fc2ブログ

≫ EDIT

安部公房   「飛ぶ男」(新潮文庫)

 ある夜明け前、時速2,3KMで飛行する人間が登場する。この飛ぶ男を目撃したのが3人。主人公の中学校教師、保根治それにアパートの隣部屋に住む小文字並子、それに名前はわからないけど暴力団員で相場師の男。

 初め、この飛ぶ男が、保根の部屋に入ってくる。そして、自分は保根の母親は違うが父親は一緒の腹違いの弟だという。

 そして自分は「スプーン曲げの少年、出張出前相談に応ずる手品師、マリ・ジャンプ」という。浮遊する人間の手品もあるし、何かからくりがあって浮遊してるのだろうが、もちろん種はわからない。マリ・ジャンプは、保根の部屋で、当時流行っていたスプーン曲げをやってみせる。もちろん、振ったり、腕の力ではとても曲げることができない、強く固いスプーンを使ってだ。その後、保根に教師をやめて、自分のマネージャーにならないかと勧めて、また地上の空間に浮遊して帰って行く。

 その直後、隣部屋で飛ぶ男を見ていた女性が飛ぶ男が入っていった保根の部屋にいるはずだと思って空気銃をもって保根の部屋にやってくる。しかし、飛ぶ男はまた空へ戻って行ったことを知る。実は女性は、浮遊している飛ぶ男を空気銃で撃ってけがをさせている。傷害罪になるなんて話をして、物語は進行する。

 ここから、全く話がわからなくなる。
というのは、この作品は死んだ作者安部公房のフロッピーに収められていて、未完の作品だからだ。ここからは、文章が空白だったり、改行がでたらめで、全く読んでも何がかいてあるのかわからない。

 どうして、こんな未完作品を、出版したものだと驚愕する。しかし、この本販売して直後に重版になり売れているらしい。

 安部公房ファンや熱心な読書家は、安部がこの後何を書こうとしていたのか、安部に代わって想像して物語を作るのがたまらなく楽しいらしい。

 そんな能力もなく、想像力のきわめて乏しい私には難しい作品だったし、何よりも未完成の作品を本にして売ることについて、どこか納得できない自分がいる。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。

| 古本読書日記 | 05:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

上野千鶴子   「女の子はどう生きるか」(岩波ジュニア新書)

 男女問題(恋愛にとどまらず、あらゆる面の問題)について、上野が答える形にまとめた作品。問も答えも、実際の人から問われた疑問ではなく、上野が書いてまとめた本のように思う。もしろん、問については、上野の豊富な経験から作られてはいると思うが・・・。

 この本を読んでいると、地球には男と女が存在するということを認識することは大きな間違いのような気がしてくる。地球上にいるのはただ人間である。それを女性、男性にわけるから性差別が生じる。しかしトイレなどは、性差で分けるが、風呂を男女別にするなどということはあってはならないのではと思えてくる。

 今日、ニュースでやっていたが、警察の発表によるとストーカー被害が昨年19000件以上あったが、ストーカーの被害は女性ばかりでなく、男性も含まれている。

 セックスは、男女の同意のうえで、行われることが最低条件。この合意がなければ、それは強姦となり罪に問われる。

 この強姦罪というのは、今は、家庭の外で発生した場合に適用されるが、上野は夫婦間のセックスでも、互いの合意がない場合は強姦罪を適用すべきと言う。こういったことを上野が言うときは、もちろん男の方が女より力は強いから男が無理やりという場合が多数をしめるとは思うが、しかし、上野は一方的に被害者は女性で、悪いのは男性と断じる。

 しかし夫婦間では女性がセックスを強制し、男性が拒否する場合だってある。

ルッキズムでも男性から女性に発声する言葉には敏感に上野は反応するが、この作品で、上野は中年男性について「オッサン」を使っている。これは上野の基準から言えば差別用語に思える。

 初めに異性愛という言葉が生まれ、その後同性愛という言葉ができた。しかし上野は言う。

それなのに何故両性愛という言葉が生まれないんだと。これには驚いた。もう愛する相手は人間であって、異性は関係ない世界なんだ。だから、異性愛も同性愛も、夫婦もなく人間が人間を愛するのだ。

 上野の世界では男も女も死語なのに、何で両性愛なんて言葉が必要になるのか理解できない。

 上野は全て正しい。反論など毛頭できない。でも、ついてゆくことはできない。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。

| 古本読書日記 | 05:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

綾辻行人   「人間じゃない 完全版」(講談社文庫)

 6編の中編、短編が収録されている。綾辻らしくひねった叙述トリック満載の表題作品が最も印象に残った。

 何年前の話か作品ではわからないが、7-8年くらい前の話だと思える。事件が起きた時主人公山路悟は24歳で大学院生だった。その時、山路は友人だった譲次を誘い、叔父の別荘「星月荘」に行く。譲次は恋人桜子を連れてきた。山路は友達の由伊を連れてゆく。

「星月荘」完全密室状態だった。しかし譲次と由伊は、ここには人間じゃないものがいると言い出す。それは、幽霊とか化け物のようなものなのかわからない。

 譲次によると、それは元来人間の中に存在していて、進化してどんどん大きくなっているものだという。と言うことは、いずれ人間でないものがどんどん大きくなって、人間は人間でないものになるということか。

 夜、譲次と桜子は2階の寝室を使い睡眠をとる。由伊は、一階の寝室、そして山路は居間のソファで眠る。

 夜も更けたとき、2階の寝室から悲鳴があがる。山路は飛び起き、寝室に行く。2人は体が捻れ、首を跳ねられ死んでいた。驚いた、山路が振り向くと、なんと由伊も同じように体が捻られた状態で死んでいた。

 別荘は完全密室の状態で、山路以外は全員殺されたわけだから、容疑者として山路は逮捕された。しかし、全く証拠がなかったため、山路は釈放される。

 そして、山路は精神科病院に入院することになる。その部屋はB04.Bは地下の意味。地下病棟は異常な精神疾患患者専用の病棟。

 それで、山路は人間なの?それとも人間が進化した人間じゃないもの?ホラーミステリーだ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。

| 古本読書日記 | 05:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

宮尾登美子   「わたしの四季暦」(中公文庫)

 四季の移り変わりに合わせて、暮らしのしつらえを整えてゆく。そんな移り変わりを綴ったエッセイ集。子供の頃を思い出して懐かしかった。

 今は本当に見かけなくなったと思うのは下駄。下駄箱というくらいで、昔は下駄箱に靴は少なく下駄がメインで収められていた。学校へも、中学高校となると、学ランに下駄ばき姿で通った生徒が多かった。

 公民館で集まりがあるとき玄関に「下駄を脱いでスリッパを使ってください」と貼り紙がされていた。

 今は、生活用品が故障するとメーカーの修理センターに電話して、修理にきてもらうが、昔は修理屋さんが定期的に訪問にきて、そこで包丁などを研いでくれたりした。下駄の修理屋さんも、巡回してきてちびている歯を直してくれた。

 村祭りの日。神社に行く下駄やポックリのカタカタと鳴る音に、だんだん心が高ぶってきたことを思い出す。

 それから団扇。会社に入ったころ、もちろん会社は冷暖房完備だったが、電気代節約ということで終業時間になると、冷暖房設備のスイッチを落とした。個々の机の上には書類に挟まった団扇が必ずあり、残業は団扇をあおりながらした。

 年末は、出入りの商人はカレンダー、日めくりを持ってきてくれた。夏は、店の名前が入った団扇を持ってきてくれた。部屋や台所の隅には竹の団扇さしがあり、用途に応じて差してある団扇を使った。外出するときは団扇を団扇差しに差してでかけ、帰ってくると団扇差しから団扇をだして使った。客を招く、客間には上品な団扇が団扇差しに入っていた。

 小さい頃には押し売りがよく現れた。その中で、百科事典を売る押し売りがあった。田舎者の見栄で、読みも見もしないのに、購入する家があった。

 そんな見栄をはる家に遊びに行ったことがあった。今の壁際や食器棚の前にその百科事典は並べられていた。変なところにあるなあと首をかしげたが、すぐにわかった。高いところにあるものを取るため踏み台に使っているんだと。

 このエッセイ集を読んでそんなたわいもないことを思い出した。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。

| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

千野隆司   「成り上がり弐吉札差帖貼り紙値段」(角川文庫)

 札差というのは江戸時代の金貸業。江戸時代の武士は、お米で給与が支払われる。しかし現実の支払い、生活費はお金によって行われる。だから、米をお金に換えてもらわないと暮らしが成り立たない。そのお金に交換する職業が札差業である。

 しかし、インフレや度重なる飢饉などがあり、武士でも困窮する者が大量にでて、武士は生活をするために、将来の配給米石高を担保に札差から金を借りることが頻繁になり、かつその借りた金を返済できなくなる武士が大量に発生しだした。

 この物語、札差笠倉屋の若旦那が幕府が決める米と金の交換レートを事前に仕入れ、お米を購入するとき交換レートより安く交換、そしてそのお米を公示レート発表後にそのレートで市場で販売し儲けようという唆しにはまり、そのレートを教えてくれるという同業者にお礼として100両を小僧に持っていかせる。

 ところが、この小僧が途中で何者かに襲われ100両を奪われてしまう。この100両を誰が収奪したかを突き止め、100両を取り返すというのが物語の筋だて。

 その捜査を笠倉屋の手代弐吉と、南町奉行所定町廻り同心の城野原同心の使いっぱしりの冬太が行う。

 この作品を読んで思うのは、江戸時代事件の犯人をつきとめるのは本当に難しいということ。

 今のように、指紋、DNA,防犯カメラもない。またアリバイと言っても、誰もが時計をもっているわけでもないし、事件の起きた時刻もあいまいになり、アリバイも時間単位が刻2時間、半刻でも一時間であやふやな状態になる。

 すると、どうするか。おとり捜査のようなことをして、犯人しかなしえないような状態を作り、そこに犯人が現れたら捕縛する。こんな方法をこの作品でも採用している。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。

| 古本読書日記 | 06:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT