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2015年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年02月

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野中柊   「ヨモギ・アイス」(集英社文庫)

 この作品にでているアメリカ女性について。
「オールドファッションガールはハウスワイフになり、モダンガールはキャリアウーマンになり、ポストモダンガールは道を捜しあぐねてポテンシャルバッグレディになる」
ポテンシャルバッグレディとは潜在的女性浮浪者。モラルも野心も目標もない女性のなれの果てなのだそうだ。

 すべてはアメリカが最高の鏡。何でもアメリカからやってきてアメリカを信望して近付こうとする。男女共同参画、男女平等社会。このアメリカの進んだ社会を論駁できるものは無いし、そんな気もこの言葉を目の前にするとする気持ちが萎える。

 しかし、その先に見える風景は結構厳しい。男も女も平等に社会へ進出する。そして、常に肩肘を張って、大袈裟なジェスチャーで主張して、相手を言いまかせていねばならない。こんな社会、会社は日本ではブラックというが、アメリカの社会こそ人を常においたて、かりたてブラックでは無いのだろうか。そして、そのブラックが家庭に帰っても延々と寝るまで続く。夫婦には、紙に書いて貼ってある夫婦の遵守事項がある。料理は、掃除は、後片付けは、洗濯は、いつ誰がするのか。週一回は映画にレストランに、下手をすれば秘め事の開始時間まで決めてある。

 そして決め事は前向きに取り組まねばならない。改悪はだめだが、前向きな改善は常に提案、主張されるべきだし、それを議論に議論を重ねまた今以上にきつい生活を実施する。

 家でも、気を張って、背中をぴしっと真っ直ぐにして行動せねばならない。
Doing nothing。仕事もしない。家事もしない。子供も産まない。何もしなーいっていう主人公のアメリカ人と結婚したヨモギも一旦家をでると、肩ひじ張って、背中を真っ直ぐにして、ピシパシと歩かねばならない。

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舞城王太郎   「スクールアタック・シンドローム」(新潮文庫)

 のっけから舞城ワールド全開。

 家でごろごろしていた主人公のアパートにいきなり見たことも無い身長が2Mもある大男が土足で侵入してくる。

・・・・・取っ組み合いになって俺が耳に齧りついたら「ギブアップ ギブアップ」と言ったけど、俺は無視してそいつの耳を食いちぎり、勢いあまってグニグニ噛んで飲み込んでしまった。

 もう私はドッカーンとノックアウトを食らった。

 それにしても舞城が多分調べて書いているのだろうが、調布市内にはメンタルクリニックが57か所もあるのだそうだ。

 引きこもり、学校や職場にいかず自宅に引きこもる。その殆どはメンタルな欠陥を抱えているのだろうが、とにかく行くのが面倒くさいという単なるだらしない奴もたくさんいる。
 ソファに寝そべって日がな一日何もしない。寝るか、映画DVDかテレビをぼーっと見ている。だけど、頭という余計なものがあるから、うじうじボーっとしているようで、何やらかんやら考える。
 「こんなことでいいのだろうか。皆学校へ行ったり、働いてるのに。未来は暗いなあ。やっぱし病気なんだから、心療内科にでも行くか」などと。

 こういうぐうたら人間を心療内科では、病気ではないと見分けられるのだろうか。そうか、見分けられても、ずっと優良患者として、薬を与えて、病院は引き付けておくのか。何しろ調布だけで57も病院があるのだから。どえらい厳しい競争だ。

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高嶋哲夫    「命の遺伝子」(徳間文庫)

 戦争直後バチカンは人間である戦争犯罪人を神ではなく、人間が裁くということは、神を冒涜する行為として、ナチスの犯罪人を匿った。当時ナチスは原爆も作れたし、戦闘機も連合軍機より優れた性能のものも作れた。科学については連合軍側より開発も進み、頭脳も優れた科学者が多かった。

 ブラジルアマゾンの奥、ペルー、コロンビアの国境近くに不老の民族が住む小さな村があった。バチカンはここに匿った科学者を送り込む。バチカンには、人間の領域をこえて神になりたい、或は神に近付きたい教皇がいた。人間は確実に死ぬということが神との相違。だから死なない、或はべらぼうに長生きをするということは神と同等になるか、神により近くなるということを意味すると考えたからだ。

 そしてナチの科学者たちは、村に研究所をつくり、かれらの血から採取した遺伝子を研究。彼らの血に遺伝子DNAの先端に浮遊し、細胞を新たに再生するテロメアという物質があることをつきとめた。

 そして村人の骨髄を教皇に移植して、教皇は300年の生命を得た。すると、他の教皇たちは彼を神とあがめ、近寄らなくなった。長い生命をもらったこの教皇は、とんでもない失敗をしたことをそこで知る。ナチの生き残った幹部たちが次々、不老の命を持ち、そのことを武器に、人民をナチ賛同者にさせ、新たなる帝国を創り上げようと動きだしたのだ。

 このネオナチと戦わざるをえなくなった世界的科学者のトオルと助手のヒロインカーチャの息をも詰まる死闘がこの作品の読みどころ。

 更にトオル一家。お父さんも兄さんも40歳で突然老人となる原因不明の病気を持ち亡くなる。当然同じDNAを持つトオルも今30代後半。後数年で老人症になるというのが物語に緊迫感、切迫感を与えている。

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薬丸岳     「闇の底」(講談社文庫)

幼女を拉致して、暴行し殺すという事件がしばしば起きる。卑劣な性犯罪である。そして、性犯罪を犯した人間というのは抑制がきかず、繰り返し性犯罪を引き起こす。逮捕された後、刑期を終えて出所したからも繰り返すことが多い。だからアメリカなどでは、GPSを使って、出所者の位置を常に捕捉できるようにしている。

 幼女暴行事件には(事件一般にもいえるが)一方、加害者と被害者がその後どういう想いで人生を歩んでいるかということも特に事件の悲惨度が強烈ゆえ、多くの人の関心が強い。

 この作品は、これらの2点を複合して物語を創っている。被害者両親の可愛い娘を失った喪失感、加えて加害者は刑期を終え平和な人生をおくっている、こんな理不尽なことはない。だから、被害者になりかわり出所した暴行殺人鬼を成敗してあげよう こういう男が現れる。
 更に、性犯罪実行者は必ずまた同じ犯行をする。だから、出所直後に過去の性犯罪実行者を殺して、暴行事件の発生を防ぐためにも。

 物語で事件が起こるたびに、テレビが大々的に取り上げ、無責任な報道ぶりも成敗事件に重ね合わせ描写もされる。そして、だんだん成敗をすることに世論が応援、警察が成敗者を捕まえることに抵抗する雰囲気が蔓延してくる。
 犯人が本当の最後にわかる。それは結構意外な結末。

難しいテーマに取り組む薬丸の意気は感じる。しかし、被害者、加害者、マスコミ、警察の対応が表層的、形式的で、ハウツーものを読んでいる雰囲気が消えない。もうすこし、想像の穴を深く掘らないといけないと感じる。 

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西村賢太    「形影相弔・歪んだ忌日」(新潮文庫)

私小説というより私一人だけ小説である。芥川賞をとろうが、本が少し売れてちょっとした人気者のような雰囲気がでてテレビなどにでることもあるが、きっと周囲からは悉く嫌われているのだろう。どこまでいっても、徹底的に一人なのである。ここまで否応なしとはいえ一人を貫徹していると清々しささえ感じる。

 どうしてこうなるのか。作品中の彼自身に対する分析が凄い
「・・・先天的に短気で粗暴。後天的には下品で酒好き、女陰好き。で、それに加えて邪推癖があり猜疑心も強く、小心で人見知りで弱い者苛めを好み、ケチで不潔でつけあがり体質と、実際、負の要素が何十拍子も揃ってしまっている。」
 どんな気持ちでこんな文章を書いているのだろう。

それに孤独だけの生活となると、何だか日々の生活も面倒になる。だからとんでもないことを書く。
「濃度のある赤茶色の尿はこのときも狙いを違え、便器の縁の外を勢いよく飛び越えてゆき、ウォシュレットの操作パネルの部分を派手に濡らしもしたが、・・・・・わざわざ膝をおってまで拭う気になれず、そのまま打っちゃっておくことにし、用を澄ますとズボンのチャックを引き上げた。」

 顔をそむけたくなるような文章であるが、その徹底さに私自身が搦めとられていることに気付き、思わず深呼吸をして、また次に読み進む。

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| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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薬丸岳    「逃走」(講談社文庫)

 「幸せの黄色いハンカチ」を少し複雑にして作り直したような作品。
黄色いハンカチで再会する日にあたる日が、弓削がやっているラーメン店のカレンダーに◎で囲んである8月15日。そして目印となるのが壁に飾ってある海を描いたはり絵。ラーメン店の場所も、黄色いハンカチを彷彿させるような、誰もお客が来ないような埼玉県の入間の田んぼの中。

 ラーメン店主の弓削が、初めて店を訪れた裕輔に刺殺される。実は裕輔の父親である大輔は母親文恵により保険金目当てで交通事故を装い殺される。文恵はその罪で21年間の懲役刑を受け、2年前に刑期を終え出所している。しかし、文恵は裕輔とその妹の美恵子のところには戻らず行方不明になっている。

 殺人犯となっている裕輔は警察の捜索から逃亡をするとともに、懸命に母親だった文恵の行方を探す。

 裕輔が刺殺した弓削は入間にラーメン店をだす前は横浜のラーメン店で10年働いていた。弓削の入間の店は和歌山ラーメン店なのに、直前まで働いていたラーメン店は塩ラーメン専門店。このあたりから、おかしいぞ読者の私は思う。さらに、裕輔の父は、実は和歌山で有名な和歌山ラーメン店を母親文恵とともにやっていたことが明らかにされる。

 両親がいなくなった、裕輔、美恵子兄妹は、児童施設で暮らすことになるが、毎年花火大会がある8月15日直前に足長おじさんから施設に、大量のジュースの差し入れがある。施設では花火大会の当日出店し、このジュースを販売し施設運営費の足しにしている。

 このあたりで、足長おじさんは弓削だろうことが想像されてくる。
そして弓削が殺された8月15日を目指して、文恵と弓削が出会うというところに物語が収斂されてくることがわかってくる。ただ唯一の疑問は何故弓削であって死んだ大輔でないのだろう。ひょっとすると弓削は大輔ではないのかと類推できるように物語はなっている。

 面白い作品ではあるが、物語の中味がわかりやすくて、推理小説の醍醐味がちょっと薄いかな?

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| 古本読書日記 | 09:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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鴨志田穣 西原理恵子   「アジアパー伝」(講談社文庫)

パリ、ロンドン、ロス、ニューヨーク、インド、そしてこの作品の舞台となっているバンコク、どこへ行ってもたくさんの、底辺をはっている生活をしている日本人にであう。
 決して、外国人と交流はしない。そこの国の言葉も殆ど喋れない。だから、つるむのは同じような境遇にいる日本人たち。酒かハンバーガーあたりを飲み食らいながら、「やってられねえ」とか「おもしろくねえ」とでかい声をはりあげ毎日を過ごす。

 著者鴨志田さんのバンコク生活もこんな生活と同じ。特に、カメラやビデオに特に関心があったり、技術を持っているのではなく、報道写真家を若いころ目指していた宮田のおっさんにアシスタントとして働けといわれ、カメラと関わり合う。ところが殆ど何もカメラを使う前に、宮田のおっさんの会社がつぶれる。ところが鴨志田さんのおかしいところは、ビデオカメラの操作も殆ど知らないのに、最早いっぱしの報道カメラマンになったと思いこんでしまう。

 読んでいて信じられないのが、一旦カメラマンだと思いこむと、どんなに貧乏になっても、カメラマンとしての仕事しかしようとしないこと。家賃は5か月滞納。電気代がもったいないから電気はつけない。焼き鳥2本と安い米の1日1食。どうにもならない。そんな状態を嘆く暇があるのなら、次のカメラマンの仕事がくるまで、他のバイトでもして食いつなげばいいのにと思うのだが、決して他の仕事をしない。

 そんな嘘のカメラマンの鴨志田さんをカメラマンとしてカンボジアの戦場に連れて歩くハシダというとんでもない奴が鴨志田さんの前に表れる。最後は鴨志田さんを人質にしてカンボジア政府軍に預け、自分はそのおかげでバンコクにゆき脱出し、翌日ホイホイ日本に帰国する。
 鴨志田さんは鉄格子の檻ずっと入れられたままなのに。とんでもないやつであるハシダさんは。

 そのハシダとい名前が私の頭の片隅でずっとひっかかっている。そして、このハシダっていうとんでもないやつは、湾岸戦争のとき戦時下のイラクに潜入、射殺された橋田信介さんだったのではと。

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| 古本読書日記 | 09:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長嶋有 「タンノイのエジンバラ」 (1.5度目)

半分だけ読んだ時の感想が、こちらです。
今回、改めて最初から読みました。

表題作と「三十歳」の、印象に残るポイントは前回(1年半前)と同じでした。
読むたびに新たな発見が! というほど込み入った話ではないと思う。
二十歳のコムスメとフタマタかけられていた三十歳の主人公に強く感情移入するほど、恋愛に通じてもいない。

IMG_8707.jpg

前回残しておいた2つも、安定の面白さでした。
気の利いた言い回しに「おっ」と思い、登場人物たちの気持ちがちょっと通じた場面でほっこり。そんなものです。

「バルセロナの印象」:
主人公・妻・姉の3人で旅行する目的は、「猫が家出して落ち込んでいる姉を慰めるため」だそうな。
ただ、主人公にとって旅の最大の目的は、バルセロナオリンピックのマスコット「コビー」のグッズを入手すること。
そのコビーってのは、こういうやつらしい↓

cobi.jpg

「ピカソにちなんで、顔が横向きにも正面にも見える」というから、もっとすさまじい、泣く女みたいな配色のものを想像していたんですが、案外普通でした。
そういえば、スノーレッツのTシャツはヤマザキのキャンペーンでもらったような記憶がある。

「夜のあぐら」:
これと「佐渡の三人」の共通点は、無職の弟を侮るなかれ、というところですかね。
この話では、姉(主人公)もバイト生活です。
「何度か職を変えて、今はアルバイトだ。
年賀状の友人のように結婚に焦がれているのでも、目標に向かって頑張るのでもない生活。
不安は感じない。木造の古いアパートで贅沢をしなければ一人でもなんとか暮らしていける」
とな。
「ちゃんとしなさい」と言われてしまいそうな人たちに対し、優しいのが、長嶋さんの小説です。
目標設定しないと責められるような気がしたり、怠惰に日々を過ごして反省したり、知らないうちに何かが手遅れになっているのではと脅えたり、そういう気分のときにはいいかもしれない。

| 日記 | 22:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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舞城王太郎   「獣の樹」(講談社文庫)

500ページを超える長編。舞城の分厚い本といえば「九十九十九」を思い出す。「九十九十九」は大長編だが、話は7話にわかれ、全体として話は完結している。7つに分かれているから、舞城のエネルギーは集中をたもち、存分に舞城ワールドが展開する。

 しかし、この作品は、長編物語となっている。前半は、舞城ワールドが全開するが、エネルギーは前半できれて、後半はガソリン切れのような状態になる。
 更に前半は文系読者のため、後半は図形を駆使しての理系読者のためのようになっていて、文系の私はどうにもついていけない。

 主人公が馬から生まれてくる。しかも人間として。ただ馬から生まれてきたので背中に鬣
が生えている。この発想が実に舞城らしい。

 これどうなっているの?その最初の文系用の説明が実に楽しい。
サボロッカ牧場で主人公は誕生する。その後、父親が母親を殺害する。そして牧場が大火事になる。父親も火事で死ぬ。主人公は背中に火傷を負う。そこで馬の鬣を背中に移植する。そして主人公を馬の子宮に押し込む。主人公は馬の子宮で13年生きて、14歳で馬からとびでる。だから馬からうまれたように思われた。しかも、主人公は200KM,300KMを疲れることなく颯爽と走る。

 さらに14歳で生まれたため(但し、人間世界からみれば生まれたて)小学校や中学一年までの学科は2週間で完全にものにする。しかし、嫌い好き、楽しい、辛いなど人間が本来備わっている感情がまったくわからない。実にきてれつなヒーローが誕生する。

 木は悪。主人公を悪の木に誘い込むために、木が主人公を木のてっぺんまで登らせようとする。枝がはえているところまで主人公が登れるように、木が斜めに体を傾け、昇りやすいようにしてあげる。

 その他アダコンナの喉の中で、生きているヒロインの楡。
もう舞城の独創性が全開の前半。

 後半は息切れをして、はっきり発想も重いし、文章もとびはねない。舞城の書く作品はどんな作品でも面白く最高と刷りこまれている人以外には、ちょっと後半はとっつきにくい作品である。

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| 古本読書日記 | 06:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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岸本葉子   「わたしの週末なごみ旅」(河出文庫)

岸本さん、このエッセイを書いた時は多忙、多忙の40代。それでこんなにも茶器をはじめ、陶器に思い入れが沸いてくるものなのだろうか。名も無い茶器、どこにでもある食器、大量生産されているが、いつか忘れられているような陶器を好む。ロイヤルコペンハーゲンについてはとうとうと素晴らしさを語る。やはり、陶器は人生を長く経験した目線で見ないと。多忙、多忙で飛び回っている岸本さんとゆっくりながめる茶器陶器がちっとも結びつかなず、ピンとこない。
それでも、ちょっと前まであった、駅弁といつも一緒に買った急須、茶色い茶器はどうなったんだろうと岸本さんに触発されて思ってはしまうが。

 散歩エッセイ。味わいがあるのだろうが、東京やその近郊に住んでいないとさっぱり身近に感じない。せめて、名だたる文豪が数人登場、彼らの散歩と重なって描かれないと、地方で生まれ、地方で人生を送った私にはエッセイを読んでも素晴らしさが伝わってこない。まして日暮里が散歩の最高な場所と言われても。

 ただ、柴又には「とらや」という団子屋兼大衆食堂があることを知って、そうなんだと何か発見したような気持ちになった。ただその食堂は食券購入システムを採用しているといのはちょっぴり悲しい。

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| 日記 | 06:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小川洋子   「いつも彼らはどこかに」(新潮文庫)

小川さんは本当に不思議な作家だ。主婦であるし、たくさんの作品も書いているし、テレビなどマスコミにも登場して、とにかく多忙だろうと推測される。しかし、物語はゆったりと情感こもった内容とおちついた文章。どうして、多忙ななかで、こんな穏やかな作品が描けるのかと、信じられない思いにかられる。
 この短編集も小川さんの本領が発揮されている。どれもこれも、輝いていて素晴らしい短編ばかり。それでも最初に登場する「帯同馬」が私は印象に残る。

 日本の競走馬から史上初めてディープインパクトがパリの凱旋門賞に出場することになる。小川さんの心根の優しさは、ディープインパクトが長い飛行機に一頭では耐えられないだろうと同行させられたピカレスクコートに揺さぶられる。この着目が凄いと思う。小川さんはピカレスクコートの心情に思いを馳せる。

 勝っても、負けても、マスコミや人々の話題はディープインパクトのみ。ピカレストコートは関心は持たれないし、絶対注目もされない。何のための帯同なのか。小川さんの心は痛い。

 それは、小川さんが、世界は星屑のような名も無い人々の営みにより成り立っていることを知っているから。 

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| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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鈴木光司    「パパイズム」(角川文庫)

これは看板と中味に随分差異がある。

鈴木は最初の話の導入部で、こういう趣旨のことを述べる。
現在は結婚する人が少なくなってきている。更に、結婚しても子供を持とうとするカップルも少なくなっている。結婚はともかく、子供を持つということは、自分が遊んだりする自由な時間がなくなる。今までのようにバリバリ仕事ができなくなる。そう考えるカップルなり若いひとたちが多くなっていることが原因だと。

 しかし、鈴木は言う。子育ては実に楽しいし、彼自身だけでなく夫婦も成長させるし、人間性を豊かにさせると。
 だから、きっと、独身でいる人、子供を持たない夫婦よりどれほど結婚して子供を育てる人たちの方が楽しく充実した毎日になるのかが、詳しくこの本には書かれているのだろうと読み進む。全くそんな記載はない。

 むしろ、生まれてきた子供は、こう育てようとか自分はこう育てたから上手くいったという話が書かれる。どこにも、子を持たない夫婦や独身を通すことより、子供を持ち育てることの方が楽しく、豊か、それを証明することの記載は無い。

 更に、この本は鈴木が結婚して15年目に書いている。結婚2年後で長女が誕生したとのことだから、長女は中学1年生。

 子育てって、ここからが難しい。小学生までは子供は、家族、家庭が中心になるが、中学からは仲間、同級生との関わり、友達関係がだんだん生活の中心になる。ここで上手く家庭と仲間の関係を両立できなくなる子供たちが私の周りでも結構いる。鈴木のこの作品はどこか子育てについて片手落ちしている。

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藤野千夜    「夏の約束」(講談社文庫)

 藤野さんの芥川賞受賞作。

 会社では、光り輝いている一団と、どうにも元気なくくすんでいる社員たちと区分けされてしまう。光り輝く一団は会社や部門は自分たちで持っている自負心も強く、結束もあり、仕事だけでなく休日もアフターファイブも常に一緒に行動する。彼ら以外には価値ある人間はいないような行動をする。

 面白いのはくすんだと思われる人たちもそれなりに仲間同士として固まる。だけどどうにも意気があがらない。愚痴や妬みばかりが話題となる。でもまあ飲みに行ったり、暗いけど他にすることもないからともに行動もする。
 それで、誰かに夏休みどうする?なんて話題をだされ、酒の力に押されて、キャンプでも行くかということになる。誰もこれといった計画も無いので、そうだね行こうかということになる。でも当日が近付くにつれ一人欠け二人欠け結局行キャンプが無くなったり、行っても締まりのないものになってしまう。

 この作品のマルオが素晴らしい。
 仲間の一人が光り輝く人たちにたいしやっかみを込めて言う。
 「あいつらは世間がどうなっているか、ちっともわかっていねえ。」
 マルオが言う
 「仕方ないでしょう。ガキだもん。」
 「あいつらは一生誰かを見下し、笑って暮らす」
 マルオが答える
 「いいじゃん幸せそうで。」

 世界は、光輝いて、生き生きしている人たちで覆われている。でも、くすんでいるやつらも多くいる。くすんでいる人たちが光輝く人たちと無理に交わる必要はない。と同時にそんなやつらと比較して卑下したり妬むことは無駄だ。もっとおおらかにいじけず行こうよとマルオは言うのである。

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安岡章太郎    「文士の友情」(新潮文庫)

 安岡と同時代に活躍した、吉行淳之介、遠藤周作、島尾敏雄などの思い出、交流などが中心に描いている雑文記集。

 島尾や吉行は物語を創造するというより、事実を忠実に書く作家のような思いがする。特に吉行は短編が素晴らしいのだが、描く世界は小さい。戦後の混乱期の出版界のありよう、それからカフェなど娼婦との交流。私は、まだ吉行の描く世界の匂いが少し残っていた時代に生まれたから、読むと素晴らしいと思うことがあるが、今や今以降の人たちが果たして手に取って読むだろうか。

 島尾も体験を忠実に描く作家。特攻隊にはいりもう少し特攻機で出撃するというときに戦争が終わり命拾いをしたことや、奥さんとの激しい憎悪、格闘の生活記などが記憶に私はある。

 安岡、吉行、遠藤周作、北杜夫は第3の新人といわれた作家達のなかに含まれ、私の学生時代は本だけでなくマスコミやテレビにも登場して、アイドルのような扱いを受けた。彼らは、最初は同人誌から生まれ出た。だから同人誌仲間として異常に仲がよく、年がら年中つるんでいた。つるんでいたから、例えば吉行の短編については、彼らの仲間内では、みんな書いてある事実を知っているので、理解や評価ができる。しかし、彼ら以外の一般の人たちが読んでも何が面白いのかわからない。仲間内だけで褒め合っている傾向が強かった。

 ただ戦争直後は日本の歴史のなかでかなり特異の時代。だから、その頃を知りたい読者にはこれから何年たっても読まれるかもしれないし、そうであってほしい。

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舞城王太郎   「煙か土か食い物」(講談社文庫)

 物語の最後のところで、高谷真理なる聖女みたいな女性がでてくる。主人公の四郎が言う。

 「俺も他の奴もどうせ死んだら土か煙か食い物なんや。生きてるのなんて無駄や。生きてても死んでても変わらんわ」
真理が答える
「人間は死んだら誰かの思い出になるのよ。人間は死んでからも、生きていた証をいろんな形でかならず残すのよ。」
舞城はこれを肯定的な意味で書いているのだろうか。

 存在すること自体、けがらわしく、嫌われ者、はじかれ者がいる。そんな人は死んで他の人に良い証思い出を残すことはあり得ないし、また、逆に生きながらえても、けがれ者としての証を積み重ねていくだけで、生きている価値などないように思える。この作品の丸雄や二郎はどうなのだろうか。

 NDEという臨死体験がこの物語のモチーフ。死ぬ直前に穏やかな世界をさすらう。そして、この作品では死の世界の入り口に門番がいてそこを通すかどうかを決める。通さないとまた生きている世界に戻ってくるのだ。この門番のいる手前の世界で、邪悪や、憎しみなどが一切消滅して、そこから生きている世界に戻ってきた人は、聖人のように変化する。

 この作品ではNDEを体験する人を犯人が無理やり創り上げる。犯人は殺人の一歩手前で殺傷をやめ、土に埋める。そこで、救出され、病院で手当てを受けるがなかなか生きている世界へは戻ってこない。彼らは、穢れなき、美しい世界にずっといたいからだ。

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久田恵   「ニッポン貧困最前線」(文春文庫)

 生活保護現場をルポした作品。社会福祉事務所にて生活保護の認定、相談を行っているケースワーカーを扱う。

 確か山本幸久の小説で読んだ気がしたが、このケースワーカーという仕事は大変。
一人で受け持っている生活保護家庭が70軒ほど。一か月20軒訪問しても三、四か月かかる。何よりも大変なのは、生活保護申請、受給家庭や個人が、十人十色異なった事情を抱えているし、個性も千差万別。申請者に寄り添うと、つけあがるし、冷たくすると、怒りまくって、担当者に対する恨みつらみを市役所に訴える。
 アル中、精神を病んでいる人、借金を抱えている人、体を壊している人、とにかくまともな人が少なく、問題を抱えている人ばかり。

  このルポを読んでいると、昔は、ケースワーカーに生活保護認可の裁量が大きく認められていたことがわかる。認可案件は申請者の事情により、表にだしにくいこともある。それを、無理に暴こうとすると、申請することをやめ、人生の底が抜け、自殺したり、野垂れ死にするひとが続出するからだ。

 例えば、申請者本人は生活保護を受ける条件に足りていても、親族、家族が申請者を扶養できないかが支給条件になる。しかし以前は親族家族を調査するということは無かった。そんなことをしても、まず、お金をだしてあげようという親族、家族など皆無に近いからだ。漫才の次長課長が大きな稼ぎをしているにも関わらず、お母さんが生活保護を受けていたということで、いつだか世間を騒がせた。しかし、生活保護現場では次長課長が援助を断るのは当たり前のことになっているのだ。
  また、預金や収入を隠蔽しているのではないかということで、調査をするということも最近になって厚生省も指示でおこなう事になった。
 それで、ケースワーカーの仕事は、とんでもなく過重になった。
つまり、裁量権がなくなり、徹底的に不正受給がないか調べ上げろということになった。

 この作品ではケースワーカーが素晴らしい資質、能力の持ち主であることが前提で描かれているから、そこまでしなくてもと思うが、そこは人間のやること、どこまでも調べ上げろという理屈もわかないではない。

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綿矢りさ    「大地のゲーム」(新潮文庫)


  綿矢さんは何を思ってこの作品を書いたのだろうか。東日本大震災にたいする綿矢としての回答がここにあるのだろうか。とにかく確かに、今までのカラーをかなぐり捨てる小説に挑戦していることはまあわかる。

 世界の大都市と規定されているが、物語の舞台は東京と考えるべき。その東京で大震災が起こり、5万人が死亡。更に2万人が行方不明となる。それから、何とその東京で一年以内に同規模の大震災が90%起こると政府が予告する。そしてその大震災は、主人公が大学祭で劇を演じている時に起こる。

 綿矢さんの結論は、大震災が起きると政府は機能せず、原発もだめということになり、経済は縮退する。その結果、社会保障も、医療介護保険も崩壊し、生きられない人々がでて、平均寿命もどんどん下がる。そうなると、生きるためには、人や政府に頼らず、生きて見せるという決意と自覚によりひとりひとりが困難に対処するしかない。そして、貧困であふれかえる人々が生き抜くには大地、生活の原点である農業に帰するしかない。こういうことかと推察した。

 しかし、テーマのわりに描く世界が小さい。登場人物も僅か。そこに綿矢が好きな恋愛、嫉妬などをいれこむものだから、これは恋愛小説かと錯覚もする。

 それから、世の中は色んなことが並行的に動くのだが、ニムラが物語にでればニムラだけのことを書くことに集中し、マリの時はマリに集中して、大地震という大変な出来事が起きているのに、世界が少しもまわったり動いたりしない。

 挑戦する気持ちはわかるが、小説としての体をなしていない

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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鈴木光司    「楽園」 (角川文庫)

鈴木、力全開の処女作。
古代、18世紀中世、現代。愛、強さ、勇気を象徴する赤い鹿をモチーフにいた1万年を超えた3代の物語。
 面白いと思った。もちろん物語のスケールに感動し面白いこともあるが、古代物語から現代にかけだんだん作者鈴木のエネルギーが減ってきているところ。

 古代は、よく描かれている。赤い鹿と、愛する少女の姿ファヤウを部族の掟を犯して石に描く。そこの矛盾が主人公のボクドを翻弄し、南へ北へと八面六臂の戦い活躍をする。そこに、北の回廊なる海に何百年に一度しか現れない、豊な土地への橋渡しする道など、仕掛け道具だても素晴らしい。

 中世も、多分鈴木は漂流記などを読み込んで、リアルな描写をものにしている。特にタイラーとヴィンセントと彼の兵隊との戦いはそこいらのハードボイルド小説より興奮するし面白い。しかし、古代に比べ、舞台もくるくる変遷して回転しないし、登場人物にも変化がない。

 そして現代。地下に眠る湖、鍾乳洞の道。そこがクライマックスの舞台になるのは読者に物語早々に明らかにされ、更に赤い鹿も早く登場する。それがわかっていて、その舞台になるまでが長すぎ、凡庸。

 古代物語と現代物語の段差が大きい。構成上何か現代を書かなくてはならず、そこの仕方なさが現代物語には顕著すぎる。

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| 古本読書日記 | 06:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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舞城王太郎   「イキルキス」(講談社文庫)

  こういう芸術的文学作品は人によって解釈が異なるのだろう。私は強烈な虚無、ニヒリズムを感じた。

  同級生の女の子が突然死ぬ。それが一人、二人、三人くらいまでは何か事件がおきて殺されたのだろうと思う。きっと、そこまで来れば警察が犯人を捜してくれるだろう。犯人も4人目は疲れもあるし、捕まる危険も多くなるから、殺人事件はおきないだろうと皆思う。しかし、4人、5人そして6人も立て続けで死ぬと、ひょっとすればが、次々死んでみんないなくなるだろうと確信して思うようになる。まして死んだある子は殺されたのでなく、直前まで元気だったのに、突然授業中目の前でポックリいったのだから。

 普通は死ぬときは苦しんで苦しんで死ぬ。でもあんなふうにポックリ死ぬのなら、どうせ一回は死なねばならないのなら今ポックリもあるかな、なんてことも思うようになる。

 つまり誰もが明日といわずに一秒後に死ぬこともあっておかしくない。そうなると、死んでしまう前になにをやっておこうかと考える。でも、何も浮かんでこない。しいて言えば、童貞、処女のままでは死にたくないくらいか。それで中学生同士にもかかわらず、セックスをしようとする。その最中に、待てよ、童貞のまま、処女のままのほうが価値があるのではと思ってしまいセックスをやめる。

  結局、体験、経験、知識はそれをしただけ、それを知っただけが増えるだけで、そのことが人間を成長させるということはない。

  ただただ人生には生きているということと単に死んでしまうという事実しかない。

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| 古本読書日記 | 06:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宗田理   「新・ぼくらのいいじゃんか!」(角川文庫)

 今はどうなっているかわからないが、日産自動車が座間市から撤退したとき、日産におんぶにだっこだった座間市は市が存続できないのではと大騒ぎになった。夕張市も炭鉱閉鎖でにっちもさっちも行かなくなった。

 まだ全国には、企業城下町で、企業によりかかっている市はたくさんある。シャープの亀山、トヨタの豊田市。企業は永遠不滅ということはない。倒産はないにしても、工場閉鎖は企業論理だけで実施される。

 この作品はどことなく日産工場閉鎖をベースにしているように思える。
そして、工場閉鎖をする大企業を悪の権化、さらにそこにワンマン社長のスキャンダルが加わって、その悪に凄みを増させている。
 しかし、そんな一面的構造で見られるような問題でないだけに、物語にあまりのめりこめない。

 それにしても、企業城下町は常にその企業が倒産、撤退があることを前提に行政を行わねばならない、それは並大抵のことではないと心底思う。
 だいたい、市長だってその企業出身者かその企業支援のなかででてくるのだから。

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| 古本読書日記 | 06:36 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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舞城王太郎    「みんな元気」(新潮文庫)

 とっつきにくい独特の舞城世界が全開の物語。
私達は普通生涯一つの家族を持って一生を終える。しかし、昨今は結婚、離婚を繰り返すことが当たり前の世の中になってきた。両親である男と女が入れ替わるだけでなく、その都度子供もあっちこっちと入れ替わりかつ時間経過のなかで増加、まれに減少もする。

 もし、時間の経過がなくて、一度にいくつかの家族が目の前に表れたらどうなるのだろう。

 主人公枇杷は、その人生において、恋愛、結婚、離婚を繰り返してきたし、これから繰り返す。
 この物語のクライマックスで、一度にその家族や子供たちが現れる。現れた家族は3つだ。
つまり、枇杷は結婚を3回していることになる。同時に表れたら、枇杷にはどの家族を選ぶのか選択せねばならない。脇で見ていたもうひとりの主人公唯士が、洗濯バサミに刃物がついている武器で、要らない家族を刃物を使って首を切り落とせという。

 その声に従い枇杷は首を切り落としてゆく。どの家族を選ぶのか決断をするのだ。
クライマックスが終わった後、何となく愛に包まれたような終わり方を物語はしたが、結婚、離婚の繰り返しは、家族を捨てる決断をすること、そして捨てられてしまう人を産みだすことだということが身に染みた。ちょっと切なかった。

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姫野カオルコ   「昭和の犬」(幻冬舎文庫)

  2年前の直木賞受賞作。
 
  この本の最後のページに、直木賞受賞時の姫野の写真が掲載されている。それがびっくりのジャージ姿。やはり姫野は変わっている。この写真、ユーモア、愛嬌で掲載されたのか、出版社が皮肉を込めて掲載したのか。奇妙な写真である。

 この作品、姫野の実際を再現したのか、それとも自らについて姫野自身が抱いているイメージをデフォルメして書かれているのか、とにかくかなり歪んでいるように思えるし、それが姫野の作為にもみえるし、あまり読後の後味がよくない。

 幼児期から小学校、中学校、高校それから大学、就職後の会社人生50歳過ぎまでの人生がこの作品では描かれる。本当に奇妙なのだが、その間、親戚、家族、大家さんなど拘わらざるを得ない人たちとの、多少の関わりは描かれるのだが、友達とか同級生仲間が一人も登場しないのである。

 ただ一人、ある下宿、主人公の前に借りていた住人との交流が挿入されていて、「結婚したかった。」という言葉を前の住人に唐突に吐かせている。この部分がいかにも嘘っぽくみえる。

 姫野の人生は、この作品の通り、変人孤独だったのか、それともそういうイメージを自分にはめ込み、故意に創り上げているのか。
 故意だとすこしあざといと感じるし、事実であるならもう少し深く人生を突っ込み書いてほしい。どこかが煮え切らず中途半端に思えてしかたがない。

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| 古本読書日記 | 06:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宗田理    「ぼくらの七日間戦争」(角川つばさ文庫)

宗田の有名な「ぼくら」シリーズの初めての作品。1985年発売され超ベストセラーとなり、今でも青春小説のバイブルとして読み継がれている傑作。

 私が高校生のとき、学生運動が頂点に達して、東大安田講堂陥落でその幕は閉じた。高校には、生意気な先生がいた。毎授業開始時テストをやる英語の先生。次回の授業開始時、名前と点数を言って生徒に返す。頭のできがよくない私はこっぱ恥ずかしくてしかたがなかった。いつか、あいつをギャフンと言わせたい。これをクラスにはかると、頭の良し悪しは関係なく、クラス全員が賛成。イタズラ決行には団結するから不思議なものだ。

 当時はやっていたカセットデッキに授業終了を知らせるチャイムを吹き込む。そして、一番前に座っている奴らの時計は50分進ませておく。
 一時間授業で十分たったとき、カセットテープからチャイムが鳴る。先生が「あれもう時間か。ばかに早いなあ」普段腕時計をつけていない先生が、真ん前の生徒の腕時計を確認する。「そうか。もう時間か。無駄口をたたきすぎたか。じゃあこれで授業終了。」
 もうみんな笑いをこらえるのに必死。10分間授業の後、一斉に外へ飛び出す。

 それからこの英語の先生の権威は失墜、威張りは全く無くなった。

他にもしょうもないいたずらを皆でいっぱいやった。「バリケードごっこ」といって音楽授業の教室の出入り口に椅子や机をつみあげ、先生が入ることを邪魔してこってりしぼられたっけ。
 この作品を読むと無邪気でくだらないことを一生懸命皆でやっていたことをなつかしく思い出す。

 暴力教師の酒井先生が、中学生たちに振り回され、どんどん権力が無くなるくだりを読んでいると、私の英語の先生を思い出した。しかし英語の先生が一番すてきで今でも最も思い出す先生である。

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| 日記 | 06:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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岸本葉子    「和のある暮らししています」(角川文庫)

小学校のとき、間違いなくランドセルで学校通いしていただろうが、どうも記憶では風呂敷に色々包んで通っていた印象が強い。
学期の終りで長い休みの前は、学校から、サカホーン(ハーモニカの親戚みたいな楽器、今はないのかな)リコーダ、習字や絵などの作品、ソロばん、習字道具など学校にあるものを持って帰らねばならなかった。家と学校に勉強道具をおいておけるほど裕福な家はなかったから。それらはランドセルには入りきれず、通知表といっしょにして風呂敷に包んで持って帰った。ぶきっちょな私は、ピシっと風呂敷をたたむことができず、歩く途中で、バラバラ中味をおとしたり、結び目が緩くほどけて全部道にぶちまけたりして、一緒に通った女の子が、拾ってくれしっかり包み、結んでくれたことを時々今でも思い出す。

 風呂敷、今は殆どみなくなったが、最もよく使われたのが昭和40年代、50年代とこの作品で知り、そんなに最近のことだったのかと驚いた。

 風呂敷のよいところは、包むものの形状、大きさに合わせて包め、持ち運べるところにある。だから、今でも裁判での検事、弁護士は、裁判により資料の量が異なるため、持ち運びには風呂敷を使う場合が多い。

 風呂敷は、昔、大名や武士が風呂屋にゆき脱いだ着物を包んだり、湯上りで体を拭くとき、床に敷き、その上で体をふいたところから名前がきているそうだ。

 また、風呂敷は、敷布代わりに使われ、寝床の横におかれていた。江戸時代には火事が多発して、いつでも、火事がおこったとき大事な品を包んで持ち出すために使われた。よく泥棒が風呂敷を首にまいて背負っている図をみるが、泥棒が風呂敷を携帯していたのではなく、盗みに入ったときに寝床においてある風呂敷を使って盗品を盗み出したからあの格好になったのだそうだ。

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中場利一    「離婚男子」(集英社文庫)

 泣かせ小説で、東の横綱は重松清、西の横綱は中場利一。

 重松は早稲田大学出身で頭が働くから、読者は泣かせておけばついてくると考え、泣く場面ばかり、泣いて、泣いて、最後に大泣きといっぱいの幸せ、めでたしで物語が終了。

 中場は、工業高校中退。不良、やくざのはしくれを経験して小説家になる。
だから、いつも怒鳴って、怒鳴って、煩い場面が続く。そして、怒鳴りはドタバタといつもくっついている。関西系のサービス精神を発揮する。だけど、ジョークのレベルはそれほど高くない。
 ドタバタ、ドタバタ、大声が飛び交い最後に大泣かせして終了。

 ただドタバタと、大泣かせでは落差がありすぎるので、常に泣く準備ができるようにかわいそうな、けなげなキューピッドを用意しておく。それが、この作品の2歳の詩織ちゃん。

 重松と中場はだから裏でちゃんとつながっている。
中場のベストセラー「岸和田愚連隊」を下敷きにして重松は「半パン デイズ」を書いている。

 肩の力を抜いて、気楽に本を読むときは中場、重松は最適な作家である。

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| 古本読書日記 | 06:36 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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岸本葉子   「欲ばらないのがちょうどいい」(中公文庫)

 本を読んでいて、時々いらっとするときがちょくちょくある。

 いくつかあるうちのひとつが、年寄りがでてくると「じゃ」言葉に会話がなるところ。
「あったんじゃ。」「こうしたんじゃ。」など。
どこを探したら今どきこんな化石のような言葉をしゃべる老人がいるか教えてほしいとかなり怒りまくる。今や、普通の人と変わらない言葉で老人もしゃべる。

 そして、この「じゃ」言葉をしゃべる老人はいつも穏やかで、性格も丸い。年寄りになると性格が丸くなるという錯覚がまだ多くの作家のなかに根強くあるようだ。

 しかし、今の老人は、年を経れば経るほど、依怙地、短気になる。丸くなるのではなく、ますます扱いにくい人間と化してゆく。
 私たちより少し上の世代で、会社で管理職についていた人たちは、会社にパソコンが導入されても、書類作成や伝票処理は部下にやらせ、パソコンを触らなかった。

 会社をやめると、パソコンやら、携帯、リモコン、色んな電子カードが生活周辺にあることに、そして全く使えないことに気付き嘆く。その上に、会社では、権力を傘にきて、部下にあれこれやらしていた想いが抜けない。
 だから、しょっちゅう、操作がうまくいかなくて、文明機器と格闘し、文明機器に大声であたりちらす。

 元来、老人は短気になってゆくものだが、文明機器が更に拍車をかけている。

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| 古本読書日記 | 06:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長嶋有    「佐渡の三人」(講談社文庫)

私の両親の時代までのひとたちにとって最も重要なことは世間体である。結婚式、葬式は世間体のために行う。まわりの家に比べて恥ずかしくない儀式を行うことに熱心になる。だから世間からはずれたようなことをしたりすると、異常に怒るか悲しむ。

 もちろん私の時代の人たちの中にも世間体第一で動く人、特に、会社勤めなどをしていると、世間並のことができないと評価を落とすと考える人もいないではないが、気にしない人も多い。

 この作品は多分私と同世代の人たちを扱っていると思う。兄弟、親戚、幼いころは喧嘩もするし、仲良く遊んだものだが、今は葬式でもないと、近くに(この作品では隣に住んでいる)いても、殆ど交流がないし、それで全くの不自由が感じない。もちろん世間体なども無関心。

 それでも、ゆるいどうでもいい関係のなかで、まあやらないわけにもいかないから、葬式や納骨式をやろうかとなる。無関心で特にどうでもいいやという主人公道子の視点が、弟やおじさんのこれまたまあやるかという意識、行動をユーモラスにとらえている。
 親戚のなかには、亡くなった人の隣の家に住んでいるのに、通夜も葬式にも参加しないおじさんもいる。でも、それを咎めるひとはいない。
 もうすこし関係がゆるんだら、冠婚葬祭すべてやらない、ぎりぎりのところ。

この作品の主人公の父親が生前、紙の上に何回も思いっきり筆で書く。
 自分のことを「どこどこ大学医学部教授」「どこどこ病院理事長」と。そして長男「医大教授」次男「どこどこ大学言語学科教授」三男「経営者」(実際は単なる古道具屋)

 私たちの親の世代が目の前にありありと浮かんでくる。

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| 古本読書日記 | 07:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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日垣隆      「偽善系」(文春文庫)

佐高信という昔一世を風靡した自称経済評論家、最近はあまりみかけなくなったのだがどうしているだろうか。

 会社が面白くなくなったとき、仕事が厳しい辛いとき佐高の著作にふれると企業の代表であるパナソニックやトヨタを歯切れよくコキオロスので、ストレス解消になるのでよく読んだ覚えがある。また、そのころは私の若いころにはテレビも特に左が大好きなTBSやテレビ朝日にコメンテーターとして頻繁に登場していた。

 しかし、だんだん中味が無いことがわかり、加えてどの本でも書いてあることが並び替えられているだけで内容が同じのため、ばからしくなって読むのをやめた。それからえげつない言葉で他人を感情的批判をするので、だんだん人が遠ざかり、対談や取材もできなくなる。すると、新聞や本にのっていることを裏もとらず、自分で取材したかのごとく発言したり執筆するので、全く存在価値を失った。

 とにかく本田宗一郎を称賛し、松下幸之助をけちょんけちょんにけなす。それはただ一点、松下は株式会社にもかかわらず、同族会社であり、松下が天皇として祭り上げられている。そこにいるのは、松下に隷属する奴隷でありそれを「社畜」ということを繰り返すだけ。
 トヨタも同族。それどころか、挙母市を自分の名前つけた豊田市に名前を変えさせたと徹底批判する。
 この2点は彼の殆どの本で書かれている。

そして、彼が熱心なのは、内容でなくレッテル貼。小泉単純一郎とか、小渕首相を汚物首相など。
 こういうくだらないレッテル貼。何となく現在の「何とか市民連合」に集結した人々を思い出す。と、書いていたら、「何とか市民連合」の熱心な応援団として現在活動していることを知った。類は友を呼ぶ。

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| 古本読書日記 | 07:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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吉田修一 「日曜日たち」

人間ドラマですね。たぶん。

別れ話をしようとしているタイミングで、偶然見たパスポートから彼女が韓国籍だと知ってしまい、
「今別れを切り出しても、別れ話を反故にしても、自分が差別意識を持っていることになるのでは・・・」
と、もやっとする男。

二人組の男に睡眠薬入りの酒を飲まされ、車で眠らされている間に鍵を使ってアパートに押し入られ、目覚めたら渋谷駅の地面に転がっていた女。
初めての店で、若い男に声をかけられて調子にのって被害にあったうえに、体に全く手を出されなかったことを、彼女の友人は「不憫だ」と思う。

「自分にも最後までやり遂げたことがあった」と、4つ目の話の主人公が回想するのは、大学時代に母を訪ねて家出中の幼い兄弟を送り届けたこと。
兄弟が寿司を食べたと聞き、「親切な祖母か誰かが地元にいるんだな」と思う。
↑同じように兄弟を不憫に思った他人がおごってくれただけ。
母親が男と暮らしているらしいアパートまで送り、「子供たちだけで会いに来たと思わせた方がいい。母子再会の感動的な場面が目に浮かぶようだ」と振り返らずに去る。
↑母親は子供を部屋に入れず、兄弟は万引きして飢えをしのぎ、後日保護される。
もちろん、手を差し伸べない大多数の人間よりはましだし、この兄弟も彼を恨んではいないと思う。
恋人にせがまれれば仙台でも東京でもサンパウロでも行ってしまうこの男は、お人よしで、何度痛い目にあっても人間が好きなんでしょうね。

この程度の毒とか、皮肉とか、エゴとか、そういう描写は好きです。

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中村和仁   「アルツハイマーホテル」(兼六館)

アルツハイマー患者とそれを介護している家族を招待したホテルに、暴力団員2人を射殺して逃亡している馬川が、逃げ込み、アルツハイマーの家族やホテル従業員を人質にとって立てこもるという筋立ての作品。作品の質や筆使いはあまりよくない。
 ただ、アルツハイマーという病気や、その症状については、よく描かれていて勉強になる。

この作品は3年前出版。当時から比してアルツハイマーについては研究も進んでいるだろうし、薬品の開発も進んでいるだろうから、この作品で描かれていることは少し時代遅れかもしれない。それを承知で、アルツハイマーについてこの作品で知ることができることを紹介する。

 アルツハイマー患者は現在345万人ほどいて、10年前から倍増している。65歳以上での患者は10人に1人いると推定されている。

 アルツハイマーの原因はまだ特定されていないが、脳にβタンパクが溜まり起こる病気らしいと推定されている。βタンパクという物質は脳神経細胞が作る物質で脳のゴミ。このゴミは溜まるばかりで、排除できない。
 βタンパクが溜まってくるとまず影響を受けるのが脳で記憶をつかさどっている後ろの部分にある海馬というところ。ところが、判断や、行動や、会話を司っている前頭部は正常に機能する。だから、なかなかアルツハイマーを早期発見できないのだそうだ。
 アルツハイマーはもちろん物忘れの症状も顕著だが、子供時代を含め過去帰りをし、幻覚が多発することも特徴だそうだ。

 βタンパクの増加を防ぐのには、有酸素活動が有効。たくさんの酸素を体に取り入れること。だから運動がいいのだが、大変であるなら、ウォーキングが効果がある。

 たくさんの人がウォーキングをするようになったのは、こんなことが背景にあるのかもしれない。

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| 古本読書日記 | 06:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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