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松井今朝子    「そろそろ旅に」(講談社文庫)

 江戸時代の大ベストセラー本「東海道中膝栗毛」を書いた、十返舎一九の大阪時代から江戸にもどり、「東海道中膝栗毛」を売り出すまでを描いた作品。

十返舎一九は静岡駿府に生まれ、家は駿府町奉行小田切家に仕えていた。十返舎一九の本名は重田与七郎。奉行の小田切直年が駿府から大阪への異動に伴い、小田切を追って与七郎は大阪へ行き、小田切の家臣として仕える。

 与七郎の創作の最初は、大阪で人気を博していた浄瑠璃。と言っても、浄瑠璃そのものを書くことはできない。

 浄瑠璃は心中や、男女の苦しい道行を描いたものだが、悲劇の場面ばかりでは、観客が観るのがいやになり、本筋の中に笑いを取るコントのような面白話を差しはさむ。このコントは浄瑠璃作家が書くものではなく、それ専用の作家がいて、使う人形も違う。何とも上方文化らしい。与七郎の創作は、このお笑いコントから始まった。

 そのうちに、小田切が大阪から江戸に異動させられる。

浄瑠璃の魅力にとらわれていた与七郎は、小田切については行かず、武士の身分を捨てて、大阪の有力な材木問屋豊後屋の婿養子にはいる。しかし、商人の生活には馴染めず、豊後屋の娘と離縁して江戸にもどる。

 江戸の出版界では、与七郎が上方で浄瑠璃を書いていたことが知られていて、当時の出版かつ本屋の最大手の蔦屋重三郎のバックアップを得て、黄表紙を創作し人気を博す。

 蔦屋の仲立ちで、お絹という女性と結婚するが、派手な女郎遊び、そしてお絹は同じ作家の山東京伝と関係しているのではと思い、お絹と離縁して、江戸から西に向けて旅にでる。そして箱根までの旅行記「浮世道中膝栗毛」を出版し、これが売れに売れ、翌年箱根から大井川にまで延長され「東海道膝栗毛」というタイトルで出版。その後大阪まで全9巻を出版。しかし、旅行記の人気は収まらず、とうとう大阪から伊予まで足を延ばし旅行記を書く。。

 十返舎一九は生涯500冊の本を書き、日本で初めて物書きで生計をたてた作家となった。

ペンネームの十返舎一九の十返舎は香木の香りを味わう遊びからきているが、一九は、与七郎が賭け事が好きで、カード遊びで最も強いのが2枚のカードの数の合計が九の時。最もダメなのが十でブタと呼ばれる。一九はそのブタからきている。

 松井さんは、ユーモアたっぷりに登場人物を生き生きと描き、楽しい作品にしたてあげている。

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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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西加奈子    「まく子」(福音館文庫)

 西さんが「サラバ!」で直木賞受賞した後に出版した作品。

主人公の慧は山あいの小さな温泉街の旅館の息子で小学5年生。その旅館に、ある日母娘がやってきて、賄い婦になり、母娘は、旅館の裏にある、旅館従業員用のアパートに住むことになる。

 その娘はコズエといって。慧のクラスに転入生としてはいってくる。
実は、この母娘は、遠い宇宙からやってきた宇宙人だった。

 コズエが慧に言う。
「私たちは時間を停止させることができるの。」
「何のために止めるの?どうやったらまた動きだすの?」
「この子がきちんと死んだら。私たちが死ぬことを受け入れたら。」
「私たち?オカアサンとコズエのこと?」
「違う。私と、コズエちゃんが死ぬことを受け入れられたら。」

人間というのは、必ず死ぬ。その死ぬとき、死を受け入れて死ぬ人と、まだ死にたくないと思って死んでゆく人がある。そんな人でも、時間がたてば死を受け入れる人も現れる。

コズエちゃんは、きっと小学生で生涯を閉じたのだろう。その死を受け入れた時、宇宙人のコズエが死んだコズエから了解をもらって、死んだコズエとシンクロして、宇宙人がコズエとなって温泉の町にやってきたのである。そこから、コズエと慧の不思議な交流が始まる。

児童から大人への脱皮が行われる。たいていの小説は、女性の生理の始まりを扱うのだが、男の子にも脱皮はある。声変わりがそれにあたるかもしれない。

 しかし、もっと象徴的な変化を男の子にだってもたらす。そこを隠すことなく西さんは物語で表現する。
「ぼくの金玉が、急にでかくなりだした。パンツをはいてズボンをあげて、しっかりチャックを閉めても、ぼくの金玉は絶対にある。そして、どんどん大きくなっている。このまま大きくなって、パンツでは隠しきれなくなったら、ぼくはどうすればいいのだろう。」

 宇宙人コズエとの交流をしながら、子供から脱皮する慧を飾ることなく、率直に描く。多くの子供たちが手に取ってくれたらいいなと思われる作品だった。

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| 古本読書日記 | 06:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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松井今朝子   「今朝子の晩ごはん」(ポプラ文庫)

 しばらく、直木賞作家の松井さんの作品を読んでいこうと思う。

紹介した作品は、松井さんが発信しているブログから集めたエッセイ集。料理のレシピやコツなどが中心のエッセイだと、料理に縁のない私には辛い本になると思っていたが、料理のレシピは最初の2-3行。そのあとは、味わいのあるエッセイが描かれ胸をなでおろした。

 松井さん、ある企画で、ロボット工学博士と対談をする。
博士は、ロボットで民謡の「会津磐梯山」にあわせて踊るロボットを開発する。ロボットが何回もコケたり、コケそうになることを改良して、ロボットが「会津磐梯山」を踊れるところまでたどりつく。

 対談でその開発過程を映像で紹介する。そして、松井さんに今後目指すロボットは、もっと上手く踊れるにはどうしたらいいか、自ら考え、実行できるロボットを開発することだと言う。

 松井さんは驚く。
食欲も性欲もないロボットに、上手くなりたいという欲求が生じるってどういうことなのだろうか。

 本は、原稿を出版社に渡すことで、完成するものではない。その後作者の校正を経て完成するものである。
 だから松井さんは、もっと作品の完成度を高めようと、集中力をマックスにして、校正の作業を行う。将来、校正を行うロボットが出現したら・・・。暗澹たる気持ちでがっくりくる。

 松井さんは私の2歳年下で、同じ年代。大学を卒業して松竹に入社する。
松竹は、当時本社は崩れそうな古いビル。入社して人事研修があり、人事課の係長が担当する。開口一番「当社はみんな相手をチャン付けで呼びますから、皆さんも慣れてください。」

それから、電話の使い方の研修が行われる。
 その時、白黒の映像が流れる。和服に上っ張りを重ね着した、戦前の事務員さんが登場して、電話機がハンドル式、回すと交換手がでる。そこで「京橋の2番につないでください。」
と言う。そんな電話が今時あるかと松井さんは驚き、怒る。

 私も同じころ社会人になった。さすがにそんな電話は無かったが、社員のための慰安会が「こまどり姉妹ショー」だったり「畠山みどりショー」だった。昼休みはみんなでバレーボールのパスの練習をやっていた。松井さんの本で、思い出した。

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| 古本読書日記 | 06:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長嶋有   「俳句は入門できる」(朝日新書)

 私のような素人でも、この本を読めば気の利いた俳句が詠めるように、系統だって俳句について説明、その作り方を指南している本かと思ったら、著者長嶋が、俳句について遭遇したエピソードを前後関係なく綴ったエッセイになっていて、これではとても俳句創作はできないと思った作品だった。

 そんな中でも少し面白いなと思った長嶋の考え方を紹介する。

俳句は5 7 5で出来上がっているから、5,7,5の間に空白をいれたり、行を区切って書くことが多い。
例えば
 麦秋や 背伸びして取る 棚のもの
というふうに表記する。

 しかし、例えば、背伸びしてとると棚のものの間に、作者は何か意味があって空けたのだろうか。そんなことは無い。背伸びして取る棚のものまでは連続した動作で空白など入れる意味は無い。俳句は空白は入れずに、連続して表現すべきものと長嶋は言う。
麦秋や背伸びして取る棚のもの  というように。

この本では、多くの作品を長嶋が紹介している。その中で私が最も印象に残った句を紹介する。
  板チョコを割るに力を冬探し
板チョコを割る力はさほど必要ない。でも、これが老人で床に臥せっている場合はどうなのだろう。

 最後の力を振り絞って、大好物だった板チョコを割っているのだとしたら。冬という季語が効いている。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー  「29歳」(新潮文庫)

 この本の出版は、今から10年前。アラサーとかアラフォーの言葉が流行った時代。最近はあまり言わなく無くなった。29歳を迎え、30歳直前になった女性を主人公にとりあげた8人の女性作家によるアンソロジー。

 現在は、悩みを抱えていようが、いまいが、29歳は、他の年齢と同じように、人生の単なる通過点で、女性でも特別に意識する人は、殆どいないように思う。

 会社時代に私の部下の女性がドイツに駐在となった。その時は驚いた人が多かったが、今は日常の風景になった。

 この作品集で、男というものはなかなか変わらないなあと思ったのが、主人公ののんの彼がボストンに転勤となる。のんに対して   

彼が当然のように言う。
「のん。結婚して、ボストンについてきてほしい。」
このことを悩んで相談したのんの友達が言う。

「奥山くん、勝手だよ。じゃあ、立場を変えて考えたら、どうなるのよ?って言いたくなるよ。のんが海外に転勤することになったら、彼、自分の仕事を辞めて、ついてきてくれるわけ?多分、彼はね、そういうことになったら、のんに外国に行くくらいなら仕事を辞めて、僕の奥さんになって欲しいって言っただろうと思うよ。」

 そうなんだなあ。海外駐在は男性しかないと思っているようなら、古い会社だと思う。

  それから、29歳、30歳というと、どうしても不倫にはまっている人がけっこういるように感じる。

 この短編集でもそうなのだが、社内不倫をしていて、男性が相手女性と会話する時、女性を涼子と呼び捨てにする。何か、芸者やバーの女性との不倫じゃないのに、普通こんな失礼な呼び方はしない。苗字で呼ぶときも名前で呼ぶときも「~さん」とつける。

 何か昭和の初めや、明治の作品を読んでいる雰囲気。

 不倫は相手に奥さんや家族がいるから、愛が盛り上がる。不倫女性は、相手の奥さんに嫉妬し日陰だから感情が熱くなる。

 この作品集で、相手の奥さんが急死する。これで、自分が奥さんになれると喜ぶ?
相手には、中二と小五の子供がいる。それでも結婚したい?
 古い概念と新しい概念の端境期にある作品集だった。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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