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2016年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年03月

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我孫子武丸    「探偵映画」(文春文庫)

 変わっている推理小説である。

 ある映画で自殺か他殺かわからない事件があり、そのシーンを撮影した後、監督である大柳が失踪する。とにかく映画は完成させないと、投資した金が無駄になる。それで、大柳監督はこの事件をどのように推理し、どんな結末を用意していたかを、助監督と出演者が推理しながら、映画を撮ってゆき完成させようとする。

 何といっても、この作品の面白いのは、それぞれの出演俳優の推理である。出演俳優はみんな自分こそ犯人であると主張する。それは、登場場面も多くなるし、映画を観た人たちに印象をつよく残すこともでき、上手くいけば、映画をきっかけにしてスターになれるかもしれないからである。

 そこで作家我孫子は、どんな推理をそれぞれの俳優にさせようか色んなトリックを考える。推理作家が小説を描いている時、どんなことを考えながら書いているか一端がわかり興味深い。

 西田という俳優のトリックなど奇想天外でじつに面白い。
完全密室事件。
 鍵穴から風船を通して、そしてそれを膨らませる。風船には悪魔が描かれていて、それを被害者がみてベッドから飛び降りて死んでしまう。

 本格推理作家は年がら年中こんなことを考えているのか。

 社会派でない、本格推理小説。トリックで争うわけなのだが、どうもそうなるとマニアックになり、推理小説オタクでないとついていけない小説ばかりになる。
 特にこの作品、映画マニアや古今東西の推理小説に精通していないと、あまり面白味を感じさせない。自慢するが如く、古今東西の推理映画、小説が引き合いにだされる。

 推理作家がトリックにこだわりすぎ、現実離れして、マニアのためにだけになってしまった典型的作品である。

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| 古本読書日記 | 06:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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横山秀夫    「震度0」(朝日文庫)

 阪神大震災の前日、N県警警務課長が失踪する。そして大震災。N県は震災地からかなり離れてはいるが、日本全てが震災の状況把握に固唾をもって見守っている時、どの県警でも、被害者の救援、被災地支援のため、物心両面から全面支援対応が求められていた。

 刻々と変化する震災情報をBGMにしながら物語は進行する。

 N県警では、大震災など幹部の殆どは無関心。幹部会議をしても震災支援については、おざなりな会話にしかならない。警務課長の失踪こそ幹部にとっては最大の関心事だからだ。

 幹部の中には、失踪には、自分の不正が結びついているのではと不安におびえているものがいる。更には、この失踪をきっかけにして、本部長を失脚させ、その後釜を狙おうとする者もいる。一方ノンキャリアの幹部には、建設協会理事という魅力ある役職に天下るために使おうという幹部。更に少し若い幹部はノンキャリアの最高職である刑事部長をこの失踪を使ってつかみ取ろうとする幹部がいる。
 思惑や不安恐怖が絡まって、警務課長失踪の真相にせまろうとするため、捜査は遅々として進まない。こんなわけだから、震災などどうでもいいってことになる。

 この物語は、社会派ミステリーというより滑稽芝居劇の色彩のほうが強い。
これだけ、悩み、欲望が渦巻いていたのに、失踪真相はそれぞれの抱えていた悩み欲望とは殆ど無関係な警務課長のちっぽけな個人的なことによる。

 失踪は個々の幹部には大震災に思えたが、実際はまさに「震度0」だったという、人間の馬鹿らしさを皮肉った強烈なファルス劇だったのである。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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重松清 「星を作った男 阿久悠と、その時代」

数日前、追悼特集かどうかは分かりませんが、阿久悠氏のパネルをステージに置いて歌っている番組をちらっと見ました。
「契り」と「雨の慕情」は歌われていた気がする。

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私は、「阿久悠が歌謡界の賞獲りレースで、十数年ぶりに無冠に終わった年」である1989年に、まだ幼児でした。当然、この本で紹介されている曲はすべて「懐メロ」です。
「この時出会ったのが、あの上村一夫である」 誰だ?
「彼を一躍有名にしたのが、『白い蝶のサンバ』である」 知らないなぁ。
そんな状態だったので、ツタヤでトリビュートアルバムを借りてみました。再生してみれば、「なんか聞いたことのある曲だな」と思いました。

面白かったトリビア的な話
①ピンポンパン体操の作詞者
いや、ピンクレディーの仕掛け人だと理解した後で聞けば、別に驚かないんですけどね。
津軽海峡冬景色とか舟唄とか思い浮かべた後で、「ワニのお嫁さんは水虫で困る」とくると、意外に思う。

②ピンク・レディーは、「白い風船」という名前でデビューしていたかもしれない。
五つの赤い風船と、白いブランコを足して2で割ったような。

③『人混みにハートを捨てよう』というショートショートが、重松氏も褒める内容。
小川洋子さんや川上弘美さんが書いてもおかしくなさそうな、ちょっと非現実的で暗いあらすじです。
雛型が落ちていたり、手足の概念が徐々に失われたりする世界なら、傷ついたハートが落ちてキューキュー言っていてもおかしくはない。

過去の人扱いされるようになってから、書下ろしの歌詞を百編一気に発表し、「歌にしたい人この指とまれ」と意気込んでいたのに、空振りに終わったというエピソードは、なかなかきつい。
が、亡くなる直前まで新しい企画を考えていて、自身の小説を原作とした映画のシナリオも書いていたそうな。
並ぶような人間は、今後もなかなか出そうにないですね。……いるんだけど私が知らないだけだったらすみません。

| 日記 | 23:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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浅田次郎 「見知らぬ妻へ」

この前だらだらネットの芸能ニュースを見ていたら、「中井貴一と飯島直子が『きんぴか』でベッドシーン」みたいな記事があったんですね。
とりたてて俳優さんに興味はないんですが、「血まみれのマリアと呼ばれる看護婦役」という紹介が気になり、この原作は我が家にもあったはずだと爺やの棚をチェック。
結果、あることはあったんですが、男臭さが立ち上るような文章だったうえに、マリアの話はシリーズ2冊目に入っているようなので、やめておきました。
交番をハコと読み、刑事がポマード頭の金メガネで、「殺(と)った殺(と)られたは稼業のうちだ」という感じ。

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コメディ色も強いいようで、今ぱらっとめくったら「モノノフって何ですかアニキ? チョコレートケーキですか?」「馬鹿野郎。それはモロゾフだ」という会話が目に入りましたが、この手のヤツはそんなに長い時間読めない。
眠り猫」もかなりしんどかったし。

というわけで、読みやすそうな別の短編集を選びました。
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ヤクザやギャンブルは出てきますが、そこまで荒れた話ではありません。
水商売で生きると覚悟を決めた元チェリストが、牛刀でどっちの指をつぶすか思案するというラストシーンに、「痛そう」と思ったくらい。
あとがきには、
「浅田氏の文学が読者を動かす感動の核心は、物語が類型的にできていることによる。
読者も孤独であるならば、こうした類型的な設定のどれかにあてはまり、他人事でない事件として、その物語を体験する」
とあります。
バリエーション豊富なので、共感できる登場人物が一人くらいはいるかもですね。
物語のオチとして有馬記念の結果をぺたっと貼るとか、前半の状況説明を刑事のセリフ(会話)だけにするとか、工夫もされています。

ちなみに、爺やの浅田次郎作品への評価はこんな感じです。
「地下鉄に乗って」。過去にタイムトリップした結果、主人公の愛人が異母妹だったと判明し、けなげな愛人は(自分を)妊娠中の母親を階段から突き落とし、己の存在を消してくれるという。
なかなかドラマチックだったので記憶に残っています。たしか、これも爺やと私でダブり購入した。
短編もいくつか読んでいるはずなのですが、「マダムの喉仏」や「薔薇盗人」あたりしか覚えていないです。
巧いと思いますが、やっぱり人間臭いものはあまり立て続けに読めない。
赤猫異聞」のように、時代物というフィルターがかかればすんなり読めるんですけどね。

| 日記 | 22:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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原田マハ     「永遠をさがしに」(河出文庫)

芸術の中でも音楽を小説にするのは本当に難しい。というのは、音楽を文章で表現することが難しいからである。クラシックマニア、或は、楽器、この小説の場合チェロに興味のある人はこの作品を読んで合点がいくかもしれないが、それ以外の人には、どんなに綺麗な言葉をつくしてチェロ演奏を表現してもピンと来ることはあまりないだろう。

 この作品、音楽についての表現が大袈裟すぎる。離婚で母のほうがでてゆき、父と主人公の娘が残される。そこへ、何の兆候もなく、父と再婚したという真弓という女性が主人公の前に現れるところが唐突。

 音楽が小説のなかで奏でられてこない、描かれる場面もしばしば納得感がないし、不協和音を残したまま。原田作品にしては実に読みにくい。どうかしたのか原田はと思いながら読み進む。

 ところが、この不協和音が物語の鍵を握る仕掛けだった。母親はプリオン病で、余命があまりない。それで父親のもとを去る。これだけでも悲劇なのに、突然現れた新しい母親真弓は、突発性難聴を抱えている。そして両耳の機能を失うという合わせ技を原田は用意していた。しかも、実は真弓は再婚していなくて、母親が亡くなるまで、主人公の面倒をみてあげるという偽装母だったというおまけつき。

 そして不協和音だった物語が、最後にはそれぞれが共鳴しあって感動的なクライマックスをむかえるようになっている。なかなかの策士である原田マハは。

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| 古本読書日記 | 06:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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法月綸太郎    「雪密室」(講談社文庫)

離れと母屋があって20M離れている。他殺か自殺かわからない首つり死が離れで起こる。
離れから母屋に向って歩いた足跡が雪の上にある。ここのところが常識の盲点をついている。
歩く向きは足跡が逆になるよう後ろ向きに歩いたというのである。そんなことはなかなか思いつかない。しかも、その靴を、歩き終わったあと、共犯者が離れから母屋に投げ、それを犯人が受け取る。犯人は、その靴をはいて何食わぬ顔をし、犯行とは関係ないように振る舞う。

 うまいところをつくと感心はした。しかし、夜中積もった雪の中を後ろ向きに歩くことができるか、20Mも離れて靴が一足投げきれるものだろうかと思うが、それは言ってはいけない。

 作品より法月のあとがきに興味がわいた。
法月は、この2作目を書くにあたり、筆一本でゆくと決意して、勤めをやめる。この作品を書いた当時は、社会派ミステリーが全盛のころで、謎解き本格推理小説は、低くみられ、推理小説界の隅においやられていた。だから、法月は強烈な不安と鬱屈のなかで、この小説を書いている。

 多分、まだ書き終わっても、その不安は残っていただろう。本当は、この作品の犯人であり、検事の職を棒に振った沢渡冬規に自分の境遇を重ね合わせてこの小説を書きたかった。しかし、自らの不安が渦巻きうまく冬規を消化しきれていない。

 法月の作品のなかでは少し出來はよくないが、そんな法月の置かれていた状況を考え併せて読むと、うんうんとうなずく箇所がたくさんある。

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| 古本読書日記 | 06:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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桜木紫乃   「無垢の領域」(新潮文庫)

 「旅行者は、いずれの土地にも属さず、何年もかけて、地球上のある場所から他の場所にゆっくり移動する。」

 人は誰もが旅行者でありたいと思う。今の自分を、自分のいる環境を変えて、全く違った場所へ飛びたいと。しかし、何をやってみても、元の場所に戻ってしまう。

 この小説には、今を変えたい、変えねばならない、3人の中年男女が登場する。主人公の秋津は、一流の書道家と自分を信じている。書道で飯を食べたいと思いこみ、数十年も妻に寄生して生活している。妻は養護教諭をしながら、夫秋津の母親の介護をしていて、虚しい日々を送り秋津への愛もさめ、鬱屈した日を送っている。そして、図書館が民営化され、そこにやってきた館長の林原に恋情を抱き、林原に抱かれる。その林原は、里奈という幼馴染の恋人がいて、結婚まで考えている。

 この3人は、今の状況に強い不満があり、新しい人生に飛躍したいと思っていると同時に今の環境にあるのは、自分に原因があるのでなく、まわりや他に原因があるからと、いつも自分を慰めている。そして、今を壊して、あらたな世界へ飛び出すこともできずいじいじ自分を慰めながら、日々を送る。

 この3人と異なり、林原の妹純香は、少し知恵は遅れているが、純真無垢で子供のように自由に発言し、祖母から書道の訓練を受け、秋津がとてもできない自由闊達な書を描く。

 この小説で、唯一最初の片言變句に言われる真の旅行者のように振る舞う。しかし、祖母から訓練を受けたのは、超一流の書道家の書を模倣すること。そこから先は何も教えなかった。そして、純香は模倣はできるが、自らのオリジナリティは創ることはできなかった。だから、旅行者にはなりえなかったことが最後に秋津の作品を通じて明かされる。

 何だか行き詰まりそこからは絶対脱却できないという、圧迫感と空しさを伴う作品だった。

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| 古本読書日記 | 10:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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尾崎豊   「黄昏ゆく街で」(角川文庫)

 小説以前の小説。とてもなつかしい匂いがする。

 思春期は、理由ははっきりしないが、とにかくいつも悩み、人生をどう生くべきかを、格好をつけて深く突き詰めようとする。本も読む。そして、悩みをや、苦しみを、言葉にだしたり、文章に書こうとする。それも、読んだ本で集めた珠玉のような言葉をちりばめて。

 しかし、悩むことがさきにあって、それで何で悩んでいるかがわからないため、言葉は踊るが、何を言いたいかが少しもわからない。まさに悩むことがスタイルであり一番大切な仕事である。

 私も、同じ時をくぐってきた。俺は今苦しいのだと恰好をつけ、高校生のとき小説を書いた。それを読んだ先輩からケチョンケチョンにけなされた。それまでは、これは傑作だと信じていた。しかし改めて読むと、どうしようもないくだらない作品で、急に熱い思いが萎んだことを思い出す。

 この小説の主人公の彼女が言う言葉。これを読むと、赤っ恥な小説を得意気にして先輩にみせて、がっくりしたことを思い出す。

 「だから、あなたを救ってあげるから。だってこんな夕暮れを待っていたのはあなたのほうじゃない。あなたが永遠に彷徨っている黄昏を今夜限りで消してしまいなさいよ。もう二度と開かない扉の鍵をここに埋めてしまうの。あなたはこの大地の上で自由に生きてみるのよ、そして桜の咲くころだけ少し涙を流して、失いかけて彷徨っているすべてをまたここに埋めてしまえばいいのよ。」

 いいねえ。この溢れんばかりの情熱のこめあげすぎた頭でっかちのせりふ。

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| 古本読書日記 | 10:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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横山秀夫     「顔」(徳間文庫)

 横山は、けなげなヒロイン平野瑞穂を通して、警察組織の男女格差の実態がいかにひどいものかを描こうとした。更にその不当な待遇差別に悩み揺れるヒロインを描き、男女はいつでも平等であるべきということを作品を通じ伝えようとした。

 ところが、横山、頭で働く女性というのは男と差別されるべきではないと思っているが、無意識に差があってしかるべきという思いが根底にあり、それが随所にでる。その無意識が
瑞穂のありようにリアリティさの欠如に現れている。

 あまり例をひきたくないが、最後の場面で瑞穂と犯人真寿美が拳銃を互いに持って対峙する緊張いっぱいのクライマックス場面で、真寿美が言う。それが、横山が無意識に女性を下に見ていることがわからせる。

 「スカートなんかはいてさ、そんなに股開いちゃって、アソコがスースー寒くない?男に埋めてほしいんでしょう?逞しいお巡りさんのアレでさ。だから婦警になんかなったんだよね。そうでなきゃあ、婦警になんかなる女がいるはずないもの。」

 ひょっとすれば横山が一番力をこめて書いた部分かもしれないが、クライマックスでこんな会話はいけない。この会話で、この小説はすべてをぶちこわした。

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| 古本読書日記 | 09:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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安岡章太郎   「酒屋へ三里 豆腐屋へ二里」(福武文庫)

 40年前の故郷の集落を思い出してみると、老齢で亡くなった方のなかで、最近でいう認知症とかアルツハイマーに罹った人はみたことがなかった。

 この本を読んでみて成程と思った。私の両親の時代には車はあまりなく、とにかくどこへ行くのでも歩いていった。もちろん10KM,20KMと遠くになればバスや汽車をつかうが、2-3KMくらいは当たり前に歩いて行った。

 認知症とかアルツハイマーの予防には、本を読んだり、友人を多く持ち、喋ることを多くするなんてことが巷間言われているが、周りをみてみるとどうもそうでもない気がする。お喋りの人にも認知症に罹る人が周りにたくさんいる。
 歩くということは、気分転換にもなるし、空気を思いっきり吸い、新陳代謝もよくなり結果脳も活性化され、認知予防になるように思われる。

 昔は、歩くことが当たり前の生活。それに対応するよう、散歩道にたくさんの商店があった。魚屋、肉屋、八百屋、豆腐屋、駄菓子屋、雑貨屋、酒屋、ついでに本屋、喫茶店など。
そこいらに立ち寄っては食材を求めたり、喫茶店で休憩したりする。

 安岡が病気からたちなおり、毎日のように散歩中の豆腐屋により、豆腐を買ってきて、冷奴、湯豆腐、味噌汁と毎日豆腐ばかりを食べた結果、認知症になることから逃れてということは理解できる。
 変なもので、散歩中、豆腐屋が近付くと、どういうわけかお腹が空いてどうしても豆腐を食べたくなるのである。不思議なものだ。

 最近は商店が殆ど無くなった。そうすると、ひたすら健康のためにのみ歩く人ばかりになった。眦をあげ、睨むような顔つきで歩く人をみると、認知症にはならないかもしれないが、別の病気になるのではとつい心配してしまう。

 それにしても現代人は歩かなくなった。我が家の愚妻も、ゴミひとつ捨てに、30Mほどの道を車でゆく。

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| 古本読書日記 | 09:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「下流老人」 藤田孝典

著者がインタビューを受けている記事をネットで見かけ、本にも興味を持ったという流れです。
ツタヤで買ったんですが、あとで確認したら爺やも読んでいたそうな。
つまり、我が家には現在2冊ある。年に1回か2回はこういうダブリが発生。

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どうせ、
「友人を作りなさい。笑って過ごせる老後のためには、豊かな人間関係が必要」
「給料を銀行にあずけておくなんて愚かだ。保険に入れ。投資をしろ。資産運用をして増やせ」
「結婚し、子供を作るのをやめたら、この国は立ち行かない。産めよ増やせよ」
みたいなことが書いてあるんだろうな~と身構えながら思った。

……そうでもないです。テンプレなことしか書いてなかったら、そもそも売れないでしょうが。
1つ目については、
「若いうちは仕事人間もいいけれど、50歳を過ぎたら(離婚されないよう)家族と仲良くし、近所に知人を増やしましょう。高齢者向けのサロンやサークルへの参加もいいですね」
くらいです。
そう言われたら、「じゃあ、私はまだ家と会社の往復だけでいいな。アドレス帳の登録も家族だけでいいな」と、都合良く受け取ります。
2つ目も、「フィナンシャルプランナーに相談しましょう。老後についてプランを立てましょう。利用できるサービスを知っておきましょう」くらい。
そう言われたら、「じゃあ私はまだ(以下略)」
3つ目も、
「こんな社会で、若者に家庭を持てというのが無理だ。親に援助してもらっているワーキングプアの若者が、親を援助できるようになるはずもない」
とかなんとか。うつ病の娘(40代)を抱えて、貧困への坂を転がり落ちる老夫婦の実例も載っています。

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この本を読んで一番感じたのは、「低家賃の高齢者向け住宅は必要なんだな」ということですね。
人口が減る中、支援を必要とする人たちにはまとまって住んでもらったほうがいいという話は、以前にもどこかで聞きました。
今住んでいる家も傷んできたし、今日なんて「屋根と外壁の塗り替えをしませんか?」とどっかの工務店の人が来たし、爺やの部屋は畳の中味が出てボロボロだし。
そうやって考えていくと、「この先何が起こるかわからないし、今飼っている犬と猫で最後にしておこうぜ」と言いたくなる。
連れてはいけないですからね(-_-;)

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憂い顔

あ、「猫は迷探偵」はとっくに読み終わりました。
藤田宣永と小池真理子が、同じ2匹の飼い猫についてそれぞれの立場から書いているのが面白かったです。
「妻には懐いたが、夫にはまだ心を許さない」という事実は同じですが、引き取った経緯とか猫から受ける印象とかの記述は。微妙に違っている。
夫婦そろって作家だと、同じ本に揃って文章が載ることもあるわけだ。

あとは、小川洋子さんの「寡黙な死骸 みだらな弔い」も最近読了しました。
独特の雰囲気に酔いました。ヒヤッとするような描写があるのも、小川さんの特徴ですね。
連作短編集なので「こうつながるのか!」「ここで言及されているのは、1つ前の話に出てきたあの人か」という楽しみもある。

| 日記 | 21:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宗田理     「ぼくらのデスマッチ」(角川文庫)

 昔の小学校や中学校の入り口には必ず、薪を背負い、歩きながら本を一生懸命読んでいる二宮金次郎の銅像があった。小学校のときはまず、幼いころの偉人の伝記として、二宮金次郎と野口英世が取り上げられ、先生から教えられた。

 最近はこの二宮金次郎の銅像が立っている学校をとんとみかけなくなった。
二宮金次郎は、荒れ地を灌漑技術をもって田畑に変え、農民を救った偉大な功績のある人間である。ところが、その功績はあまり語られず、とにかく滅私奉公、貧乏ながら、親を助け、しかも勉強熱心息子として、理想の子供像として知られることとなる。

 ところが、この理想像は、戦前、お上の言われることは、ひたすら信じて、お上につきしたがう、滅私奉公、忠孝を国民に求め浸透させる軍国教育の基盤となった。だから、気の毒に戦後、二宮金次郎の銅像は学校から消滅してゆくこととなる。

 この作品には、今はあまりみかけないが、まだ、戦前教育の名残りがある、金次郎こそ理想的な子供と信じる先生と、そうでない戦後の先生との葛藤が底流に流れる。

 それで、生徒は金次郎を信望する先生を馬鹿にし、金次郎の童謡の替え歌をつくり、大声で歌い、徹底的に反発、抵抗する。
 本当に金次郎は偉大な灌漑実行者なのに、とても可哀想に思えてくる。

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| 古本読書日記 | 07:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中島岳志    「インドの時代」(新潮文庫)

 今は大分違ってきたけれど、少し前まで外国と言えば欧米諸国しか概念には無かった。私が仕事で30年ほど前マレーシアに行ったとき、周囲から出張するマレーシアの町には虎がたくさん歩いているから気をつけろと言われ、恐る恐るでかけたのだが、町は近代化されて、ずいぶんな嘘を言われたものだと思った。

 まあ、日本も未だ、海外で紹介されるときには、フジヤマ、ゲイシャの国と紹介され、町にはチョンマゲ男が闊歩しているくらいに紹介されていることがあるそうだから、似たようなものかもしれない。

 インドはかなり上記に近い紹介がいまでもなされている。それは、ことごとくインドに行った人々の旅行記が、バックパッカー的旅行であったり、そうでなくても神聖な汚されていない地、心が洗われる、信仰の地としてのみの紹介ばかりになっていることに起因している。汚泥に溢れているガンジス川を神聖なる川として沐浴する風景の写真を誇大的に載せた本があふれ、それが神聖に思え、憧れの地としてインドを思う人もいるが、汚い不衛生な地としてインドを理解し、拒否感を持つ人々もたくさんいる。

 しかし、インドとて当たり前であるが、近代化の波に飲み込まれることに免れることはできなく、急速にニューリッチ族が生まれて、マンション族の急激な出現にみまわれている。ショッピングモールもできているし、過酷な受験競争もある。かなりの部分は西洋の今と一見差がない世界が急速に広がってきている。

 もし日本とインドが異なることを考えてみると、日本は徐々に近代化、それに伴う生活の変化が行われたが、インドはそれこそ江戸時代にいきなりネット時代、テレビを含めた家電が当たり前、鉄道、車社会が突然に出現したことだと思う。

 こういう急激な変化が突然行われると、リッチとかプアというここでなく、変化前の心の在り様、それに伴う伝統習慣、道徳観念から抜け出ることを拒むひとたちが、一方でたくさんでてくる。未来永劫変わらず江戸時代を守る人々が多数存在する一方で、近代的生活を享受する人たちがいる。江戸文化と近代文化がずっと継続することになるのだろうという思いがこの本を読んで思った。それが、どういうことをもたらすのかまでは想像がつかない。

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綾辻行人   「水車館の殺人」(講談社文庫)

 私はどうも叙述トリックというのが好きになれない。いかにもむくつけない、粗暴なやつという表現になっている「権太郎」が実は女性だったなんてのがトリックで使われると、なんだそれはと怒りがわいてきてしまう。

 叙述トリック大好き綾辻がこの作品では、叙述トリックを多用していなくて楽しく読めた。更にこの作品は、トリックが解りやすく、頭の老化が激しい私には適していて助かった。

 交通事故に遭遇して、一人助かった「水車館の主人」。顔が崩れて仮面をつけて暮らしている。もうこの時点で、これは主人とは違う他の人間が仮面をかぶっているのだと想像され、いつこいつが主人ではないことを暴露されるのだろうと楽しみに読み進める。更に、この男は事故で大けがをして車いすでの生活をしている。これも、どこかで普通に歩いたり、走ったりするのではと期待する。

 それから、密室から殺された被害者が忽然と消える。半開きしか開けることができない窓。
当然、外へは持ちだせない。だいたい、こういう場合はベットの下の床が開けられるようになっていて、そこから死体を地下に落として運ぶとか、壁のどこかに通路につながる開閉場所があるという仕掛けがある。この作品では、犯人は被害者をバラバラに切り刻み、半開きの窓から外へだしたというのもわかりやすくて良い。

 わかりやすいだけに、綾辻のいかにもそうではないぞと、たくさん偽装トリックのようなものをたくさんばらまいている。
 その苦労、努力がしのばれて笑いがこみあげてきた。実に老人向けの楽しい推理小説であった。

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島本理生    「B級恋愛グルメのすすめ」(角川文庫)

 最近、舞城王太郎の作品を集中して読んでみた。結構飛び跳ねていた。それを、ある人に話したら、佐藤友哉のほうがもっと飛んでいると言われた。「デンデラ」しか読んでなかった。それで「クリスマス・テロル」という作品を読んでみた。

 それなりには面白いか。でもつきぬけてはいないなという感想を持って、作者の「あとがき」を参考に読んだ。そしてびっくり。この「あとがき」が小説の一部として組み入れられていたのである。しかも、この「あとがき」がぶっとんでいて、本体の物語より格段に面白かった。こんな本は今まで読んだことは無いし、とにかく奇妙きてれつな怪人作家である。

 島本理生は何が処女作かよくわからないが、華々しく文壇に登場したのは高校2年のときの作品「シルエット」だったと思う。それから、出版社に蝶よ花よと扱われ育てられた。

 このエッセイにも書かれているが、高校生で出版社の人たちと高級フランス料理店でお食事をする。フォーク ナイフの扱いに慣れていなくて、牛肉を間違ってフォークから落としてしまう。すると、一緒に食事をしていた人たちが島本に恥をかかせてはならじと皆一斉に牛肉を落としたというからお嬢様扱いもはんぱではない。

 この作品を書いたのが26歳のとき。さりげなく、島本は×いちだと書く。
正直島本は私もずっと読んできたけど、社会経験が少ないのかリアリティに欠けると今まで評してきた。しかし、かなり凡人の経験とは異なる異次元の経験を26歳までに多くしていることを知った。

 そして、この本の解説をあの飛んでいる佐藤友哉がしている。目が点になった。何と島本の結婚相手がこの佐藤友哉なのである。そりゃあいくら島本でも佐藤と別れるのは仕方ないと思っていたら、この2人再婚をして子供までもうけている。

 島本に社会経験が薄いなどととんでもないことを言ったものだと反省。再度島本の経験を知った今、今まで読んできた島本作品を読み返さねばと思った。

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綾辻行人    「迷路館の殺人」(講談社文庫)

 現在の純然推理小説をあまり読んでいないから、いい加減なことは言えないが、少しびっくりした。先週佐藤友哉の作品を読んだとき、作者「あとがき」が小説の一部として構成されており、小説の形態も既成概念を壊しとんでないところにやってきたと思ったものだ。

 この作品はなんと作者「あとがき」が物語の最初に書かれる。これもびっくりだが、すべての謎解きが終わり、物語が終了した後で、つけたしのように語られるエピローグがあり、しかもそのエピローグで事件の真相が語られる、そのエピローグと最初の作者の「あとがき」が共鳴する仕組みになっている。頭がくらくらする。

 ありきたりの推理小説では今やマニアの納得は得られない事情でもあるのだろうか。私みたいな単純な読者は、エピローグの前の謎解きにより犯人は館の主人の大作家宮垣で納得し物語は完成で、十分面白く堪能できる作品だと思うのだが。

 叙述トリックというのだろうか。エピローグでの逆転なる真相は、無理すぎのように感じる。犯人とされた評論家の鮫島智生。物語ではあくまで男性のように描かれるが、どこにも男性とは断定してない。実は女性であった。それから、死体を検死した黒江は医者ではないのに、いかにも医者のように装って表現されるが、医者であることは一つも表現していない。

 何だか、茶室でお点前。いい香りだと表現しておきながら、決して味わったお茶を日本茶とは決して言ってないと言われているようで、なんだかすっきりしない。
 ちょっと叙述トリックの内容がやりすぎじゃないという思いが残る。

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高橋治   「別れてのちの恋歌」(新潮文庫)

 「課長さんの13回忌がすんだら、俺、その年の祇園祭の夜に必ず島に戻ります。」

 夫正人に連れられ、長崎半島の西はずれ、夫の実家脇岬の先にある軍艦島の炭鉱にやってきた主人公の万沙子。整備課長をしている夫の部下の信次の島の祇園祭での勇壮な太鼓撥さばきに心がぐらつく。軍艦島で正人が不在なとき、炭塵でほこりまるけになった信次を家にいれてあげ、風呂にはいらせてあげる。

 この親切な行為が、他人にみられ、二人は不倫をしていると、噂ができる。小さな島、こういった噂は、すぐにそれが真実だということに変わり、更にみてきたように2人の行為が尾ひれをつけて拡声される。
 更に間が悪いことに、二人が家にいるとき、落盤事故がおき、正人が爆発で死んでしまう。
信次は島を追い出される。万沙子も当然家にはいれず、東京へと逃げる。その直前に信次がかけたのが冒頭の言葉。

 その13年はひたすら「忍耐」という言葉が信次、万沙子にはピッタシ。
もちろん13年の間、信次にも万沙子にも、言い寄る女性、男性はいた。結婚してもいいと思える相手がいた。しかし、正人も万沙子も頑なに結婚や、時に恋愛も拒んだ。

 それは、何があっても、嘘で狂わされた汚名をはじきとばしたい。それに万沙子は13年後に、全く信次の言葉を信じるわけではないが、祇園祭に軍艦島にゆき、そこから人生を再スタートさせるのだという信念があった。

 その13年後、軍艦島は完全な廃墟と化していた。そこでの万沙子と信次の再会の場面描写がぐっとせまってくる。

 更に、圧巻は何といっても祇園祭の勇壮な描写。今まで読んだ本でこれだけ祭の凄さを活写した作品に出合ったことはない。多分、これからも無いと思う。

 この祭の場面だけで、この作品は成功していると言っても過言ではない。
 良質な印象深い恋愛小説だった。

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| 古本読書日記 | 09:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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吉田修一    「怒り」(下)(中公文庫)

  吉田さんは、確実に、人間の持っている闇の奥深い本質をつかんでいる。吉田さんが素晴らしいのは、掴んでいることを知っているぞと横柄に物語で表現するのでなく、起きる事象、そしてそれに揺さぶられ動く人間の心のぶれを描くことによって、読者に見事に人間の心の闇の本質を伝えているところ。

 親子も、友達も、仲間も、恋人同士も、よく表現される絆、信頼で結びついている、信頼、絆こそ人間にとって最も大事なものとよく言われる。
 いじめ、村八分、しかとは学校で発生するだけのものと思っているかもしれないが、一般社会でもいやというほど、当たり前のように起きている。

 どうして、急に無視するの。何でみんなで私をしかとするの。そう考えてみるが最初はその理由がわからない。誰かの暗示するヒントや、或は突然「あの事か?」と思い浮かぶ。そして、「それは誤解だ。」「みんなわかっていない。」と叫んではみるが、後の祭り。
 人間はすこし躓くと、「あの人は私をこうおもってるのかも」「実は、裏の顔がある。」「嘘つき」などあれこれ考える。そしてそのうち、そうに違いない、やっぱしそうだと現実を離れかってに変わる。
 しかし、ほとんどの場合「そうだ」は当たっていない。

 この作品、3つの形態はちがう人間集団それぞれに謎めいた少し不気味な人間が入り込む。
言葉では「信頼している」「大切だ」とその不気味な人には言うのだが、本音のところでは不気味が先立つ。

 そこに、テレビ番組で夫婦殺人事件の行方を警察がおっていて、その写真を公開する。
すると「信頼」「絆」が大きく揺さぶられ、あの男が犯人ではないのかと思うようになり、それがふくれあがって、犯人であるような物語が創造されてくる。

 そして、こらえきれずに、当人に「おまえ違うか」と言ってしまう。絆、信頼が壊れてしまう瞬間だ。絆、信頼は創ることは結構難しいが氷解は実にたやすい。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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吉田修一    「怒り」(上)(中公文庫)

 物語は東京の郊外で夫婦が惨殺されるところから始まる。この惨殺死体があった床に被害者の血で「怒」という字が書いてあった。 犯人は簡単にわかる。「山上一也」という男。ところが、この山上という男の行方がようとしてわからないまま一年がたつ。

 3つの大きな問題を抱えた家族、親族が登場する。
精神異常を持つ年頃の娘を抱えた父娘。娘はふと家出をして、東京の風俗店を転々としていたところを見つかって父の所に戻される
ゲイの男がいる。母親は余命幾何もない重い癌を患いホスピスにいる。そして上巻で母は死ぬ。葬儀などで係る親族や友達にゲイであることを明かすことができない。
だらしなくいつも借金とりに追われている母娘がいる。福岡で寸でのところで、借金取りから逃れて、沖縄の離島波留間島まで逃げ、ペンションに住み込み手伝いを始める。上巻では高校生である娘が7沖縄那覇に遊びにでたとき、2人組の男たちに暴行強姦される

 この3つの歪んだ人間たちや、家族に山上ではないかと思われる、得体が定かでない男がまとわりつくようになる。


 更に、この3組の人間たちのほかに、山上を追う刑事が登場する。
そして、物語は時系列は定かではないが、3組と刑事たち4つの話が並行独立して進行する。
そこまでが上巻。

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| 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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横山秀夫    「臨場」  (光文社文庫)

警察物の作品では必ずといっていいほど、組織から放り出されて、変人、出世欲など全くなく、一匹オオカミ、単独で勝手に行動する刑事が登場する。そして、この刑事が、大きな組織を向こうに回して、独特の嗅覚で、手掛りをみつけ、犯人をあぶりだす。そのアウトロー的な行動が、読者の共感をよぶこともあるが、どこか現実的な人間ばなれが鼻につき、ものがたりからうきあがってしらけてしまうことがほとんど。白けてしまうことがしばしば。

 この短編集にも、典型的なアウトローの倉石検視官が主人公として登場する。前記に説明しているそのままの刑事なのだが、通常の刑事ものと異なり魅力一杯の男になって登場する。全く不思議で、この倉石が登場すると少し興奮までしてしまう。

 人間をよく知っている。そして、その知っていることが確実に目や耳を通して事件現場を捕獲する。

 真っ暗闇。ベッドから首つり場所まで、真っ直ぐな足跡がある。それをみて自殺ではないのではと疑う。真っ暗闇だと人間は真っ直ぐには決して歩けない。なるほどと確かにそうだと感心する。

 小松崎という警部がいる。彼は生まれたてのとき、実母に捨てられ、私生児として育てられる。優秀な刑事となり12年前に、大きな事件を解決して、表彰もされ、新聞にものる。
出世階段を順調に上がり、ノンキャリアにはめったにない刑事部長にまでなり2日後に定年退職をむかえようとしている。

 その小松崎、12年前から、見ず知らずの人から、暑中見舞いと年賀状をもらう。そのハガキが1年前の夏から全く来なくなる。
 色々調査してみると、この地方の北部の山間にある、老人ホームで一人の御婆さんが川に入って自殺した事案があることにたどりつく。

 そして色々あって、この御婆さんが小松崎の実母だったことを知る。
アウトローの倉石が登場する。これは自殺でなく事故死であると断言し、それを証明する証拠をいくつか発見する。そして、最後にこれぞという言葉を吐く。
 「自慢の息子を持った親は絶対自殺などしない」と。
見事な名言だ。

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| 古本読書日記 | 08:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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舟橋聖一   「花の生涯」(下)(祥伝社文庫)

戦争の時もそうだったが、捕虜にされたら、その場で自害しろということが求められていた。それをもっと徹底していたのが江戸時代までの武家政治の時代。

 ハリスが江戸の幕府との謁見が認められ、江戸に400人ほどの行列で向かう。だけど箱根の関所で足止めを食らう。
 箱根の関所は、小田原藩主の指揮下にある。そうすると、小田原藩主に属する部下は、いくら幕府が認可していても、規則をまげて、ハリスを通したら、まず自分が藩主から、腹を切れと言われることを恐れる。

 とにかく日常に当たり前のように、腹を切れがあちこちで起きている。
そうすると、誰も責任をとるようなことは避ける。他に押し付けるか、先送り。

 このことは、江戸時代に特徴のことではなく、今この時代にも同様な国家はある。

経済の現状を無視して、いつも経済成長率は6.9%と発表する国。これ以外の数字は発表した当人が罰せられ、死さえも覚悟せねばならない国。そんなバカげた数字をについて懸命に解説する日本の新聞や有識者がいるから馬鹿らしさが増幅する。。
 尊王攘夷論が全国を覆っている。そんな中で、開国を主張して実行する。その信念は素晴らしいが、そんなことをしたら、殺されるしかない。

 言論の自由の大切さを、この小説は教えてくれる。

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尾崎豊 「白紙の散乱」(角川文庫)

このたまらなく凍りついた孤独、もがいても決して越えられない壁。
「白紙の散乱」より詩二編。

    幾つかの透明な壁
誰かが壁を蹴っているから、上手に眠れない
誰かが壁をを叩いているから、深く眠れない
誰かが結んだ透明の壁が、眠りを妨げている
路上にこぼれおちている、言葉の幾つかを拾って
風が囁いている、悲しみに耳を澄まそう
闇に吠えている、僕だけの悲しみよ
意識を妨げていると、どんな気持ちがするんだい
勝利かい、でもそれはただの虚栄だろ
そうするより他にやり方がみつからないんだね
邪魔するものの意味を探して、いくら我慢したところで
そこに正しさがあるわけじゃない
それは競争のように空しく、存在そのものすら虚しい
ただ今夜 壁を 透明な壁を くぐり抜けようとしている
上手く眠れなくて


    夜の傷
夜の傷の中に逃げ込んだ
非常ベルは鳴らなかったが ガラス窓の割れる音の中に逃げ込んだんだ
そして頭の上に張りめぐらされた 鉄条網を見上げた
この向こうにきっと自由があるに違いない
凍り付くほど外は寒かったから 暴れていたほうがまだ楽だった
俺は飛びついて 掌に鉄の棘を飲み込んでやった
不思議なことに 痛みなんて無かったが 腕から首筋にぬるぬると血が伝わって
真っ白な雪の上に そいつが滴り落ちると そこに真っ赤な血化粧が出来ちまってさ
その時俺って奴は
何かに捕えられようとはしているが 独りきりなんだと思い知らされた
だからさ 子供の頃 木登りした時のこと思い出してさ
へらへらと歯をくいしばって 血だらけになってよじ登ったんだよ
俺の掌は膨れ上がり血だらけで みすぼらしかったし
やがて痛みも身体中に走り始め 目の前が真っ暗になっても
夜の闇がすごかったから 別に問題じゃなかったんだ
そうさ俺は夜の傷の中にいるんだから

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| 古本読書日記 | 10:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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綾辻行人    「どんどん橋、落ちた」(講談社文庫)

推理小説の種類の一つに「犯人当て小説」というのがあるそうだ。よく大学の推理小説同好会のメンバーが合宿などで集まって、それぞれが考えた小説を出題して、誰が犯人かを当てるゲームを行う。その際の出題される小説の形式のものをが「犯人当て小説」という。

 この作品はだから綾辻が読者に対し出題をしている(小説ではUなる人物が綾辻に出題する形式になっているが)小説である。

 M**村の近くのキャンプ場に5人の仲間たちがキャンプにやってくる。ここに川があり、行き止まりの対岸の岩場まで、ロープだけで支えている老朽化した吊り橋がある。キャンプ仲間の最年少のいたずらっ子である小学生のユキトが蛇の入ったリュックを背負って、この吊り橋を渡る。ところが、吊り橋が切れ、何とか渡ったユキトが対岸の岩場に取り残される。そのユキトが誰かに後ろから押され、川へ転落して死んでしまう。

 登場するのは5人の仲間以外に、M**村のアガサ、カー、ポー、エラリー、オルツィ。
で、アリバイや殺しが不可能なものを除けば、犯人はエラリーとなる。だけど、エラリーが分断され垂れ下がった橋の向こうにどのようにして渡ったかが解明できない。

 で、Uが回答をだす。
 「M**村は実はモンキー村。だからエラリーは垂れ下がっているロープを使って対岸に渡り、ユキトを押して殺した。」

 エラリーは人間でなく猿なのか。とんでもない叙述トリックである。
 まいったなあとは思ってしまうが、クイズとして考えれば結構いけるじゃんとも思う。

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舟橋聖一    「花の生涯」(上)(祥伝社文庫)

今でも話題となるNHKの大河ドラマ。その一作目が1963年のこの「花の生涯」である。

桜田門外の変で倒れた井伊直弼の生涯を描いている。井伊直弼は歌舞伎の売れっ子俳優尾上松緑が演じた。しかし、何よりもこの大河ドラマで人気を博しアイドル的人気になったのが長野主膳を演じた今の中井貴一の父親である佐田啓二。
 まだ小学生だった私にはドラマを見ても何がどうなっているかわからなかったが、尾上松緑の貫禄ある演技だけは印象に残っている。

 この作品は、毎日新聞の連載小説。
テレビの印象があったので、さぞ国難を背景に重々しい決断が繰り返される小説かと思って手にとってみたが、上巻だけの印象では随分思っていたのと違っていた。

 まず当初こそ、井伊直弼が登場するが、全体ではあまり登場しないで、むしろ祇園の美人芸妓たか女が多く登場。彼女の手練手管の物語ではないかと錯覚してしまった。たか女だけでなく、側女としての志津、足軽の女性だが、直弼が愛し子供を出産した里和が頻繁に登場して、何か女絵巻のような物語になっている。

 更に下田米領事で初めて就任したハリスが身辺の世話をする女性が欲しいと下田藩主や幕府にしつこく申し出て対応に苦慮する場面が延々と続き、少し下巻を読むのに嫌気がさしてきている。

 世の中には攘夷派が渦巻いている。特に尊王攘夷の主先鋒水戸の斉昭とどう対決したか。そこを書いて欲しかった。こんな色事絵巻の小説とは思っていなかった。

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| 古本読書日記 | 08:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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佐藤友哉    「クリスマス・テロル」(講談社文庫)

 この前、誰かのブログで「ある作家の本を読み、それがとても質も悪く内容も無かったので、ボロクソに酷評して、もうこいつの本は読まない」と書いたところ、それが10年も前なのに今頃になって、何とその作者から「これから新しい本をだすので、あのブログは削除してくれ」との要請があって驚いていると書いていた。

 この作品、主人公の中学生小林冬子がある孤島にたどりつき、そこで知り合った熊谷真人から弟の尚人が住んでいる小屋の監視を命じられる。尚人はごくたまに買い物で外出する以外は、一日中パソコンに向かっている。たまに冬子の視界から消えるときは、お茶か珈琲を入れているか、食べ物をとりにいく時だけ。

 三日三晩全く行動が変わらない。そんな尚人を何で自分が監視してなければならないのか真人は何も説明してくれない。ひたすら監視をしていろと言うだけ。

 その尚人がある日突然姿がなくなった。慌てて、小屋に行ってみたが、どう調査しても、出入り口以外からは外へでることはできない。いったい尚人はどこへ消えたのだ。

 人間は存在価値や人間性を全く感じない相手は、自然と無視するし、存在自体を感じない。そうすると、全く相手の存在が見えなくなる。透明人間になってしまう。尚人は言う「冬子の隣を通って、出入り口からでたんだ」と。

 この小説、本当に変わっていて、最後のあとがきに佐藤自身が登場して、それが小説の一部となっている。佐藤は、何を書いても殆ど本が売れない。存在価値のない作家になっている。固定的な読者が6000人ほどいるが。冬子が言う。「6000人もいればいいじゃないか。」
 「でも6000人がよってたかって酷い作家だ。こんな本は読む価値なしと言ってくる。」
人間は無視されて、本当に孤独になってもなんとかできけど、ひとでなしなどと一斉に6000人から言われたら完全に参っちゃうよ。」

 だから、10年前の酷評が気になり、そのブログを削除してもらったほうが、無視されるより辛いと、文句を最初に紹介したエピソードの作家は言っているのか。

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室井滋   「うまうまノート」(講談社文庫)

 「うーん」なんて声でうならせる、グルメ料理とであうことなく、頭上を通り過ぎ、気が付けば60代半ばの自分。美味しい物を味わいたいなどという欲求ははかなく消え、できれば青春の頃に腹を空かしてはいったいつものカレー屋、支那そば屋の味、会社に入りたてのころ、外回りで辛いとき駆け込んだ喫茶店のパンケーキに無性に会いたくなる。

 室井さんは私より七つ年下。だから、思い出がちょっぴり重なる。室井さんは、時々私を青春の頃にもっていってくれる。

 室井さんは早稲田大学7年で中退。早稲田界隈には貧乏学生用の食堂がたくさんあるようだ。室井さんが学生になるずっと前からあるラーメン屋、支那そばが一杯100円で今でも変わらず提供しているらしい。行列のできるラーメン屋は、テレビ番組にまかせておこう。60代半ばはラーメンより中華ソバ、支那ソバが食べたい。

 ソバと言えば、一時期、即席ラーメン喫茶店が流行ったことがあった。全国津々浦々で製造販売されている即席ラーメンが壁に飾ってあり、注文するとお湯をわかして作ってくれた。でも、それは結構最近のこと。我々のころは、貧乏学生のためには、「江戸むらさき」「ごはんですよ」「丸美屋のふりかけ」がキープしてくれる食堂があった。

 この本にでてくる「西武」という喫茶店がいい。モーニングサービスはもちろんゆで卵にサラダ、トーストなのだが更にたばこが一本ついてくる。朝のさあ今日も頑張るぞと発進する前の気付けの一本。今はとても考えられないサービスだが、外回りのおじさまには実に味のあるサービスである

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村田沙耶香     「星が吸う水」(講談社文庫)

 主人公の鶴子、主人公と性格が好対照の梓、そのどちらの枠にもはまらない志保。3人の友だちのそれぞれの個性と行動、それらに対してのリアクションが面白く描かれていてどこかおかしい。
 この作品を読むと、最近は、結婚、恋愛、SEX、それらの関連がどんどん失われ、それぞれ独立してきていると思ってしまう。

 梓は、プライドが高い。プライドが高いということは、常に注目を浴びていねばならないという気持ちが強い。だから、世間体、周りがどう見ているかが常に一番の関心事。

 だから、恋をしてそれが終わると、常に何であんな下衆な男に一時期の感情で恋をしてしまったのか、自分は馬鹿だったと必ず悔やむ。そして、何かあるたびに、必ずそのことが頭に浮かぶ。そして、結婚は、恋愛感情より、自分に釣り合うか、この人と一緒になれば多少の贅沢ができて、生涯安心安定、そして何よりまわりからみて羨ましいと思われる生活が営めるかが、相手を選定する基準。

 若さと美貌があるうちは、結婚相手も基準を下げずに選択できるが、齢を重ねるとそうもいかなくなり、段々基準を下げる。容姿、性格で妥協を始めるが、やっぱし体面だけは必至に守る。その相手に捨てられると、被る痛手は大きい。「好きでもないのに、あんなだめ男に振られるなんて」と。

 鶴子は何にしても人間関係のわずらわしさをいやがる。でも、どうしても性的感情がもりあがるときがある。そんなときそれを満たしてくれる男がいてほしい。思うのはそれだけ。
恋愛も結婚も考えない。恋愛や結婚は、その前提に、会話もせねばならない。旅行もせねばならない。デートも恋愛もせねばならない。SEXが終えたあとも、話をしたり、食事をしたり。相手を気使って時々はメールや電話もせねばならない。これが面倒くさくて煩わしくて。

 梓と鶴子のそれぞれの特徴がかなりデフォルされてはいるが、現代の女性の特徴が上手く描けている。

 しかし衝撃だなあ。結婚、恋愛、SEXに結びつきが無く別個のものだということは。

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高橋治    「流域」 (新潮文庫)

 今までにであったことのない形態の小説。

 高知四万十川の流域に暮らしている人々の生活や文化、また歴史の取材記と合わせ鏡になって「菊枕」という小説が進行する。

 最初の取材が「夜這い」。何だか、正直興味はあるが美しい物語を期待して読み始めただけに、少し白けた気分になる。初めて知ったのだが、「夜這い」は戦前まで、結構地方では普通にある風習だったようだ。それが無くなったのは、戦争で自分たちの同世代の若者が戦地で命をかけ戦っているし、実際戦死する若者も多くなる、それで、村々の青年団が、残った者が、こんな不埒なことをしていてはいけないということで、廃止され今は無くなったとこの取材記には書かれている。

 そんな「夜這い」の詳しい解説があるのだが、それが物語のどこと共鳴するのか、読んでも読んでもちっともでてこない。
 と、思っていたら、後半のはじめ、主人公の母の豊子が体を壊し入院。そこに養子に入った誠吾が、真夜中病院に毎晩忍び込み豊子を抱く。それを同じ入院している豊子の友だちが隣部屋で睦言を聞いている場面がある。ああ、これが夜這いなのかと納得した。

 主人公の華子はある劇団に属するあまり知られていない女優。自分を育ててくれた祖父が死んで初七日の前に、有名な舞台監督に抜擢され、祖母からの薄情との叫びを振り切って東京へもどる。
 舞台は、有名女優、それと有名歌舞伎俳優、そして華子が主役となり活躍する舞台。面白いのは、公演が大盛況のままフィナーレとなり大喝采にて終了、当然華子は、他の俳優や、実は華子がだめになった場合の代役として準備されていた華子よりランクが上の女優に挨拶にゆく。

 ところが、あれほど、練習、或は本番では信頼しあい、なかのよいチームワークを維持していたのに、全部の俳優から、「散れ」「せいせいした」と門前払いのような扱いを受ける。
 これが芸能界のすべてとは思わないが、さもありそうだとも思った。

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| 古本読書日記 | 07:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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櫛木理宇   「赤と白」 (集英社文庫)

 この本を読むと母親というのは、本当に家族の要だと思ってしまう。
この作品には主人公の小柚子を含めて高校2年生の女の子が4人登場する。経過、原因はいろいろあるが4人とも母親が完全に家族から遊離して崩れてしまっている。

 主人公の小柚子の母親はとにかく家のことは何もしない。そしていつも、大島という離婚歴のある男を家に引っ張りこむ。小柚子はこの大島に暴行されそうになる。

 友人の弥子には、離れに母の弟が暮らしているが、この弟は完全引きこもり、一日中ネットにとりつかれ、一歩も部屋からでない。母はその弟を引き取っているのだが、一切の家事育児を放棄して弥子に弟への対応を含めすべてを委ねる。父親は離婚している。
 その他の2人の友だちも母親との関係が最悪。
 とにかく母親がだめとなると、子供は何をどうしていいのか途方にくれる。そして、軋轢、恨みが頂点に達しても持って行く場がない。すると、母親の存在そのものが無くなることを心から望むことになる。
 更に友達には悩みはとても言えない。それがそれぞれ何かのきっかけで母親のことが知れる。すると、友達との関係がひび割れ崩壊する。

 新潟の陰鬱とした冬を背景が効果音となり、家族と友達の絆が完全に崩壊し、どす黒い悲劇が訪れる。

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| 古本読書日記 | 08:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高田文夫    「楽屋の王様」(講談社文庫)

 つらいです。ある農協の秋まつり。司会者が言う。
「まんず、ことすは作物の出來がわるく、オラが村も大変です。凶作なのでたいした芸人さんはよべませんでした。ごしょうかいしましょう。波田陽区さんです。」
 波田陽区さんに聞きました。
「仕事は今何をしてますか。」
「海千山千です。」
「どういう仕事ですか。」
「海の仕事でも千円、山の仕事でも千円でするのです。」

三遊亭新型(にいがたと呼ぶ)超貧乏の落語家がいる。
住まいは壊れかけた12000円の家賃の台形2畳半のアパートの一部屋。彼以外の住人で日本語をしゃべる人はいない。共同の台所には「キッチンハイターで髪は洗わないでください。」と張り紙がしてある。
「暖房はどうしてるの」と聞くと「テレビに手をかざして暖まっている」という。「12チャンネンルはあまり暖かくなく、8チャンネンルが暖かい」そうだ。
 しかしよくみると贅沢にも「六甲のおいしい水」がある。
「この水も水道水で二分の一に割って飲んでいるんです」だと。

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| 古本読書日記 | 08:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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