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2015年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年03月

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桐野夏生  「白蛇教異端審問」(文春文庫)

桐野夏生  「白蛇教異端審問」(文春文庫)
桐野と私は同い年である。だから、同じ空気を背負って生きてきた。このエッセイのなかで
まさにその通りと思った言葉がある。
 「戦争ではなく思想が人を殺す。」
私たちが学生の頃、中国では文化大革命が毛沢東のもと展開されていた。毎日のように新聞に公衆の面前で土下座をさせられ、人民の罵声をあびせられている知識層や共産党の幹部の写真が載っていた。助かった人もわずかにいたけど、殆どの人がその後処刑された。文化大革命では数百万の人々が、何の理由かも明確にされずに殺害された。連合赤軍リンチというのがあり、私の一年高校先輩が殺害され、殺害したほうにもいた。
 憎い嫌いだけでは大量の殺人はなされない。そこに、思想や宗教がかぶさってくると大量の人殺しが発生することを青春時代に知った。とにかく思い込んだら、他の考えに耳をかたむけるということを一切拒否する。こういう人たちが権力を持つと一般の人たちは対抗できない。
 安倍首相を右傾化とか右翼とのレッテルを貼る。確かにその傾向はあるかもしれない。でも、ある思想を持ってのレッテル貼りこそが恐怖の前兆である。もし、レッテルを貼っている人たちが権力を握ったときのほうが、安倍首相より怖さを覚える。

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中島たい子  「ぐるぐる七福神」(幻冬舎文庫)

中島たい子  「ぐるぐる七福神」(幻冬舎文庫)
人は生きるために、生きる。
東京のあちこちにある七福神をまわる。祭ってあるご神体が必ず見られるわけではない。というよりご神体が見られる日は元日のみであったり、ともすれば12年に一回しか見られないこともあり、殆どみることはできない。だから、この中にあるだろうと想像して建物にむかって礼拝する。
 でもひょっとすれば実はこの建物にご神体はいないかもしれない、あるかもしれない。わからない。わからなくても祈る。わからないことが生きることであり、それが無限の可能性につながる。
 だから年齢に関係なく、20歳であろうが90歳であろうが、その先はわからない。だから生きるために生きるとなるのだと物語では言う。
 それにしても東京はうらやましい。色んな散歩のありかたができる。田舎ではウォーキングと名をかえ、無目的ひたすら歩くことが目的になる。本来散歩は本屋をめぐったり、喫茶店をめぐったりすることだ。しかし、田舎では車でまわらないとそんな巡る旅はできない。だから、ちょっとした物語も生まれない。

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桐野夏生  「ナニカアル」(新潮文庫)

桐野夏生  「ナニカアル」(新潮文庫)
これは本当にたまげた。作者、桐野が見事に消失することに成功している。読んでいると林扶美子が作り上げた作品だと完全に読者に思わせる。
 第二次大戦中の林のまさにインドネシア「放浪記」である。林の作品や膨大な関連資料を読み込み自分のものとし、更に現地にも桐野はでかけてイメージを膨らましたのだろう。
 戦争の足音がせまってくると、右も左もスパイだらけになる。ちょっとした言葉尻や行動をとらえてすぐ憲兵に密告そしてしょっぴかれる。それで、帰ってこられなくなった人もたくさんいる。
 林と斎藤の不倫は、そんな憲兵にとって手ぐすねひいて待ち構えているには、格好な事案である。物語のクライマックスは戦争の酷さをずしりと読者に訴える。
それにしても、こういう作品を読むと、今現実に起きていることは真実なのか幻なのかわからなくなる。
 後藤さんや湯川さんの残虐きわまる殺害映像は、実は誰かが意図を持って流しているとしたら。そして、イスラム国の残虐性を強調して、どんどん戦争をしやすい国にしようとしていたら。重要なことは起きたことを利用しているのでなく、意図を持って起こしている勢力がいたらと思ってしまうこと。この作品を読むとおもわずブルっとする。

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中村文則  「掏摸」(河出文庫)

中村文則  「掏摸」(河出文庫)
こういう小説は私にとってはいやな小説だ。読者をどことなく馬鹿にしている。
何でこうなるの、どうしてそうなるの、と考えてはいけない。人間世界など矛盾と混沌のなかにいるのだから理解などできない。正しいのは支配と被支配があり、どんな人間でも必ず死ぬことだけがこの世界にはあるのみ。虚無ニヒルを認識しろ。わからない奴はレベルが低い。わかるやつだけが読んでくれればいい。
 こういう小説を書くと、必ずしたり顔をして絶賛する輩がでてくる。何か自分だけは高級知識人の世界にいると思い、普通人を馬鹿にする輩。
 イスラム国に生存していて、眼前に支配者がいて、そいつの発した命令に従わないと、自らが殺されることが絶対という世界だと、この話はリアルに読者の目の前に現れる。
 しかし、時々支配者なる人間が現れ、どうして彼がそんな全能の支配力を持っているのか裏付けはなく、命令があればそれを完璧に実行しないと、命令を受けた者は抹殺されるだけでは、読者は全く納得しない。
 多くの人たちがなるほどと納得できる内容にすると、作品の価値は落ち、大衆小説になる。馬鹿はいらないさとせせら笑っている作家中村がページの向こう側にいる。

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中島京子  「エルニーニョ」(講談社文庫)

中島京子  「エルニーニョ」(講談社文庫)
本読み大好きな人が今は本当に少なくなった。どんな人が本を好きな人なのだろう。
幼いころ、お父さんやお母さんが、寝物語に耳元で話をしてくれる。それが楽しくてしかたがない。お父さんも、お母さんも、いい加減な物語をつくる。桃が流れてきてそれを家で割ったら中からこぶとりじいさんがでてきた。そのこぶとりじいさんは最後には花咲かじいさんになったなんて。それを目を輝かせ、「それで」「それで」と寝ないで先を急がせる。
 絵本を読む。そこでも、「それで」が始まり、そして最後は自分で物語を小声で呟きながらつくってしまう。
 こんな子が今や化石になったような本好き人間なったのだろう。そして、中島京子こそ紛れもない本好き人間だ。
 この作品は、瑛(テル)とニノの現代版冒険物語。幼い中島を彷彿とさせる。物語は現代を扱い中味はかなりリアリティがあるが、そこに、童話や神話みたいなものを差し込み、小さいころの童話作りの楽しさの味をだすようにしている。

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中村文則  「銃」(新潮文庫)

中村文則  「銃」(新潮文庫)
この作品はどこか青臭く、懐かしさを感じた。
世界文学や純文学に凝ると、どうしても一回は作品を書きたい衝動にかられる。自分もこのくらいの作品は書けると錯覚するから。しかも純文学というのはストーリーではなく、高等な言葉を配し、心理懊悩を抉り出し、頭でっかちなところをその特徴とする。私も高校のとき、そんな頭でっかちな小説を書き悦にいっていたところをボロクソに先輩から批判され落ち込んだことがあった。この小説を読み思い出した。
 ざあざあ雨がふる真夜中、主人公はあてもなく散歩している。まずもってここから何で真夜中ずぶ濡れになるような激しい雨のなかをあてもなく歩くのという疑問がでる。作者はともかくそう思ってくれたまえとくる。そして死んでいる人を見つけ、その傍らにあった銃を拾う。ここに現実からの飛躍がありすぎる。それを作者は懸命に言葉を紡ぎなぜ銃を拾ったか説明する。
 銃を手にしたからには、誰かを殺したい。ここも無理があるから、長いページを費やし
心理分析をする。更に殺したいほどの人がいないので、隣の部屋の女性を殺すことにする。
 これも、どうして?となるから、またくだくだと説明する。どれもこれも無理すぎるから、納得できるところは無い。でも、青いとき、純文学にかぶれてしまった時代には、こんな小説を書いて一流作家を越えたのだと無性に思いたくなる。

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桐野夏生  「錆びる心」(文春文庫)

桐野夏生  「錆びる心」(文春文庫)
絹子は、学校の成績は良かったが、事情があり大学まで進めなかった。就職先で大失恋をした直後に見合いの話があった。相手の良幸は大学の講師。みてくれはちんけだったが、大学の講師という肩書に妥協し結婚した。
 良幸は本当に小心な、だめな人だった。だから、魔がさし、結婚前に勤めていた会社の上司と不倫をする。それが、発覚した。良幸は、離婚は世間体が悪いし自分の出世にもかかわるから絶対しないと宣言はしたが、とにかく絹子に怒りまくり、今後外出は余程のことが無い限り許さないと絹子に言い渡した。
 それから10年間、冷たい関係のまま家庭生活を夫婦は続けた。一人娘も就職できたので、叱られた日と同じ日に絹子は復讐の意味をこめ家出をした。そして、ある家の住み込みのお手伝いさんになった。一週間たったところで、娘典子を呼び出して良幸の様子を聞く。
 相当良幸はまいっているし困っているだろうと想像して。
ところが良幸は普段通り淡々と生活をしている。離婚せず紙の上だけでつながっている関係に良幸は満足している。絹子は衝撃と怒りを覚える。絹子は愛する感情はないが、あわれな小心男に妥協してつくしてあげてきただけなのに、全然良幸が困っていないとは。
 しかし絹子はわかっていない。自分には不釣り合いな女性だけど、気立てはよさそうだから結婚してやるかと良幸が思って結婚したことを。

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中島京子  「眺望絶佳」(角川文庫)

中島京子  「眺望絶佳」(角川文庫)
スカイツリーができた時の狂騒にしかめっ面を私はしていた。東京タワーからの電波発信がなくなるテレビ番組をみていて淋しく思った。最近はスカイツリーも狂騒は静まり落ち着いてきた。それでも入れ代わり立ち代わり観光客が訪れているのだろうか。
 東京タワーは、昭和33年に完成した。まだビルが林立していない東京に、世界一高く赤い鉄塔は屹立していた。皇居の二重橋と東京タワーは東京見物の二大観光拠点だった。田舎に住んでいた人たちは東京タワーに上り東京を眺めることに憧れた。
 東京タワーはその姿で、疲れた人々を励まし、明日への活力の象徴だった。だから、テレビニュース番組の冒頭、東京タワーの航空画面が使われた。
 スカイツリーより高い建物ができたときスカイツリーはどうなるだろう。普通のビル群のひとつに埋もれてしまうだろう。しかし、東京タワーはそれが4番目になろうが、5番目になろうが、あの場所の足元から、或は見える場所から、人々は見上げたり、眺め続けたりするのだろう。安らぎのために、生きていく活力を得るために。

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桐野夏生  「ダーク」(下)(講談社文庫)

桐野夏生  「ダーク」(下)(講談社文庫)
こういう小説は何て呼んだらいいのだろうか。アンチ ハードボイルド小説と表現したらいいのだろうか。メタボラでもそうだが、人間社会の最も端の淵を彷徨っている人間は、どんなに懸命に生きても、人生をかけるくらいの大きなことをやってみたとしても、結局は同じように端っこの淵を彷徨っていることになってしまう。
 こういう人たちにとっては、救い、カッコよさ、癒しなどということは全く縁がない。桐野はそれこそが真実なのであると言いたいのでる。ハードボイルドでは形はともかく、危機一髪で危険から逃れるし、敵をとにかくここぞというときはねじふせる。
 主人公、村野ミロが韓国逃亡中決定的場面に遭遇する。男たちに犯されるそうになる。ハードボイルドではここで脱出から、反撃に移ることになる。しかし、ミロは完膚なきまでに犯される。レイプされるときは、99%レイプされるのが現実であり真実だと桐野は
わきめもふらず描く。この真剣さが読者を圧倒する。
 それにしても真実は、何ともやりきれないことだ。

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桐野夏生  「ダーク」(上)(講談社文庫)

桐野夏生  「ダーク」(上)(講談社文庫)
桐野の作品はどれも分厚い。と言って厚いほどに物語がパッパと展開するかと思えるほどには展開はしない。少しくどい。この作品もミロという主人公を、母親が死の寸前に軽井沢の森林学校から、鄭という暴力団の男が連れにゆくところが描かれるが、それをまた少しおいて情景を変えて繰り返す。桐野の作品にはよくこの繰り返しがある。
 またミロが養父を殺害したくなる、或は久恵が何としてもミロを探し出し殺したいという動機が弱い。ミロも久恵も女性。この程度で、人を殺すという感情にまで至るというのは、女性の感情の沸点が低いのか。
 この作品で、桐野は女性についてこう書く。
「女は、ごちゃごちゃと取りちらかった脳味噌を持っていて、動物に近い逞しさをもって男を凌駕しようとする。」
 桐野は当然ながら女性作家である。なるほどなあ。男性作家には決してできない表現である。

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桐野夏生  「メタボラ」(文春文庫)

桐野夏生  「メタボラ」(文春文庫)
メタボラってどういう意味かと思って調べてみたら「新陳代謝」ということだった。でも、この物語では変わり目または生まれ変わる出来事と言ったほうがよりピタっとくる。
 主人公の香月雄太にとっては、集団自殺から生き残り脱出したとき。友達のジェイクにとっては山奥の強制収容所みたいな「独立塾」から脱出に成功したとき。このときこそ人生は変わったように思うし、まさに変わり目だったはずだ。
 格差社会といわれる。しかし、この作品は格差社会からも対象とされない人々がいることを教えてくれる。世界をあてどなく放浪している人たちがいる。最初は、自分探しだとか、社会の枠からはなれ自由を謳歌するなどと息巻いてはいるが、どこへ行っても、底辺の宿を徘徊、底辺の人々と交わることしかできない。そうこうするうちに、社会と隔絶され、ひたすら放浪するしかなくなる。旅は帰る場所があるから旅と言う。放浪には帰る場所がない。放浪は死人と同じ状況である。
 格差社会の対象になるひとは、放浪の空しさに気付き、社会に復帰するか、少なくとも帰れる家がある人を言う。
 この作品は、人生の変わり目にであったように見えることが、帰る場所のない人にとっては単なる錯覚であることを読者に教えてくれる。

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| 古本読書日記 | 06:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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星野智幸  「毒身」(講談社文庫)

星野智幸  「毒身」(講談社文庫)
今や独身を続けることは、相対的な選択の時代に入った。結婚して子を作り育て上げるという動物、である人間の永遠の本能は消えた。結婚するかしないかは選択の時代に入ったのだ。
 ここに「独身貴族の会」ならぬ「毒身帰属の会」が結成される。
それでも、独りの生活はわびしい。だから、アパートに独身主義の人だけを集まってもらいコミュニティを作る。
 主義だから、女性を頼ったり、頼られたりしてはいけない。毅然とスマートに独身であることを謳歌する。
 私の街にも、独身の男性がたくさんいる。だけどとても独身貴族を謳歌している雰囲気はない。恋を夢み、結婚を夢見た。しかし、どれも悲しく霧散し、気が付けば女性無き身に陥った人ばかり。女性には独身主義の人はいるように思うが、男性独身主義者は殆どいないように思える。
 ところで、独身貴族が毒身帰属になっているのは、実は独身のまま中年になると、病気になる率が圧倒的に高いところからきている。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ももこ記念日

2003年2月22日。ももこが我が家に来ました。
駅で引き渡しが行われたのですよ。懐かしいですね。

Img_0070.jpg
これは、その数日後に撮った写真。

IMG_8522.jpg
今日撮った写真。テレビ観てます。

山内マリコさんのチチモみたいな美猫ではありませんが、なかなか面白い猫ですよ。

byはなゆめねえや

| 日記 | 18:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小川糸  「たそがれビール」(幻冬舎文庫)

小川糸  「たそがれビール」(幻冬舎文庫)
小川の小説は、文章も中味もかなり和のテーストだ。しかし、和を基調にしている小川の生活はかなり普通人と異なり異空間を漂う。しかし不思議とそれが実に板についている。
 毎年恒例だそうだが、小川夏は日本を離れ長期間ドイツ、ベルリンで過ごす。また、時間ができると気軽にパリに数週間でかける。ベースはパリ、ベルリンになるが、あちこち出歩く。毎晩クラシックコンサートにゆく。絵画展にもでかける。ブリュッセルまでサーカスをみにゆく。ちょっとモロッコまででかける。ブルターニュにもゆく。
 そして、それらが実に無理なく、あの街、この街に小川が溶け合っている。
小説は想像、妄想だけではなかなか書けるものではない。こうして異次元の生活を暮らし普段にとりいれているから作品が生まれるのだ。それにしても、東京に暮らしている小川、家の露天ぶろから眺める星空がきれいとこの作品で書いている。いったい東京で露天風呂を持っている住処とはどんなところだ。想像がつかない。でも、ずっと異次元の生活をしていてほしい。

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| 日記 | 06:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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重松清  「希望の地図」(幻冬舎文庫)

重松清  「希望の地図」(幻冬舎文庫)
ニューヨークで爆弾テロが起こった時から、起きた日を何月何日というのでなく何・何と呼ぶようになった・9.11というふうに。まあニューヨークの出来事は海外だからそれでもいいと思うが、東北大震災も3月11日とは言わずに3.11と言う。でも終戦記念日は8・15とは言わずに8月15日と言う。
 広島、長崎がいつのころからかヒロシマ、ナガサキとカタカナで表現されるようになった。そして福島も今はフクシマと表現される。
 「つながろう」「がんばろう」「希望をもって」などスローガンが叫ばれる。今はルポ的作品も、スローガンに沿って起こっている事柄を拾いあつめ、「さらに元気に頑張ろう」ということだけを強調する作品ばかりになる。
 重松はこの本でいう。希望を書こうとする。誰かの希望に向って頑張っている姿を更に誇張して書こうとする。なぜなら希望のすぐ隣には絶望だけが拡がっているから。本当にそうなのだろうか。

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 そこに広がっている大半は
  「助かった。生きている。」それから「生きるのだ。生きてゆくのだ」ということだと思う。普通の眼差しを曇らしてはいけない。
 福島がフクシマになり、3月11日が3・11になってしまうと真実が見えなくなるような気持ちになるのは私だけだろうか。

| 古本読書日記 | 06:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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桐野夏生  「イン」(集英社文庫)

桐野夏生  「イン」(集英社文庫)
私がたまに行く喫茶店で、いつも逢引をしているおじさんとおばさんがいる。当然、どちらも家庭を持っている。おばさんは、喫茶店の近くに住んでいるので、おじさんと一緒の姿を近所の人見られてはまずい。それで、おじさんとおばさんが時間差をつけて外へでる。その時喫茶店のおばさんが外に人の気配が無いことをたしかめてくれる、そしておばさんはおじさんの車に乗せてもらって何処へと消えてゆく。
 おじさんもおばさんも、当然自らの家庭を壊すことは想像していない。だから、昼の決まった時間だけのお付き合いを細心の注意を払ってなさっているのである。
 不思議なことに2人は心底愛し合っているという感じがしない。義務とまでは言えないが、普段の決め事のように逢引行為をしている。本当に愛し合っているのなら、家庭を捨ててまで突き進んでもいいのに。
 こんなおつきあいもいつかは家庭にばれる。そこで、妻や夫から殴られたり、ヒステリックにののしられれ、毎日が修羅場となる。それで、もう別れるとひたすら改心宣言と土下座の謝罪をする。でも不思議なのは、そこまでしても、時間をおいてまた逢引を繰り返す。そして、それは相手が死ぬまで、断続的の続くのである。
 こんな趣旨の小説でした。

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谷村志穂  「尋ね人」(新潮文庫)

谷村志穂  「尋ね人」(新潮文庫)
谷村は今の時代、ちゃんとした物語を創り上げることができる貴重な作家である。
昭和20年代、30年代に生まれた人たちは、自分の両親が恋愛をしていたということはなかなか想像がつかない。それも何回もしていたなどということはとても想像できない。
 今でもそういうことは多少あるが、金持ちや大地主の人が、長屋住まいの人と結婚するなどとうことも想像がつかないできごとであった。
 末期癌で余命いくばくもない、奈緒の母親美月から「死ぬ前に、生涯で一番好きだった人と最後に会いたい」と懇願される。奈緒も、東京で恋人に捨てられ、失意のうちに故郷函館の母のもとに帰ってきたばかり。それにしても、自分の母が父とは別に、もっと好きだった恋人がいて、大恋愛をしていたこと、更にずっとその人を思い続けていたことに驚く。
 母は貧乏な家の出。恋人は仙台の大地主でかつ東北大学の学生。母は彼との結婚を信じるが、だいたいこういう時は男が日和る。そして男が突然消える。その突然が、母には理解不能なできごと、そして今の父と結婚しても、突然の男の失踪を引きずり、まだ彼はどこかで
生きているのではと思い続ける。
 母は、あきらめきれず失踪された直後に仙台の彼の家を訪ねる。そこでとんでもないことを知るとともに、本当に彼が失踪している事実を知る。一方彼は、母とは結婚できないと母との恋を捨てようとしてはみたものの、諦めきれず家を飛び出て、流浪をはじめる。
 そして彼は2年後に函館の町を訪れ、母が今の父と結婚していることを知り愕然とする。この母と彼とのすれちがいが50年を経て共鳴しあって、鮮やかな最後を紡ぎだす。

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森絵都  「ラン」(角川文庫)

森絵都  「ラン」(角川文庫)
最近は昭和をノスタリジックに描く作品が多い。しかし、その殆どが程度の低い「博物館」を観ているような作品ばかり。ちゃぶ台、紙芝居、白黒テレビにオリンピックとカラーテレビ、長嶋や王、裸電球などをずらずら並べるだけ。懐かしさなど全く浮かんでこない。
 この作品発想は面白いのだが、作者が一緒に物語と走っていない。いろんなことを並べているだけ。
 主人公環の家庭がどれだけ悲しく不幸だったのか書き込めていないので、死の世界で出会った家族が、溶けていくというところの実感がでない。奈々美という口が悪いおばさんも、口が悪いことだけで、その喋りは、なんだか口の悪い事例の文章が並んでいるだけの印象。おなじことが真知栄子にもいえる。
 走るということを森は実感として掴んでいない。練習やマラソンの走るひとたちの息使いや、彼らが走りながら思い描いていることが伝わってこない。
 森の作品を集中して読んでいるが、突破せねばならない壁が確実にある。

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いとうせいこう  「想像ラジオ」(河出文庫)

いとうせいこう  「想像ラジオ」(河出文庫)
世の中文学賞流行り。とにかく賞獲得したという帯で販売数を伸ばしたいという出版社の思惑流行り。この作品は静岡本屋大賞をとった作品だそうだ。
 作品名の「想像」が実に物語と共鳴しあっている。
海沿いの町。地面には津波の濁流が流れ、街も家もすべて破壊しつくしている。そこに一本の大木がぽつんと立っている。そのてっぺんに男がいる。その名はDJアーク。アークは木のてっぺんから深夜のラジオ放送をしている。マイクも局もあるわけではないがDjは確かにたくさんの人々に届いている。リスナーからの電話もあれば、お便りもある。しかし、読んでいくうちに、何となくアークはだけが生存していて、リスナーは震災で亡くなったひとたちだけのように思える。このラジオを聴ける人と、聴けない人の区分けがあるようだ。
 そしクライマックス。アークは大地震で息子と妻がいなくなる。行方不明なのである。死んでいたら何かの反応があるのだが、全く反応はない。ということは生きているのかもしれない。生きているから息子と妻の声は聴けない。ところが一生懸命問いかけを繰り返ししたら、ほんの少し会話ができた。でも、中味はわからない。そこでこの放送は終わる。作品の後半にこの物語のキーとなるリスナーとの会話がある。
 「生きている僕はしじゅう亡くなった君を思いながら人生を送っていくし、亡くなった君は生きている僕からの呼びかけをもとに存在して、僕を通して考える。そして一緒に未来をつくる。死者と生者が抱きしめあっていくんだ。」
 このラジオは呼びかけ、抱き合ってゆくためにある。生者が亡くなった妻や友人が今どうしていて、これから何をするのだろうと懸命に想像しながら会話するためのラジオなのである。

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森絵都  「ゴールド・フィッシュ」(角川文庫)

森絵都  「ゴールド・フィッシュ」(角川文庫)
主人公は少し変わった名前、中学3年生のさゆき。今は19歳。中学を卒業、高校へは進学せず、そのままロックバンドを結成、スターを夢見たが、挫折気味の真治とっても大好き。
 最後がよい。
 高校入学したさゆきが高校生で、絶対やってみようと思っていることを友達のテツに言う。
 「ファーストフードの店でアルバイトをやるんだ。いらっしゃいませを一回言ってみたかったんだ。
 真治は言う。
 「ロックをずっとやるんだ。ロックがやれるんだったら、力仕事だって構わない。ずっとアルバイトをやってやる。」

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山本周五郎  「あとのない仮名」(新潮文庫)

山本周五郎  「あとのない仮名」(新潮文庫)
周五郎は、清張を思い出させる。尋常高等小学校を卒業してすぐ社会へでている。周五郎は
ペンネームを一杯たくさん使ったが、最後に周五郎にしたのは小学校をでて世話になった質屋が「周五郎商店」だったからである。
 2人とも文壇や権力を極端に嫌った。文壇や出版社に友人や心を通わせることのできる人を持たなかった。学歴コンプレックスがあったように思う。高等遊民のような人たちがくれる文学賞を嫌った。後にも先にも直木賞を辞退蹴っ飛ばしたのは周五郎だけ。
そのくせ、私生活は横暴で、編集者などを権力を傘にきて、奈落の底に追い落とした。
 作風は権力を嫌う。女性や弱者には常に暖かい眼差しをむけた作品を創る。
人付き合いができない。だから2人とも心の中は寂しく孤独であったことは間違いない。
 「あとのない仮名」は周五郎晩年の作品である。どうやっても、どう努力しても、自分のことは誰からもわかってもらえない、もちろん逆に他人のこともちゃんと理解できない。その空しさ、無常観が横たわっている。まさに晩年の周五郎の心の叫びが聞こえてくるような作品である。

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森絵都   「永遠の出口」(集英社文庫)

森絵都   「永遠の出口」(集英社文庫)
小学校から高校卒業までを描いた9作の短編連作集。
現実離れした出来事まではなく、誰でも歩いてきたような道程、しかしその時々では大きく主人公を揺さぶった道程を丁寧に描き出す。
 70年代後半から90年代を迎える直前まで、同じ時代を歩いてきた人たちには共感をよぶ作品になっている。独立した短編集になっているが、物語は連なっていて、ちゃんと卒業の章では、感動を呼ぶしかけになっている。
 青い時代のよさ。最後の章で、太陽の寿命は100億年。後50億年で、寿命は尽きる。そのとき、火星や水星、そして地球も太陽に飲み込まれなくなってしまう。という天文学者から話を聞いたとき、主人公や仲間の高校生は急に悲しくなる。今ここにある、富士山も、ディズニーランドも、学校も、すべての草木も川もみんな無くなってしまう、そんな終わりがやってくるとは。淋しく悲しい。こんな感受性が青い時代。
 年をとり、思い出すと、確かに青くはあったが、たくさん走り回り、ちょっぴりグレて、
叫び、泣いたのはあの時代だったとしみじみ思う熱い時代であった。

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阿部和重  「ニッポニアニッポン」(文春文庫)

阿部和重  「ニッポニアニッポン」(文春文庫)
新聞やテレビが、森田都史君殺害事件を連日報道している。森田君を殺害した中村22歳はどんな奴人間かあれこれと週刊誌が暴きたてている。この本を読むとどことなく中村という人間の形成過程がわかるような気になる。
 絶滅してしまった日本のトキ、このトキを中国からもらいうけ、自然交尾に挑戦し、繁殖させてみようというプロジェクトが始動する。ニッポニアニッポンはトキの学術名である。
 引きこもりである主人公は、中国種を交配させたって日本トキにはならないと憤慨する。
それからトキについて、徹底的に調査をする。それがすべてネットで。次々、情報は深く広がる。朝から晩まで、眠ることも厭い、ひたすらトキについて情報を得ることに集中する。情報はどれほどとってとりつくしても、留まることはない。
 そして、トキ保護センターに忍び込み、ユウユウを殺害しようと思うようになる。そのユウユウがなぜ憎いのか。ユウユウは中国からつれてきた番のトキから生まれて二か月。そこにミンミンというトキを中国から譲り受け、ユウユウとミンミンと交尾させる。これに成功。その姿をネットが伝える。主人公は25歳の今まで、性体験などなかった。女性との付き合いらしいこともない。それなのに絶滅品種であるトキが出会った数日後から交尾をはじめる。ものすごい差別と嫉妬をユウユウに感じる。これが殺害動機。
 すごいのは、佐渡の両津港から保護センターまで何を使って、どういう道程でゆくかを
ネットを駆使し調べ決めるまでに2か月をかけるところ。
 ネット 妄想、ネット、妄想が知らないうちにネット、真実、ネット、真実に変化している。その過程が恐ろしいほどリアルに描かれている。森田君殺害の中村もくりかえす妄想がこれは真実であるに変化していったのだろう。

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森絵都  「アーモンド入りチョコレートのワルツ」(角川文庫)

森絵都  「アーモンド入りチョコレートのワルツ」(角川文庫)
小学生、高校生、大学生のときのことは結構覚えているものだが、中学生の時というのはどことなく中途半端で、薄く靄がかかり中々思い出すことができない。
 この作品は、そんな中学生を鮮やかに切り取って描きだしている。
中学生というのは、中途半端のような時代に思えるが、男性には変声期があり、女性も体型が女性らしく大きく変化する時である。
 小学校から中学校へは校区が一緒だから、小学校の仲間や友達関係が続く。その関係を守るための掟やルールが友や仲間のなかにある。掟は小学校で作られる。しかし、中学生時代の大きな変わり目のなかで、その掟や枠がだんだん煩わしくなる。そして、さなぎから蚕がとびでるように、枠を破って新しい時に飛躍しようとする。その大変化は後から思うと印象は強い。大変化の香りは少し甘酸っぱさがあってやはり切ないことをこの作品で改めて知る。
 高校や大学のときの友だちは大人になっても続いていることが多いが、中学から高校へは本当にバラバラとなってそれぞれに散る。だから結構中学生のときの友が大人になっても続いていることはめずらしい。

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藤原審爾 「天才投手」(下)(徳間文庫)

藤原審爾 「天才投手」(下)(徳間文庫)
この話、最初は岐阜の山奥に、野球など関心が全くない主人公金平が、ひたすら養鶏場の鶏を食い荒らすイタチを懲らしめるため石を投げる、そのスピード、精度が半端ではないことをプロ球団のスカウトに知られ、球団にスカウトされるところから始まる。
 つまり人間離れした野生児登場というわくわくする出だしなのである。巨人、阪急(今のオリックス)、それに最終的に入団をする架空球団ジャガーズから猛烈なスカウト競争を浴びるの。
 当然読者は、当時常勝集団でv9全盛の巨人、特に長嶋 王をバッタバッタと三振をとり
快刀乱麻であばれまくる小説だと期待する。ところが、どうも実際の試合となると、平凡な普通人に金平が変わる。敗戦投手にもなるし、長嶋にもホームランを浴びる。野球を知らないはずの金平が監督に作戦ミスを指摘したり、作戦を進言したりする。
 全く最初のキャラクターはどこへ消えたのか。意気消沈してしまう作品であった。

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森絵都  「つきのふね」(角川文庫)

森絵都  「つきのふね」(角川文庫)
最近読んだ森の作品「気分上々」は素晴らしかった。正直初期の作品「つきのふね」を読んで、とても同じ作家が書いた作品とは思えなかった。森の作家としての脱皮、成長には驚いた。
 この作品には3人の中学生と24歳になる精神を病んでいる智という青年が登場する。
まず3人の中学生がどうして結びついているのかがよくわからない。それが、更に智という
大人の青年と結びつかねばならないかも全く理解できない。
 つまり、それぞれの登場人物が生身の人間に思えない。個性を懸命に出そうと森は力を込めて書こうと頑張っているが、生身でない人間に個性を植え付けることはできない。
 もう少し長編にして、4人の結びつきをしっかりと書き込んだほうがよかった。

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| 古本読書日記 | 05:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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藤原審爾  「天才投手」(上)(徳間文庫)

藤原審爾  「天才投手」(上)(徳間文庫)
いくら下巻があるからって、破天荒な天才投手金平、スカウトからプロ野球が開幕して、実際にマウンドにたつまでの物語が長すぎる。何と二百四十ページも費やすのだから。
 物語の舞台は1970年。なつかしい。当時は西鉄を応援していたが、前年黒い霧事件で70年はがたがたの時代。その時の西鉄のスターティングラインナップが書かれている。
 1阿部、2基、3船田、4竹ノ内、5小川、6.東田、7.村上、8荒武、9三輪
なつかしい。これでは、他チームとはとても戦われない。船田は国鉄からきたロートル選手。
竹ノ内と東田は、そういえば田淵とトレードで阪神に行った。巨人がかわいそうということで玉井と関本を恵んでくれたが、代わりに昨年選手に総スカンを食らい監督を退任させられた伊原とエース加藤初を逆に巨人にかっさらわれた。

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米原万里  「他諺の空似」(光文社文庫)

米原万里  「他諺の空似」(光文社文庫)
この作品の出版は10年ほど前だから、少し数字が異なるかもしれないが、世界の軍事費に占めるアメリカの軍事費の割合が40%なのだそうだ。当時イラクや北朝鮮が悪の枢軸とアメリカから言われていたが、彼らの軍事費はアメリカの1000分の一にもならないのである。
 驚くことにアメリカの石油の中東依存度は18%しかならない。まして今はシェールガスがアメリカで算出消費されるので、この依存度はもっと低くなっているのだろう。それでもアメリカは中東で軍事作戦を実行している。これは石油利権をアメリカが握っているからである。平和がきて軍事費が削減されると、アメリカを支え、政治と癒着している軍需産業が衰退する、これはアメリカの死活問題となる。
 テロとの戦いなどともっともらしいことを言うが、アメリカこそ最大のテロ国家である。多くの国からみると常にアメリカのテロの恐怖を感じ怯えているのである。
 アフガンでもイラクでも、アルカイダに対しても、アメリカは絶対最後まで粉砕せず、テロ集団や敵国家の存続を受け入れている。そして、いつでもテロや戦争をテロ集団や敵国家が引き起こせる状態にして、世界を恐怖に陥れるよう必死にアメリカは頑張る。
 米原の父親はバリバリの赤、共産党幹部だった。だからこんな論を発するのもわからないではない。でも、意外と事の本質は米原の主張する通りかもしれない。

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| 古本読書日記 | 06:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山口瞳  「勤め人 ここが心得違い」(小学館文庫)

山口瞳  「勤め人 ここが心得違い」(小学館文庫)
最近は会社にゆとりが無いのか、だぶついている無能な中年勢力を放り出したいのか、やたらと若い人材の即戦力化を唱えるところが多い。フレッシュで組織に染まっていない時の
新しい発想を経営幹部が欲しがっているのかもしれない。
 しかし、心得違いをしてはいけない。親の脛をかじって、なまぬるい大学生活を少し前まで謳歌していたのが若い人材なのである。彼らの発想は、深さ広さはなく思い付きの類であり、言葉遊びだけのことが殆どである。
 やはり3年間は、与えられた業務をどうのこうの言わずにこなし、まず我慢して仕事を覚えることが肝心だと思う。その代わり、まだ社内では許されるのだから、同期や近い先輩、仲間と目いっぱい遊んでほしいものだ。酒もいいかもしれないが、夏は山や海水浴に、冬はスキー、スノボーにそれに温泉旅行などもいれて。
 仕事を覚えるとともに、仲間をたくさん持ち、交流を広く、深くしておくことが、その人にとっても会社にとっても非常に重要なことだと思う。

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角田光代  「幾千の夜、昨日の月」(角川文庫)

角田光代  「幾千の夜、昨日の月」(角川文庫)
時を超え、空間を超え、色んな夜から夜明けにかけての体験を描いたエッセイである。
高校3年のときの2泊の林間学校のようなところでの同級生と小声でかわした人生行く末について。酒を飲み、大騒ぎをした後、家までの長い距離を歩き、夜から夜明けまでの味わった青春の夜。今は携帯電話があるから、酒を飲んで一人ぼっちになった住イアパートから知り合いに電話をかけ孤独を紛らわすことができる。それで孤独を感じる時間は短い。昔は家には固定電話しかなかった。それでは簡単に電話ができない。だから夜明けまでが長い。
 空間と空間を結ぶ移動時に夜を超える。飛行機の中で、列車のなかで。そして、タイで、ミャンマーで、モロッコで、ギリシャデで、エジプトで、メキシコで、モンゴルのゲルの中で。
 幾多の場所で夜を過ごして夜明けを迎える。
その一つ、一つが鮮やかで印象的。角田は読者の心を鷲掴みして、夜から夜明けを一緒に経験させてくれる。

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