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江戸川乱歩  「パノラマ島奇譚」(角川ホラー文庫)

江戸川乱歩  「パノラマ島奇譚」(角川ホラー文庫)
この作品は、トリックにはそれほど斬新さはない。すごいのは、タイトルにある、パノラマ島をニセ妻と旅するときの、島の描写である。
 インディージョーンズのスピルバーグの映像を彷彿とさせるどころか、それを遥かに凌駕している。文字と言葉で映像を超えるとは流石乱歩である。迫力満点のまさにパノラマが展開する。
 主人公の人見の学生時代の仲間、菰田が癲癇の発作から死ぬ。菰田は菰田一族の御曹司で、使いおおせないほどの財を継いでいた。一方の人見は売れない作家で、やっとの暮らしをしていて、ただただ、自らが描く理想の世界を作りたいとはかなく望みながら、その理想世界の設計にいそしんでいた。
 亡くなった菰田が実は人見とうりふたつ。そこで、人見は菰田の棺桶にはいり、そこからぬけでたようにして、人見をけし、菰田に生まれ変わる。そして菰田家の所有する無人島を彼の思い描いた世界に作り替える。そこを菰田の妻を案内する。菰田の妻は、案内する夫がすでに菰田ではないことを知っている。だから人見は菰田の妻を案内した最後に殺して、建設中の柱に埋め込む。ここで、名探偵明智小五郎ならぬ北見小五郎が登場する。

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児玉清  「人生とは勇気」(集英社文庫)

児玉清  「人生とは勇気」(集英社文庫)
石川達三のベストセラー作品に「四十八歳の抵抗」という作品がある。自らのそれまでの人生を振り返り、今後を思うとき、人生の黄昏を前に落ち込むか、逆に今までの自分を捨てて
最後もうひとふんばりするか、男の節目になる年が48歳なのである。
 会社でも、社員を完全にふるいにかける最後が48歳。50歳には希望退職として、最高の割り増し退職金を用意して、それひっかかれと甘い釣り糸を垂れている。その獄門の釣り糸に対しどうするかを現実に考え出すのが48歳である。
 児玉はその48歳で、ディックフランシスの作品「配当」にであって人生が変わる。翻訳本でなく原書を読んだのである。ここから一層の本へののめりこみが始まる。そしてそれがNHK BSの「週刊ブックレビュー」の司会へとつながる。私もそのころレベルは低いが川上弘美の「センセイの鞄」にふれ、再度本の世界へのめりこむことを決意。
 「週刊ブックレビュー」のため月10冊は本を読んだと児玉はうれしそうに述懐する。私はあれから日に2冊読むことが習慣になった。
 私のほうが6倍もあれから本を読んでいるのに、幸せをつかんだのが児玉。私はそれでも児玉ほどではないが、毎日の読書暮らしで頗る幸せ感毎日味わっている。

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小野一起  「マネー喰い」(文春文庫)

小野一起  「マネー喰い」(文春文庫)
作者は元共同通信の記者。記者というのは、現実に国や金融機関や企業を動かしてはいない。更に、結構、政治家や官僚を含めた権力者と癒着している人たちが多く、(そうでないと報道機関の中で出世できない)機構や権力に刃向かう態度はとれない。
 ということで、大言壮語はする人ほど、上面をなでているだけで、中味は結構薄い。
この作品、話の運びにもうひとつのところはあるが、結構頑張って政治、銀行、官僚のからくりを暴き出している。更に、結末もどんでんがえしがあり、そこを明るく描いているところも好感が持てる。次回作が楽しみである。
 この作品を読み感ずるのだが、最早貿易立国、製造国では、どんどん国は下り坂になり、
おちぶれてゆくのだろう。ある超特殊な技術を有しているか、買い替え需要がありまだ成長する自動車製造でない限り、製造企業は思い切って倒産させたほうがよいような気になる。
 貿易立国で生きる国はもう少ししたら一部を除き後進国へ落ちてゆき、変わって農業国や資源国が先進国になると思う。何しろ人口は増加し、食料は絶対必需品になる。
製造業や土建業のひとたちは、思い切って農業に仕事を転換、野菜や果物でこれっというものを開発し製造する。それに伴い自然を復活させる。この本を読むとそんなことでもしないと日本復活はないように思えてくる。

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岡崎大五  「裏原宿署特命捜査室 さくらポリス」(祥伝社文庫)

岡崎大五  「裏原宿署特命捜査室 さくらポリス」(祥伝社文庫)
岡崎はまったく不思議な作家である。自分の体験やおもしろネタがまずあり、それを大げさに脚色したりして、作品にすると他には類のない傑作をつくる。それが売れに売れた「添乗記」である。
 ところが、自らが考え創作させると、これが同じ人間の作品かと思えるほど、つまらなく、とても読める代物とは思えない作品になってしまう。
 この作品も、女性捜査官2人を配置して活躍させるがそれを「さくらポリス」と称するところからいかにも軽い。まず警察内でポリスという言葉は使用しないと思う。やはり「警官」であり「警察」である。
 テレビ局が、視聴率は期待せず、時間を穴埋めするために、超低予算で作った安直なドラマの雰囲気。

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乙一  「夏と花火と私の死体」(集英社文庫)

乙一  「夏と花火と私の死体」(集英社文庫)
乙一の処女作。何と16歳のときの作品。「少年ジャンプ小説、ノンフィクション賞」で最優秀賞を獲得している。
 乙一の作品はホラーサスペンスなのだが、作為がなく、実に自然で、わかりやすい。
この作品も、殺されたさつきの死体を隠す。それが見つかりそうなところで、何とかすりぬけ、何度も隠すことを繰り返す。そこが驚くほどに、普通で自然なのだが、ちゃんと恐怖感をもりあげる仕上げになっている。そして最後のどんでん返しも鮮やか。
 16歳だから、純真、自然で当たり前かと思うが、その後の彼の作品も一貫してわかりやすく自然。
 こういう作品は、日頃本などに接しないひとに読んでもらうとよい。愛読家になる入門書に最適だ。しかし、乙一の作品が面白いから、その先へ進まず、乙一でとどまってしまうことが心配でもある。

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織田作之助 「聴雨・蛍」(ちくま文庫)

織田作之助 「聴雨・蛍」(ちくま文庫)
昭和はどんな特徴があった時代だったのだろうかと時々考える。変人、破天荒、型破りが活躍でき輝いていた時代ではなかったかと思う。そして、その典型やエネルギーは上方、関西を含め西から噴出していた。
 個人の発想、馬力でのしあがってきた松下、シャープ、三洋、昭和の時代には彼らは天下国家を威張って闊歩していた。しかし、平成に変わると様相は一変し、底辺をあえでいるようになってしまった。代わりに、官僚、権力を傘に背負っている企業、日立、東芝、三菱が息を吹き返し、総合力が力の源泉、知恵や個性が後ろに引っ込んでしまった。
 そして、すべてが東京へ、東京へと向かい集中してしまった。地方創生などというが、個性、破天荒、変人を許容できない社会から地方は創生できないと思う。
 この本に登場する坂田三吉、辻十吉は今からみれば大馬鹿としか思えない。しかし、大馬鹿を生み出す上方が力を盛り返す時代が来ないと日本の未来は暗いように感じる。

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乙一  「失はれる物語」(角川文庫)

乙一  「失はれる物語」(角川文庫)
短編集。ユニークなのは、本のタイトルにもなっている「失はれる物語」。植物人間のような状態になった、しかし頭は活動し、右腕の手のところだけが少し動かすことができる。こんな人間から、妻や医者がどうみえ、いつまでも死ぬことができないまま生きるとどういう心境に陥ってしまうか、新しい視点から物語を作っている。本当に乙一の発想は面白い。
 乙一がしばしば創り上げる物語の主人公は「しあわせは子猫のかたち」で表現されている。
「何かとかかわることが辛いのだ。だれにもあわなければ、ねたむことも、うらむことも、憤ることもない。最初からだれとも親しくならなければ、別れの苦しみをあじわうこともない。」
 しかし、こんな主人公は、どこか人との関わりを渇望している。その渇望がホラーの体験を連れてくる。そこで、恐れたり、苦しんだり、逃げ惑ったりする。そして、その体験を通り越すと、いつもの孤独で寂しい自分に戻っていることを認識する。
 孤独 体験 孤独の循環がどれもリアリティがあり乙一は大変な作家であることを認識する。

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笠原靖  「不屈の犬」(光文社文庫)

笠原靖  「不屈の犬」(光文社文庫)
作者は、普通の人たちとはかなり異なった凄い体験をしているのだろう。しかも、犬についての愛着、知識も大変なものだろう。
 この作品もリキという犬が秋田から飼い主沢のいる東京まで、雪山、谷、鉄橋を傷つきながら駆ける姿を活写しているかと思えば、後半はタンザニアからケニアナイロビを目指して疾駆するリキが登場する。びっくりするような展開である。
 しかし、不思議なのだが、作者は思いのたけを頑張って書いているのだろうとは思うが、緊迫感、躍動感が全く伝わってこない。はっきり言って作家のレベルに至っておらず、文章が下手ということ。
 作者は、線でしか文章を書けない。それがあって、次にあれがあってというように。文は面と線の組み合わせで書かないといけない。よくこんな作品を出版するとショックを受けた。

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尾辻克彦  「吾輩は猫の友だちである」 (中公文庫)

尾辻克彦  「吾輩は猫の友だちである」 (中公文庫)
昨日尾辻が亡くなってびっくりしている。「~力」という言葉を最初に使ったのは尾辻である。
本のタイトルからして、日々の猫との楽しい交わりを描いている作品と思って読みだしたところ、猫は確かに登場するが、どうも思い描いたような作品ではなく、最初はズレがありちょっと読むのが苦しかった。
 これは尾辻の家族、おばあさん、嫁さん、娘さんと尾辻自身4人、特に嫁さんと尾辻の摩擦、すれちがい物語かエッセイだとわかる。そう思って読むとすんなり中にはいっていける。
 尾辻の作品での嫁さんは、尾辻の再婚で得た嫁さんである。従って、彼女はいきなり、おばあさんと娘さんがいる家族となる。それだけでも、とんでもないストレスを抱えることが想像できる。
 尾辻は理解しがたいのだが、奥さんへの心遣いが殆どない。常に、自分だけが、作品がなかなかできず苦労してばかりと考える。そして、娘さんだけに関心がゆき、溺愛している。
 奥さんがいたたまれず、友達のところに逃亡する。それが辛く耐えられないので、友達と相談する。ところが少しも奥さんを思うところが無い。
 「一般に今どきの女性というものは・・・」という現実離れした会話に終始する。
寄り添えない尾辻の姿が悲しく見えてくる。

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乙一  「暗黒童話」(集英社文庫)

乙一  「暗黒童話」(集英社文庫)
当代随一のホラー作家である乙一が大学をでて就職もせずぶらぶらしていた時に初めて書いた作品。
 この作品は2つの事象が折り重なってできている。三木という医者の息子がでてくる。小学校のとき友達とバッタ遊びをする。バッタをつかまえ針で、胸、首、胴を刺して殺そうとするが3か所を刺してもバッタは死なず元気に生きている。結局全身に12か所針をさしたところでバッタは死ぬ。その時のバッタはすでに生前の原形はとどめていない。そのバッタ遊びに異常に興味を覚えた三木は、他の昆虫や動物で、同じことをやってみたくなる。そして、その異常な関心がとうとう人間にまで行き着く。足や腕を切り落としても人間は生きている。そこで、他で切り落とした腕や足を前に切り落とした人間に移植してみる。
 そんな恐ろしい生活をしている三木をおかしいと知った高校生の和弥が迫る。そこで三木は交通事故を装って和弥を殺す。死んだ和弥の眼を菜深という高校生に移植する。
 移植した眼が、菜深の記憶を消し、時々、和弥の過去に連れてゆく。結果菜深が三木を追いつめることになる。移植した眼が、移植した眼をもっていた提供者の過去を患者に乗り移させる、そこがもう一つのこの物語のみそ。

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川上未映子  「すべて真夜中の恋人たち」(講談社文庫)

川上未映子  「すべて真夜中の恋人たち」(講談社文庫)
川上未映子は、人や社会とのつきあいが苦手で、一人部屋に閉じこもり、思い出や妄想にひたっているような暮らしをしているのじゃないかとこの作品を読んで感じる。
 もっと外へでたほうがいいと思う。もちろん、つきあうことや他人と話したり関わりあったりすることは苦手なことはわかるが、でも、苦手であることは確実に小説の題材になるし、その苦手ゆえにおこる実際の心の委縮や、摩擦こそが読者の興味を引くのだから。
この物語は、ちょっぴり経験は含まれているかもしれないが、殆ど川上が頭でこねくりまわし、その観念にひたすら依拠して作られている。だから、登場人物が生きている匂いが全くしない。
 三束と主人公の会話がとても恋人同士の会話とは思えない。どんなところに互いが魅力を感じお互いに惹かれあっているのか全くわからない。普通恋人同士になるとは思われない恋人同士である。
会話も実生活、暮らしの部分は殆どなく、超然とした内容ばかり。
 更に、突然の初体験の思い出も、なぜこの物語にそれが必要なのか必然性を感じない。
この内容で350ページはいかにも辛い。

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呉善花  「韓流幻想」(文春文庫)

呉善花  「韓流幻想」(文春文庫)
一時期落ち込んでいた韓国から訪日者がここにきて増加傾向にあるという。日本からの訪韓者は変わらず低迷しているが。
漢江の奇跡といわれるほどに低迷する日本を尻目に韓国経済が成長したとき、韓国は最早日本を追い抜き、日本など競争者ではないと韓国では言われた。更に教育では日本人は残忍で凶暴であることを徹底的に教え込み、日本嫌いな人間創りを徹底して実施している。
 不思議なことは、漢江の奇跡の当時でも韓国女性中心の韓国制クラブ、バーは日本で増加していた。或は、韓国を捨てカナダやアメリカなどに移民する人がたくさんあり、今でもそれは増加傾向にある。
 そんな素晴らしい国からなぜ人々が海外や嫌いな日本にとびでてくるのか。在日韓国人も日本にたくさんいる。それだけ素晴らしい国ならば、こぞって帰国するはずなのに、殆どそんな動きはない。
 日本では200年以上続く会社が3000社もあるし、旅館や飲食業まで数えると15000軒もあるという。韓国では0である。韓国は強烈な父系血縁社会。2世、3世どれほどボンクラであっても家を継ぐ。ここに綻びがでるのだそうだ。日本はボンクラであれば、能力のある人が継ぐことが普通にある。
そして引き継ぐ者、社会の中心は原則男性。こんな国では女性は生きにくい。だから生きる場所を海外や日本に求める。
 どれほど反日であっても、自由な空気が満喫できることを情報で知ると韓国からでたくなったり、韓国にはもはや戻れなくなるのである。

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三浦しをん  「木暮荘物語」(祥伝社文庫)

三浦しをん  「木暮荘物語」(祥伝社文庫)
落語での現代版長屋物語。
ボロっちいアパートに4人が住んでいる。ボロアパートに住む人間は、どこか普通とは違う変人ばかり。大家は70歳を超えるのに、セックスばかりをしたがっている。一階の女性の部屋を天井の穴からのぞいている男。それを承知で、特に男を引っ張り込んでSEXしているところを見せて楽しんでいる女。その他、その女の元彼でストーカーをしてしつこくつきまとう男。その男を部屋に同居させるがSEXはしない女。
 こう書けば、何かいかがわしい物語、事件がおきそうな雰囲気なのだが、三浦は全く明るくからっとした物語にしている。変人は変人なりに不器用ながらも楽しい人間関係をつくっていく。それなりの質の小説にはなっているが、話が読者の想像の範囲内にはいっており
三浦にしては平凡すぎる内容であった。

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アンソロジー 「不思議の国の広告」(福武文庫)

アンソロジー 「不思議の国の広告」(福武文庫)
クリエイティブ、クリエーター、クライアント、コピーライター。こんな言葉は、電通など広告業界から広まった言葉のように思う。それは、ある時代、いかにも時代の先端で、そこにいて仕事をしている人たちは、時間と空間を自由にとびまわり、さっそうとして誰もが憧れ羨む人々だった。
 しかし、今は宣伝すれば売れる物あるいは売る物自体が極端に少なくなった。家電メーカーの宣伝が見なくなったと思っていたら、パソコンの宣伝もなくなった。飲料、車、食料のような日常必需品で買い替えがあるものは今でもテレビで宣伝はするが、他はなくなってしまった。代わりに圧倒的に宣伝が増加したのが通信販売、それも特保商品ばかり。
 さらにパチンコ屋の宣伝。しかも全くパチンコとは関係ないような宣伝。
テレビの宣伝媒体としての力が極端に弱まった今、さっそうとして闊歩し、風を切って歩いていた人々は今どうしているのだろうと思う。

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吉田篤弘  「針が飛ぶ」(中公文庫)

吉田篤弘  「針が飛ぶ」(中公文庫)
10センチか20センチ、ほんの少し現実から飛び跳ねる。すると、そこはもう吉田ファンタジーワールド。とびはねることも、ファンタジーワールドを浮遊することに吉田の恣意や
わざとらしさがまったく無く、自然に思う存分読者は吉田ワールドを彷徨する。
 そして、一見バラバラな物語が、最後には見事に一つにまとまり収斂してゆく。
その最後。エルサルバドル君が「ウクレレに触りたい」と言う。それは今まで色んなものに触ってきたがウクレレだけは触ったことが無かったから。もし今触っておかないと、あの世では、目には見えてもすべての物には永遠に触ることができないから。
 週の折り返しの水曜日。今週は何に触ろうかと思いをめぐらす、そして決まったら週末までに何とか触ろうと頑張る。
 そして、クロークに置かれているコートにのっかているポークパイハットに手を入れてみる。「ザラザラ」。またひとつ永遠が無くなる。実に素晴らしい締め。
 それからもうひとつ、素晴らしい本にであった時の読書体験が描かれている。
「とにかく止まらないのだ。いや、ちょっと喉がかわいた。何か飲もう。そう思ったりするのだが。そう思った意識がどんどん本の言葉に支配されてゆく。いやいや待て、待て、少し待て、読むのをやめないと・・・次のセンテンスでひと区切りして・・・そう思っているのに。気付くと、二、三ページがあっという間に過ぎている。」
 本大好き人間の様子がよくでている。

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小田実  「私と天皇・人びとのなかの天皇」(ちくま文庫)

小田実  「私と天皇・人びとのなかの天皇」(ちくま文庫)
昭和20年8月15日を機に、人々の天皇をみる目、天皇への認識が180度変わった。天皇がラジオを通じて何としゃべったのである。8月15日以前の天皇は「現人神」、つまりその存在は神様であった。その神様が自分たちと同じように喋ったのである。更に、マッカーサーと並んだ天皇の写真が新聞に載る。大男のマッカーサーに比べ、貧相でちんまりしていた天皇をみて、誰もがこんな男に命をかけていたのだと知り茫然とした。
 大衆はそこで天皇は神でもなく、自分たちと同じ人間であることを知った。しかし、その時天皇が民衆をどのように見ていたか知ることはできず、想像だけが民衆の中を駆け巡った。 天皇のためにと言って数百万の人々が亡くなった。しかし、天皇から民衆に対し謝罪の言葉は全く無かった。戦争中ドイツの雑誌に、ヒットラー、ムッソリーニと並んで同盟の代表として天皇が並んだ写真が載った。つまり、独裁者の象徴として、この3人は同列であったのが世界の常識であった。天皇を除いた独裁者は暗殺、処刑された。しかし、天皇だけは生き残り天寿を全うした。
 天皇は2人の悪の独裁者と同じとみなされるどころか、天皇の大英断により戦争を終結させ、数千万人の命と日本を救ってくれた英雄という見方が広がった。本当にそうだったかはわからないが、時の権力が天皇についての評価を作り上げた結果だという意見も強い。
 何かの本で読んだが、美智子妃が天皇家に嫁ぎ、強度のノイローゼに陥った。何しろ、風呂にはいるのに、服や下着まで脱がしてくれる専門の仕官がいる。洗うのを専門の仕官までいる。恥ずかしいことはもちろん、その後の天皇家での暮らしを思うと暗然と立ち尽くした。
 人間になった天皇であっても、こんな生活を戦後も当然のように続けている。こんな人間に、民衆の苦悩、人間の命の重みをおもんばかるわけがない。

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重松清  「峠うどん物語」(上)(下)(講談社文庫)

重松清  「峠うどん物語」(上)(講談社文庫)
重松清  「峠うどん物語」(下)(講談社文庫)
うどん屋「峠うどん」は市の葬祭場の向かいにある。中学3年生淑子のおじいさんがやっている店だ。おじいさんは、すばらしい腕の職人だが、店は葬祭場の前にあるので、通夜とか葬式の前後にやってくるお客さんだけで、すべてが一元の客ばかり。
 このおじいさんとおばあさんを中心とした、人々との交流、その背景にあるずっと昔の悲喜こもごもの物語を重松得意の読者を感涙にむせぶ構成で描き出す。
 特に最後の交流物語「アメイジング グライス」は、おじいさんの唯一のヤクザになってしまった幼友達が亡くなり、その友達の約束に従って、友達の好きな「アメイジング グレイス」をかけながら、その場所に「予約席」の札をおいておく舞台は重松得意の設定で、読者を泣かすには十分すぎる。
 しかし、そのほかの物語はなぜ主人公の中学生が物語に登場する必要があるのかまったくわからない物語ばかりだ。中学生を登場させず、普通にかかわりのある人々のみを登場させ物語にすべきである。特に、街が戦争中に大きな空襲にあい、そこでの惨劇、悲劇を、平成生まれの中学生に目の前に起こった出来事のように語らせるのには白けた。
 重松は子供を描いたら日本一の作家と思っているふしがあり、その呪縛に捕われている。
そして、多分ずっとその呪縛から解き放されないような気がする。

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呉善花  「反日韓国に未来はない」(小学館文庫)

呉善花  「反日韓国に未来はない」(小学館文庫)
この本は、呆韓論、嫌韓論花ざかりの現在の風潮に乗じて書かれたものではなく2001年、13年前に書かれた本である。
 それを言ったらおしまいという言葉やスローガンがある。それは絶対正で、議論の余地がないもの。
 学生のころ、そして今でも嫌悪するスローガン。「子供たちを将来戦場へ送るな」子供をだしにすれば何を言っても正義になり、批判は許されない。
 愛、平和、自由、平等、民主主義あるいは悪の象徴として、アメリカ帝国主義、大企業の横暴、植民地支配、弾圧、抑圧、暴力。これらはそれを言った瞬間に議論はすべて停止する。
 我々はその先を議論せねばならないのに。
ちょっと立ち止まると、全く風景が違って見えてくることがある。今は、調査すれば韓国でも日本でも、お互いが大嫌いという人が大多数を占めるだろう。しかし、少し前まではおかしくて、韓国では戦争や日本植民地支配を経験した人ほど、親日で日本人に良い印象を持っている人が多く、植民地支配など知らない若い世代ほど反日の人が多くなっていた。
 それがどういうことか実際に見ないで、スローガンのみで、植民地支配は悪であり不幸な時代として、反日を煽ってきた人々の責任は非常に思い。残念なことに、煽った人々は、僕らの若いときには、韓国の人より、ジャーナリストやマスコミ関係者を含め日本人が圧倒的に多かったことだ。

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エリザベス ゲイジ「ゲームの行方」(上)(下)(扶桑社ミステリー)

エリザベス ゲイジ「ゲームの行方」(上)(扶桑社ミステリー)

エリザベス ゲイジ「ゲームの行方」(下)(扶桑社ミステリー)
マグナスインダストリー社は全米第3位の巨大コングロマリット。金を得、国世界の支配権力を得、上流階級も奪取。世界も法律もすべては総帥マグナス アントンの手中にある。
 その手のひらで、息子、娘、それにマグナス社に立ち向かう人間を踊らせ、夢、破綻を繰り返させ、彼らの能力をしぼりとり、そして無抵抗の人間にさせてしまう。
 その手で踊る主人公フランセスの人生のめまぐるしい栄光、転落の繰り返しの物語が読者の心をつかみハラハラ、ドキドキの連続。計算し尽くされた展開にただただ感服する。
 そして唖然とさせ、読者に拍手喝采させる最後を用意している。それも、用意周到な伏線がちゃんとはられている。
 人生の物語であり、企業ビジネスの物語であり、卓抜なサスペンスでもある。
 余談になるが、随所にラブアフェアのシーンがでてくるが、ゲイジの文章と北条元子の訳が
見事。変な男作家が描く観念や誇張、女性をすこし見下した表現と異なり、自然に女性の感覚で描かれ実に美しい。性を言葉で表現することは本当に難しい。これを難なく突破している北条元子という女性はいったいどんな人なのか。

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エリザベス ゲイジ「パンドラの箱」(上)(下)(扶桑社ミステリー)

エリザベス ゲイジ「パンドラの箱」(上)(扶桑社ミステリー)

エリザベス ゲイジ「パンドラの箱」(下)(扶桑社ミステリー)
「真夜中の瞳」1200ページを上回るほぼ1300ページの巨編。読み終わりヘトヘト。間で読んだ中村航の作品も400ページを超えるが、活字が大きく短篇にさえ思えてくる。
「パンドラの箱」は少し雑。数々の恋愛が描かれるが、恋愛に至る過程が突然すぎ納得感に乏しい。読みようにっよっては、ポルノ小説のように思わせてしまう。
 ハルがソ連のスパイと政敵ボウスに指弾され、それをテレビでの対決で見事にひっくり返すところは迫力満点だった。
 それにしても、アメリカでは、卑屈になるとかいじけるって行為は無いのか。この小説でも夫婦の破綻場面がいっぱい登場するが、とにかくどなりあい、ののしりあい、そして傷つけ、物をこわし、いじいじするなんてことなんて全くなく、憎悪をはきだしあう。

| 古本読書日記 | 05:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小田実 「何でも見てやろう」(講談社文庫)

小田実 「何でも見てやろう」(講談社文庫)

小田が26歳(昭和34年)のころ、小説書きに行き詰まり、絶対に誰も真似をできずないことをやり、その経験を書けばベストセラーになるかもしれない(これは多分)という野心を秘めて、たった200ドルを持って旅立ち、世界を歩いた貧乏旅行記。
 同じころアメリカに渡った体験を描いた石川好の「ストロベリー・ロード」の読後感の
爽やかな印象に比べ、この作品は読後感が私には良くなかった。
 石川の作品は、見方印象が等身大で、常にまわりの人々との共感があり、一緒に悩んだり、
楽しんだりしながら、一歩一歩青春から大人への成長をしている姿があった。小田の旅行記は、どことなく目線が上からで、何にであっても、一瞬でそれはこういうことと決めつける。バックパッカーの悩みつつ彷徨する青春の香りが殆どない。
 それでも、 凄いのは、歩いた国が、当時(昭和34年)大多数が向かったアメリカやヨーロッパだけでなく、レバノンやシリア、インドやパキスタンを歩いたこと、そんな国々は
誰も関心がなかったし、存在すら思い浮かばなかった時代だったから。
 でも、結局アメリカの存在に振り回されてしまう。どんな国を歩いても、アメリカを基準に他の国々を評価してしまう。それほどに、当時のアメリカの影響の強さがあり、それは極端に好きか、憎悪になるかは別として、アメリカ無しでは世界を語れなかった時代であった。 
 
  小田のような、こうだと決めつけがちの人は、好奇心も強く馬力もあるが、反面唯我独尊になり、失敗も間違いをしても、それを認めない傾向が強い。極貧の国々を歩き、彼らの目指さねばならない国は北朝鮮しかないという北朝鮮賛美に至り、それが間違いであることを指摘されても絶対認めなかった。何か朝日新聞に似ている。

| 古本読書日記 | 08:42 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中村航 「星に願いを、月に祈りを」(小学館文庫)

中村航 「星に願いを、月に祈りを」(小学館文庫)

 この物語は言葉の物語だ。宇宙はビッグバンにより130億年前にできた。だから、宇宙の端にある星を眺めればビッグバンの様子がわかるはず。で、当然なのだがそのときには言葉はなかった。宇宙は限りなく大きい。でもひっくりかえしてみると、ちいさいものはこれも限りなく小さい。素粒子の小ささは手のひらを基準にすれば、ちょうど宇宙の大きさの反比例した位置にある。そう手のひらは大小の中間にある大きさなのだ。
 言葉はその中間にある本当にちっぽけな世界に生まれ、あやふやな過去とわからない未来の間をさまよっている。
 小学生は持っている言葉は少ない。デートなんかしても一言、二言の次の言葉がでない。でも、経験した冒険は強烈な印象になって人生をひきずる。そして思春期。中村の次の文章が印象に残る。
 「 『あーあ』 そのため息は、すべての中学生男子を代弁するように、空にはなたれる。
出口のない思春期の道を、二人はふらふら揺れるナックルボールのようにあるいている。」

| 古本読書日記 | 08:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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森絵都  「異国のおじさんを伴う」(文春文庫)

森絵都  「異国のおじさんを伴う」(文春文庫)
人生が行き詰まり、最悪な状態に思えるようなときは、何が起きても不吉なことにしか思えない。その間だって、いいことだと思えるようなことが起きているにもかかわらず、決して眼は止まらず、ひたすら悪いほうへ悪いほうへと気持ちが沈んでゆく。
 訪ねたオーストリー リンツで主人公はアントニオ猪木より大きいひげ人形をプレゼントされ、それを日本に送る手立てもなく、一緒に飛行機に乗せてゆくことになる。飛行機会社に預けようとすると断られ、仕方なく機内に持ち込み隣の席に座らせる。飛行機は2時間半遅れミュンヘンに飛び立つ。そのころからいやな予感が主人公にまとわりつく。そして案の定ミュンヘンでは預けたスーツケースがでてこない。肝心なスーツケースは無く、粗大ごみのようなひげ人形だけが手の中に残される。待こと3時間。その間、自分の作家としての中途半端さや行き詰まりだけが胸にわきあがってくる。
 結局、係員も探してくれたけどスーツケースはでてこない。もうこれ以上の災難は無いとおもったとき主人公はふっきれた。そして、ミュンヘンの飛行場の外へでた。そこにブルーグレイの空が広がっていた。これに続く最後の4行が実に鮮やか。
 「人口塗料とは違う粒子の粗い青。
  今ここでしか見られない雲。
  今ここでしか吹かない風。
  私は大きく息を吸い、ミュンヘン、と唄うようにつぶやいた。」

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石川好  「ストロベリー・ボーイ」(文春文庫)

石川好  「ストロベリー・ボーイ」(文春文庫)
「ストロベリー・ロード」の続編。
アメリカは、黒人を除けば祖国で人生に失敗したり、祖国に捨てられ祖国を去ったありとあらゆる民族に属する人々が蝟集した国だ。しかも広大な土地を持っている。失敗した人たちは、行き着いた土地で失敗しても、また新しい土地に流れ、いくらでもゼロから人生をスタートできる国だ。ということは、人間関係を壊し、更に新しい人間関係を年がら年じゅう創っている人々があまたいるということになる。
  人間関係は3つによって創られる。「言葉」「ビジネス」「SEX」。それらが常にあっちこっちで破壊され同時に生成されている。そんな国だから、すべての関係が浮薄ではあるが激しく、攻撃的になる。実にけたたましく、騒々しい。そんなことをある牧師を借りて本書で石川は言う。
 しかし、石川がアメリカにいた時代、「沈黙の声」が密かに広がっていた。かの有名なサイモンとガーファンクルの「サウンド オブ サイレンス」である。
 騒々しい裏側に、孤独で、寂しく、生きている、捨てられ忘れられた人々を夥しい数、アメリカは生産していたのである。「卒業」のダスティンホフマンの淋しいまなざしを時々思い出す。

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石川好  「ストロベリーロード」(下)(文春文庫)

石川好  「ストロベリーロード」(下)(文春文庫)
アメリカは、自由で平等で豊かな国ではない。「自由であらねばならない」「平等であらねばならない」「豊かであらねばならない」国なのだ。「ねばならない」という観念の国なのだ。
 山田詠美は黒人にひかれ、黒人とのただれたような恋愛を描いた。日本人女性がそれにより、黒人に憧れ、黒人に溺れる、黒人と結婚してアメリカに渡ることがブームになったことがあった。この現象を黒人の側からみると、アメリカで白人から差別、抑圧され相手にされない、日本女性はそんな蔑まれている黒人を羨望の目でみつめ、かしずいてくれる。黒人より下層にいる人間がいる。そこによりかかり、孤独をいやしたいという姿がすけてみえてくる。黒人も差別されていると同時に差別したい人を探している。
 FUCKという言葉が一般公衆の前に現れたのも、昭和40年代。INという前置詞が強調された時代も昭和40年代。アメリカはベトナム戦争に苦しんでいた。ティーチ イン、ダイイング イン、ストーム イン・・・・。
 僕らの青春はすべてアメリカにとりこまれていた。安保反対はアメリカの存在に対する反対であった。アメリカの映画、音楽、思想、観念にみんな取り込まれていた。社会主義だ、共産主義だと言っていた人々も、ソ連や中国の社会主義国家など眼中にもなかった。ひたすらアメリカをこよなく愛するか、徹底して憎悪するか、それしかなかった。
 そんなアメリカが今崩れおちてゆく。そして、世界は混迷の時代が果てしなく続いている。

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原田マハ  「でーれーガールズ」(祥伝社文庫)

原田マハ  「でーれーガールズ」(祥伝社文庫)
漫画を描くのが大好きな主人公鮎子。その漫画を見て、漫画の主人公に恋してしまった親友武美。武美は鮎子に、鮎子が漫画の主人公ヒデホと付き合っているのと武美が聞いたとき、ヒデホは実在していないのにも関わらず「付き合っている」と嘘をつく。その嘘がとんでもないことを巻き起こす。
 ひょっとすると原田は似たようなことを高校時代に経験。30年の歳月を経て、やっと書ける思いに至ったのかもしれない。
 しかし、この作品、原田は筆がすべり、少しやりすぎ。漫画家として大成功している鮎子が、母校に錦を飾る30年後の講演会の当日に、狭心症発作で他界させてしまうのはいけない。感動と驚愕を狙ったと思うが、読者を逆にしらけさせる。
 

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石川好 「ストロベリー ロード」(上)(早川書房)

石川好  「ストロベリー ロード」(上)(早川書房)
東京オリンピックの翌年4月高校を卒業した石川が、アメリカのカルフォルニアでイチゴ栽培に従事している兄を頼り渡米、以後、アメリカの高校に通いながら、兄のイチゴ栽培を手伝った2年間の滞在記を書いた作品。全体の感想は下巻まで読み記述する。
 私たちが小さいころ感じていたアメリカ、今でもそういう人がたくさんいるが、とにかく庭付きの大きな家にすみ、当時日本には殆どない、大型冷蔵庫や、まだ普及中のテレビ、ピアノが当たり前のようにあり、何とアメリカは豊な国なのかと皆が思っていた。
 そしてアメリカには白人と黒人しかおらず、黒人は抑圧からの解放のため白人に対し激しい運動を展開していた。そんなことがアメリカ全体像だった。
 この作品は、アメリカには本来のアメリカ人がいる。それが白人と黒人。それ以外にアメリカ人になろうと切望している多くの人々がいる。日系移民とその2世。韓国人、中国人、メキシカンなど。当時、アメリカ人になろうとしている人々は、日本では殆ど知られていないか無視されていた。この作品は、そんなアメリカ人になろうとしている人たちを描いている。
 まだカリフォルニアにも日本ビジネスマンは殆どいない。農場に働いていると、背広を纏った日本人がやってくる。住友銀行ロス駐在員が、日系農民に預金をお願いに来る。ナショナルの電気釜を松下の駐在員が売りに来る。
 紅白歌合戦のビデオをソニーの社員が持参してくる。それをまずお寺や教会のひとがみて、日系コミュニティに巡回される。だから、去年の紅白を今年の10月に楽しむなんてこともある。新聞や雑誌はすべて船便。1か月遅れでやってきて、日本社会で回し読み。
 時に雑誌の回る順番が逆になり、「何だ前離婚したあいつら(芸能人)、またくっついてやがる」なんて変な話になることもある。
 そうそう、私にとってなつかしいのは、オートバイの暴走グループ。ヘルス エンジェルス。このグループは、オートバイを改造。前輪を小さく、後輪を大きくしてルート66を爆走していた。それがあの名映画「イージーライダー」で登場している。

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エリザベス ゲイジ 「真夜中の瞳」(上)(下)(新潮文庫)

エリザベス ゲイジ 「真夜中の瞳」(上)(新潮文庫)
エリザベス ゲイジ 「真夜中の瞳」(下)(新潮文庫)
恋、失恋、嫉妬、恨み、愛、家族、親子、友達、権力、支配、栄光、転落、殺人、自殺、貧困
金持ち、サスペンス、推理
とにかく、小説の題材になりうるすべての事柄がこの小説では描かれている。しかも、それぞれがしっかりと関連つけられ、全く破綻していない。何しろ1200ページ余の大巨編。久しぶりに読み終わったあと深い疲労感を感じた。
 それにしても、農耕民族ではこんな小説は作りえない。さすが、動物性エネルギーが充満している狩猟民族。
この物語の最初がいかにも金こそすべてのアメリカ、ハリウッドだ。
アニーというモデルがニューヨークからハリウッドにやってきてある映画の主演を決めるオーディションを受ける。そして、内定をもらうが、契約条件として、ハリウッドを牛耳っている
最大映画会社社長のカースと食事をしてその後抱かれねばならない。
 アニーは全身全霊で抵抗するが、殴られ、ひっぱたかれ、顔に血をいっぱいふきだしながら、結局犯されてしまう。
 それでアニーは警察にゆきカースを告訴する。ところが警察に、カースからの告訴状が弁護士より提示される。主演をとりたくて、カースを誘惑、恐喝した罪として。そしてそれが権力によってあたりまえの事実として通る。正義など全く入り込む余地がない。
 だからずっとアニーを読書中応援する。そしてカースよ地獄におちろと叫ぶ。そのエネルギーが1200ページの長丁場を引っ張る。
 この作品は1200ページ。まだ私が手にとるのを待っているゲイジの作品がいくつかあるが、
ひとつは1300ページの作品。もうぞっとするばかり。

| 古本読書日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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伊集院静 「宙ぶらりん」(集英社文庫)

伊集院静 「宙ぶらりん」(集英社文庫)
短篇集。私の好きな作家ハイスミスには神とは何かということが随所にでてくる。西洋でのキリスト教は重くて伝統もあり息苦しい。この作品集のトップを飾る「煙草」で扱われる神のほうが日本人にはジーンと染み入ってくる。
 主人公はフランス人の富豪と芸妓夫婦の間の男の子。母親は妹を生んだ直後に富豪に捨てられる。3年間は慰謝料で生活できたものの、その後はパリで貧しい暮し。可愛がっていた妹が、ある日兄妹で見ていた大道芸人に連れられどこかに行ってしまう。
 20年後、漁師になった兄は、恋もできず港、港で娼婦を買い抱くだけが楽しみ。ヴェネチア
で街娼を拾い抱き合う。そのとき娼婦は妹だとわかる。煙草の吸い方が母と同じだったから。
 同僚の男に主人公が言う。
「私は大きな罪をおかしました。」
「どうして」
「あの女は私の妹だったからです。」
「私にはわからないがあなたがそういうから妹だったのだろう。でもそれは罪なんかではない。神が二人を抱擁させたのだろう。そう神が・・・・」

| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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大仏次郎  「炎の柱、織田信長」(上)(下)(徳間文庫)

大仏次郎  「炎の柱、織田信長」(上)(徳間文庫)
大仏次郎  「炎の柱、織田信長」(下)(徳間文庫)
新聞小説だから、大長編である。
家康の嫡男は長男である信康。信康の妻は、信長が差し出した信長の娘、徳姫。信康に今は愛されていないのではと思い込んでいる徳姫が、信康が母築山御前(この人は今川義元の娘)と組んで、甲斐の武田と通じ、信長を滅ぼそうとしているという告げ口手紙を信長にだす。
 信長は自らの嫡男、信忠は信康に比し、統率能力、武士としての能力に劣ると思い、信長の時代は、織田天下で続くが、信忠の時代になると、信康に天下をとられると考えていた。
そこへ、徳姫の訴状。信長はこれを逆手にとり、家康に信康を殺せと命ずる。家康は種々の手立てをしたが、最後は信長に逆らえず、信康を自害させる。
 軽率な訴状が信康の自害を招いたとの強い悔恨が徳姫に残る。この悔恨が、物語全体に流れる土台となっている。
 もうひとつ、大仏の描き出す、信長を殺した明智光秀の人間性が実に面白い。
齢を私なども重ね、過去を振り返るとき、まずもっていい思い出など全く浮かばない。あのときの失敗。軽率な行動、発言。あれが無ければと思うことばかり。光秀もそんな人間に描く。更に実直ゆえに、どうしても言わずもがなの一言を余計に言い、それをじくじく悔やむ。
 信長が、武田を滅亡させた功績で、家康を都に招待する。ここで、光秀は家康の食事、接待役を信長より命ぜられる。ところが、家康にだされた魚が全て腐ってしまっていたことが発覚。信長が強烈に怒り、光秀を接待役からはずす。
 ここで光秀は、秀吉や信忠に比し、自らの人生の不運さを、過去を遡り実感する。
この作品の失敗部分があるとしたら、この光秀の強い悔恨と取り返しのつかない失敗をしでかし、自分は信長に殺されるというところに追い込んでいかなかったところ。
 じくじく思い悩んでいるうちに、悪魔がささやき、光秀でも天下がとれるーこの言葉によって本能寺の変が起こったとしてしまったこと。詰めがあまかった。

| 古本読書日記 | 06:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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