井上靖 「姥捨」 (新潮文庫)
この前テレビをみていたら、奄美大島の車が入れない限界集落で、84歳のおばあさんが自給自足の一人暮らしをしているルポを流していた。実に開放感にあふれ生き生きとしていた。我々はどうも既成概念にとらわれて肝心なことに気がついていない気がする。
老人が死期に向かって進んでいる時は、家族で支えあい、最後は家族で看取ってやることが最高に老人にとって幸せ。そこまでいかなくても、きちんとした施設に入れてあげ手厚い介護をしてあげる。寂しいのは一人暮らしの老人。こういう老人には孤独にさせないよう常に地域の人たちが気配りをして声をかけてあげる。
しかし、こんな考えの真逆がある。死はどうせやってくる。老後を迎えるまでは、家族を支え、夫、子供の世話や、時にその関係のわずらわしさに常に苦労してきた。せめて死ぬ前くらいになったら、世間や家族の憂さから解放され一人でのびのび暮らせるようにしたい。
体がいうことをきかなくなり、暮らしが成り立たなくなる。そこからどんな苦痛があろうが、それが死ぬとき、それを受け入れ一人で自由に死んでゆきたい。
テレビに映る84歳のおばあさんはすでにその覚悟ができているように思えた。
井上の「姥捨」深沢七郎の「楢山節考」を読むと、覚悟ができると、そこからの世界は暗い悲しみには彩られてはおらず、明るく、自由な世界が広がっていることを教えてくれる。
by はなゆめ爺や

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