品に登場する「カオルちゃん」。

 とにかく「カオルちゃん」が出てくるのを今か今かと待ち望みながら、中場の小説は読まれる。
 もちろん、この作品にも「カオルちゃん」は登場するが、主人公は作者中場を彷彿とさせる中学生のチュンバ。

 で、肝心の作品。これは失敗作。まず、硬骨感チュンバ中心の作品にならねばならないのに、リョーコという女子中学生の一人称の小説にしたところがよくない。中場には恋愛小説は似合わない。硬派の男の世界を軸に描き、恋愛は添え物にすべきだった。

 それに、物語に強弱がなく、いつも「オリャー」や「アホ」、「どついたる」という大声ばかり。うるさすぎてうんざり。読み進むのがいやになる。

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ももこ記念日

猫の日でもある。我が家に来たのが2003年2月22日。春が来れば14歳。
というわけで、1日早いですが、ももちゃんの写真をば。

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可愛く撮っておくれ

じっとしていない猫でして、写真を撮るのにはあまり向かない。
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腹を撫でまわしておき、ぱっと手を放して、シャッターを切る。

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鍵しっぽです。

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茶々丸よりも、夕方のご飯の要求が多いですが、スリムです。
たぶん、運動量の差とか爺やからのおこぼれとかによるもの。
ちなみに、ももちゃんが気に入っているのは「ちゅーる」です。フレークとかスープとかゼリーとか色んなウェットフードがありますが、最近は「ちゅーる」。
ドライフードはサイエンスダイエットです。小粒でも大粒でも可。もちろん、シニア用。

おまけ>
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豚のようないびきをかく猫。

| 日記 | 18:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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法月綸太郎   「法月綸太郎の冒険」(講談社文庫)

  この中編集に収められている「死刑囚パズル」は最近たくさん推理小説を読んでいるが図抜けて傑作推理小説である。

 まず事件設定が秀逸で読者の度胆を抜く。

 強姦、暴行を何度もくりかえし、最後には暴行致死を犯し死刑が決定し拘置されていた有明死刑囚の死刑執行が行われる日の15時を迎えた。事前の決められた儀式が行われ、死刑場に導かれ、首にロープがかけられる。そして死刑執行人がボタンを押すと、死刑場の床板が開けられ、死刑囚が首つり状態になり死ぬのである。この執行人は5人。

 彼らが一斉にボタンを押すが、どれが床の開閉とつながっているか執行人は知らない。これは執行人の人殺しの罪悪感を取り除くための措置なのだ。

 で、執行人がボタンを押そうとした瞬間、有明が絶叫しそのまま崩れる。死刑立会人が駆け寄る。するとすでに有明が死んでいることを発見する。
 つまり、極悪犯罪者が死刑執行寸前に人殺しに会い死んでしまう、前代未聞の殺人事件が起きたのである。

 法月名探偵の推理の論旨が明快で冴えわたる。しかし、いくら冴えわたっても、この事件の場合、犯人の動機が法月が読者が納得しているものが用意できているのだろうかと読者不安になる。それほどに動機付けが困難な舞台設定だ。

 ここでそれを書いてしまうと、これからこの本を手にとる人に失礼になるから言えないが、動機も見事である。
 殺人事件が全く起こることがないと考えられる舞台設定、推理の見事さ、犯行動機の明白さ、3拍子が完璧に描かれた傑作推理小説である。

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島田雅彦    「ニッチを探して」(新潮文庫)

 私の会社でも、資材部の部長をして、その後重役までなった人が、材料購入時に購入単価を上乗せさせ、それをキックバックさせそのお金で自宅を建てたと怪文書を流された。あまり皆に好かれておらず、顔つきもよくなかったのでその重役ならさもありなんとみんな思った。

 銀行は金が動く。支店長くらいになると、過剰融資をして、融資先からお金をキックバックさせることなど、罪の概念は微塵もなく、当たり前の事としてやる人などいっぱいいるのだろうとつい思ってしまう。

 こういう工作は、支店長一人ではできない。だから数人が協力して秘密裡に行う。その数人は、支店長を信頼する人が行う。そして幾何かの分け前を支店長より頂戴し、その代わりに不正を絶対ばらさないことを誓わせられる。

 ところがまれにその数人のなかに、清らかな性質が他のどんな性格より勝るひとがいて、悩みながらも、不正を汚いとして、行動を起こす人がいる。刃向かい散る人もいるが、この主人公のように、不正、腐敗がはびこる世界に嫌気をさし、別世界に飛翔しようとする人もいる。

 自分は支店長に強制され不正に加担しているので、銀行から告発を受けるかもしれない。
だから、身を隠そう。そんな想いから、ホームレスの世界へ飛び込む。

 よく、生活保護制度もあるのだから、何故にホームレスなんかになってしまうのかわからないという人がいる。或は、世のしがらみから離れ自由を謳歌しホームレス世界こそ楽しい世界なのではなんてとんでもない発想をする人もいる。

 ホームレスはそれどころではなく、生き抜くには結構厳しい。何よりも、生活保護を受けることができないどこかに疚しさを抱えている人たちの最後の身を隠す場所になっている。指名手配者の多くがホームレス生活をしながら逃亡する。だから、ホームレスになりすましている捜査員が数人いつもいる。

 この作品の圧巻なところは、まるで作者島田がホームレスを経験したことがあるのではないかと思われるほどに、微細に、生き生きとホームレス社会を描いているところである。

 ユーモアもあり、なるほどと感心もし、主人公道長と一緒になってしばし、ホームレス生活を読者は楽しむことができる。

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| 古本読書日記 | 06:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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乃南アサ   「5年目の魔女」(幻冬舎文庫)

 会社の同僚で友達だった女性社員と同じ上司との不倫の間に挟まって、色んな噂をされ会社を辞めざるを得なかった主人公。その後、同僚女性も上司も会社をやめ、パブをはじめるが3か月で失敗、そして不倫はどろどろの関係に陥る。そんな噂を人伝手に聞いたから、きっとあの娘は、更に不幸のどん底であがいているに違いない。そう思うと主人公は、どうしてもあの娘の成れの果てを見たくなる。

 そして、彼女の実家を訪ねたり、隣の市を訪ね、彼女が売春婦までやっていたことを知り、やっぱし思った通りに人生奈落の底に落ちたのだとにんまりする。

 そして次に勤めた会社の仕事の関係で、偶然に彼女に会う。彼女は何と陶器の大会社の社長夫人におさまっていた。全く想像とは180度異なる場所に落ちたと思っていた女性はいた。

 あの人は根性悪。だから、こうなるはず。誰も彼もがそう言う。そうなるとこうなるはずは、いつしかやっぱしそうなったと事実のように思いこむ。本当に人間というのは変な動物である。

 こうなるはずだった人は、実は社長夫人に収まった過程を嘘と虚飾を交え、それが事実のように喋りまくる。主人公は売春までやっていたことを知っているのに、そんなこと億尾にもださない。堂々と嘘をしゃべるのだが、社長夫人の喋り振りに接すると、主人公がであった事実がもしかしたら嘘なのではと思ってしまう。

 クライマックスは流石乃南で、息詰まるシーンの連続で流石と思わせる。最初が良くない。

 同僚の女子社員を、かなり自己顕示欲がつよく、嫌われ者、甘えん坊として乃南さんは描く。
それがどうして主人公と親友になるということが解せない。作品のどの部分からも、親友同士という雰囲気がでてこない。そこがひっかかりながら読者は読むので、クライマックスの凄さが半減してしまっている。

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| 古本読書日記 | 06:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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つかこうへい   「スター誕生」(角川文庫)

 これは、変わっているというか、なかなか挑戦的な小説である。

 伊豆大島、三原山で女子高生が火口に飛び込み不審死をする。そこに立ち会う玲子という同級生。そんな自殺に思える不審死が2回も玲子立会で起こる。その他にも、強姦事件や、心中を装った事件。不正融資事件など、これでもかと事件が起きる。

 小説はしーちゃんというスターを目指している玲子の付き人の視点で描かれる。普通こういう小説だと、しーちゃんが主人公となり、事件を推理する。ところが、この小説は、しーちゃんはただたんに起きていることを語るだけで考えたり推理することは一切しない。だから、読者は、今起こっている事件はどうして起きているのか、どう考えていいのか、全く暗中模索のなか、不安定にゆれながら作品を読むことになる。こんな手法で展開する物語はあまりみたことが無い。最後には事の次第はほぼ明らかにされる。でも、この挑戦的手法が成功したのかというと私としては疑問である。推理しない推理小説は頭が淀んで仕方がない。

 それから、女優になりたいと強い欲求を持つ女性というのは、周りがその舞台は出演しないほうがいいとかそれはイメージダウンになるとか指摘しても、本能的なカンや嗅覚にすぐれ、どこで何を成すべきかは、女優を目指す女性が勝手に決断して、スターダムにのしあがってゆくものだということがわかった。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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我孫子武丸   「警視庁特捜班ドットジェイピー」(光文社文庫)

 こういう小説は何小説というのだろう。はみ出し者活躍小説とでもいうのか。とにかくよくあるパターン小説。会社で、組織からはみでて、使いものにならない人たちがいる。それを、厄介払いのごとく、どうでもいい組織をつくり彼らをあつめて必要のない仕事をやらせる。ところが、くすぶっていた彼らが想像もつかいない破天荒な活躍をして会社を変革するというお話。この小説は会社ではなく、警視庁版。

 ノリはいい。何しろ、はみだしてはいる、美女、イケメンを5名あつめて、警察の暗いイメージを変えようとする作戦。ちょっと一時期流行ったDJポリスを想像してしまう。

 彼らに突拍子もない衣装をきせ、バンドを組ませ、CDまでだそうとする。そして、瞬間ではあるが、この試み大成功し、爆発的人気を得る。

 ここで、彼らを貶める事件がおきる。それを彼らが捜査し名誉を回復するのが物語の軸である。
 最初の人気の爆発が劇的ですごいため、捜査がやけに地味に感じる。ギャグをたくさん挿入して何とか娯楽性を我孫子は保とうと頑張るがいかにも苦しい。

 こんな物語にせず、変わり者バンドが最後まで徹底して変わり者として暴れまくる物語にしたほうがよかった。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山口瞳   「青雲の志について」(集英社文庫)

 会社にいたころ、わが社の社長の友だちのサントリーの専務の依頼ということで、テーマは忘れたが、サントリーのある部長の訪問に私が対応したことがあった。テーマを忘れたというのは、その訪問者に驚いてしまったからである。部長だから、何十人も部下を抱えているだろう。しかしやってきたのは部長とほとんど新人の可愛い20代前半の女性社員だったから。しかもこの女性社員は部長と友達のようなタメ口。それをうれしそうに聞いている部長。いったいこの人たちは何なのだ。サントリーとはどんな会社なのだ。唖然とした。

 作者山口瞳はサントリー宣伝部社員。彼が社員になったときの上司というかよき相談相手が同じ宣伝部に働いていた小説家開高健。

 だいたい作家というのは、当初はどこかの会社で働いていて、仕事の傍ら小説を書き、それが日の目をみて、これで作家で独り立ちできると確信すると会社をおさらばする。いつか会社をとびだし、小説家として一本立ちすることを目標として頑張るのが普通である。

 ところが、山口も開高も、超売れっ子作家になっても、サントリー社員を辞めず続けている。許すサントリーもすごいが、生活に全く心配がないのにサントリーで働き続ける2人の作家も不思議極まりない。
 先に紹介した、部長さんと新人社員の関係、2人の作家の社員継続。サントリーの懐の深さというかめちゃくちゃぶり」はどこからくるのか。

 山口はこの作品でそれを解き明かそうとしているが、これこそそうだというものは無かった。

 しかしヒントらしきものはある。サントリー創業者は鳥井信治郎。彼の参謀が作田耕三。この作田が筋金いりのマルキスト、非合法共産党員。どうして2人が結びついたか知らないが、作田の思想の敵はまさに鳥井のような経営者。この、2人が二人三脚で今のサントリーを創ってゆく。そういえば、サントリーには確か労働組合が無い。闘争こそ命の共産党員作田がいてもだ。ここに鳥井というかサントリーの懐の深さを感じざるを得ない。

 それから、面白いのは、鳥井はサントリーにいて、ウィスキー、ビールなどお酒は絶対飲まなかった。お酒を吟味するには、舌、嗅覚が最も大切。アルコールはそれらを鈍らせるからだ。

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| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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米澤穂信    「インシテミル」(文春文庫)

この作品、何人かをある場所に閉じ込めて、そこで殺人が起こる、或は起こさせる、それにより最後二人または一人が残る、バトルロイヤル形式の小説である。

 時給十二万千円というとんでもない金額に誘われ十二人の人間が「暗鬼館」に集められる。
それぞれに個室を与えられ、そこに殺人凶器が与えられる。そして、殺人の実行者や、殺人者がだれであるか推理し当てれば、時給が何倍にもなり、1週間の拘束期間を終了すれば、最高で10億円を超える金額が手にすることが可能になる。

 ただ凶器を与えただけでは、殺人は始まらない。一週間何もしなくても、時給12万1千円により1400万円超が集められた人には与えられる。それでは面白くない。だから、この12人の中に、自殺願望者を入れておく。そして、彼が自殺を実行する。そこからの人間心理の変化が面白い。

 死んだ原因が自殺であると、残り11人は思わない。何故なら、殺人者、犯人当て者にはとんでもないお金が手にはいるからである。だから、他殺と考え犯人を推理しようとする。そして、11人のなかから殆ど想像で犯人を作り出す。それも多数決で。それにより、最初にその想像をした人に大きなボーナスが与えられることが確定する。

 一方、自殺者がでるまでは、一週間ダラダラ過ごせばいいと考えていた参加者は死人がでたことで、自分がうかうかすると殺されるのではという恐怖心に覆われる。

この辺りの筆の運びはさすが米澤と感心する。
しかし、最後の締めがよくない。十億円以上の金をつぎ込むことまでして、こんな遊びをするのか、主催者の意図、背景の説明が無いから。そうしないと、ただ推理小説マニアだけのお遊び小説になってしまう。私のような一般読者には大いに不満が残る。

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| 古本読書日記 | 06:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮本百合子    「貧しき人々の群」(角川文庫)

 たまに気晴らしにパチンコに行くときがある。おばさんと年金生活者と思われる人が多いのだが、結構働き盛りであるはずの人がたくさんいる。生活保護受給者の人もいるだろう。仕事、アルバイトよりパチンコを優先するひとがかなりいるように思える。20代だったらまあ、取り返しがつくのだろうが、殆どが40代くらいの人たち。どういう、生活をしているのだろう。この人たちはこれから大丈夫なのだろうかとつい心配してしまう。

 下流、下層の人々が溢れているといわれている。働く意欲はあるのだが、安定し、身分も保証されている社員になれず、契約、派遣で糊口をしのいでいる人たちが多い。

 しかし、そういう人たちに手をさしのべるべく、生活保護との名目で現金を与えると、享楽にすぐ使い、なかなか、人生を変えることにつながらない。

 この作品は、宮本が18歳のときの作品だ。小作の惨めな姿に接し、何とかしてあげたいという気持ちが宮本には強い。しかし、実情を知れば知るほど、とても18歳では、いや18歳でなくても、どうにもならない問題であることを知り、ただ茫然と立ち尽くす姿をこの作品は描く。

 この作品でも、寄付としてちょっとした金を小作人たちに与える。しかし、その金は、小作人が手にいれた途端、すべて酒飲み代に消える。今の生活保護のお金と同じ結果。

 下層に入り込んでしまうと、蟻地獄にとりこまれているように、どうもがいても、脱却できない。確かに大きな問題ではある。しかし、それをどうやって解決してゆくのか、全く施策がみえてこない。派遣契約社員の比率が労働人口のなかで高まっている。当然である、団塊の世代が定年退職になり、派遣契約社員として働きだす。その塊は異常に大きい。

 しかし、新聞は、わざとそういうことを隠し、派遣社員が増加しているとを問題と言う。それを野党政治家がとらえて問題化する。

 下層、下流問題は、内実を知れば知るほど、複雑。まずは、ああでもないこうでもないと空論をしゃべるより、宮本のように立ち盡す姿勢から政治家もマスコミも始めてほしい。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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綾辻行人    「人形館の殺人」(講談社文庫)

 作品の出来栄えは首をかしげるが、個人的にこの物語は興味深かった。

 私の知り合いにこの物語の主人公のような人がいるから。その人はジキル氏とハイド氏のように全く異なった二重人格ではないし、この作品のように主人公が幼いときにやってしまった殺人にトラウマが残り、原因は解明されていないが、そのトラウマにより二重どころか三重人格まで持ってしまうということでもない。

 しかし、どうしてかわからないが、とにかく突然に人には言えないような奇異な行動をするのである。そして、恐ろしいことに全くその奇異な行動をしたという自覚、認識が全く無いのである。つまり覚えてないのである。

 まさか、この作品が描く事件のような大変なことをしでかすとは思わないが、それでも、かなり不安になった。

 推理小説としてのこの作品の仕掛け、結論は、安直であり水準は低い。事件に対する色んな推理は提示を提示しているにも関わらず、密室殺人ができたのは三重人格を持っていた主人公だけであるというのは、推理をあれこれ楽しみたい読者には、安直すぎる結論であり白けてしまう。

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| 古本読書日記 | 06:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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尾崎豊    「普通の愛」(角川文庫)

 普通の暮らしがある。普通に働き、お金を手に入れ、その範囲で、生計をたて、時に贅沢もするが、まあ普通のあまりかわりばえのしない日々を送る。そのなかで、恋愛や失恋、孤独や友情が繰り返される生活。殆どの人はこの中にはいる。

 ところが世の中には、別世界があり全く普通の人とは異なった営みをしている人がいる。

 清原は、日々30万、50万、時には100万円も使う暮らしをしていた。それは、想像では描けるが、実際がどうであって、結果どんな心持や感情ができあがっているかは、私達普通人にはわからない。野球で目もくらむような大金を得ていたときには、そんな異次元の世界を浮遊することは可能だったが、野球を離れると、異次元の世界での浮遊ができなくなり、普通の世界へ変転せねばならない。この変転が非常に困難。清原が普通と信じて来て、よりかかってきた生活、そこから発生する人生観、世界観から、別の未知(普通の)の世界へ飛ばねばならないから。毎日数十万円のお金を消費する今住んでいる世界を否定せねばならないから。

 尾崎もどこか清原に似ている。自分の現実よりどころとなっている世界は、秩序、道徳、規範でがんじがらめ、生きていくことが辛い。まあ、ここまでは普通の人間はまま考えることである。しかし、ここからが違う。本当に自分が存在せねばならない世界は、規制、規範をとりはらった完全なる自由な世界、人間がそもそもの本質である、本能や才能を完全に発揮できる世界、その世界で尾崎自身は生活の営みをせねばならないと信じる。そして、その世界は、覚せい剤を体に注入することで実現することを知る。尾崎にとって、覚せい剤で実現できる世界が、普通の世界であり、我々のような普通の暮らしの世界は、幻想の世界だと信じる。

 我々が暮らす世界とは異なった世界を描く小説はあまたある。しかし、殆どは作者の想像の産物である。しかし、ごくまれに、自らが異なった世界にいて、その世界での営みを、当たり前なことして書く作家がいる。その作家は彼らにとっては当たり前の世界を書いているのだが、読者には奇異、或は憧れの世界に映る。

 その筆頭が村上春樹のようにおもう。よしもとばななも近いかもしれない。尾崎や清原は、どうあがいても、普通の世界でしか生きられなかった人たち。尾崎はそこに絶望して命を絶った。

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| 古本読書日記 | 06:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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酒井順子   「下に見る人」(角川文庫)

 酒井さんが指摘しているように、人間は、自分より下に存在すると思われる人をよりどころにして、あの人よりは自分は恵まれていると思うことで精神の安定を得ている。人間はみな平等なんてことを根本にすえたりすると、社会の発展は止まるだろうし、そんな世界は想像もつかない。平等な社会がかりにできても、やっぱし個々の人間は他人と比較しながら生活を営む。差別、苛めは人間の持つ本質の醜い部分が現れている現象。それは、小中学校時代に特徴的にあるものではなく、大人の世界でも普通にある。

 酒井さんが歩んできた道をふりかえりながら、区別、差別、いじめについてこの本は論じている。社会は大きく変化するから、酒井さんの生きてきた時代を照射しながらの論はすこしのずれと違和感を覚えるが、そこを抜きでも結構面白い。

 酒井さんの子供時代は「八時だよ全員集合」が最も人気のあるテレビ番組だった。そこに差別、苛めの原形がある。加藤茶、志村けんは苛められ、差別の対象。ぶったたかれたり、やかんが天井からおちてきたりして、痛めつけられ、それが快感となり喝采をあびる。たまに、いかりや長介も、苛められ役の逆襲にあい、そこも楽しい。そこまでは、私も酒井さんにほぼ同じ考えだ。

 最近テレビを全く見なくなった。加藤茶、志村、高木ブー、荒井注はしゃべらなくても存在するだけで楽しく、面白く笑えた。最近は、お笑いタレントがやたら知的になった。どんなに馬鹿なコントをしても、根っからでなく、馬鹿を演じていることをありありと感じる。

 今の社会は加藤茶のような人間の存在を受け入れなくなったように思う。大学が山ほどあるから、かなりの学生が大学にゆく。大学に行ってもだめな人間はもちろんいるが、高卒の人たちの多くを社会自体が無視し存在をなくしてしまっている感じがする。

 私たちの学生のころは、職人という道があった。大工、寿司職人、建具屋、織物、染色、鍛冶屋など学歴などなくても、技術を頑張って磨けば、社会にあるきちんとした存在を示すことができる道があった。

 しかし、今はそんな腕で生きてゆく道は殆どなく、実に険しい。芸人も殆どが大卒になった。そして、そこからこぼれ落ちた人は、存在さえも認められなくなった。安倍首相は頑張れば報われる社会を実現するというが、安倍首相の頭のなかに頑張っても存在すらしていない夥しい数の人々が今は存在しているし、そんな人々が日々増加しているように思えて仕方がない。

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稲葉真弓   「ミーのいない朝」(河出文庫)

 作者稲葉さんは愛猫ミーと生活している。私の家には犬2匹と猫2匹がいる。今まで殆ど犬猫が数匹いる生活をおくってきている。だからかもしれないが、稲葉さんほど生きることに猫に寄りかかり、或は寄りかかられ、殆ど同化して毎日を送ることが少し信じられない。

 冬になると、つい先日亡くなった猫が寒くてふとんに入ってきて腹のところに収まり、犬が背中にうずくまり眠っていた。かわいいというより窮屈が先にあり、その後腹も背中も暖かくて嬉しいとい気持ちがじわじわわいてくる。そこまでが犬猫に対しての精いっぱいな想い。

 稲葉さんとミーの付き合いは20年の長きにわたる。20年は、稲葉さんの人生に谷、山を作る。その度に、ミーに寄り添ってではなく、完全に寄りかかり、喜ぶときは、一緒に喜ぶことをミーに要請し、落ち込んだときは、その悲しさをありったけミーに伝える。そして、その切なさを堪え、乗り越えてゆく。

 特に夫との別居するとき、稲葉さんは勤めていた会社を辞めたばかり、本も一冊だしたが、その後が上手く書けない。人生ではどん底のとき。ここでのミーとの励まし支え合う暮らしぶりが印象深い。

 しかし、私が男のためか、夫が大阪へ転勤、まだ子供もいない2人だけの家庭なのに、妻である稲葉さんが、夫に同行しない、それが他にも大きな原因はあったかもしれないが、ミーと一緒にいたいというのが一番の理由になっていることに、夫の気持ちはどうだったのか、想像すると実に切ない。

 最後のミーが亡くなるまでのクライマックスより、夫とのこの別れのところが、夫が猫に捨てられたような気持ちになり、悲しくなった。

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| 古本読書日記 | 08:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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